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 尾行をした経験もなかったが、都市の往来をなんとか気が付かれないまま、ペムは二人の背後を尾けた。向かった先は居住区にある一棟だった。二人はその中に入っていく。恐らくアランという名の人間の住む棟だろう。

 エントランスで、住民証をかざさないといけない構造になっている以上、中に入っても怪しまれるだけであると判断したペムは、棟の入り口を監視するような形で彼らを待ち続けた。

 そして、待つこと小一時間。

 それはあまりにも大きな木箱だった。それはちょうど、人間が一人収まりきるような。それを担いで、先ほどの二人……大男のボルドゥと、大きな黒い瞳が特徴的なテト、加えてアランという人間なのだろう。長髪と長身の男が姿を現した。

 ペムは驚き、動揺したものの、なおのこと尾行を続けた。あの木箱に入っているであろう人間。それは、彼らの言った通りであれば、追っていた人間奴隷で間違いがないだろうから。

 このときペムを突き動かしていたのは、情報課の責務などではなく、やはりペム自身の好奇心だった。

 人間奴隷とは、一体どういう人間なのか。あの三人組とは。名もなき意志とは。聞いたことも、見たこともない世界が、そこに広がっているのではないか。その好奇心が冷めていくことなどないだろうし、なにがなんでもあの三人の正体と木箱の中の人間の正体に近付こうと考えていたはずだったのに。

 ――それは不意の出来事だった。

 三人が、往来の、人目の付かない建物の影で立ち止まり、木箱を降ろしたのである。

 ペムは、中を確認できずとも、感じ取れることを感じ取ろうとして、残り僅かだった魔力を振り絞った。

 その時、だった。

 その存在から感じ取ったもの。

 ペムの魔法で感じ取ったもの。

 それは、ペムの好奇心を冷めさせるもの……では決してなかったものの。

 好奇心を上回る一つの感情が、結果的にその好奇心をかき消す結果となった。


   ・


「これが、その人間奴隷か」

 アラン、テト、ボルドゥの三人は、ボルドゥの知り合いであるらしい人間の住居にいた。その人間は現在魔法都市にいないらしく、ボルドゥがその住居証を預かっているとのことだった。部屋は四人以上が同時に住める、家族向けの棟にあるもので、アランやテトの住居と比較すると広々とした室内だった。

 三人はその部屋で、木箱に収められていた少年を囲って見ていた。

「確かに固まってるな」

 少年は目を開けたまま、一睡もせず、食べ物も摂取せず、排泄もしなかった。しかしそれでいて、生命の維持が出来ているようである。

「不気味、でしょ。ずっとこの調子なんだよ。もはや人間なのかすら危ういように思う」

「どれ。拘束を解いていいか?」

「うーん。どうだろう。ずっとこの調子なんだけど、なんかすぐに動き出しそうで」

「なに、すぐに拘束しなおすよ。動いたら動いたで、そのとき考えりゃいい」

「ボルドゥって結構大ざっぱだね」

「男がびびっちゃいけねぇよ」

 ボルドゥは少年の拘束を外していく。

「何するの?」

「いや、身体に何か、ないかと。俺の仕入れた情報じゃ、機構を襲った人間奴隷は、魔石で動いていたらしい、とのことだからな。どこかにそういった形跡がないか探すんだよ。魔石が、埋め込まれていそうな場所」

 続けて服を脱がしていく。

 露わになった少年の肌は、何の栄養も摂取していないはずなのに、健康的な人間と変わらないものだった。

「特に何もなさそうだな。こりゃ。生ける屍だよ」

「待ってくれ。そこに……背中に何かないか?」

 アランが服を着させるボルドゥを制した。

「ん?」

「ほら、ここ」

「彫りが、入ってるね」

「これは……番号かな。2、かな」

「番号……か。番号で管理されていたのかな、こいつ等」

「可能性はあるな。十中八九、魔石と魔法で駆動していることは間違いない」

「でも、それ以外わかることはないね。意志疎通が出来ないから、どうにもできない」

「ラウザに頼んで、アジトへ運ぼう。そこで誰かがどうにかしてくれるかもしれん。全くの他力本願だがな」

「魔石は貰えるんですか?」

「そりゃラウザ次第だな。もうすぐ、あいつも帰ってくる。そのときにこいつの処遇と、お前等の報酬も決定するだろう」

 テトはアランをみる。

 もう少年は捕まえた。仇と思われる一人は、既に捕らえたのだ。もぬけの殻となってしまったあそこには、もう仇はいないはずだろう。

 彼の執念と、復讐心は、どこまで仇を追い続けるのか。

 何のための、力なのか。

 聞いたとて、答えてくれないだろう。これ以上詮索するべきでもないし、アラン自身の問題ではあるのだから。


   ・


(なにか)


