2.加虐心
一騒動があった後、両親は早々に部屋を出ていってしまった。
疲れている娘を気遣ったのだろう。私としても、この配慮は嬉しかった。
使用人たちも、今は全員が部屋からいなくなっている。
消化の良いスープを持ってくる……とだけ最後に言われたから、10分後、20分後くらいには誰かが来るんだろうけどね。
……さて。
少しの間だけど、ようやく考え事が出来そうだ。
早速、今の状況を確認していこうかな。
――まず、ひとつめ。
両親から聞いた話によれば、私は昨日の早朝、屋敷の裏の森で見つけられたらしい。
崖に落ちていたのに、怪我はかすり傷程度。
これは土偶時代の私の治癒魔法のおかげなんだけど、両親は何も知らないから、神様のおかげにされてしまっていた。
……神様、か。
私、信仰には興味が無いんだよね。
そもそもこの世界には神様なんて――……っと、それは置いておいて。
それにしても私が封印されていた場所の近くに、こんな屋敷があったなんてね。
昔はこんな屋敷、無かったはずなんだけど――
――というところで、ふたつめ。
今はいつか? という問題だ。
この身体、エルフィアナの記憶によれば、今は王国歴1402年らしい。
私が封印されたのは、王国歴996年。
従っておよそ400年の間、私は封印されていたことになる。
封印されてからしばらくの間は、まるで夢を見ているように、意識が安定しない状態だった。
その後は何とか土偶に憑依することが出来たわけだけど、そこからさらに年月を重ねてしまって……。
「……400年、かぁ」
呟きながら部屋の中を見まわすも、昔と大きく違うものは特に見当たらなかった。
数世代にも渡る時間を考えれば、内装のデザインが変わったり、私の知らないものが出来ていたり、何かしらが違っても良さそうなものだけど……。
――さて、次にみっつめ。
それでは結局、ここが誰の屋敷で、私は誰の身体を頂戴したのか……という問題だ。
再びエルフィアナの記憶を辿っていくと――
……しばらく記憶を巡らせてから、私はとても驚いた。
そしてそのまま、部屋にあった鏡台を急いで覗き込む。
「――……ああ、なるほど。
確かに、面影があるな……」
私は自分の顔を、改めて眺めてみた。
そこにはかつて、私を封印したパーティ――この時代では『四英雄』と言われている英雄たちの、一人の面影を残す顔があった。
激しい戦いの中、パーティを後方から、強力な光魔法で支えていた可憐な少女。
……どうやらその少女が、大魔女討伐の功を認められてひとつの家門を作ったらしい。
それこそがここ、エルフィアナの生まれた『セレナス公爵家』だ。
そして――
「エルフィアナ・ニクス・セレナス」
――それがこの身体の、今の私の名前である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ガチャッ
不意に、部屋の扉が開いた。
目線を移してみれば、メイドのカレンが銀色の大きなトレイを持って入ってきている。
……それにしてもこの屋敷の人って、扉を開けるときにノックもしないわけ?
私がそんなことを考えていると、カレンは気怠そうに話し掛けてきた。
「エルフィアナ様、スープをお持ちしましたよぉ。
お腹、空いてますでしょ?」
そう言うと、カレンは部屋の中央のテーブルに食事の準備を始めた。
確かにこの身体は、しばらく何も食べていない。
改めて意識をすると、お腹の虫が今にも声を上げそうになる。
しばらく黙ってカレンを眺めていたが、特に呼んでもくれなさそうだったので、準備が良さそうなところで勝手に着席する。
私はもともと貴族ではないから、この辺りの勝手は分からないんだよね。
「それでは、頂きます」
美しい食器に注がれた、透明なスープ。
口に運ぶと、熱くもなく、冷たくも無く、ただ単純に、温い。
……それに加えて、見た目よりも味が薄い。
とは言え、私が感じる久々の味覚だった。
「いかがですか?」
「ちょっと薄いけど、美味しいよ」
私の返事に、妙な表情で返すカレン。
んん……? さっきから一体、何なんだろう……。
カレンの様子は気になったものの、しかしベルサリア的には400年振りの食事なのだ。
私はそのまま、スープをあっさりと平らげてしまう。
「あら、美味しかった、ですか……。
……えっと、夕食はどうします?」
カレンの言葉に、私は外を眺めてみた。
日の高さからして――と言うか、部屋には時計もちゃんとあるか。
時計の針は、15時過ぎを指していた。
「そうね、頂くわ。
でも今日は休んでいたいから、時間になったらこの部屋に運んできてくれる?」
「え? ……は、はぁ」
私の言葉に、カレンは中途半端な言葉を返してきた。
カレンが退室した後、私は窓際の椅子に移り、くつろぎ直すことにした。
窓からは外が一望でき、広い広い森を眼下に見渡すことが出来る。
……なるほど。
エルフィアナは毎日、この窓から森を見ていたのか。
土偶時代に森から屋敷が見えなかったのは、あまり遠くのものが見えなかったせいだろう。
あの時は魔力で強引に視力を得ていたから、近視みたいな状態だったんだよね。
……さて。喜ばしいことに、またしても自分だけの時間が訪れた。
今の内にカレンのことを含めて――今がどんな状況か、改めて確認しておこうかな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ガチャッ
不意に、部屋の扉が開いた。
時間は18時。
昼と同じように、カレンが銀色のトレイを持って部屋に入ってきた。
「エルフィアナ様、お加減はいかがですかぁ?」
例によって、使用人としては少し踏み込んだ態度。
私としては言いたいこともあるけど、今回は『以前のエルフィアナ』のような態度で接してみようと思う。
それでは、レッツ・トライ!!
