1.封印と少女
――……封印されてから、どれくらいの時間が経っただろう。
すでに身体は朽ちている。
しかし何とか、魂と記憶はこの世界に留めている。
……私の名前はベルサリア。
かつて世界に喧嘩を売った、悪名高い大魔女だ。
「ヒュー……、ヒュー……」
すきま風のような、口笛に失敗したような、そんな音が私の口から聞こえてくる。
元の身体は失われてしまったが、魂をそこら辺に漂わせておくわけにもいかない。
そのため私は、地中に埋もれていた土偶に魂を憑依させていたのだ。
その後、生前の知識を使って大地の魔力を借り、視覚と聴覚を取り戻すことに成功した。
今はもう、夜空の星を眺めることが出来る。
深い森を這う風の音も、しっかりと聞くことが出来る――
――ドサッ
「……ん? 何の音?」
ちなみに喋ることも、ここ数年で出来るようになっていた。
私は土偶の身体をふわりと浮かせ、音のした場所に向かってみることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少し離れた場所の、高い高い崖の下。
大雨が降ったとき、雨宿りにも使っている場所だ。
土偶の身体は濡れても平気だけど、雨で少しずつ削られてしまうからね。
「……う、うぅ……」
うめき声がした。
崖の上から落ちてきたものは、ひとりの少女のようだった。
脚は変な方向に曲がっており、どこかを切ったのだろうか、地面は赤黒く染まっている。
この場所に、人は来ない。厳密に言えば、数年に一度、誰かが迷って来る程度のものだ。
「……ごめんね。
私は貴女のことを助けられない。すぐ、楽にしてあげることも出来ない」
一思いに命を絶ってあげたい――とは思うものの、土偶の身体ではそれも出来ない。
頑張ってぶつかってみたところで、痛みを無駄に与えてしまうだけだろう。
「……だ……、誰か……、い、るんで……か……?
ごめ……さ、い……。放って……おい……て……」
……命を求めない言葉。
そうか。この子は自分で決めて、高い崖から身を投じたのか。
苦しそうな少女から離れる気持ちも起こらず、私は彼女を眺めていた。
寝間着ではあるが、質の良い生地を使っている。
およそこんな夜、こんな深い森に来る格好では無い。
「……うぅ……。もう、嫌ぁ……、いや……だ、よぅ……」
少女の嗚咽が漏れる。
命を諦めながら、それでも何かを諦められないような声。
気が付くと、彼女は顔を辛そうに上げながら、私の方へ、ずるりずるりと這い寄ってきた。
そして彼女は、私の土偶の身体を右手で手繰り寄せる。
「あな……たは、かみ……さま……?
……それ、とも……?」
「そんな、立派なものじゃないよ」
返事の後、彼女は左手も弱々しく伸ばしてきた。
そして華奢な両手で、私の身体は包まれる。
「私は……、自分の務めを……果たせ、ません……でした……。
……もし、あなたが……もし、何かを……叶える力……が、ある……なら……」
次の瞬間、私の視界は大きく回転した。
少女が仰向けになり、私は彼女の両手で宙に持ち上げられたのだ。
そして最後に寂しそうな笑みを浮かべて、私を持ち上げる両手は静かに崩れ落ちた。
……最期は、私に縋るような笑顔だったのだと思う。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……時間が無い。
こと切れた少女を前にして、私は悩んだ。
彼女は死に瀕して、まともな判断を下せる状態では無かっただろう。
彼女の魂は、もはや大きな流れに還ろうとしている。
このままであれば、彼女の苦しみ、悔しさは無かったことになってしまう。
……それよりも何よりも、これは私にとっての大きなチャンスでもある。
この地に封印され、何も出来ない自分に終止符を打つ……、そんな大チャンス。
「――……名前も知らない貴女。貴女の人生、私がもらうよ」
私はあらゆる魔法に長けていた。
それこそ『魂を操る魔法』だって、自身を土偶に憑依させるくらいには長けている。
故に、私の魂をこの少女に宿すことだって充分に可能なのだ。
心を決めた私は、森の魔力を呼び起こし、自らが作り出した秘術を少女の身体に掛けていった――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
……目が覚めると、天井が見えた。
見覚えは無いが、記憶にはある天井。
こんなよく分からない状態は、魂を憑依させたり交換したときに得てして起こるものだ。
簡単に言えば、頭の記憶と魂の記憶がごちゃ混ぜになる……と言ったところか。
それにしても――
久し振りの、目で見る世界。
久し振りの、耳で聞こえる世界。
土偶の身体で可能になっていたとは言え、やはり肉体で感じるものと比べては、現実感がまるで違う。
「あ、あー……」
恐る恐る、声も出してみる。
土偶の身体から聞いていた声とは少し違うが、やはり可愛い声だ。
私の昔の声よりも、ずっとずっと可愛いだろう。
身体を起こして、部屋の中を確認してみる。
かなり広い。どう見ても、貴族が住むような部屋だ。
鏡台を見つけて近寄ってみる。
足が踏みしめる床の感覚、肌を撫でる空気の感覚、何もかもが懐かしい。
鏡の中の自分は、銀髪の豊かな美少女だった。年齢は14、15歳といったところか。
瞳は澄んだ青色をしており、どこか寂しさを感じさせる雰囲気。
……もしかしたらそれは、ところどころに巻かれた包帯のせいなのかもしれない。
「治癒魔法も……、上手く掛かってくれたかな?」
魂を移動させる際、怪我を負った身体ではすぐに死んでしまう。
そのため、土偶の身体を維持していた魔力を全て治癒魔法に充てていたのだ。
「……うん、良かった。残っているの、かすり傷くらいか」
私は身体のあちこちを鏡に映してから、やり遂げた充実感と共にベッドに戻った。
――ガチャッ
戻ったところでちょうど、扉の開く音が聞こえた。
静かに目を移すと、そこにはメイド姿の少女が立っている。
「あら、エルフィアナ様。
もう目が覚めたんですかぁ?」
……赤髪に強気な目。
どちらかと言えば、凛々しい雰囲気。
名前は、頭の記憶から捻り出すと――
「……カレン?」
「ああ、大丈夫そうですね。
それでは公爵様を呼んできますねぇ」
そう言うとカレンは、扉も閉めずに部屋から出て行ってしまった。
そして入れ替わる形で、身なりのきちんとした騎士が入ってくる。
やや美形の、金髪の青年だ。
「エルフィアナ様、心配しましたよ!」
そう言いつつ、ズカズカとこちらに向かってくる。
頭の記憶によれば、この青年の名前はジョーセフ。
エルフィアナ……つまり私の守護騎士である。
「ええ、心配を掛け――」
ジョーセフの勢いは止まらず、彼はそのまま私の下あごを掴んできた。
「ねぇ? どんな嫌がらせですか?