   ・


「どうしようもなさそうだな。こりゃ、ボルドゥの言うように、造られたような存在。造っているその母体を追求しなきゃ、なんともならんな。で、アランクエイクの故郷では、あったはずの拠点がまるまる消えていた、と。だいぶ大規模で、組織的だな。骨が折れるぞ」

 三人がラウザと落ち合い、アジトに少年を運び込み、一通り少年を見てラウザはすぐに結論を出した。

「目的はなんだろうな」

「機構への恨み、だろう。あるいはもっと大それたことか。もしこんな少年が大量に生み出されるようになったら、強力な軍隊が出来上がっちまうな。ま、俺らには関係ないけど」

「こいつはどうにもならない、か?」

「どうにもならないだろう。魔石が身体のなかにあるだろうが、魔石を検分するのは機構の連中たちの得意技だ。うちにゃそんな人間いないよ。この少年を持って、機構の人間と交渉していくってのが、この少年を運用する最良の選択なのかもしれないな。俺達の疑いも晴れるかもしれんし、あいつらが掴んでる情報と照らし合わせて、ほかに何かわかるかもしれない。交渉は任しといて欲しい」

「さすがだな」

「報酬はどうなるんだ?」とアラン。

「安心しろ。手柄だ。魔石を最近、二つばかし入荷した。お前等に適合するかは知らんがな。もし使えなきゃ、売ればいい。金になるぞ」

 アジトの机の上に置かれた二つの大きな魔石を指し、ラウザが言った。

 アランは早速片方を手にする。

「テト、いいか? こっちは俺がもらっても。私の魔力と呼応している」

「うん」

「かたじけない」

 アランは精神と、そして魔力を研ぎ澄ました。願ってもない、好機と結果。欲しかった力を手に入れるため、目を閉じて、そのまま魔力を我が物としていく。魔石から、魔力がみるみるうちに失われていき、アランの体内へと潜り込んでいく。

「どうだ? いけそうか?」とラウザ。

 アランは無言で頷いた。

 自らに灯された力を感じるのと同時に、さらにその復讐心が強くたぎるのを感じた。


   ・


 非戦闘時であっても、特攻課では多くの人間がせわしなく亜獣討伐のために、自らの能力を高めていた。統計的な記録を元に亜獣について分析をしたり、小隊で連携をとるための会議をしたり、訓練をしたり、魔法や肉体の鍛錬をしたり……など、さまざまな方法で。

 訓練は義務であるということを告げられたメナスクスとヴェルムの二人は、どうにも手持ち無沙汰になってしまい、かつて二人が試験で初めて出会った時のように、訓練場で模擬刀を交えていた。 

 メナスクスは容赦なかった。わかっていたことではあったが、手加減をする、ということが彼女には出来ないらしい。魔法は発動しなくとも、純粋な肉体的能力はヴェルムを凌駕する。ほとんど負けてしまうヴェルムなのだが、彼にとっては、怪我をするリスクを差し引いても、彼女と戦うことで得られる経験値は計り知れないものだったため、こうして剣を交えていた。

 夢中で、剣をぶつける。

 それは爽快でもあった。

 考えず、考える必要もなく。

 無意識に体を動かし。

 休憩を取り。

 また剣をぶつけあう。

 言葉を交わすこともなく、剣を交わす二人は、何も喋らず一日を終えることもまた多かった。

 今日も二人は同じように剣をぶつけていたのだが、ヴェルムは視界の端に懐かしい顔を見て、一度休憩を取ることにした。

「やぁ。二人とも元気?」

「ペム。久々だな」

 汗を拭いながら、応じるヴェルム。

「君は確か……情報課だったか。うまくやっているのか?」

「そこそこかな。面倒なことは別に起きてないし、強制もされてないから、楽といえば楽かもしれない」

「どうかしたのか。わざわざこっちに来るなんて」

「変なことを、言いに来たよ」

「変なこと?」

「その、もし僕がこれから言うことに関して、聞き入れるかそうでないかは、君たち自身の判断というか。僕が強制することは出来ないのだけど、もし僕の言葉を聞いて、少しでもそうしたい、とか、そうするべき、とか思えたのなら、行動に移して欲しい」

「どういうことだ」

 言葉の意味がよくわからなかった。何を言いたいのか。

「君たちはここを去るべきだと、僕の直感が言ってる。この機構を」

「どうしてだ」

「それは言えない。言わないし、言いたくない。僕も断言できる根拠を、僕なりにしか持っていない。けれど、僕は自分の直感を持って、君たちに言わなくちゃいけないことだと思って、今日ここに来た。勘ではあるんだけど……勘でここを去れ、なんて言ったら、君たちに失礼かな?」

