(6)
次の日、夕方に帰る予定だったエリサが、お昼前に戻ってきた。
たまたまこの村に向かう車に出会ったとかで、乗せてもらってきたらしい。
「早く帰りたくてたまらなかったら、行き先を聞いた時、奇跡だと思ったわ!」
エリサはお土産の袋をダグにかざし、嬉しそうに話した。
エリサがいない間は頼まれもしない作業をしていたダグだが、戻ってきてからは、二人はずっと一緒にいた。今も仲睦まじく昼食を作っている。
もしかしたら、ダグは旅を終わらせるつもりなんだろうか。
エルダの心配はいよいよ本格的になっていた。
ダグはもともと、人のために自分を犠牲にするタイプだとは知ってるが、こんな献身ぶりは今まで見たことがない。本当にここに滞在するとダグが決めたのなら・・・自分はここを離れるしかないな。エルダはそう決めた。
ここは素敵な場所だが、あの音にしろ、昨日のことにしろ、自分が心地よくいられる場所ではない。
しかし、少し寂しさを感じながら、エルダがそんな決断をする必要などなかった。
食事を食べ終えたエリサが、ダグに言った。
「今日は天気もいいし、ここを立つ前に、ぜひ湖を見に行ってみてください」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
ダグは気遅れすることなく、素直に応えていた。
食事がすむと、ダグとエルダは散歩にでかけた。
玄関を出て、エルダはダグがリードをつけるのを待っていたが、ダグはエルダの首輪を外した。エルダは驚いて、ダグを見る。
「ここは飼い主がちゃんと見てる限り、首輪は必要ないんだと。でももちろん、お前が何かしたら、すぐに嵌めるからな」
エルダにとって、思ってもみないご褒美となった。
ダグとエルダは、湖へとくだって行った。
途中から、湖畔の景色が一望できる。チッサの部屋から見える景色と同じだ。
エルダは飛んだり跳ねたり、畦道を全速力でかけたり、鳥を追いかけたり、やりたいことをやっていた。エルダのはしゃぐ姿を見て、ダグも嬉しそうだ。
エルダは久々に、首輪なしの開放感にひたった。
あぁ、首周りに、心地よい空気を感じる。たった一つの縄で、心まで縛られていたのかと思うほど、体中に新鮮な空気が流れ込んでくる。自由というのはなんて素晴らしいんだ!
湖一帯に広がる田園や樹木は、冬の様相で華やかさはないがエルダは気にしなかった。
よく見ると、誰かが黄色や黄緑色の絵の具を所々足したみたいに、春の訪れが顔を出している。歩きながらそれを見つけることも、エルダは快感だった。
エルダとダグは、湖へ突き当たると、そこから湖を囲む沿道へと入った。
左手に湖を見ながら散策する。途中釣り竿を持った男性二人が自転車で通り過ぎたが、首輪がないエルダに目もむけなかった。
道が雑木林で行き止まりになり、二手になる。湖側の道は、上に向かって緩やかな丸太階段へとつながっていた。
「見晴らし台かな。行ってみるか」
ダグとエルダは丸太階段を登っていった。
「おぉ、こりゃいい眺めだ」
登り切ったところで足を止める。湖の全貌が見渡せた。
湖がとても澄んでいるのだろう。対岸の山々が湖面に映し出されている。湖の奥はずっと谷川が伸びていて、奥の一際高い切り立った山には雪を望める。絶景ポイントだ。
しばらく大自然に魅了されていたダグとエルダが、今自分達がどこにいるか知るのは、それからだった。
「なるほど。確かに死んだ後も、こんな景色を眺められたら最高だろうなぁ」
ようやく後ろを振り返ったダグが言った。
墓地だ。背後に墓石が数列並んでいる。その横にマッシュルーム形の小屋。必要な道具が置かれているんだろう。
でも墓地といっても、暗いイメージは少しもない。どの墓石もピカピカに磨かれており、花輪をかけられているものもあれば、その墓地の周りだけ花壇のようにいろんな花が咲き誇っているところもあった。隣にはちょとした芝生が引かれていて、墓参りがてらにピクニックでもするか、という家族も想像できる。
「さあ、行くか」
一通り見たダグがエルダに声をかける。が、エルダの視線は墓石の列から離れない。
