幸も不幸も紙一重
知らなければ幸せなこともあります。
私のあだ名は『薄幸の王子』だ。
『王子』と言われるのは、正直謎である。背が高くて男っぽいから、お姫様に見えないからだと思っている。
ただ『薄幸』という部分についてはよく分かる。それは私の運の悪さが尋常でないからである。幼い頃から、何故か私には小さな不幸がつきまとう。
例えば、他の人とご飯を食べて私一人だけ食中毒になったり、1年に何回か鳥糞が頭や肩などに落ちてきたり、買ってすぐの家電製品が故障したり(故障は私のせいではなく、もともと不備があったらしい)、など。
一つ一つは他の人にもあるのだと思うが、私に関してはそういったものに当たる頻度が高い。私のうっかり具合が激しい、だけでは言い切れないものがある。
故に『薄幸』なのだ。ちなみに私は、びっくりするほど男運もない。
歴代彼氏は浮気男にモラハラ男、自己中男…あ、電波系男もいた。
変な男だけは入れ食いだから、高校の時は彼氏がいない期間はなかった。でもあまり嬉しくない。
そんな私にも素敵な彼氏ができた。
大学進学のために上京して1年目、大学の構内で派手に転んだ私を助けてくれたのが、現在の彼氏である小山内瑛人だ。
瑛人の第一印象は、全くと言って良いほどない。理由は簡単、その場で私は気絶したからだ。
転んで右膝をついた場所に尖った石があり、さっくりと皮膚が割れた。そこから見えた自分の肉と血、骨を見た瞬間、私は意識を手放したのだ。
意識が戻った時、私は病院のベッドの上にいた。どうやら気絶している間に救急車で運ばれたらしく、既に全ての処置は終わっていた。
右膝は8針縫ったと言われ、あれだけざっくりといけば仕方ないと、納得したのを覚えている。
大学に登校したのはそれから二週間後。一応抜糸が終わって完治してからである。
長く大学を休むのは気が引けたが、うっかり傷口がぱっくり開いても困る。友人たちの勧めもあり、諦めて大人しくしていた。
講義を受けるために講義室に向かい、一番後ろの席に座る。友人たちはまだ来ておらずポツンといると、不意に誰かが隣に座った。
見れば、サラサラした明るい茶色の髪の、二重瞼の大きな目をした男の子がいた。
「ねぇ、右膝のケガはもう大丈夫?」
イケメンの顔をまじまじと眺めていると、その男の子が口を開いた。
見た目の可愛らしさに反して、男らしい低い声がとても綺麗な響きだった。
「あの、キミ…聞いてる?」
「え?あ、はい。右膝ですよね。もう抜糸もしたし大丈夫です」
ぼんやりとしている私に、訝しげな表情を見せる男の子。
私は慌てて返事をした。返事をして、ふと気づく。
「なんで、右膝のこと知っているんですか?」
この人と私は初対面だ。
不思議に思っていると、男の子がクスっと笑った。
「知ってるよ。だって、気絶したキミの止血をしたのも、救急車を呼んだのも俺だし」
「えっ!そうなんですか?」
てっきり大学の職員が対応してくれていたのだと思っていた。
「そうだよ。だから気にしていたんだ」
イタズラっぽく笑うその人は、とても可愛い。女装でもしたら、よく似合うのではないだろうか。
どうでも良いことを考えつつ、私は頭を下げた。
「それはまた…その節はありがとうございました」
「どういたしまして。現状が分かったところで、じゃあ自己紹介。俺は小山内瑛人、英米科の1年生」
英米科の1年生。ということは同期生だ。
それだけで親近感を覚えた私は、かなり単純である。
「私は有澤楓子。私も英米科の1年生だよ」
「そうなんだ。見かけたことあるな、と思ってたけど、同期生なら納得だな」
「私は小山内君を見た記憶ないなぁ。でも、これで知り合いになれたし、これからはよろしくね」
「こちらこそよろしく」
これが瑛人との始まり。
それから2年、友人関係を経て、晴れて恋人になった。今はお付き合い3年になる。
瑛人は今までの人と異なり、とても優しくて紳士的だ。今のところ変な性癖も見当たらない。
薄幸な女の、初の大当たりだ。
困った時は見計らったかのように現れて助けてくれ、ことあるごとにプレゼントをくれたり、私をとても大切にしてくれたり…とにかく素敵な人である。
見目も良く、性格もいい。仕事は大手の外資系企業ときた。
こんな優良物件を逃したら、次はない。
周りからも言われるが、それは私が一番実感している。
今までの小さな不幸が彼に繋がっているのなら、なんて幸せなことだろう。
願わくばずっと、彼といられますように。
社会人になって2年目に購入した、CASIOの電波時計が19時を示している。
途切れることのない自動車のライトときらびやかに飾られた電飾が、どこか浮わついた空気を彩り、鮮やかに染めていた。
駅前にあるモニュメントの周りには、待ち人を探す人がおり、各々が辺りを見回したり、スマホを触ったりしている。