「その勘というのを、もっと噛み砕いて説明してもらえないか?」

「えっとまず。二人に何かが起こる。悪い方向のもの。よいことでは、ない。それは二人にとって」

「例えば。例えばだが、身の危険があると?」

「否めない」

「死ぬ可能性も?」

「それも」

「一体なんだってそんなことを……君からすれば、俺達などどうでもいいだろうに」

「どうでもよくない。君たちには一目置いているし。なにせ試験で一緒に戦った仲じゃない? 伝えるのは僕の使命だと、そう思ったんだ。これはある意味、君たちのためでなく、僕のためでもあるのかもしれないけど。使命を勘で感じるなんて、おかしな話かな」

「君の魔法と能力だ。俺にはわからない」

「あと、もう一ついい?」

「何だ?」

「出来れば、でいいんだ。もし仮に二人がここを出るという結論を出した時。その時にここに行って欲しい」

 ペムは背負っていた布袋から、一枚の紙片を取り出した。

「それは?」

「地図。ここに、二人が行くべきだと」

「それも勘か」

「うん」

「全く便利な勘ね」

 メナスクスが、冷徹な目でペムを見やった。

「信じろ、って言うのは無理な話かもしれない。何せ勘だからね。だから二人の自由さ。でも、僕は自分の勘を信じてきた」

「勘が外れたことは?」

「あるよ。沢山。でもわからないんだ。結果的にそれは失敗に……つまり外れたように見えたことでも、後から振り返ってみればもしかするとよいことだったのかもしれないということがある。だから結局の所、外れたのか、外れないのか、なんて二つのことに括れないっていうのが、僕の結論なんだ。それは、ここに残ってみたとて同じなのかもしれない。振り返ってみれば、よかったと思えるようになるのかもしれない。何せ、時間は一本なのだから。でも、二人はここに行って欲しい。いや、もっと強く言おう。行くべきだ」

 ペムは自分の魔法と能力を、ある時期までは自分の為に使ってきた。そうして得られる、満たされる好奇心に全ての生き甲斐を感じていた。

 が、それに何の意味があるのか。

 何の意味があったのか。強い好奇心はありながらも、考えるようになっていた。

 結果的に、誰かの為に使えるようにも、しようと。

 それは、自分の信じているものに繋がれた時、そうしようと。

 ペムの信じているもの。

 それは運命だった。

 運命というその言葉に包まれた何かを、あるいは言葉を越えたものを、感覚の一つとして、ペムは自分の中に感じ取っていた。魔法を使ったとき。自分の感覚が研ぎ澄まされている時。運命と呼べるものを感じるときがあるのだった。

 意味があるのではないか。

 自分は、それを伝えるべき人に伝えるために生きているのではないか。

 浅はかな好奇心よりも、大切なものがそこに隠されているのではないか。

 そのように、考え、生きるようになっていた。

 だからペムはこうも伝えた。

「多分、運命だから」


   ・


 ヴェルムは運命論など。

 はたまたペムの勘など。

 ほとんど信じてなどはいなかった。そもそもペムの魔法が果たしてどれだけの効力を持っているというのか。確認をしたことはない。

 ただ命を落とす可能性が、少しでもあるというのであれば、そうせざるを得なかった。

 ほとんどペムの進言はヴェルムにとっては脅しでしかなかった。仕方なく、というところ。快さは全く感じなかった。地図に記された場所に行ったとて、何があるわけでもないだろうとすら考えていた。ここに行き、なにもなく、なにも起こらなければ、さっさとまた戻ろう、と。そういう心持ちで、出立したヴェルムは馬車に揺られていた。正式な許可を取らないまま抜け出してきたため、再度受け入れてくれるかどうかはわからなかったが、アフレドに頭を下げればどうにかなるだろうと考えていた。それに、ヴェルムはあの魔法都市に固執しているわけでもない。

 組織を離れたとして、また一人に戻るだけだ、と。

 その前提があったからこそ、彼はすぐに都市を出たのだった。

 ペムから渡された地図に記された目的地はグラン大国。

 魔石都市と防衛協定を結んではいない。その理由は亜獣の出現がほとんど確認されていないからだった。今では各国が亜獣の対策に注力している中、従来ながらの安定した大規模農園でその国力を伸ばしている国家。国土のほとんどがその農園であり、畑と農民しかいないのではないかとすら囁かれている。治安そのものは非常に良好で、穏やかな環境を好む人間はこの国に進んで入国をするという。

