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チロル書庫

作者: 赤佐多奈

 今から八年ほど前のことだ。当時、わたしは十歳で、おとうさんは四十代半ばだったはず。


 今日のうちに湯ヶ島へ引っ越すということで、わたしとおとうさんは車に乗って東京を後にした。

 とっくに日の暮れた海沿いの道路を、車はスピードを上げ、湯ヶ島へ向けて走り続けた。助手席から日本海を眺めていたが、単調な景色に退屈して、いつの間にかわたしは体を丸めて眠っていた。だいぶ時間が経って、薄く目を開けると、眼前に飛び込んできた情景に私は思わず息を呑んだ。

 闇! 

 おとうさんが運転する車は、一本の闇の街道を、ただ一心にひた走っていた。全景は黒く染まった杉林に覆われて、車の行く先はただ勾配だけがあった。どこからか轟々と凄まじい音がする。渓の岩に激流がぶつかって砕けているのだ。不気味な山間の道の中で、生きているのはわたしとおとうさんだけのような気がした。昼間は気にもとめない樹木の群れが、夜になって化け物のように変身してみせたのだった。

「起きたか?」

 おとうさんがわたしの頭を軽く撫でてくれた。

「ここはどこ?」

「樹海」

 おとうさんは、なんでもないよこんなの、といった風に答えた。

 それでわたしは、ほんの少し安心して、車窓の外を恐る恐る眺めてみた。すると、じっとりとした暗い森に、仄かな光の点々を見つけた。

 なんだろう、あれ、と私は思った。おとうさんの脇腹をつついて、わたしは行く手の光の群れを指さした。おとうさんは目を細めて、

「あれは、蛍だな」

 呟くと、目じりに皺を寄せて笑った。

 おとうさんは車のスピードを落とした。路肩に停車すると、車のライトを全て消した。

 幻のようにぼんやりと浮かぶ蛍が、樹海をほんのりと白く照らした。大きな闇の風景の中で、小さな光点が遠く浮かんでいるので、わたしにはそれが、どこまで進んでもたどり着けない、映画のスクリーンの中のような、どこか不可思議な空想に思えた。わたしは遠い遠い気持ちになって、助手席から、ぼうっと蛍を見つめていた。


 大学進学を機に、わたしは東京へ戻った。

 あの日の蛍の光を今でもよく思い出す。そして、都会の街頭に照らされる夜を、どこか不純なものように思わないではいられなかった。

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