「あ……、はい……。
大丈夫……、です……」
……っと、こんな感じかな?
エルフィアナはそもそも、使用人に対してすらかなり内向的だった。
内向的……と言うか、閉鎖的、と言った方が正しいかもしれない。
「あら? あら?
うふふ、いつものエルフィアナ様に戻りましたねぇ♪」
私の態度に、カレンは嬉しそうにはしゃいで見せた。
それを見て私も、『いつものエルフィアナ』のように、静かに椅子に座って俯き続ける。
「あの……、昼間は、すいません……でした……」
「いえいえ、大丈夫ですよぉ。
いつもと雰囲気が違うから、驚いてしまっただけです。
はい、夕食のスープとパンですよー♪」
そう言いながらカレンが置いた皿には、昼に飲んだものより薄いスープが注がれていた。
今さらではあるが、これはカレンが水で薄めているのだろう。
……何のためかと言えば、嫌がらせのため。
そう。エルフィアナは日常的に、使用人たちからいじめを受けていたのだ。
「い……、頂きます……」
私は手を震えさせながら、スープを口に運んでいく。
……うん、薄い。
昼のものより、さらに薄い。
きっと昼の私を見て、カレンが度を越してやってくれたのだろう。
引き続き『いつも通り』手を震えさせながら、俯いたまま、手元の丸いパンを割ってみる。
するとこちらにも『いつも通り』、小さな針が仕込まれていた。
長さは2センチ程度だが、口の中に入ってしまえば大変だ。
カレンはテーブルに手を掛け、こちらを見下しながら言ってくる。
「くすっ。どうですか? 美味しいですかぁ?」
悪意の篭った、可愛らしい口調。
『いつも通り』のエルフィアナであれば、そのまま静かに、黙々と食べ続けるに違いない。
しかし残念ながら、ここにいるのは『いつも通り』のエルフィアナではない。
「――まったく、この屋敷はどうなっているんだか」
「え?」
突然の、声を震えさせない私の声に驚くカレン。
私はすくっと立ち上がり、カレンを睨み付ける。
「サイレント・ボイス」
「……ッ!?」
私の掲げた右手が白く光る。
その瞬間、カレンは言葉を失った。
大魔女時代にはとてもお世話になった、相手の声を封じる沈黙魔法。
エルフィアナは魔力を持っていないが、この魔法を聖力で扱えることは一人のときに確認済みだ。
本来、魔力と聖力は全く違う。
例えて言うなら、魔力は液体、聖力は気体――……それくらい、性質が異なっている。
そんな中、魔力で発動するはずの魔法を聖力で発動させられたのは、私が大魔女ベルサリアだったから、と言えるだろう。
……と、それは良いとして――
「ねぇ、カレン。私は今までの私とは違うの。
だから心を入れて、私に仕えなさい。貴女は私のメイド。貴女は私のものよ?」
そう言いながら、睨み付けながら、私はカレンに詰め寄った。
カレンは突然の状況に、突然の私の豹変に驚き、そのまま無様にしりもちをつく。
なおも近付いていく私に、カレンは涙を浮かべながら、コクリコクリと頷き始める。
……素直で可愛い娘。
こんな態度、私の加虐心を煽ってしまうじゃない?
「ねぇ、カレン。
このパンには何本の針を仕込んだの?」
カレンは震え始め、目を逸らし、両手で自身を抱く様なポーズを取った。
……ああ、溜まらない。
私は丸いパンをさらに細かくちぎり、パンの中から小さな針を5本見つけた。
エルフィアナの記憶と照らし合わせれば、これはいつもの量と同じと言える。
私はその1本を親指と人差し指でつまみ、カレンに見せつけた。
「今までたくさん、たくさん針をもらったよね。
今さらだけど……、お・れ・い♪」
私はしりもちをついたままのカレンの顏に、自分の顔をすっと近付けた。
そして満面の笑みを浮かべながら――
……針を、彼女の二の腕に刺した。
しかも、垂直に。
プツッという、微かな音が聞こえたかもしれない。
カレンは当然のことながら、苦悶の表情を浮かべ始める。
「痛かった? ヒール」
私の言葉と共に、針を刺した場所に癒しの光が生み出される。
さすがに治癒魔法は聖力と相性が良いようで、問題無く使うことが出来ていた。
しかし、カレンの表情は苦悶に満ちたままだ。
何せ治癒魔法を掛けたと言っても、腕の中に針が残ってしまっているのだから。
当然ながら痛いだろう。普通の女の子なら、なかなか耐えられる痛みではない。
しかし――
「……あと4本、あ・る・か・ら・ね♪」
私は努めて明るく振る舞った。
カレンはそれを見て、さらに顔を青ざめさせていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――……5本を刺したところで、カレンは失禁して気を失ってしまった。
大魔女時代には、もっと酷い拷問をしたこともある。
今回は下の方のレベルではあるが、それでもまぁまぁ、なかなかの刺激だっただろう。
部屋が汚れてしまったので、メイド長を呼んで、カレンを引き取ってもらう。
針を刺して血が滲んでしまったカレンのメイド服は、清浄魔法で汚れを取っておいた。
そのため、カレンが私に刺された……と言っても、すぐには誰も信じてくれないだろう。
……そもそも、沈黙魔法が掛かってるからしばらくは喋れないだろうけどね。
――さて。
それにしても、そろそろちゃんとした美味しいものが食べたいなぁ。
カレンの悪戯も無くなるだろうし、明日の朝食は楽しみにしておこうかな♪