 馬車は揺れながら、確実に旅路に必要な距離を満たしている。

 平穏な平地。気候もまた過ごしやすいものだった。

 外気もまた、健やかである。

 しかし。

 その反面、ヴェルムは穏やかでない。

 前を見やる。

 メナスクスが上の空、といった具合で車外の景色を眺めていた。

 同行するという旨をヴェルムに伝えてから彼女は、言葉を発しないでいる。何を考えているのか、検討がつかない。

 薄気味悪かった。同行をすること自体に不吉さを感じ取ってしまっている。今こうして、同じ車内にいることに、息苦しさを覚える。剣を交えている時は、そんなことはないのに。むしろ、彼女とは剣を交えていた方が自然であると、そんなことをヴェルムは思った。

 元々は一人で出立しようと考えていた。メナスクスがペムの言うことを真に受けるとは考えていなかったし、彼女ならもはやそんな危機ですら悦楽に変えてしまうのではないかとの予測があったからだ。彼女は彼女で勝手にするだろう、と。

 ただ、あの日の夜。

 ヴェルムの部屋に訪れたメナスクスはこう伝えたのだった。端的に、「私も行く。お前と」と。

 断ることはできなかった。それは彼女のため、ということではやはりない。ペムの進言がどうにも引っかかるのだった。二人で行けと。念を押されたのだから。やはりペムの進言は、ヴェルムの行動や思考を束縛するという意味合いで、脅迫的なものだった。

 車内の沈黙は長らく続いていたのだが、段々とその沈黙に歯がゆさを覚えるヴェルムだった。

「なぜ、行くことを選んだ」

 そして口を開いてしまった。

 根比べをしていたというわけでもないのに、どこか敗北に等しい切なさを覚えた。

 そして、けたたましく笑うメナスクス。

 車内が彼女の狂気で埋め尽くされていくのを、ヴェルムは感じた。

 もはや笑いではない。

 感情の発露。

 ひたすらの狂気。

 その感情に意味や意義を見いだせるとするのであれば、彼女自身でしかないだろう。それを共有することは、間違いなく不可能だと感じた。

 ヴェルムの背筋が強ばる。待つことを選ぶ。その感情が収まることを。ただ一言を投げかけて、いったいなぜこのような笑い声で返されるのか。

 そして、静まった。

 車内の揺れの音。

 鳥の鳴き声。

 平穏な景色に包まれて。

 メナスクスは口を開いた。

「ようやく思い出したのよ」

「何をだ」

「こんなに面白いことが、この世の中にあるのだ。こんな、こんな」

 もう、勝手にさせておこう。

 意志疎通を計ること自体が間違いだったのだ。

「思い出したのよ。私にも記憶がなかったことを」

 静寂に包まれて、ヴェルムはその言葉の意味を考えた。

 何を言っているのか。

「どういうことだ?」

「どういうこともなにもないわ。私ね、朧気なことだけは覚えているの。戦ってきたってね。戦うことを常として、戦うために生きてきたのだと。でもただそれだけ。その前に何があったのか、よく考えれば思い出せないのよ。笑えば? 愉快極まりないでしょ」

 ヴェルムは笑わなかったし、笑えなかった。

「つまり、俺と同じような状態ということなのか?」

「そうよ」

「なぜ、今言うんだ。俺に」

「思い出したから。ずっと、気にかかっていた。記憶。記憶ってね。はは。笑える! 私にもなかったんだってね。で、あのチビが二人でここに行け、でしょう。恐らく見抜いていたんじゃない。チビの魔法で。何かを」

「つまり、その記憶がないという共通点を、ということをか?」

「それに、なんだか、お前を見ていると苛立つ、というより、捻りつぶしたくなるような感覚に陥る。これは、他の人間には見られない間隔だから」

 捻りつぶしたくなる感覚はまるで理解できなかったが、実のところヴェルムも同じだった。

 一次試験で遭遇した。

 あの時。

 初めて見た時から、何かを感じ取っていた。それは異質さや狂気だけではない、何か。

「私も、勘がいい。多分。お前も私も、そこで目の当たりにする。この行き先に。そんな予感がする」

 ヴェルムは何も返さなかった。

 自分が追い求めて来たものが、そう簡単に見つかるわけもないと、見つかって欲しいという希望に反して思うのだった。


   ・


 0番。

 私はそう呼ばれることに、どこか優越感を感じていた。

 1、2、3、4……

 いずれも存在している。

 一つの中には、一つが入っている。

 二つの中には、二つが入っている。

 では0の中には何が入っているのだろう。

 何もないということが入っているのだ。

 毎晩、寝る前に考えることは大抵そんなことだった。

 私、私は0。

 0の中には何も入っていないけれど。

 その中に、何かを入れることが出来る。

 特別なんじゃないだろうか。神父様達の中で、一目置かれているんじゃないだろうか。はっきりと言われたことはないまでも、私は0というその仮初めの名に、邪徒であってさえ、特別を込められていると感じている。

