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馬鹿な男のヘタクソ人生  作者: 川崎すなお
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馬鹿な男の「承認欲求」について

私は劣等感の強い承認欲求の塊おじさんです。害悪なので早く死んだほうがいいです。でも何とかしたくて、しぶとく生きています。


暗くて、読んでも報われない文章を書いてます。私の一人暮らしの部屋の中に、たくさん自分あての激励やら自虐やらのメモ書きが乱雑に貼ってあります。もし私が何らかの事故で、突然この世とオサラバすることになって、親、兄弟、親族にこの部屋が見られることがあれば……あの世でもう一度死ねます。恥死です。ただ、もしそれらの祈りの(呪いの?)詞たちが綺麗に剥がされてあったとしたら、その時はきっと自死でしょう。めでたしめでたし──。


いや、まぁ本当に自死を選ぶ勇気があるのならば、それはそれで私としては愛でても良いのでしょうが、それが出来ないからこのように波打ち際で、砂に文字を描いているのであります。


さて、ではなぜこんな無益な行為を? 原因はわかっています。私は自尊心がぶっ壊れているのです。認めてもらいたいのに、常に他人と負ける比較をする愚か者です。他人の不幸を願うあさましき劣等生物なのです。そんな馬鹿野郎を、嘆きの言葉を、それでも陳列したいのです。痴漢か、悲劇のヒロインか、どちらにしろロクなもんじゃありませんが、この舞台の上でだけ、演じさせて下さい。


「劣等感」とか「承認欲求」とかを検索バーに打ち込むと、それに侵されている人物の特徴やら原因やら解決方法やらがズラリと並びます。youtubeで検索しても沢山の関連動画が連なり、学者から自己啓発系の配信者からお前誰やねんから、まぁそれは沢山の方々が語り尽くしています。どれを聞いても、それなりに頷くことはあります。さらにコメント欄には同じ悩みの人が散在していて、曲がりなりにも仲間がいます。たまに悲痛な運命を抱えてちょっと上手いこと言えちゃってる感じの人がいいねを集めてたりします(私は押しませんが)。まぁそれくらい、この手の病は顔が割れてます。


おそらく私の心の歪みも、さして珍しいものではありません。原因もありふれたもので、幼少期の発育環境に端を発しているのだと思います。


私の母は、怒るとちょっとヒステリックになるタイプでした。家事に仕事に大変よく働く人でしたが、自己犠牲的な献身というやつでしょうか、自分の思い通りにいかないことがあると「私はこれだけやっているのに!」と泣いて近所に聞こえるくらい大きな声で喚きました。当時は暴力もあったので、私は常に母の機嫌を推し量りながら会話していたのを覚えています。


父は、そんな母をいつも鬱陶しそうにしていました。「うっさいなぁ」と聞こえるようにため息をついて、その態度を息子に隠そうともしませんでした。二人の仲が良かった印象はありません。父は浮気もしていたようです。


私には兄が二人いますが、こちらも母に対して反抗的でした。なので、私は子供心に、母が1対3で不利なように見えていました。実際には私も母が怖かったし嫌だったはずなのですが、「せめて自分は怒らせないようにしないと」という意識がありました。なので私は父や兄たちの側につき過ぎず、そして母にも良い顔をするように努めていました。


そのかいあってか(?)当時の私は、その場の空気を読んだり、他人の顔色を伺うことが得意であると思っていました。学校でも、そのように振る舞うことが板についていました。それでうまくやれている気がしたのです。私は自分が八方美人であることを自認していましたし、それを、まるで自慢のように話していましたこともあります。


今でも、母と一番距離が近いのは私だと思います。それが自分自身で気持ち悪くもありますが、最も母の愛と拒絶を敏感に感じ、恐れていたからでしょう。結果、私は他者の評価を極端に気にするようになりました。何とか言う症状の名前があるはずですが、忘れました。


