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重くなんかないわよね?

 川を越える時は、誰もが表情を固くしていたのだが、当然のことながら、誰一人として居消えることはなかった。そのまま平野を進むと、視界の奥にあった山脈の尾根は、どこまでも天へと伸びていく。

「いかにも最果てといった風情だが、あの峻険な山々を走って来たのか?」

「いや、流石にそんな無謀は避けた。高地はできる限り迂回して、東側にある台地を抜けて来たが、結果的に正解だったように思う」

 ここに来て、ようやく案内役らしい台詞を口にできた。マハルも了解したようだが、問題はここからだ。この近辺に、彼等がいるはずなのだ。

「トレット!パピヨンに、洞窟を探すように言ってくれ」

「洞窟っすか?お安い御用っす」

 不意を打ったつもりなのだが、トレットは何食わぬ顔で指笛を鳴らして、パピヨンに指示を飛ばした。むう。本当に、鳥と会話ができるのか?トレットめを疑う余地は、最早、米粒程しか残されておらん。

「この辺りが、協力者のいる場所なのか?」

「あぁ。協力してくれるかは、まだ分からんがな」

 俺が密かに、ラバンの民と名付けた者達が、この辺りにいるはずなのだ。俺は、彼等からラバンを借り受けられないかと画策していた。

 勇士が邂逅した彼等は、ラバンと共に生き、洞窟を住居にしていた。今、近辺にラバンの姿が発見できない以上、残る手掛かりは洞窟のみだった。

「場所は、ここらで間違いない。この丘からの眺めに覚えがある」

 ここを勇士が通ったことは確実だと断言できる。しかし、どの辺りでラバンの民と出会ったのか。それについての記憶は引き出せず仕舞いだ。

「少し、いいかい?」

 しばらく辺りを見回していると、もう一人の狩人であるリースという女子から声が掛かった。というのは俺の勘違いであって、その目線から察するに、マハルに声を掛けたらしい。

「どうした?」

「この先の高台に、人間よりも大きく、動きのある何か、が多数いるみたいだ」

「魔獣か…それともラバンと見るか。いずれにせよ、警戒を厳にして進まねばな」

 えらく抽象的な物言いではあるが、リースの肩にパピヨンがいたことで、それにも納得がいった。

「お前も、パピヨンの言葉が分かるのか?」

 横合いから尋ねると、二人共が怪訝な顔をこちらに向けた。

「あたしの耳が、パピヨンと同じに見えるかい?」

 見えるはずがない。リースは頭の上に両手を乗せると、小憎らしく目を細めた。それも何故か、前屈みになって、だ。付け加えるなら、リースは極端なまでに軽装であった。

「お前は何を言っている?そして、何処を見ている!?」

 何処と問われても、丘や山の間にあるものは、谷間と相場は決まっている。

「どちらも愚問だな。疑問があるから尋ねただけであって、目の前にあるのだから、眺めているだけだ」

 美しい景色には、誰しも目を奪われる。そこには猥雑な思いなど、ただの一欠片しかない。

 あちらの世界では、風呂屋は混浴が常だったのだ。この程度で欲情するような俺ではない。花を愛でるような心地で、それを愛でているだけだ。そうだ、これは花鳥風月を愛でた後に至る、ひとつの境地なのだ。そこに至ったと知った今、心中からは最後の一欠片が吹き払われ、茶の一服でも嗜んだ後のような清涼感のみがある。

大変結構な御手前で、とでも申せば、マハルは睨みを解いてくれるだろうか。

「まじまじと、いつまで見ている!行くぞ!」「あはは!素直なスケベ野郎は、嫌いじゃないよ」

 俺とて、しっかりと秘されたモノを覗くような下劣な行為を良しとはせん。今の俺の言動は、五常のどれにも反しておらん。反省すべき言辞も、恥ずべき所作も無いのだ。そう、胸、を張って言える。

 マハルが馬に乗ると、リースはパピヨンを空に放った。それに少し遅れて、薄く殺気を放つマハルの後ろに俺がつくと、リースは俺の隣に馬を寄せた。

「さっきのあれは、トレットの馬鹿が言ったんだろう?あいつの冗談を真に受けちゃいけないよ、おにーさん」

「なんだ。やはりあれは嘘だったのか。いや、半信半疑というところだったがな?」

 あやつには明日、朝稽古の相手になってもらうとするか?たとえ、武芸がからっきしであろうと、杭の代わりぐらいにはなるはずだ。

「あたし達のパピヨンは皆、人間よりも大きな動物を見つけたら、合図で教えるように躾けてあるのさ」

「主として、魔獣を見付けるためのものか?」

「そうさ。それに加えて、一羽毎にもうひとつ、別の芸を仕込んである」

「ほう。利口なのだな」

 マハルに叱られぬように、ただの斜面に目を移す。寝穴らしきものが右手の彼方に見えたが、既に進行方向は修正されており、別段心配は無さそうだった。

「あたしのパピヨンは水場を、トレットのは穴の在処を知らせてくれる。元々は寝穴を避けるために仕込んだらしいんだけど、洞窟みたいな洞穴も教えてくれんのさ」

 何のことはない。やはり、言葉が交わせるわけではないのだ。まんまとトレットの奴めにしてやられた。口惜しいが、今更気付いたからといって、俺は何の文句を垂れる訳にもいかんのだ。この上、トレットを怒鳴り付けるような行いは、己のが蒙昧を声高に叫んでいるに等しい。