 聖園へ辿り着くことの出来る存在として。

 事実、成績も、素行も。神性でさえ、十分に高められていると神父様からは言われた。

 聖園に辿り着くことも出来るはずだと信じている。

 けれど、そんな発想をしてしまうこと自体が、まだ私が邪徒である所以だ。

 いつか、何もない自分を受け入れて。特別であるということさえ忘れて。邪な気持ちは全て吹き飛ぶことの出来る。

 その境地こそ。

 神父様の言う、忘我の極みというものなのだろう。

 まだまだだ。

 雑念はこれくらのものにして

 自らに甘えず。

 誰かにも甘えず。

 聖園への道を信じよう。

 


 駕篭の中の私達。

 今朝は祈りを捧げる。

 祈りこそ始まりであり、祈りこそ聖園への道を拓くことの出来る鍵である。

 何を思い、祈るのか。

 心が導き出す行いに、私達は賭け続ける。この命を。この祈りで。

 神父様が奏でているこの音と唄と共に。

 祈りが終えてから、神父様は私達に言うのだった。

「なぜ祈るのだ」

 邪徒が存在を克服するために。

 全員がそう告げて、一日は始まる。

 神父様が、壇上に立ち、私達を見つめ、ご高説を私達に授ける。

「――そのように、仮に神に認められたとしても、聖園へ辿り着くには様々な試練がある。神のその頂きから、その御手で、自らその邪徒に見合った試練を課して頂くのだ。それぞれ、理解しているものも、理解していないものも、自分が聖園に向かうために何が必要か、尋ねよう。0番。君の試練は何だと思う?」

「私はまだ忘我の境地には至っておりません。どうすれば至れるのか、日々考え、加えてただこの身を研ぐことです」

「ふむ。よかろう。では、そうだな。4番。君は」

 4番。

 平静な気持ちが乱される。

「私もまた、忘我の境地に至っておりません。それゆえ、認められるよう、神性を向上するための所作を毎日考えたいと思います」

「よかろう。二人とも、己の未熟さを意識している点、そしてその向上心はよいものだ。試練では様々なことが想定される。わかりにくいもの、わかりやすいもの」

 つかつかと音を立てて、神父様が壇上の上から降りてくる。

「例えば、同じ駕篭の中で二人、聖園への道が拓かれる。しかしそのうちで一人、もし一人しか聖園に行けないと神がいうのであればどうしよう」

 神父様は私の前に立ち、こう続けた。

「ただ二人で戦えと神に命ぜられたとして、どうしよう。答えは出せぬともよい。0番。4番。今この場で、試合をしなさい」

 動揺してはいけない。

 これも神父様が私達に課す、試練。

 急なことでさえ、常に想定しなくてはならない。

 もし今日が聖日であったのならば、常に考えを凝らし、そして我を忘れ、ただひたすら聖園への道をたゆむことなく進まなくてはならないのだから。

 今、私は神父様には何を見られているだろう。

 誰かを蹴落とす為の、意志?

 そんなものは、排除しなくてはならない。

 けれど、戦うというのならば。

 4番と私。

 どちらか二人に一人しか聖園へ行けないというのならば。

 戦うしかないのではないか。

 それも命ぜられている。

 戦えと。

 何を持って。

 何を思って戦うか。

 それを見られているということだろうか。

「0番。手加減はするな。俺は全力で君を討つ」

 始めに、そう言われた4番には心に余裕があるのだと感じた。

 だからこそ、動揺した。

 私より既に先を考えて。決心をしているというのか。

 そうか。彼は全力で来る。

 ならば私も全力で。

 ただそれだけでいい。


 四番とは、駕籠の中で常に互いを刺激し合っている仲だった。

 それは昔、まだ駕篭に入る前のころ。

 よく遊び、よく話したことは覚えている。駕篭に入った後では、そんなことはもうすることもできないし、するわけにもいかないのだけど。

 思い出す。

 彼と拳を交えているこの時。

 私の拳を突き出す毎に。

 自らの神性と照らし合わせてみる。これはいいのだろうか。駕篭に入る前の記憶なんて、一体なんの意味があって今思い出すのだろうか。

 振り返ってはいけない。

 とは感じないが。

 けれど、そんな記憶と共に。

 やはり湧き出てくるのは。

 湧き出てしまうのは。

 負けたくない。

 こんな意志が出てくるということは、やはりまだ私は我を忘れることなど出来ていないのだろう。

 仕合は長引いた。

 全体の体力と力量では男性である4番の方が強い。一撃の重みもある。

 だけど技においては、私に利があると踏んでいた。どうすれば自分の体を巧く扱えるのか、徹底的に考え抜き、持ち前の動体視力を活かし、攻撃が私に到達する前に重傷にならないよう防ぎ切る。

 4番。

 この長く続く仕合のなかで、君は何を考えている?

