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酔ってなんかないよぉ?

 宿で提供しておる食い物を端から堪能しながら、ぶっきら棒な会話は続いた。時折、互いに阿保の如き児戯を交えながらも、不思議と喧嘩に発展することはなかった。

「麦の酒なんて、珍しくはないだろう?ま、この辺りのものには、色々と混ぜるのが習わしだがねぇ」

「混ぜ物?柑橘の香りはそのせいか」

 俺の正面に席を移した野暮ったい男は、盃を置くと干し果物の乗った皿に手を伸ばした。

「あぁ。こいつに混ぜてあるのは、このシグルの実の皮だな。造り手の好み次第で、味も香りも、その見た目まで十人十色だ」

 そうして説明を終えると、野暮ったい男は手にしておった金柑のような果実を口に放り込んだ。

「この酒の造り手は、なかなかの腕利きだな」

 俺は流し込むように飲んでおった酒を、今一度、舌の上で踊らせる。今宵のように心から酒を楽しみながら、誰かと語らうことなど初めての経験であった。野暮ったい男は手元の麦酒を飲み干すと、給仕に向かって空の盃を振った。

「そうだろつとも。だから私も、この酒場を愛用しているんだ」

 給仕の方も慣れたもので、今や、注文が必要かすら疑わしい。給仕らは、俺達が盃を空にするのを見ては、新しいものを用意するようになっておった。

「だがなぁ…本音を言えば、私も葡萄酒を」

 従って、野暮ったい男の手には早くも麦酒がある。あるのだが、それを眺めるばかりで口をつけようとはせんかった。

「このようにガブガブと飲んでみたいものだ」

 野暮ったい男は両手で盃を抱えるようにして、麦酒の泡にため息を落とすのだ。それは正に、泡を吹く蟹の如し。こんなにも美味い酒が手元にあると言うのに、葡萄酒に(うつつ)を抜かし、がぶがぶ飲むのを止めてしまうとは。誠に野暮な男である。

「なんだ、葡萄酒がそんなに好きなのか?」

「勿論だ!」

 野暮な男が飛ばした泡が、食台の上を舞う。酒場でこれ程の無駄遣いをしておいて何を言うのか。節制すれば、葡萄酒の一本ぐらいは買えそうなものだ。野暮な男は不味そうな顔をして、ちびちびと麦酒を嘗めおる。

「だがねぇ、この最南端では、滅多にお目にかかれるものではないだろう?」

「そう、だな」

 そんなことは知らぬが、確かに周りの者は皆、同じ麦酒ばかりを飽きずに飲んでおる。俺もだが。

「せめて、この辺りで葡萄が育てばなあ」

 無い物ねだりというやつか。つくづく野暮な男だ。野暮な男は食台の上で両手を組むと、その橋の上に顎を乗せた。

「あんたは葡萄酒の造り方を知ってるか?」

 そんなものは知らん。知らぬが、酒というのは大体が偶然の産物であり、そこに共通点があるのは承知しておる。大方、葡萄を桶や樽に入れて保管しておけば、酒になるのだろう。