かくいう俺も、先ほどから何度もスマホの画面を確認している。
「アイツ…連絡くらいしろよな」
ポツリと洩れた言葉と一緒に零れた溜め息が、白く吐き出される。呟いたところで、待受画面の無邪気な笑顔は返事をしないが、そう言わずにはいられない。
待ち合わせの時間は18時、とうに1時間は経っているのだ。なのにこの音沙汰の無さ。
寒空に待ち続け、かじかんできた指先に、そろそろ堪えられなくなってきた。
もう諦めてコンビニでも入っていようか。
スマホをコートのポケットにしまい、歩き始めたその時、近くに停車したタクシーから人が出てきた。
「瑛人!」
ダークグレーのコートを翻しながら、背の高い女性が駆けてくる。モデルのようにスラリとした体型と、涼しげな目鼻立ちが印象的なその女性は、俺の彼女である有澤楓子だ。
彼女は中性的な容姿と高身長のため、どちらかといえば和風王子という印象で、男性に間違われることも多い。故に今も、通り過ぎる女性たちが熱い視線を送っており、男性からは羨望の眼差しを受けている。
そんな様子にも気づかず、彼女は走ってきた勢いのまま、俺に飛びついてきた。咄嗟に受け止めて背中に腕を回すと、俺の腰に巻き付いた楓子の腕に力が籠る。
「瑛人!お待たせ!」
ハスキーで少し低めの声が、いつもより甘い。それが彼女の温もりで緩んできた体に、じんわりと染み込んだ。
「楓子、遅くなるなら連絡よこせよ。心配しただろ」
当然咎める言葉と裏腹に、俺の口調も柔らかいものとなる。
普段外では冷たい楓子がこうして甘えてくるのは、本当にグッとくる。それを知っていてやっているのなら、彼女はとんでもなく悪魔だ。
内心で苦笑しながらも、照れ屋なために外ではくっつきたがらない彼女からの、目一杯の愛情に俺の心は満たされた。
「連絡、しようと思ったの」
「ん?」
愛しい彼女の可愛い仕草に浮かされていた俺の耳に、彼女の言葉が入ってくる。
見下ろすほどの距離もない、頭半分くらい下にある楓子に目をやると、彼女は俺をまっすぐに見ていた。その目はどこか困ったように揺れている。
「電車が遅延してて、連絡しなきゃって思ったの。あと2時間くらい動かないみたいだったし。だけど、これ…」
少し体を離した楓子は徐にポケットからスマホを取り出した。
「あ~…そういうこと」
楓子のスマホの画面はバリバリになっていて、悲惨なことになっている。
楓子はしょんぼりと肩を落としてスマホをタップしたが、残念なことに電源もつかないらしい。
「スマホ落としちゃって。買ったばっかりだったから保護シート貼ってないし、運の悪いことに画面を下にして落としちゃったんだ。駅もかなり混んでて、拾う前に踏まれて」
つまり画面が盛大に割れたと。
「それで、慌ててスマホ拾ったんだけど…なんでか、電源つかなくて」
「それは災難だったね」
「うん…」
踏まれたくらいで電源がつかなくなることがあるのか知らないが、『運の悪い』彼女ならあり得るのかもしれない。
「それで、連絡取れなくなったから、タクシーに乗ってきたの。でもタクシーを待つのも長くて。本当にごめんね」
「いいよ。スマホは残念だけど、楓子がなんともなくて良かった」
「瑛人…」
俺はもう一度、楓子を抱き締める。
「とりあえず、携帯ショップに行こうか。その後に飯な」
繊細かつ神経質そうな外見とは異なり、楓子はかなりずぼらだ。あれこれと理由をつけ、壊れたスマホをしばらく放置するのは目に見えている。
とにかく、連絡が取れない状況だけは御免被りたい。
近くに携帯ショップがあっただろうか。この近辺の様子を思い出していると、腕の中にいる彼女がもぞもぞしだした。
勢いのままに抱きついてきたくせに、今になって恥ずかしくなってきたのだろう。髪から覗く耳が尋常でないくらい赤い。
珍しく大胆な愛情表現をしてくれたのに、な。
この温もりから離れるのは名残惜しいが、沸騰寸前になっているのを見て、仕方なく体を離した。
「こっ、ここ、公衆の面前…」
盛大にどもりながら、楓子がこちらを睨んでくる。
怒っているんじゃなくて、自分の大胆な行動が恥ずかしすぎたのだろう。
だからと言って、その言い方だと俺が無理矢理迫ったようにも聞こえる。
「先に抱きついたのは楓子だけど」
「そっ、そうなんだけどっ!でも、止めてくれれば」
「やだ」
「なんで!?」
冷たく言う俺に、楓子は泣きそうだ。
抱きついてきた楓子を、何で止めなかったか?
そんなの決まってる。でも楓子には絶対言わない。
もちろん、楓子に好意を向ける奴らへの牽制もある。しかし、こうやって悩む楓子を見ていたいというのが一番の理由だ。
だって、そうすればしばらくは楓子の思考が、俺のことだけで一杯になるだろう?