「エルダ? どうした?」
動かないエルダに、ダグはもう一度声をかけた。
エルダはゆっくりと墓石から目を離し、何事もなかったようにダグの後ろをついていった。
ダグとエルサは、上がってきた階段を降り、もう一つの道へと進んだ。
もう一つの道は、湖沿いから離れるように走っていて、エルダたちはいつの間にか大通りに出ていた。
大通りといっても、整備されているわけでもなく、交通量があるわけでもない。他の道より少し幅のある、対向車がなんなくすれ違える砂利道だ。
建物も見えてくる。といっても・・・大通りと同じ規模である。
通り沿いには、石造りの家が何軒か並んでいた。軒先に野菜や商品が並べてある所もあるので、店もあるのだろう。その通りの一軒の前で、三人の初老の男性が、丸太の長椅子に座っていた。彼らはダグとエルダに気づくと、すぐに声をかけてきた。
「あ〜。あんた、エリサんとこに薬持ってきた客人だろ?」
「え? なんでわかったんですか?」
ダグが驚いて応えるのを見て、男性たちは、わっはっはと笑い声を上げた。
「あんたみたいな若いもんが、この村にどれだけいると思ってる? 両手でも余ってしまうわ」
あごひげの男性が言うと、青いターバンを巻いた男性が続けた。
「こんな所には仕事が多くないからな。若い者はみんな街に出てって、そんで、老いたらまた戻ってくるんだわ」
「死に場所を求めてな」
あごひげの男性が言って、また笑い声が響いた。
元気な親父どもだ、とエルダは思った。死ぬまで、まだまだ何度でも街に出れそうだ。
「そういや、また一つ増えたらしいぞ?」
あごひげの隣にいた、少し痩せ気味の男性が言った。
「何が」
「穴よ」
お〜、と他の二人が驚く。
「穴? 何ですか」
ダグが聞いた。
「湖沿いの墓地、あんた行ったかい?」
「あっ、さっき。眺めのいい場所ですね」
「そうさ。俺らもゆくゆくは、あそこでゆっくりするのよ。そこの墓穴が、ここ数年、誰も死んでないのに増えてんだよ」
「え?」
「穴は今6つだったか」
「いや〜、この間ので7つよ」
「・・・なんか、怖いっすね。誰が掘ってるんですか」
「変人よ。誰か死ななきゃ、墓穴なんか掘っても金にはならねえし」
「気が付かなかったなぁ」
「まあ、俺ら老人に硬い土を掘り起こすのは一苦労だから、迷惑な話じゃないが、入る人がいないんだからな〜」
痩せ気味の男性が言うと、ターバンの男性が返す。
「ソルトよ、お前が1年前入り損ねたんだ。人間は寿命無視して長生きするようになったもんだから、墓の方がしびれを切らして口を開けてきたんだよ」
「そりゃ、お前さんだって同じだろうよ」
ダグは楽しそうな三人に会釈し、その場を離れた。
「墓穴が増えるなんて、不思議な話もあるもんだな〜。俺の予想は、めっちゃムキムキのじいちゃんがいて、体力づくりに穴を掘ってるんじゃないかなぁ」
ダグは帰り道、エルダに面白そうに話しかけた。
帰りは村の人に教えてもらったら近道を使い、エリサの家へと戻った。
その晩、エリサは街で調達した食材を使って、鍋を作ってくれた。エルダも同じものを頂戴した。
最後に言うのもなんだが、エリサの飯は美味い。恐らく、この味は懐かしくなるに違いない。
予定通り早朝のバスで立つことをエリサに告げたダグは、その後お酒を呆れるほど飲んでいた。
エルダは放っておいた。ダグはお酒に弱いわけでもないから、明日の出立に影響が出ることもないだろう。やっぱりエリサと別れるのが辛いのだ。辛いことをお酒で忘れる。人間の癒し方の一つだ。
それに、ダグがシラフでいない方が、エルダには都合が良かった。今夜に関しては。
夜もふけ、居間の明かりが消された。
エルダは玄関口で座って、部屋に戻ろうとするダグを待っていた。
ダグがエルダを見つける。エルダが扉を掻くのを見て、そっとドアを開けた。
「寒いんだから、さっさと帰ってこいよ」
わかっている、とエルダはダグを見つめ外に出た。
犬には犬の用があるのだと、ダグはわかってくれている。もちろん、そこにはちゃんと絆があってこそだ。