槍なんかない
教会を辞去すると、デニオル翁により兵の詰所へと案内を受けた。穴の無い服を、とマハルは言っておったが、デニオル翁は服に加えて防具まで見繕い始めた。
「ははは。お前程、身体が大きいと、防具を揃えるのも一苦労なのだな」
「甲冑はいらん…重い防具は好かん」
甲冑も悪くはないが、如何せん、身体に合うものが無かった。なんとか俺に合う革の胴当てを着込んだ後、肉体の囁きを信じ、腕当て、脛当て、額当てと、どれも軽く、身体の大きさを選ばない物を選択するに至った。
「少々、心許ないが、それで良いのか?」
俺がその全てを身に付けても、デニオル翁はまだ、あれやこれやと押し付けようとするのだ。ここまで厚遇する程、南の地の情報というものは貴重なのであろうか。
「あぁ。自在に動けることが肝心だ。しかし、本当に良いのか?」
「うむ、気にすることはない。さて、あとは得物をどうするかだが、得意とするものはあるか?」
さて、どうするか。俺は迷っておった。何も遠慮しておる訳ではない。俺はこの時までずっと、得物をどうするかを決め兼ねておったのだ。
ワシは勇士の肉体程ではなくても、あちらではかなりの大男であった。物の大きさというのは使う者を選ぶものだ。それは刀でも同じであり、腰差しにするような刀では寸法が合わぬ。大太刀は、残念ながら懐具合に合わぬ。といった次第で、ワシは武士ではあったが、刀の扱いは上手くはないのだ。デニオル翁らが差している剣の類いとなると、刀とも扱いが異なるはずであり、そんなものを得物にする程愚かではない。
「どうした?武器は好かんか?」
「いや、そういう訳ではないんだが…待ってくれ」
爺殿の教えでは、武士の命は刀、ではなかった。使えるものは何でも使えと、様々な武道の手解きを受けた。その中でワシの心身に合ったものは、よっつ。そのよっつの中でも、魔獣なる巨大な化け物に通用しそうなものは、ふたつだけであった。それらは残るふたつよりも不得手なものだ。
「薙刀か、槍はないか?」
主体となる戦法は異なるものの、同じ長柄の武器だ。こちらにも、あるにはあろう。
「槍ならばいくらでもある。ワシらも、町の外では槍を使うからな」
槍を使うとしても、問題はここからだ。デニオル翁は足元にあった木箱を開くと、中にあった槍を一条差し出した。
「軽い、な」
それを受け取るとすぐに、両手に落胆が満ちた。柄は木製にして、勇士の手には細すぎた。ワシが鍛練に用いていた槍の柄は二種類あった。これは相棒ではない方に似ておる。相棒の柄は、金属製の重い物だったのだ。
手にした時の感覚がまるで違う二条の槍。鍛練は当然、相棒主体のものであった。扱いにも自信がある。二条を鍛練に使っていたのは理由あってのことだが、今、手にしている槍を相棒にしてしまって良いものか。このような躓きは想定しておらなんだ。
「まったく…お前が持つと、えらく細く、貧相に見えるのう」
実戦を想定して、わざわざ金属柄の槍を選んで鍛練しておったはずが、それが仇となった。実戦を知らぬというのは、詰まる所こういうことなのだ。
「せめて、もう少し柄の太い物はないか?」
「ここにあるだけだ。太い柄が良いならば、明朝までには作らせよう」
それでは、身体に馴染ませることも。と、そこで思考は停止した。雷を溜め込んだ雲が現れたように、それは、ごろんごろんと地響きを伴いながらこちらへやって来る。何事かと思えば、奥におった兵の一人が、手押し車を動かしておるのだ。
「おい。何だこれは?」
その荷台にあった蓋の取り払われた箱には、矢の親玉のようなやつが寝そべっておる。形状から矢だろうと判断はできても、確信が無かった。
「これは」
と兵が答えたのを、デニオル翁が手で制した。
「防壁備え付けの弩、それが吐き出す矢よ。よそでは攻城に使うのだろうが、魔獣を仕留めんがために配備しておるのだ」
「失敬する」
手にすると、ずんと重さが心地好い。見た目程でないのは柄の部分が中空であるからか。穂先は一体ではなく、金具で以てがちりと固定されておる。勿論これは槍ではない。だが、矢でもないのだ。ワシには。
「おうおう!これは、矛のようじゃ!重さも良い!ぴたり、ときおる!相棒にそっくりじゃ!ワシはこれが良いぞ!!」
思わず心のままに叫んでしもうたが、今は、そんなことは良い。
「こ、こんなものを槍代わりにするというのか!?長さは良うても、これでは色々と…」
「ふむ。穂先が、ちくと重いのだな。済まぬが、麻縄を用立ててくれぬか?柄に巻き付けるのじゃ」
早くこやつを、この手に馴染ませてやりたい。
「翁はお前ではないか。爺みたいに喋りおって」
麻縄を押し頂くと、その場に腰を下ろして、ぐりぐりと柄に着せる。じくりと刻をかけ、衣替えが済むと。我が相棒は良き面構えと相成った。
「完成じゃ!修練場はどこ、だ?」
鼻息を抑えてデニオル翁を見上げると、何やら頬を歪めて愉快そうにしておった。
「爺のようかと思えば、童のような顔をしおって。可笑しなやつだな。お前、歳はいくつだ?」
ワシは二十八だが、だ。ここは肉体に合わせるのが自然であろう。勇士よ、お主はいくつで死んだのだ?