他の奴らが入り込めないくらい、楓子のすべてが俺で満たされればいい。他のものに気を取られるなんて、本当はとても嫌なのだ。
楓子のすべてを、束縛したい。
そんな願望を胸に、俺は彼女の手を取って歩き出す。
まだ照れが冷めやらぬ楓子の頬がまた赤くなる。その様子に満足し、俺は自分のスマホをそっと操作して画面を待受に戻した。
浮気防止アプリで、彼女を監視しているなんて知られたら面倒だ。
幸い、鈍い彼女は気づきもしない。
「楓子、愛してるよ」
怖いくらいに、愛してる。
だからどうか、その綺麗な瞳と一途な愛情を、俺だけに向け続けていて。
「楓子ちゃんってさ、変な男ホイホイだろ」
オシャレなバーのカウンター、置かれたカクテルグラスの中の青が、ライトに煌めいている。
それを眺めつつ、女性は自分のカクテルを飲む。白みがかった液体は、彼女がよく好んで飲むものである。
「でもまぁ、今回は大丈夫なんじゃない?珍しく優良物件でしょう」
グラスを揺らして、青い液体を見つめる男性の顔は渋い。
「だと良いんだけどな」
「何よ。小山内君に問題でもあるの?」
「いや…」
普段は小気味いいくらいに、はっきりとした物言いの彼にしては珍しく、歯切れが悪い。
その様子に、一気に不安が膨れ上がる。
この女性と男性は大学の同期であり、小山内瑛人や有澤楓子とも同期になる。そのため、二人の付き合いも、楓子の薄幸ぶりもよく知っていた。
男性はふっと息を吐くと、無理矢理笑顔を作った。
「いや、俺の気のせいだ。ただ…楓子ちゃんを見る瑛人の目が気になって」
「目?」
女性は首を傾げた。
「うん。なんとなく狂気を孕んでいた気がしたんだ。それに、楓子ちゃんとの出会いも気になって」
「あぁ、楓子が転んで気絶した時に助けたっていう?」
その話は、運命的だとかで美談にされている。
それの何が気にかかるのか。彼女にはよくわからなかった。
「そう。楓子ちゃんが転んだのって、誰かに背中を押されたからだよな?」
「そうよ。結局誰か分からず仕舞いだけど」
あの時はちょっとした騒ぎになったのだ。
本人の記憶が曖昧なので、警察は介入しなかった。しかし、大学が簡単に事情聴取をしていたのは覚えている。
ただ、あの場所に楓子がいたのは偶然で、道に迷った結果だから、計画的なものではない。それだけは確実だ。
女性が自分の中で結論付けていると、男性がぽつぽつと話し始める。
「あの場所は、人通りのほとんどない、文学部棟の裏だ。背中を押されたとしたら、それは故意に楓子ちゃんを狙ったと考えていい」
「それは無理じゃない?楓子があの場所に行ったのは偶然よ」
「キミも卒業生なら分かると思うけど、あそこは普通なら迷って行く場所じゃない」
そう断言されて、女性は口ごもる。彼女には否定する材料がない。
そのまま続く話に、彼女は耳を傾けた。
「仮に、偶然そこに行ってしまったとして。
あの場所…袋小路だから、もしも誰かに押されたなら、その後すぐに来た瑛人と鉢合わせたはずだ。でも、アイツが最初に俺に言ったのは『誰も会っていない』だった。ついうっかり、という感じだった。すぐに訂正したしな」
瑛人は、華奢な女とすれ違ったと証言を変えたのだ。
ただの言い間違いだったのかもしれない。男性の中には、瑛人の言葉が今でも耳にこびりついている。
女性も何か察したのだろう。息をひゅっと飲んだのが分かった。
「それって…まさか出会いから、」
二の句の告げない女性に、男性は力なく笑う。
「あくまでそういう可能性もあるってこと。証拠も無いし、友人を疑うのは本意では無いからな」
「でも…」
「ごめん、明日があの二人の結婚式だと思ったら、つい」
男性は乱暴にカクテルを飲み干し、目を閉じる。
「二人が幸せなら良いんだ」
「そう…ね」
それきり二人は一言も発することなく、席を立った。
カウンターに残された2つのグラス。それをバーテンは片付けつつ、一人苦笑する。
先ほどの二人の話が、男性の推測が真実なら、それはとても恐ろしいことである。
しかし、知らなければ…知られなければ、二人は幸せでいられるのだ。
「知らぬが仏 言わぬが花、って言うからなぁ」
自分も知らなくて良いことを知らないようにしよう。
そう肝に命じ、バーテンはグラスを洗い始めた。
真実は闇の中。
でも、最後の友人二人の会話から推測すると、なんとも怖い真実が見えてきそうです。
ともあれ、楓子は一生気づかないので、幸せだと思える日々を過ごしていくことでしょう。
お読みくださりありがとうございました。