「そこまでだ。決着は着かなかったが、しかし二人とも考えるところがあっただろう。それを糧に、0番も、4番も、そして皆も。一様にまた励むのだ」


 乱される。

 四番の存在が、私を乱す。

 今日仕合をする前から、ずっとそうだった。

 なぜこうも私を。

 駕篭に入った時から、ずっと意識していた。

 神性を除いた全体的な能力で、私に匹敵するのは4番ただ一人だった。

 だからこそ、私は彼を好敵手として認識していたのだろう。友人だったからこそ。お互いに。

 けれど、今日気が付いた。

 彼を意識しているのは、ただそれだけの理由じゃないということを。それだけを考えているというわけではないということを。一体何なのだろう? 考えれば考えるほど、自らの心が揺さぶられるのを感じる。これなのだ。つまり、意識して、揺さぶられること自体が、とても苛立たしい。苛立たしさを覚える自分にまた、苛立って、繰り返される感情。

 そして4番もまた、私を意識している。それは好敵手だとか、蹴落としたい相手だとか、単純な理由でなく、私には読むことの出来ない、複雑な理由で。

 これじゃ、忘我の境地に辿りつくことなんて出来ない。

 私の前から姿を消して。

 そう思うのに。

 消えてくれないのは、なぜ。


   ・


 夜。

 私は0番がどうだとか、4番がどうだとか。神父様の評価だとか……聖園の道だとか。色々な問題を、この夜の間に考えてしまうことを止めるために、祈りを捧げていた。朝にも捧げる祈りを、夜に。少しだけ祈りの内容は変えている。朝は深く、信仰心を持って祈るようにしているけど、夜はささやかな感情を持って、神と繋がることの出来るよう、我をなくして……雑念の入らぬよう、忘我の境地を模索しながら、限りなく自分が無に近づいていけるように。

 この新しく作った日課は、私にとってよい効果をもたらした。あれこれ考えをやめること。悩まずに突き進むこと。これが私にとっての、忘我の境地であると、少しずつ理解できてきたのだから。

 そうして研ぎ澄まされた感性は強まって。

 ――僅かな物音も聞き逃さなかった。

 部屋の扉が開く音。

 開ききる前に、私は動いた。

 ありえないことが、起きたからだった。

 この時間に、誰かが入ってくること。

 扉が外側から空くこと。

 神父様だって、そんなことはしない。

 私は気が付くと近くにあった素振り用の木刀を取り、扉が開ききる前に、その扉めがけて振り下ろそうとしていた。

 ――が、止める。

「4番?」

「よう。入れてくれないか」

 こんなところを見つかってはまずい。慌てて4番を部屋に押し込めて、扉を閉める。

「もう就寝時間よ? 神父様がこんなことを許すと思う? 駕籠の中での掟、忘れたの?」

「別に構いやしないさ。俺は俺が聖園へ行くために。お前と話すことが必要だと感じたんだ。俺達の目的、目標は聖園に行くこと。だろ? 掟を守ることも大事だけど、それに引き換えても、0番。君と話がしたいと思っていた」

「だからって」

 規則は規則、だった。

 私は私の神性に従って、彼に出て行ってもらわなければならない。

 規則にも、私の湧き出る神性にも、従わなければならない。

 そのはずなのに。

 かき乱される。

 何が正しいのか。何を考えるべきなのか。閉息感を覚えていたのは、私とて確かに同じだった。

「沈黙、か。いいのか。いて」

「あなた、私を巻き込もうというの?」

「巻き込む? 何を言っている」

「こんなことをしたら、私とあなた。互いに意識してしまうでしょう。規則を破ったことを。神性が乱れる原因になってもおかしくない。それを狙っているの?」

「君の足を引っ張る気はない。そうだったとしても、必要だと思ったんだ。仮に乱されたとしても、それを越えて聖園へ行く」

「随分な自信ね」

「お前にはないのか」

「その自信が、私は邪だと考えているから。でもいいわ。私も越える。あなたのその気持ちを受け入れて」

 私のことなんて、なんとも思ってないっていうの? それもはったりじゃないの?

