(4)
一方、ジュリアンの方は新しい街を気に入り楽しく過ごしていた。ルブランのせいで町が久々のパニックに陥った夜、ジュリアンはデイブと夕食に出かけた。
「カンパリネノ」という店である。
「いやぁ、今日はすごかったらしいなぁ~」
デイブがお酒片手に、楽しそうにその日起きた奇怪な出来事を楽しげに語っている。
「うん。僕は直接見れなかったけど、この間の喫茶店より粉々になったショーウインドウ見たよ」
ジュリアンは少し興奮気味である。
「慣れてきただろ、ここにいると」
「いや、慣れないよ、そういうことは」
怖じ気づくジュリアンを見て、デイブは何か思い出したように手を打った。
「そうだそうだ。そういやお前、大学の時のゴーストツアー、無断欠席したよな」
「……よく覚えてるね」
「当たり前よ。あん時俺、お前の弱点見つけたってかなり喜んだもん」
ジュリアンは恥ずかしそうに頭をかく。
「前も言っただろ。子供の頃、大人に脅かされたことがあって、それ以来なんかトラウマで」
「いいぞ、ずっとそのままで。お前のその弱点がなくなると、俺が優ってる点が一つもなくなる」
デイブが嬉しそうに笑う。
「俺みたいになるとな、良い方に考えるんだ。そろそろ車買え変えた方がよかったな、とかさ。もちろんおっかなくて 出て行くのもいるが、古くから住んでいるやつは、俺と似たりよったりだ」
「ふ〜ん、やっぱ長く住むと慣れちゃうもんなのかな」
デイブが急に目を細め、ふっと微笑んだ。
「実はな、ユーレイだとは思ってないやつもいる」
「え?」
「お前愛想つかしてこの町出てくんじゃねえぞ」
「なに?」
デイブはもったいつけるように、ゆっくり一呼吸してから口を開いた。
「俺のばあちゃんは、妖精のしわざだって言ってる」
「妖精?」
「そう。この町はお前のような偉いやつが来るほど、植物に関してはかなり有名だろ。その植物は妖精が守ってるって昔から言われてんだ」
「へぇ~、その話は初めて聞いたよ」
「だから、その恩恵を受けてるこの町は、かわいい妖精のいたずらには寛容なのさ」
「……かわいい?」
「まぁ、度が過ぎることはあっても、人間に危害が直接かかることはない。だからかわいいっていうんだ、この町のやつらは」
自分で言っておきながら鼻で笑ったデイブは、妖精のしわざなどとは思ってない。この町で生まれ育った気質は幽霊を信じさせるが、妖精まで考えがいくほど、ロマンチストじゃないのだ。
「町の至る所にそれにちなんで名前が付けられてるんだぜ。ほら、この店の名前も妖精って言う意味なんだ、古い言葉さ」
そう聞いて、ジュリアンは入り口の軒先にかけられた木製の看板に、羽のついた人間のような生き物が描かれていたことを思い出した。
「ところで、大学の方はどうだ?」
「あぁ、すごく自由にさせてもらってる。今学期は授業ないし、じっくり研究に打ち込めるし」
「そりゃそうだ。権威ある学者先生が、スポンサー付きでこんな田舎に来たんだもんな。大学側だって丁重に扱うさ」
「ほんといい町だね。僕はずっと都会で暮らしてたから、こんな所で育ったデイブが羨ましいよ」
「よく言うよ、幽霊が出る町だぜ?」
「それを除けば、僕にとっては魅力的すぎる」
デイブが大げさに笑った。
「俺にとっちゃ何の特長もないただの田舎町だけどな。でも褒めてくれると悪い気はしないな」
空になったお酒のお代わりが届き、二人でもう一度グラスを合わせた時、入り口のドアにかけられたカウベルが鳴り、一人の女性が入ってきた。誰が見ても彼女の印象はこうだろう。ブロンドの知的美人。
「何、楽しい話?」
その女性は、楽しそうに笑っている二人の所に真っ直ぐやってきて声をかけた。
「おっ、やっと来た」
デイブは立ち上がり、ジュリアンに彼女を紹介した。
「ソフィー・マルーカ。俺の同僚」
「ようこそ、こんな田舎へ」
ジュリアンも立ち上がり、ソフィーが差し出した手を取り握手する。
「ジュリアン・トスです。はじめまして」
「彼女もここの出身。去年戻ってきたんだ」
むさ苦しい男だけのテーブルに女性が入り一気に華やかになる。でも、他のテーブルの男性客がちらちらと三人のテーブルを気にしているのをみると、ソフィーの存在はそれ以上の魅力を放っているのは間違いない。
