初手術
男が勤務してより、2ヶ月が過ぎようとしていた。
担当する心臓病患者の手術が決定した。
もちろん執刀するのは梶田。
昼休憩。梶田はロビーのソファーに座り、ガラケー画面を眺めている。
ガラケーには、サーフボードのマスコットの付いたストラップ。
理保が目ざとく梶田を見つけ、駆け寄って来る。
「梶田さん!」
ドサッと梶田の隣に座る。
「へぇ。今時ガラケーですか?」
梶田は表情一つ変えず、ガラケー画面を見続けている。
「梶田さん、成長しましたね」
「何がですか?」
梶田はガラケー画面を見続けたまま答える。
「ムッとした表情しなくなったから」
ムッとした表情をする梶田。
「女さんは、ムッとすると分かってていつも僕にちょっかい出してくるんですか!」
「ひどーい! オレに近付くなオーラ漂わせていつも孤立してるから、関わってあげてるのに」
「上から目線で関わってくれてるんですか? あ、井森さんの方が歳上ですからやむを得ませんね」
無表情で答える梶田。
「あ、無表情に戻った」
「医者はむしろ淡々と機械的なくらいの方が良い」
「あ、何かそれ聞いたことある。変に患者さんに感情移入しちゃってもアレですもんね」
「・・・」
無表情でガラケー画面を見つめている梶田。
「何見てるんですか?」
ガラケー画面を覗き込む理保。
「止めて下さい!」
梶田は思わず理保の顔を手で払いのけ、手の甲が理保の額に当たってしまう。
「痛〜い」
理保は下を向いて額を手で抑える。
「ちょっと酷くない? 芸能人は顔が命!」
「え? 井森さん芸能人なんですか?」
「え?」
プッと思わず吹き出してしまう理保。
「そんなの冗談に決まってるでしょ」
「あ、あぁ、そう・・・ですよね」
思わず苦笑してしまう梶田。
「あ、笑った顔初めて見た」
「すみません。実は死んだ兄のメール読んでたんです」
「え? ・・・お兄さん」
梶田の兄はかなり腕の立つ医者で、やはり心臓病の手術には定評のある医者だった。
「兄が、医者になるにあたっての心構え、手術するにあたっての心構えとか、僕にアドバイスしてくれたメールがあって、いつもそれを読んで、肝に命じてるんです」
「そう・・・だったんだ・・・」
「明日は初手術ですから」
「え? 心臓病の患者さん?」
「そうです」
「あの・・・やっぱりベテランの医師が拒否したの?」
「よく知ってますね」
「いつもそうだから・・・」
「でも大丈夫。必ず成功させてみせます」
立ち上がる梶田。
「あの・・・」
「大丈夫ですよ」
梶田は行ってしまう。
理保はもうひとつの噂をこれまでずっと伝えそびれていたが、またもや伝える機会を失ってしまった。
もちろんあの呪いの男の子の噂である。
その手の話を全く信用しない人にとっては、笑われるだけ、というのもある。
理保は確実にその男の子が今夜現れると確信した。
心臓病手術は必ず失敗する、という噂は伝えてはあるが、まだ噂の内容としては不完全である。
二人の霊が現れた場合、失敗する、と伝えた方が完全である。
だが理保は初手術を控えた梶田にそんなことを言って良いものなのかどうか?
即座に判断は出来なかった。
梶田は初手術をする、当の患者の部屋を訪れた。
患者は中年男性で、無気力そうにベッドで横になっている。
「安心してください。全力を尽くしますから」
励ます梶田だったが、患者の様子は変化しない。
「あの噂は本当なんですか?」
梶田は心臓病手術は必ず失敗する、という噂だと察知する。
「ただの噂です」
「本当に呪いの男の子と呪いの女は現れないんですね?」
「呪いの・・・?」
「しらばっくれないでくださいよ。他の病院行きたかったのに、ここの病院に回されちゃって」
「何ですって?」
「いいからもう出てってくれよ!」
怒鳴り付ける患者の勢いに気圧され、梶田は出ていく。
梶田は何の事なのか?と考えながら廊下を歩いている。
すると理保が歩いているのを見かける。
「あ、井森さん」
梶田は呼び止める。
梶田は全て話を聞いた。
が、半信半疑といった様子だった。
「分かりました。とにかくやるしかない」
梶田は去っていくが、またも女は重大なことを言いそびれた。
こればかりは、どうせ言っても信じてもらえないと思ったからだ。
最後の一言、それを言ってこそ完全な噂となる。
いや・・・噂どころか事実である。
その最後の一言こそが呪いの本質である。
その日の夜。
梶田が手術する予定の患者は、寝苦しそうにうめき声を発していた。
病室の外からは、キャハハハという無邪気な、しかし不気味な男の子の声が聞こえてくる。
患者はガバッと起きてしまう。
ハァハァと荒い息づかい。
どこからともなく、ううう、と女性の泣き声がする。
窓の外から聞こえてくるようだと、患者は窓の外を見る。
この病室は2階のはずである。
が、白っぽい服を着た、髪の長い女性が通り過ぎる。
「うわぁ!」
患者は恐怖に怯える。
先ほど通り過ぎた女性が、突然患者の目の前に現れる。
「死ね・・・死ね!」
女性は恐ろしい形相で、ありったけの呪いを患者にぶつける。
「うわあぁぁ!」
患者は布団をかぶり、ぶるぶる震える。
夜勤看護師二人が待機している詰め所に、ナースコールが鳴っている。
何度も何度も。
まるで必死にSOSを発しているかのようである。
看護師二人は黙殺していた。
何が起きているのか分かっているのである。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
看護師二人は俯き、申し訳なさそうに呟く。
翌朝。
梶田は患者の顔を見て愕然とする。
全く生気のない顔をしているのである。
だが死んでいるわけではない。
理保が思い詰めたような表情で駆けて来る。
梶田に駆け寄る。
「あの・・・気をつけてください」
「は? 何をですか?」
「手が勝手に動きます」