 苛立ち。妨害行為だとしか思えない。

「それで、何を話すの?」

「答えが、出ないんだ。あの時。つまり0番。お前と戦った時に、何を考えるべきだったのか」

「神に見定められる時に?」

「そうだ。どうするべきだったのか」

「あなたは私より先に、決心を見いだしていたように見えたけど。つまり、ただ全力で戦うという、それだけの結論を出していた」

「ああ。そのはずだった。それが俺なりに出した、忘我への道筋だった。けれど、お前と戦うにつれて、どんどん我が出てくる。忘れるどころか、考え続けるようになってしまったんだ」

「それは、どんなことを?」

「昔のことだ」

 再び思い出す。

 駕篭に入る前。

 邪徒であることも知らず。

 享楽と、本能に身を任せていた。

 それが、今となれば罪深きこととして、私の記憶の中にある。

 まさか、4番も同じことを考えていただなんて。

「昔、俺達が何も知らなかったことのことだ」

「それが、何?」

「もし仮に、俺がお前を倒して聖園に行けたとする。それで実際に、俺しか選ばれなかったとする。それで俺は本当に、邪徒でなくなるというのだろうか。そんな疑問が拭えなかったんだ。判断するのは俺じゃない。俺が邪な存在なのか、そうでないのかは。だが、記憶の彼方にあるお前を蹴落として、俺は一体何になろうというのか、なるべきというのか。そんなことばっかり考えていたんだ」

「それは仮定でしかないのでは。実際は二人共選ばれる可能性があるし、戦いの最中に神性を乱した者が勝敗に関わらず、つまり例えどちらかが戦いに勝利したとて、二人とも脱落してしまうのではない? 神父様も言っているじゃない。己の神性こそ、何よりも尊きものであると」

「俺もわかっているさ。その点については。仮の話だ。仮の、話。誰かを蹴落とすための力に、どれだけの価値があるのかって考えているんだ」

「蹴落とすための力ではないわ。神性を高めるための、鍛錬。その結果得られるのが、身体の技や力。履き違えているんじゃない? 4番」

 挑発のつもりだった。

 してしまった、とも思えたけれど。

 彼がここに来ている時点で、ほとんど彼も挑発を私にしているのだからお互い様だ。

「履き違えている、のかな」

 4番は、私の挑発をなんとも思っていないようだった。それどころか、彼は本当にそういった部分で悩んでいるように見受けられる。好敵手である私の様子をうかがって、困惑させにきた……のではないの?

「すまないな、ありがとう。確かに、履き違えていたかもしれない」

 涼し気な、その4番の微笑は、駕籠に入る前と、駕籠に入った後で、何一つ変わっていなかった。

 それを見て私は、また自分の神性がかき乱されるのを感じた。この夜の日課も、そのかき乱される心の動きの前には、なんら意味はなさなくなるだろうと思えて、溜息が出た。



   ・


 小型亜獣対策課。

 別名、討伐課。

 誰もいない討伐課の作戦室で、クライスは一人、頭を抱えていた。

 クライスが試驗に合格してからは、自らの至らなさに嘆く日々が続いていた。魔法も強力でなく、知略も、身体的技能も、この討伐課では抜群に秀でているわけではないと知ることになったのである。

 とはいえ、それも含めて充実した毎日を送っていた。メナスクスのような問題児がおらず、同じような志を持った人間が多くいたからである。のみならず、人間的な魅力を多く持った人間に、クライスは囲われていた。試験日から長らく、試驗生とここの人間達の質に疑問を持っていたクライスだったのだが、小型課に配属されてからは彼の目に希望は灯されていた。

 ――そのはずだったのだが。

 つい先程、上官に呼ばれたのである。

 討伐課の、最高責任者。

 クライスは振り返って思う。

 尋問のようだった、と。

 聞くことだけを一方的に聞かれ、そして去っていった。有無をいわさない口調。そこにクライスが質問を投げかける権利はないように思えたし、出来なかった。

「二人に、何かあったんですか」

 最後に。その尋問が終わる最後、責任者が椅子から立ち上がるその刹那に、ようやくその質問を投げかけることが出来た。

 理由を、少なくとも聞きたかった。

 このような取り調べを受ける、理由を。

 ただ、期待も虚しく。

「それはは言えない」

「わかりました」

 とだけ答えられ、クライスは一人作戦室に残っていた。

 訓練に再度向かう気にはなれないでいる。

 ヴェルム=ハントレット。

 メナスクス=バロン。

 二人がいなくなった。ということは聞いていた。聞いていたが、それは自然な消滅というか、あの二人のことだ。何らか、個人の考えで機構を脱退したのだろうと考えていた。特攻課であれば、そのようなことが日常茶飯事、とまでは行かずともありうることだろう。機密情報も含めて、必要最低限の情報しか共有されていないと聞く。正式な手続きを踏まずとも、とやかく言われることもないはずだと、クライスは考えていた。