美味しい料理をつつきながら、途絶えることない笑い声が続いていた。大きな三人の笑い声が響き、その後ふっと会話が途切れた時、デイブが何か思い出したようである。
「そういやお前……公園のベンチどうなった?」
「ベンチ?」
その言葉を聞いて、すぐに反応したのはソフィーだ。それを見てデイブはにやりとした。
「こいつ、あのベンチに座ってんだって」
「え!」
ソフィーが口に手を当て目を見開く。
「あぁ、学生にも驚かれたよ」
「それって、あの、リンゴの木の下の、あのベンチのことを言ってるの?」
「そう、良い場所だよ」
ジュリアンが笑顔を見せたことに、デイブは呆れた様子で顔に手を当てた。
「お前、まじでまだ座ってんのか?」
デイブがジュリアンの体を見回す。
「……どうもないか?」
「どうもないよ」
茶化すデイブの横で、ソフィーの顔は真剣そのものだ。
「駄目よ、ちゃんと教えてあげなきゃ。あそこは絶対近寄っちゃいけないの」
「え?」
「まあ、俺はそこまでは信じてないが、でも、あそこに座るとたたられるって噂はある。それを知らずにあそこに座ったやつは急に気分が悪くなったり、一瞬たりともそこへ留まりたくないっていう気持ちが沸いてくるんだと。まあ一種の霊スポットなんじゃないかって言われてるぞ」
ソフィーが乗り出してくる。
「それだけじゃないの。私の叔父が公園の清掃してるんだけど、あのベンチの周りだけ、いつも不思議なことが起こるって。ベンチの後ろの花壇だけ踏みつぶされていたり、ゴミが散らばってたり……」
「それだけ聞くと、常識のない若い連中のしわざかもって思うだろう?」
デイブも口を挟む。
「……うん」
「違うのよ。私も小さい時に一度あそこを通って、不思議なことを経験したから」
何度も聞かされたよ、とデイブは笑い、酒を飲んだ。
「大切にしてたおもちゃが、あそこを通った時になくなったの」
「なくなった?」
「消えたの。手に持っていたんだけど、すっとね、手から持ってる感覚が一瞬でなくなって……。ネジを巻くと、いろんなポーズを取る人形でね。わざわざ海外に行った父からの珍しいお土産だったから、大事にしてたのに」
「それが、どこにいったんだっけ?」
デイブが茶化す。ソフィーはまるで先ほど起こったことのように、がっくり肩を落とした。
「池の中」
「だから、知らないうちに、いいように記憶を塗り替えたんだって。自分で池の中に落としたんだって言ってるだろ」
「違うもの。絶対違う! もう、デイブはいつだって真剣に聞いてくれないんだから」
二人の話を聞きながら、ジュリアンは真剣な表情だった。
「そういえば……一度だけだけど、急に首の辺りがおかしくなった時があった。なんか一瞬苦しくなって……」
「ほらきた!」
「でも一度だけだよ。それから座っても全然問題ないし……」
「やっぱり近寄らないほうがいいと思うわ」
ソフィーはひどく心配顔だ。
ソフィーの表情を見て、ジュリアンが慌てて言った。
「きっと、妖精だよ。いたずら好きの妖精。でも諦めてくれたんじゃないかな。僕がしぶとく座り続けるもんだから」
ジュリアンが笑って言うと、ソフィーの表情が変わった。
「妖精?」
「だって、この町の不可思議な事は妖精の仕業だって……」
「お前なぁ……」、デイブの呆れた口調がだんだん笑いに変わっていく。しまいには、他の人が振り返るほど大笑いした。
デイブがジュリアンの肩を何度も叩いた。
「そうそう、妖精のいたずらだな、ありゃ。そう思い込め、決してたたりとかじゃないってな」
親父〜、もう一杯、とデイブがもうすでに飲み干したグラスをカウンターへ掲げている間、ソフィーの視線はジュリアンに向けられていた。
「信じてるの?」
「え?」
「妖精」
「いや、いたらおもしろいなと思って。本当にこの街の自然の力は他と比べようもない。それを妖精が守ってるって……なんか素敵だなってさ」
恥ずかしそうに笑うジュリアンを見つめるソフィーの目がなんだか嬉しそうだ。
ソフィーは自分の中に沸いてくる感情を、しっかり受け止めていた。そしてその感情がどういうものなのか、もちろん、ちゃんと知っている。
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