……7月29日(金) 6:15 四日目:池袋抗生教宿所・【完璧な朝】
諸々が千々に降下してくる夏々の日々
第十二章 塚。それは土を盛って築いた山。
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「野菜ジュースは紙パックで小分けのやつがあるよ」
ふふふ。つまり私はみんなのコップを用意するけど、自分はコップ要らないんだな。
機嫌も良いので、そういうごく簡単なアイロニーにちょっと笑ってしまう。
「佐々也ちゃん、なんかいいことあった? ずいぶんニコニコしてるね?」
「なんにもないです。目覚めたときの気分が、ここ数年で一番良かったってだけで」
さすがの私でも、不公平な業務分担について考えていたらなんだか楽しくなってきましたとは言えない。なにしろ、この場で最も分担の負担が重いのは間違いなく桜さんだ。言われてコップを並べてるだけの私が、わざわざ口に出すまでもないような不満を言いながらにやにやしていたら、いくらなんでも感じが悪い。
「ああ……なるほど。そういう日ってあるよね」
「そうそう、そうなんです。こんな日に自宅にいたら、朝からお散歩してたと思うなぁ」
「え? もしかして散歩に行きたいの?」
「ううん。別に散歩が好きってわけじゃないし。ただ、そういう日ってこと」
「エネルギー持て余してる的な、ね。わからなくもないけど、佐々也ちゃんってそういう感じじゃないと思ってた……」
「いつもは違うんですよ。本当に今日は特別。いつもだったら、こういうコップ並べるのだって途中で一個ぐらい落としちゃったりするんだけど、今朝は調子がいいからそういうこともない。さ、並べ終わった。あとはコーヒーができるのを待つだけかなぁ」
なにか鼻歌でも歌おうかなと思ったけど、普段は全くしないことだから歌おうにもとっさに出てくる鼻歌のレパートリーが無い。
最近聞いて印象的だったのは……、ハルカちゃんのあの歌か……。
歌詞もよくわからないし完全にうろ覚えなので、サビの部分だけふんふーんという感じで繰り返す。
「もし手持ち無沙汰なら、屋上に行ってみたら? この部屋は最上階だから、屋上も部屋のうちに入るって言ってたよ」
「あ、昨日のお部屋紹介で行かなかったんだった、そういえば。ありがとう桜さん。すっかり忘れてたけど気にはなってたんだ」
「なんにもなかったけどね」
「行ったの?」
「うん。目を覚ますのにいいかと思って」
「えー、いいなぁ。私も行く」
「行ってらっしゃい。あと十五分ぐらいで朝食の時間になるからね。コーヒーもやっておくから、すぐ行っちゃってもいいよ」
「はーい」
朝食の時間はいちおう七時からということになっている。
時間が決まってるとはいえみんなで申し合わせて集まって食べるという予定ではなくて、適当に集まって食べたらいいことにはなってる。だから遅れるかもとかそういう心配はしなくてもいい。
予定時間が決まっているのは、そうでないと集団に合わせた個人行動の見込みが立てられないからだそうだ。
言われてみればそういうもんか、という気もする。
6:50
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宿所にはトイレやシャワー室が集まっている一角があって、大部屋の簡易キッチンからその一角に行く間に謎のドアがある。
ドアの中には、幅も狭くて傾斜も急な屋上への階段が閉じ込められている。
そしてその階段を上がりきったところには踊り場らしいものも特になく、外向きに開く重めの鉄のドアがある。そのドアを開けると、そこからいきなり屋上。
屋上でどうしても目に入るのが、のっぺりした暗褐色、抗生教の本部の威圧的な佇まいだ。
改めてこうして見ても、爽快な青空の一角を大きく塗りつぶすその姿はやっぱり異様だ。
それ以外は雲ひとつない青空、視界の左右には野原、遠くに森。
暗褐色の本部の足元、昨日通ってきた北の森の向こうには、蜃気楼のように遠く霞んだ建物が見える。あれは私達が出発した街、大宮だろう。多分。
周囲の風景も特徴的だけど、この屋上もなんだかどことなく独特だ。
見渡すと弧を描いた長細い屋上がずっと続いている。
内側から見たときは色々な建物の集合に見えたんだけど、視線を流してゆくと屋上が分割されている様子はなく、一連の空間になっている。
平坦ではなくて凸凹もあるけど面として途切れてはいない。でも、ここのように整備されてバルコニーになっている場所はところどころで、それ以外は落下防止にもならないような区切り程度の低い柵があるぐらいで、全体的には空き地だ。
その柵の外、塚の外側の壁面は(昨日見たように)土で、斜面にはまばらに草が生えていたりもする。内側は土を被せた斜面は無くて、屋上の空き地の下は古代遺跡のような質感の壁。
私達が宿泊している部屋の屋上に当たる部分は、建物部分と同じ古代遺跡みたいな材料(たぶんコンクリート)の一メートルぐらいの他より高い柵で区切られていて、どこまでが領地なのかすぐにわかるようになっている。