「葡萄を樽にでも入れておくんじゃないのか?」

「うーむ、まぁ半分程は正解だ」

 野暮な男は、身を綺麗に食べきった魚に手を伸ばし、背骨のひとつを折り取った。

「ワイン造りには、大切な工程があってだね。それを私は、この目で見たことがある」

 その背骨をどうするのかと俺が見守る前で、野暮な男は、それを楊枝代わりに煮豆を突き刺しては口に運んだ。

「ほう。どんな工程だ?」

 なかなかに良い考えだ。俺も真似してやろう。

「あれは素晴らしい光景だった。乙女らが、大きな木桶の中に飛び入ってだね、裸足で葡萄を潰すんだ。楽しげに、踊るように、美しく、可憐にね!」

 野暮な男は目を瞑り、にやけ面を晒した。俺はと言えば、煮豆を突き刺そうとして失敗をした。野暮な男の方に豆が旅立ったが、気付いてはおらぬ様子だ。

「…その話が本当なら、葡萄酒が飲めない環境で助かったように思う」

「何故だい?!あんた、女が嫌いなのか?」

 野暮な男がやにわに立ち上がると、旅立ったばかりの煮豆までもが飛び上がり、食台の上に帰還を余儀なくされた。

「おや?失敬」

 と、野暮な男は、さして気にするでもなく、それを突き刺しては口に入れた。

「…何故そうなる。女は好きだ」

 そのように自分で言ってしもうてから、些か軟派な響きを持つことに気付いた。案の定、野蛮な男は眉根を溶かし、俺の肩をばしばしと平手で打った。

「ははは!そうだよな!あんたはどんな女が好きなんだい?」

 そんな会話は、誰ともした試しが無い。俺は麦酒に口を逃がそうと、盃を口元に運んだ。

「私はねえ、顔に、ほくろのある女性が好きなんだ」

 分からんだろうなぁ、と野暮な男は小さく溢した。俺は残り少なくなっていた麦酒を勢い良く飲み干し、盃を食台に叩きつけた。

「分かるぞ。俺も同じだ」

 これは余人には、あまり理解できんであろうと思っておったのだ。俺は、思わず低く吠えた。

「おお!分かるか?そうだろう、そうだろう!あの色気がたまらんのだよ」

 俺が好いた女にたまたま黒子(ほくろ)があったのか、ゆきの目元に惚れたから、黒子が好きになったのか。どちらかは知らぬ。知らぬが、良いものは良いのだ。

「俺は特に、目元にあるのが好きだ」

 俺は勢い任せに煮豆を一突きし、口に押し込んだ。

「そうかい!私はねぇ。そうだな、口元にあるのが好きだな」

 野暮ったい男は、煮豆を一度にみっつも突き刺しては、それを眺めて目を細くした。

「女の好みが似た野郎に出会うというのは、これは喜んでいいのかねえ」

「同志だろう?喜べばいい」

 俺は負けじと二突き、三突きと、ひとつずつ煮豆を貪る。

「そうなのだがなあ」

 そして、手元にそろりと運ばれてきた麦酒を手にすると、給仕に目礼を送った。

「好みが似ているということは、同じ女を好きになるということだろう?」

 野暮な男の心配は、分からぬでもない。だが、俺にはゆきがおる。おった、なのかもしれぬが、確かに、ここにあるのだ。

「馬鹿な奴だな。そんな偶々(たまたま)を心配して、酒を不味くしてどうする」

 つい、口をついて出た慰めの言葉は、飲兵衛の如しであった。

「俺は目元、お前は口元。好みが全然違う」

 俺が伝えたかったのはこちらであった。何故、こちらだけを先に言わぬのか。こいつが頭の働きを鈍くするのだ。悪党め、懲らしめてやる。

「ははは。あんたは本当に飲兵衛だなあ」

 と、危ういところで、口の中のものを飲み下した。一体誰のことを、長兵衛の如き言葉で表してくれようか。心外にも程がある。

「だが、良いことを言う奴だ。全くもって、その通りだ」

 野暮兵衛は、突き刺したままになっていた煮豆をようやく口に迎えた。同意を得たのは良いが、実際のところ、好みが似ているのは事実である。早急に、相違点を挙げる必要がある。

「それに俺は、黒子だけでは駄目だ。気の強い女が良い」

 野暮兵衛と同じままでは気が悪い。まさか、ここまで好みが同じとは言うまい。

「そうなのか。私は…そうだなあ、素のままで接してくれる女性が好きだな」

 うむ。我を通す強さという意味では似ているようでも、好意の方向性が全く異なるはずである。俺は単純に、口喧嘩もできんようでは詰まらぬのだ。張り合いが無い。

「裏表の無い、という意味も勿論あるんだが、化粧もできる限り薄い方が好みだな」

 化粧は黒子が見えなくなるからだろう、と問うてはならぬ。賛同されては、この問答の意味が無い。

「見た目なら背丈はどうだ?俺の方は、言うまでもないな」

 勇士の肉体よりも大きな身体をした女ならば、好意よりも好奇が先に立つというものだ。

「背丈を気にしたことは無いな。はは。そうだな、私よりも大きくたって、気にしないさ」

「そうだろう」

 ほれ見たことか、長兵衛。違うであろう。しかし、余りにも(わざ)とらしさが過ぎた。

「ははは!分かったよ。私とあんたとじゃあ、好みの女性が違う。そう言わせたいんだろう?」

 野暮兵衛に看破されてしまい、少々ばつが悪い。いや、これも我が謀略の内ということにしてしまおう。

「分かればいいんだ」

「ふむふむ。言葉のみを正確に並べ、見比べたとするなら、確かに同じ女性を好きになることは無さそうだ」

 野暮兵衛はその緩んだ口に麦酒を迎え入れた。誠に愉快そうで、念願の葡萄酒を口にしているかのようである。

「だが、私とあんたは同じじゃない」

 野暮な男は表情をそのままに、目的の言葉を発した。詰まらぬ目的を掲げてしまったものだ。

「ならば、好きになるのは同じ女性かもしれない。さぁ、どうする?」

 目の前の男は真っ赤な顔をして、緑の瞳を真っ直ぐに向けた。その通りだと思った。だが、ひとつもその通りではないのだ。

「ふん。酔っ払いの戯れ言を真に受けるか」

 知らぬ内に、互いに酒に呑まれておったようだ。目元口元がどうの、ではなかった。

「そんなことは起こらん。俺にはよそに、好きな女がいるんだ」

 もっと早くにこう言っておれば、酒に呑まれることなど無かったのだ。

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