……7月9日(土) 18:00
諸々が千々に降下してくる夏々の日々
第六章 重さとは持ち上げる時に使う力。摩擦とは擦れ違いに抗う力。
そういえば、会場で興味深い噂を聞いた。
ぞっちゃんが夏休みに東京に探検に行くんだそうな。
探検なんてぞっちゃんっぽくない感じがするけど、本人に確かめてみたら本当だって。
なんでも有名なストリーマーの人が自分の番組で探検に行くのに、視聴者参加で申し込んだら当選したとかなんとか。ぞっちゃんも不定期で自分のストリーム番組をやってるんだけど、なんかそういうのと関係があるんだろうか。
歓迎会の間、ぞっちゃんは引き合いが多くてあんまり話せなかったから詳しくは聞けなかった。
でも私も興味あるな、東京。
かつて日本の首都だったという、いまでは見捨てられた土地。
古代遺跡が森と水に沈むジャングルのロマン、みたいな。
そんなイメージがあるとはいえ、地図で見てもそんなに広い土地ではないはずなんだけど。
* * *
そんなこんなを思い返して、やっぱり歓迎会は楽しかったということを確かめた。
食堂、もとい会議室で、ゴジが帰った後どんな事があったとか、幹侍郎ちゃんとはどんなことをしたのかというのをゴジとお互いに報告していると、話し声に釣られたのかハルカちゃんもやって来た。
「そういえばハルカちゃんのあの余興はなんだったの?」
「え? キラキラステージの歌のこと?」
「そう言ってたね……」
「キラキラステージはね、キラキラシリーズの二作目だよ。キラキラシリーズはその後にリバイバルして断続的に数百年続いてたけど、その中でもキラキラステージは最初期の作品で、今日歌ったのはリバイバルシリーズとかでも何度もリメイクされたり原曲が使われたりで息の長かった代表曲のひとつだよ。今日のは、リバイバルシリーズの方で流れた原曲重視のリメイク音源のやつ」
あ、長くなるやつか、これ……。
「最初の作品はね、原初のコンピュータで作られたゲームだったんだよ。立体の表面を繋いで多角形を描く方法で表面だけを作ったやつを踊らせて、人間の歌手が唄った歌を合わせて、歌と踊りを表現してたの。そのシリーズの流行りに合わせて、手書きのアニメを作ったんだって。人間が絵を書いて、コマ送りで撮影して動かすやつ」
この地球では現代でもアニメはそんな感じです。
「その手書きのアニメとゲームで使ってるやつみたいなコンピュータグラフィックのダンスのシーンを合わせて番組にしてたんだよ。手書きのシーンとコンピュータグラフィックの両方を比べると登場人物があんまり似てないんだけど、それは似てなくても平気なの。同一性ってどういうことなのか、根源的な疑問を感じちゃうよね」
「い、いや。ゲームとかアニメのキャラクターは特徴が強いから、そこは特徴を描いていれば同一性は担保されるでしょ。二次創作とか、作家同士の共作とかで、お互い同士が似てなくても同一人物って分かる作品はたくさんあるし……。作中で頭身が変わるようなマンガだってよくあるし……」
「うんうん、手書きをするとそうなるよね。でもね、アニメって一人じゃなくて沢山の人で作るんだよ? でも手書き同士の絵は素人では見分けがつかないぐらい似てるんだ」
「そ……そうだね」
現代のアニメもそんな感じだ。
「それだったら、コンピュータグラフィックの絵柄に手書きを合わせたらいいのにね」
「例えば原案のほうが絵で、黎明期でまだ作り慣れてないコンピュータグラフィックが思ったより似なかったとか、なにか理由があるんじゃないの? 私にはよくわからないけど……」
「原案が絵? そんなことある? 絵ってモデルを元に書くものじゃないの?」
「コンピュータグラフィックスの黎明期なんでしょ? よく知らないけど、慣れてる方が作りやすいんだろうから、手書きの方が原始的な手段なわけだし……」
「……そっか。それは考えたことなかった……。現代とは事情も常識も違うんだもんね……」
現代……。私はいまの世の中でアニメーション番組がどうやって作られているか知らないけど、私の方の現代の常識とハルカちゃんが言ってる現代の常識は同じものではなさそうだ、ということはわかる。なんと返事をしたものなのか……。
というか、そんな話ししてたんだっけ?
私は歌って踊ってのハルカちゃんとぞっちゃんのステージにびっくりした、みたいな話がしたかったんだけど……。
結局熱意に押されて、そのあとはずっとハルカちゃんの古代芸術話をずっと聞かされてしまった。
眠る頃にはTOXの脅威に対する役に立たない心配は、すっかり影を潜めていた。
第六章 了




