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(2)

 リンゴの木の下のベンチ。公園内にある、遊歩道沿いに置かれたベンチの一つである。向かいには池も開けていて見晴らしがいい、公園内の一番の特等席だと言ってもいい。そこがルブランのお気に入りの場所であり、指定席だった。

 たわわに実ったリンゴから出る甘い香りに包まれたらどんなに幸せだろうと、いつも夢見ながら、ルブランはたいていここで朝から夕方までを過ごすのだが、残念ながら、ここのリンゴの木は成長が悪く、数個実をつけるも、甘い香りを出す前に未成熟のまま落ちてしまうことに、ルブランは気づいていないようだ。

 

 いつものように、心地よい太陽の光が差し込む中、ルブランはベンチに横になり寝息を立てていた。その間、ジョギングをする人、散歩をする老人、教科書を持った大学生などが、怪訝そうにベンチを見ながら通りすぎていく。

 みんなが怪訝そうに見る理由? それは、ルブランがベンチの周りにまき散らした、飲み残しのあるコーヒーカップや、ポテトチップスの食べかすのせいではない。なぜか……それはすぐにわかる。

 ちなみにそのゴミは、ルブランの寝ている間に、庭の清掃人によってきれいに片付けられた。

「まったく、ここはゴミ捨て場じゃないってんだ」

 そう文句を言われながら。




 ルブランが生クリームたっぷりのコーヒーを作ったカフェのドアには、応急処置にガムテームが貼られていた。店員がおおざっぱな性格なのか、ガムテームはきれいに貼られず、所々取れかかったテープが、風が吹く度にヒラヒラ揺れている。そのヒラヒラを不思議そうに見ながら中に入って来たのは、引っ越しをようやく終えたデイブとジュリアンだ。

 店内に入るそうそう、中から言い争う声が聞こえてきた。口論しているのはルブランがドアを割った時にいた店員と、後ろの方に少しばかりの毛を残すほどになったこの店の店長。店員はエプロンを脱ぐと、レジカウンターに叩きつけた。

「もうやってられない。この店、呪われてるわ!」

 彼女は憤然とジュリアンとデイブの横を通って出て行った。がっくりと肩を落とす店長にデイブがガムテープのドアを指さす。

「また?」

 声を出さず唇だけ動かすデイブに、店長は両手でお手上げのサインを作った。

「やっぱ祈祷とかしてもらったら?」

 店長はやめてくれよと手を振ると、カウンター内に戻り、またルブランが絶賛するコーヒーを入れ始めた。

「祈祷って?」事情が飲み込めないジュリアンが尋ねる。

 デイブはふっと笑うと、ジュリアンに向かって大きく手を広げた。

「ようこそ、わが町へ!」


 大きな梁がむき出しになっているこのコーヒーショップは、今の店長が雑貨屋だった所をリフォームした店である。古さが趣をにじみ出し、その歴史的重厚感が醸す落ち着きが、店内に広がっている。