私は中年になった今も、その行動指針が染み付いてしまっています。とある心理学者が、私のような人間を「神経症的否利己主義」であると言ってました。自分が他者から認められたいから、相手の望む通りに動こうとするらしいです。


「自分がそれをやりたい」「自分がそれを好き」といった、”自分の意思”が主導権を握るのではなく、

「相手が喜ぶかどうか」「相手が嫌がりはしないか」というように、”相手の顔色”が行動の指針になっている。


まったく、その通りです。それが私の本質です。なので自分が承認を得られないと感じる場所だと、傷つくので逃げてしまいます。


逃げた先で、まず孤独になろうとします。いったん落ち着くように感じるのですが、すぐに社会から孤立することに耐えられなくなり、また承認を欲しがります。逃げた先で、新たな他人に対して認められるよう頑張ります。おかげさまで、一時の承認を得るの得意ですから、いったん自分の居場所を感じ始めます、しかしこれもまた慣れて周りを見渡すようになると、すぐに他人と自分を比べ始めます。分不相応な相手を見つけては常に負ける比較を始め、劣等を意識します。自分には価値がないと落ち込み、勝手に傷つきます。


あとは言わずもがな、数年ごとに同じサイクルを繰り返しています。


自尊心がおかしいので、自分で、自分の価値を認めることができません。多くの論者が明かしている通り、私の処方箋は自己肯定感を高める1点につきるのでしょう。自分に向き合って、自分の価値を育てていくしかないのでしょう。まぁ、それは勝手に頑張ります。ほら、今もこのように。


解決法なんて、言葉だけは巷に溢れてます。神経症とか、愛着障害とか、うんぬんかんぬん名前をつけられ心理学的な解明がされていることも知っています。悩んでいる状態がぬるま湯であることも分かっています。この蟻地獄から脱出するしか、助かる道が無いことも聞かされています。


しかしね、でもですよ。自分の苦しみに名前をつけられ、整理整頓されたチェック項目で分類され、「あぁあなたはこれですね」って訳知り顔でお薬を出され、そりゃ当たってるんだろうし、実際痛いから病院に来ているのも私だし、まぁ治るんだろうよその薬を毎日しっかり飲みゃあ。でもね……。うるさいじゃないですか。ムカつくじゃないですか。矛盾だろうが何だろうが、思いっきり叫びたくなる。


「お前らには私の苦しみは分からない!!!!!!!!!!」って。


──時々、この悩みを鬱々と考える時に思うのです。

いつか、この苦しみが消える日が来るとして、その日の自分が今の私に出会う時、エモい感情で微笑んでしまうのでしょうか。 私は、そんな未来は許せません。お前は、お前だけはそっちに立っちゃダメだろう。こちら側の苦しみと、憎悪と、愚かさを知るお前が、それを表現することを忘れちゃ駄目だろう。そっちに行かないといけないのは知ってます。そっちにいかないと、客観的な表現が困難だから。だから、せめて前に進むにしても、後ろ向きに歩かなきゃいけない。そちらへの視線は逸らしてはいけない。それだけは、忘れてはならないでしょう。メサイアコンプレックス? 知るかそんなもん。



とはいえ、同時にこうも思います。こちら側は、そちら側に行った人間を信用しません。そちら側で発した言葉に心を動かされたくありません。認めたくないのです。分かって欲しくなんてないのです。前向きな言葉なんてかけて欲しくないのです。なぜなら、そちら側にいるからです。落ち込ませて良いのは自分だけです。未来の自分が分かったフリをして何かを言ったって、過去の自分はあさましく笑うだけです。でもそれでも、それでも、呼びかけ続けることに価値があると思いたい。



この感情はいくら蔑まれようと本物です。あなたのその苦しみも本物でしょう? だから叫びます。残すべきです。だから言います。



「お前らには私の苦しみは分からない!!!!!!!!!!これは私だけの苦しみだ!!!!!!!!!!!」



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