「なるほど。お前達二人がいてくれたからこそ、これまで魔獣に出会さず、水にも困らんかったわけだな。感謝する」

 今はただ、賛辞する。それが唯一、俺に残された誇りある道なのだ。

 トレットの奴めには、いつか後悔させてやれば良い。

 あぁくそう。今すぐにでも、あの舌を一枚二枚と引き抜いてやりたい。忌々しい。今に見ておれ。

「ふふ…それはそうと、向こうから何か来るね」

 その声とほぼ同時に、パピヨンの鳴き声が上空より飛来する。リースは前方を指差し、パピヨンは2羽共に、長く鳴き声を上げながら地上へ急降下していた。パピヨンはそれぞれの主人の腕へ、突き刺さるように降り立つと、間を置かず足をかつかつと動かす。

 俺は背中の相棒に手をやり、トレットめを頭から締め出した。更には、一息の呼吸。

「前方!何か来るぞ!複数だ!気を引き締めろ!!」

 マハルの檄が飛ぶ。

「さて。何が来るか」

 台地の手前には、神々が歩み上るための階段の如き、急勾配と平地が繰り返し続く。今、その一段目から、大きな角を2本持った化け物が姿を見せた。

「リース!!司祭殿を連れて駐屯地へ」「待て!あれはラバンだ!」

 俺の口を通して、勇士が叫んだように思った。

「あれがか?!確かだろうな!?」

 俺が記憶との照合を済ませる前に、勇士の目と口は、先回りして答えに至ったらしい。化け物にしか見えないそれは、猛然と坂を下る。

「あぁ。皆、武器を下ろせ。俺が話をつける」

 それでもあれは、確かにラバンだった。

 灰色がかった全身は、燃え尽きた炭のように限りなく白に近い。郷で飼われているものより色味は薄いが、体格は遥かに大きい。それでも、それはラバンであると、その目と蹄が告げている。真っ赤に燃えるそれらは火を吹くようで、太陽の下でも残光が線を描いて見えた。

「あれが山羊だと?牛や水牛と言われた方が、いくらか近い気がするがな」

 キユィルが、いちいち難癖を付けた。しかし、それは的外れであり、言いがかりそのものだ。

「何を言うか。牛も山羊も、同じ仲間だろうが」

「知るか!くそっ。十頭どころじゃないぞ!」

 その威容は、距離が縮めば縮む程に増して見える。俺達の乗る馬も小さくはないはずなのだが、ラバンを前にしては大人と子供といったところだった。

 と、後方の一頭の背に、男が一人乗っているのが確認できた。

「知っている顔か?襲ってきたりしないだろうな?!」

 知るものか!俺はその男に向けて両腕を広げ、ついでに空っぽの両手も広げてみせた。念のため、馬上からだ。

「俺はアルス!少し前に、ここを通り掛かった者だ!我等に敵意は無い!!」

 そうやって大声を上げてから思い至ったのだが、巨躯の四足獣が群れになって駆けてきているというのに、実に静かなものだった。

 幸いなことに、ラバンの群れは俺達を踏み潰すことなく、僅か手前で歩みを止めた。中から、前に進み出た一騎。その背にある細身の男の手には、槍のような棒きれが一本あるのみ。そんな貧相な木の棒よりは、ラバンの巨体の方が余程脅威に思えた。

「お前タち。クスリ、をくれ?寄コせ下さい。渡せ」

 なんだ?聞き取り辛い。その男は挨拶も無しに、恐喝まがいの言葉を繰り返した。

「薬?怪我人か?それとも病人か?」

 男に釣られて、つい、こちらまで片言になってしまった。

「家ゾク、お腹痛イ。痛いの三人。助けて下サい」

 男はラバンからは下りずに、なにやら身振り手振りを交えて要求を告げた。これは、懇願されているのか?されど、頭を下げる様子もなければ、かといって、棒きれをこちらに向けることもない。返答も無い。

「腹だと?病気、怪我、どっちだ?」

「お願い。しマす。下さい。助けて」

 会話にならん。こちらが助けを求めて来たはずが、これではあべこべだ。こちらの問い掛けに答えないのは何故だ?どちらか判断がつかんのか、それとも、これが狂言だからか?

「ええい。分からん奴だな。病気か怪我か、それぐらい」

 俺の三度に渡る問いの答えは、背後からもたらされた。

「ぐえ」

 俺は馬上にいるというのに、何かに背中を押さえつけられた。

「分からん奴はお前だ!どちらでも良い!これほど請い願われて、捨て置けるのか?!罠なら食い破るまでのことだ」

 重い!と言いかけて、やはり口を閉じた。マハルは鞍の上に立ち、片足で俺を踏みつけにしていた。

「案内しろ。助けられるかは分からんが、手を尽くそう」

 この後しばらく、男が理解するまでの間、マハルは何度となく言葉を変えてはそれを伝えた。無論、俺をぺしゃんこにしながら。

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