エルフィアナ様に何かあったら、私が殿下に怒られてしまうんですよ?」
……痛い。
それにしても、私が封印されている間に……守護騎士は、主人にこんな態度をするようになったのだろうか。
少し呆気に取られていると、そのままジョーセフの顔が私の顏に迫ってきて――
「や、やめなさい!」
……ジョーセフを振り払おうとしたが、この身体の力は弱く、それも叶わなかった。
「やめ……なさい、ですって?
まさか私に、命令をされたんですか?」
ジョーセフの言葉に怒りが混じる。
頭の記憶と魂の記憶が混濁し、何故怒るのか、理由が咄嗟に出て来ない。
……しかしこれは、明らかに異常だろう。
ジョーセフは私の左手を掴み、力づくで引き上げた。
「……ッ!?」
「お仕置きをしないといけませんね……。
貴女は未来の王妃様なのですから、もっとお淑やかにして頂かないと――」
……なるほど、やはりどう考えてもおかしい。
こんなおかしな環境の中、エルフィアナはどんどん病んでいったのだろうか。
ならば私は、これを少しずつでも変えていこう。
「……守護騎士たるもの、礼節は守るべきね」
「何ですって……!?」
私の前世は大魔女。
それも、世界を敵にまわすほどの大魔女だ。
あの頃の無尽蔵の魔力は無いとはいえ、この身体にだって、少しくらいの魔力なら――
「――……って、あれ? 無い!?」
生前の時代。土偶の時代。そのどちらとも、異なる感覚。
いくら集中しても、魔力の感覚が生まれてこない。
しかし、その代わり――……魔力を集中させようとした手に、白い輝きが生まれてきた。
……これは『魔力』じゃない?
もしかして、私が生前に扱えなかった『聖力』――
驚いたジョーセフの手を振り払い、私は光の宿った右手をジョーセフに叩き込んだ。
意図しない何かが起こりそう――……そんな理由から、少し慌ててしまったのかもしれない。
「ぶぎゅぁっ!!!?」
……ジョーセフの悲鳴と共に、嫌な感覚が右手に伝わってくる。
察するに、どうやらジョーセフの股間を直撃した……らしい。
不慣れな――
……いや、『聖力を使った方』の不慣れな感覚に戸惑い、私は胸を押さえて目を閉じた。
深呼吸をする。
そして心をようやく落ち着かせたところで、部屋の扉が突然開かれた。
「おお、エリー!! 目が覚めたかいっ!?」
「エリー、心配したのよ! 大丈夫っ!?」
……声に釣られて見てみれば、優しそうな貴族の男性と女性がこちらに向かって歩いて来る。
頭の記憶を辿るに、どうやらエルフィアナの両親のようだ。
えぇっと、呼び方は――
「……お父様、お母様」
急な展開に、私はそう言うので精いっぱいだった。
しかし次の瞬間、両親はぎょっとして目を見開いた。
「ジョーセフ!?
お前、その……一体、どうしたんだ!!?」
……ん? ジョーセフ?
さっき私の右手が、股間に直撃してからそれっきり――
そんなことを思いながら、私も床に倒れ込んだジョーセフを見下ろしてみた。
すると――
キラキラ……。
何とも言えぬ、美しい花が咲き誇っていた。
ジョーセフの股間が破れ、そこからひょっこりと覘かせる形で……。
……それはもう、直接生えてますよ、くらいの勢いだった。
淫靡な場所に、神秘なお花。
「きゃ、きゃあああああ!?」
ついつい出てしまう私の悲鳴。
こう見えても、中身はまだまだ乙女なのだ。
「つ、連れ出せ!! ジョーセフをとにかく連れ出せっ!!」
「え、エリー!! 見ちゃダメよっ!!?」
両親の大声が響く中、他の使用人が部屋に入って来て、気絶したジョーセフはそのまま連れ出されていった。
貴重なものを見てしまったような気もするけど……。
何だったんだ、あれ……。
――……さて、とりあえず些細な出来事は置いておいて……。
まだ目覚めたばかりでこの子の立場は分かっていないけど……、まずは状況を整理していこうかな。