表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/22

怒ってなんかないやい

 マスバラン司祭なる人物に連行される五人組。俺は仕方なしに、その行列に追随しておる。大騒ぎしていたのは五人組であり、俺にはなんの罪もない。それでも大人しく付き合っておるのは、司祭の眼光の鋭さに怯んだため、ではない。約束事を果たしてもらうためだ。

「マハル様。私の言いたいことはお分かりですね?お分かりでしょうとも。ですが!ここは敢えて、口煩く言わせて頂きます」

 司祭は、礼拝堂とは別の建屋にあった小部屋に五人組を押し込むと、俺には外で待つようにと短く告げて扉を固く閉ざした。そして先程の言葉を皮切りに、密偵に気を付けろだの、父君に顔向けできないだのと、こちらの事情はお構い無しに説教は延々と続く。怪我人が俺を待っておるというのを、やつらは忘れてはおらんだろうか。

 いっそ扉をぶち破ってやろうかと、あらぬ考えが頭を過る。自分はこれほどに乱暴な思考の持ち主であっただろうか。身体に満ち満ちた気を、長い一息の呼吸と共に腹の底に鎮める。教会とは寺のようなものであったはずだ。ならば、と俺は爺殿の教えを、経のように唱えることで精神を落ち着けた。

 そうして清浄な刻を過ごす内、欠けておった記憶のいくつかが呼び覚まされた。それと同時に、ワシと我、つまりは俺達の記憶の有り様と、それを呼び覚ます方法に検討がついた。俺達の記憶は、強いて言うならば幼い時分の記憶に似ておる。確かに存在すると分かっておっても、その知識や経験を子細に掬い上げることは相当に困難である。特に勇士の記憶において、その傾向は顕著に思える。だからこそ記憶の鍵となる事象、これが重要なのであろう。

 たったひとつの言葉でも良いのだ。その言霊の如きものを呼び水にして、俺達の記憶は呼び覚まされる。例えば、傘屋の長兵衛。これは先刻、爺殿の言霊により呼び覚まされた人物である。ワシのような下級の武士が武士たるためには、内職をするのが常であった。長兵衛はワシの作った傘を買い取る町人である。ここまで記憶が蘇ると、傘の作り方や長兵衛の気質まで思いのままだ。

 これは、あぁそうだ。この七面倒な感覚には覚えがある。俺達の記憶について、幼い時分の記憶に似ておる、と例えたのは間違いであった。的を射ているようで、全く正確ではなかった。これは丁度、書物の次の項が上手く開けずに、やきもきとする感覚にぴたりと一致する。その項さえ開けたならば、気持ちがすきりとし、また内容も全て読み取れるというものを、なかなかそうはならない。飯粒のひとつでも挟まっておるのかと疑う程に、何度指を滑らせても次の項が開くことはない。なんたる無様。そうだ。正に、その感覚である。

 日頃、何不自由なく生きておって、何が不快かと言って、これほど不快なことは無い。んん?いやいや、待て。より不快なことがあったではないか。前言をまたしても翻そう。その目的の項が開かぬ書物に対し、手に唾をして、次の項へ至らんとする不届き者がおる。これが何より不快だ。そうだ、長兵衛。お前がそうであった。あやつは、おおよそ大きな欠点などない善人であると思わせておいて、毎度、帳面を捲る度にべろべろと指を嘗めるのだ。不潔にして不快。不届き千万!奴は許されざる阿呆助である。

 はて。俺は何をしておるのだったか。思い出せ。そうだ、俺は。かっと目を見開くと、俺は扉をぶち破らんという勢いで拳を打ち付けた。

「おい!いつまで待たせる気だ!!」

 そこまで発して、はた、と身体全ての動きを止めた。冷静になろうと、真言の如き爺殿の教えを繰り返しておったはずが、何故こうなったのだ。扉の向こうは足音やら、何か硬いもの同士がぶつかる物音やらで騒然となった。

「失礼を致しました!」

扉を開けるが早いか、詫びを寄越す司祭。

「ほんの短い注意で済ませるつもりだったのですが、つい熱が入りまして…どうかお許しを」

幾分ばつが悪い。

「いや、なに。こちらも乱暴が過ぎた。少し焦りがあってだな」

「ええ、そうでしょうとも」

 こちらが扉近くで頭を下げ合っておると、中から五人組がそろそろと廊下へ現れた。元々が小ぢんまりとした造りであるからか、大人がこれだけ一所へ集まると窮屈なこと、この上ない。小男などは、マハルの後ろで埋もれるようになって顔すら見えぬ。