ジュリアンは、コーヒーの香りに包まれながら、この店に合いそうな古めかしい話をデイブから聞いていた。

「……幽霊?」

 怪訝そうに訊くジュリアンに、デイブは真顔でガムテープが貼られたドアに目を移した。

「この町には昔からそういう話しが多いんだけど、この店は最近出るって噂で……」

「ほんと?」

 ジュリアンがこわごわと辺りを見回す。

「あの店員で何人目だろな、ここ辞めんの。入ってもすぐに辞めちゃうんだよなぁ。残ってる店員は昔からいる人ばっかり」

「そうなんだ」

「でもな、幽霊がいてもここのコーヒーは美味い! だからお前を連れてきたわけだ」

「確かに美味しいよ」

 持っていたカップから香り立つ湯気を見て、ジュリアンは微笑んだ。

「あ~、俺もう仕事行くわ」腕時計を見てデイブが立ち上がる。

「ありがとう、手伝ってくれて」

「いや。いい運動になったよ。これで少しは痩せただろうし」

 突き出た腹を叩くデイブを見てジュリアンが笑う。

「これからいろいろ教えちゃるよ。この街の魅力も、恥ずかしい所もな」

「よろしく」

 ジュリアンが差し出した手をデイブがしっかり握った。

「まずは歓迎会だな」

 頭の上で手を振りながら、デイブは店を出て行った。


 デイブを見送ると、ジュリアンは怖々と店内を見回した。

 幽霊か・・・あんまり得意分野じゃないな。

 でもここにはそれなりに客が入っているし、落ち着いて本を読んでいる人もいる。幽霊よりコーヒーの美味しさが勝っているか。そう考えると、なんだか顔がほころんだ。

 店の端の窓から公園の緑と石垣が少しだが見える。あそこか。ジュリアンはコーヒーを飲み干すと、ガムテープががひらひらするドアを開け、公園へと向かった。




 太陽の一部がリンゴの木の後ろに隠れ、ベンチに陰が出来ていた。これから日陰部分は少しずつ肌寒くなっていく。でもルブランはいつものノースリーブとミニスカートの格好でぐっすりだ。

そうそう、言い忘れていたが、季節は秋も深まり、もうすぐ冬の到来だ。遊歩道を歩く人々の中には、厚手のセーターを着ていたり、手袋をしている者もいる。でもルブランはいつでもこの格好のままで全く平気だ。

「う~ん」

 よく寝たとばかりに大きなあくびをし、ルブランは目を覚ました。木漏れ日が顔にあたっていた。まぶしいけれど、心地よい瞬間。

 気持ちよく伸びをした矢先、聞き慣れない声に体がびくっと反応する。


「お前、一人か?」

 ルブランは驚いて起き上がった。近くには誰もいない。このベンチに誰も寄らないことは周知の事実だ。しかし腰を屈めよくよくベンチの脇を見ると、犬が一匹、ベンチの足に繋がれていた。エルダだ。

「なぁ~んだ、お前か」

 ルブランは驚くこともなく、すぐ目を離した。

「驚かないんだな」

「別に。お前みたいなやつ珍しくなんかねえよ」

 ルブランの目の前を、きれいな蝶が横切った。蝶は後ろの花壇へと飛び去っていく。

「ここは俺のベンチだ。さっさとどけよ」

 ルブランはエルダなんかに興味はない。エルダに啖呵を切っても、その目はずっと蝶を追いかけている。

蝶がルブランの鼻先へと飛んでくる。ルブランは捕まえようとしたが、失敗した。

「おい、待てよ!」

 捕まえられなかったことに腹を立たルブランは、花壇の柵を飛び越え、ひらひらと舞う蝶を追いかけ始めた。蝶を捕まえるのに必死で、足下にきれいに咲いている花を、嫌というほど踏みつけていることなど気にしない。しまいに蝶は花壇を離れていったが、ルブランは諦めきれず、飛び去る蝶をどこまでも追いかけていった。

 エルダはそんなルブランをじっと見ていた。そして大きなため息をついた。




 カフェから出たジュリアンは、公園の石垣の入り口で立ち止まった。前方には緑の壁と言えるほど密集した広葉樹林が遊歩道を挟み、遠くに見える池まで続いている。その足下には、冬の到来を告げる気温であるにもかかわらず、色とりどりの花が咲き誇っていた。

 ジュリアンは興奮していた。でも勇んで走らないように、大きく息を吸ってから、遊歩道沿いに生える草花を丁寧に見始めた。


 ジュリアンがこの町の大学へ来た理由、それは彼の専門である植物の研究をするためである。ジュリアンは植物研究者であり、植物の医者でもあるのだ。この地域一帯は、生息する植物の数や種類が桁外れに豊かで、そのため。古くから、植物の効能に関して様々な研究が行われている地である。この公園は、そういった特殊性が圧縮された、いわばこの町のシンボルなのである。


 木立を真っ直ぐ歩き池へ辿りつくと、そこから池を中心に弧をかくように、遊歩道は続いていた。ジュリアンは池からの景色をしばらく眺めた。池の奥の木立の向こうには、これから勤める大学の建物の頭が少し見える。

 今日は残った時間をここでゆっくりしようと決めていた。引っ越しの疲れも、ここならすぐに消えていくだろう。幸運にも天気もいい。


 ジュリアンは池沿いに並べられたベンチに目を向けた。しかし一瞥する限りどこも空いてそうにない。しょうがないので、さきほどの遊歩道のベンチに戻ろうか。ジュリアンがそう思い戻ろうとした時、池で羽を休めていた鳥が急に飛び立った。咄嗟に目を向けたその向こうに、ジュリアンはたった一つ空いているベンチを見つけた。ラッキーだ。ジュリアンは、リンゴの木の下にあるそのベンチに足を向けた。


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