「数えで、ちょうど二十歳だ。それがなんだ?」
「二十歳?!見えん!ワシも老け顔だったが、お前もなかなかだな」
そうは言われても、鏡も無く、自分の今の顔を知らぬものだから返答に困った。
「そんなことよりも、だ。デニオル翁、俺はこいつを振るってみたい」
本当は手合わせを願いたいところではあったが、この身体の加減が掴めぬことには互いに危険だ。相棒を杖代わりに立ち上がると、手の中を滑らせる。良い感じだ。
「兵の修練場ならば、裏手にある。相手は必要か?」
「いや、杭の一本でもあれば十分だ。こちらの槍も一条、拝借するぞ」
返事を待つ間も惜しい。俺は表へ出ると、いそいそと詰所の裏へと向かった。修練の時間ではないのか、そこにはほとんど人影は無い。
「よしよし」
これならば、好き放題に暴れ回れそうだ。まずは、ただの槍を一条、地面に転がしてやる。
「うはは!やるか!」
目の前にあるのは、一本の杭。デニオル翁の視線を感じつつも、相棒を手に構えを取る。基本の構え。半身になり、腰を少しばかり落とし、相棒を杭へと差し向ける。自在こそが、基本の構えの極意。爺殿直伝である。
一息に突いても良かったが、まだ、機ではない。半歩引き、穂先をやや下に構える。そして再び基本の構えに戻り。杭の左下の空間を突いて即座に引く。と共に一歩大きく前へ踏み込んで、杭の左、やや上だ。杭に細い溝ができるか否かの所を突き込んだ。
「せっ!!」
その突きと同時に体を返し、右手一本で背後を斬り裂いた。左に穂先を向けては右方に目を流し、続けて右方に体を向けては左右を睨む。最後に基本の姿勢に戻り、一息の呼吸で心を水平に戻す。
初めて振るったとは思えぬ程の一体感があった。
「ふむ。一人以上を想定しておるのだな」
デニオル翁は、こちらに近寄ることなく告げた。
「あぁ。今のは一人だけで済んだ」
それが爺殿の教えだからだ。敵が一人であることの方が稀じゃ、か。
「五人まで相手をしろ、との教えだ」
「凄まじいな。貫いたのは首、ではないのか?」
首を狙っても良かったのだが、此度は確かに首を狙った一撃ではなかった。
「あぁ、脇だ。鎧でも守りが薄い。肩から先を無くして尚、向かってくる者は少ない、らしい」
とどめは最後の構えの後だ。一人稽古では必要無い。鍛練を進めたいところではあったが、デニオル翁に話し掛けられていては、そうもいかん。俺は未だ、そんな領域には達しておらぬ。俺は基本の構えのまま、次の敵が現れるのを待ち続けた。
「相手が五人になる頃には、そこの槍が必要になるわけだな」
「そうだ。手持ちの得物が折れることも、抜けなくなることもある」
そのため足で槍を上手く操って、手元に運ぶだけの鍛練もある。
「では、五人に増えるまで、眺めているとしよう」
デニオル翁の言葉が切れると、俺の前後に一人ずつ、曲者が降り立つ。まずは背後に一撃を入れ、牽制することから始めた。