「詫びようにも、これでは頭も下げられん。少し外へ」

 そう言うマハルの額の一部は、赤く腫れておる。年嵩の男も同じだ。先程の物音の正体はこれか。

「詫びなどいらん。約束が果たされれば、何も文句は無い」

 マハルの額の腫れに再度目をやって、その下にあるものを見、俺は即座に目を逸らした。空間的な状況を差し置いても、何やら居心地がすこぶる悪い。俺は早急に表へ出ようと足を向けた。

「いや!それなのだがな」

 とんとんと二歩、マハルがこちらへ歩み寄る音に、俺は出口へと向かい始めた足を止めた。

「なんだ」

「薬ではなく、治癒師を手配しようと思うのだが」

「おお。それは助かる。願ってもない話だ」

 勇士の記憶によれば、治癒師とは傷を癒す不思議な力を持つらしいのだ。効き目の分からぬ薬を持ち帰るよりは、余程目的に適っている。ここは頭を下げるべきだろうか。いや、これは約束事の範疇であるからして、俺は報酬を受け取るだけに過ぎず、頭を下げる道理は無い。と、ごちゃごちゃと理由を付けて、俺は振り返ることを拒絶した。それは何故か。

「いや、その、治癒師を手配するに当たってだな、問題がひとつある」

「なんだ?」

「一晩だけ、出発を待ってはもらえまいか?」

 いらいらが募る。一晩待てと言われたのが、それほど不快であっただろうか。確かに不快だ。俺は急いでおるのだ。返事の前に、俺は歩みを進めた。

「いや、時間を無駄にするぐらいならば、薬だけで良い」

 良くはない。一晩待ってでも、治癒師を連れ帰るべきだ。何故、こんなことを口走るのだ、俺は。

「い、急いでいるのは承知している。だが、薬よりは治癒師だ。こう言ってはなんだが、今更、一日急いで」

「黙れ」

 いや、マハルの言おうとしたとおりなのだ。郷を発って、今日で何日になるのか。行きに七日、そしてその帰り道に、俺は死んだはずなのだ。帰り道の記憶は、未だ判然とせぬ。郷を出て以来、どれほどの時が経ったのか。冷静になれ。この苛立ちは、なんなのだ。

「明朝には、馬も、手配できる。それで、なんとか」

 勇士の記憶か、それともこの肉体が、俺を短気にさせるのか?そうした自問自答を投げ掛けても、胸の炎は一向に収まる気配が無い。爺殿直伝の呼吸法すら、なんの役にも立たん。逆に火勢は増すばかり。そしてついに。それは、俺の口から吹き出でた。

「ええい!その(つら)をやめろ!それになんだ!声に覇気の欠片も無いっ」

 堪らず振り向くと、目を赤く腫らしたマハルが、更にだ。その目を震わせておったのだ。全く以て、我慢ならん。

「先刻までの威勢はどうしたっ!何なんだ、その醜態は!?」

 この怒りは、我のものではなかった。この怒りは俺のもので、ワシが我慢ならんのだ。

「恥を知れっ!貴様に付き従う者は、今の貴様を見てどう思う!主人であろうとするなら、誇りを捨てるな!」

 この言葉は本物だ。だが、全てではない。ワシが心底我慢ならなかったのは、ゆきの顔をした女子が、目を腫らしておったからなのだ。

 俺の知る、ゆきは、誠に強い女であった。涙など、ついぞ見せたことはない。そうだ。これは、お門違いも甚だしい、俺の怒りに相違無かった。

「もう我慢ならんっ!!」

 と、そこで、小男が気炎と共に駆け出した。その右の手は、剣の柄にある。俺が頭で理解するよりも先に、身体が動く。

「司祭様っ」

 構えすら、身体が判断を下した。右の腕が、半身になった我が身を守るように柔く添えられる。これはワシの記憶には無い、身体に馴染んだものであった。

「お許し下され!」

 小男の剣筋は鋭く、目で追えるものではなかった。

 しかし、その上半身の動きから、狙いを知る程度のことはできる。首を守る。のではなく、首に伸びくる剣を叩き折る!意思を持った右の手は、拳となってそれに応えた。

 しかし、右の拳ダコが剣を叩き折ることはなかった。拳はただ、空を切る。死を覚悟する間もなく、俺は再びの死を迎えるのであろう。

 自らの首を断ち切られると、このような音がするのかと、甲高い音に耳を澄ませた。

「キユィル!勝手な真似は許さんぞ!!」

 俺が最期に耳にしたのは、微塵の揺るぎもなく、凛と張ったマハルの声であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