 そのはずなのに。

 なぜ、ああいったことを訊かれたのか。

 どこに行ったのか、といった程度ではない。

 仔細に、ヴェルムと、そしてメナスクスと出会ったあの日まで遡って、すべてを、といっても言い過ぎではないくらいに、聴取された。会話のすべてもそうだし、彼と彼女の技量。扱える魔法。とにかく、全てを。

 行き過ぎた推論ではないはずだ。

 あれではまるで。

 まるで。

 二人が罪人のようではないか。

 逃げ出した罪人。

 それを追うために、情報を聴取された。

 そう推論しても、間違いではない……どころか、それで間違いがないはずだ、とクライスは考える。

 捕まえる、というのならまだいいのだが。

 殺すことまでをも視野に入れているように思えた。そのような想定をしたうえで、責任者は質問を投げかけてきているように見えたのだ。

 組織を抜け出しただけ、ではないのだろうか。

 彼らが姿を消したというただそれ以上の出来事が起こっているのだろうか。問題児、とはいえ。素行の悪さだけでこうはならないはずだ。

 クライスは考える。

 試験を共にした、仲間、ではあるし、何かできることはないのか、と。

 ただちに結論は出たし、すでに出ているのだが。

 ――自分には、出来ることがない、というもの。

 ただそれが歯がゆく、クライスはただ一人、作戦室でうなされているのだった。



   ・


「大進展だ」

 情報課。

 ペムは人間奴隷の情報を収集する役目を一旦終えて、様々な雑務をこなすようになっていた。知的な処理能力も低くないペムは、便利屋として情報課の人間に扱われていた。機密情報を扱う人間を少なくするためにも、情報課は少数精鋭である……というのはケイゴから聞いた通りで、多忙な毎日を送るようになっていた。

 ペムが多忙な毎日を送るようになったのは人間奴隷の一線から手を引けと言われたことが直接的な原因だった。

 うってつけ、であったはずだったし、その役割から外されるわけはないと考えていた。

 なぜ、なのか。

 あの時の情報。

 あの三人組の男たちからの情報は、誰にもまだ漏らしていないはずなのに。

 疑問が募り、膨らんでいた頃。

 ケイゴが嬉々として、雑務を処理するペムの前に現れて言ったのだった。

「ケイゴ、久しぶり。なにしてたの? というか仕事手伝ってよ」

「聞いて驚け。人間奴隷を捕らえることに成功したらしい」

「え?」

 捕らえることに成功。

 ペムはすぐにあの三人組が保護していた人間奴隷が機構の手に渡ったのだと確信した。その確信は表に出さず、ペムは驚いてみせた。

「本当? それは確かに大進展じゃない」

「加えて、だ。その人間奴隷の中にあった魔石も解読が終了したんだ」

「解読って?」

「前にも言ったろ。情報課には、魔石の性質を解読できる、解読班がいるって。魔石に込められた魔力の多寡だったり、どういった魔法を扱えるか、だったり、他の魔石との類似性を調べたり」

「そうなんだ。じゃ、その情報で、色々わかりそうってこと?」

「色々、わかったんだよ。既に。たまげたぜ、本当」

 ケイゴは言いながら、一つの冊子を手渡した。

「これ、実は重要機密書類なんだがな。ようやくお前にも見せていいことになったから、見ろよ」

「僕にもみせていいって、どういうこと?」

「ふ。いい質問だぞ。情報課にはな、配属されてそいつがどんな人間なのか、裏切るようなやつなのか、見極める時間が必要でな。お前も、ここに入ってくる前に、色々誓約を交わしたろうけれど、あんなもんで人間が束縛できるわけ、ないだろ? だから本当に信頼に値する人間かを、判断しなくちゃーならないってことだ」

「僕、試されてたってこと?」

「そういうことになる」

「でも、どうやって?」

「ブレイナ上官。わかるだろ?」

「そりゃ当然。ここの一番えらい人。最近はほとんど見かけないけど。あそこにもいるし」

 ペムは忙しく書類に目を向けているブレイナを指す。

「お前、上官を指差すなよな……まったく。で、これも重要機密情報だから他言無用なんだが、あのブレイナ上官の魔法で、信頼に値する人間かを見極めているってわけだよ。でもお前は認められた」

「どんな、魔法なの?」

「詳しくは知らない。知らされていない。俺の推測じゃ、何か心の動きだったりを読むことの出来る魔法なんじゃないかって考えている。そのあたりは、変に憶測しても、意味もねぇし、失礼に値するぜ」

「そう、なんだ」

「晴れて情報課からの信頼を得たお前にも、機密書類を見せることができるようになった。で、ここに書かれてるのはな、俺達が追っていた、集団失踪事件について記されている。後で読んでおくといい。要するに、ブリエナの奥地や、シーウッドの海沿いやら、リディナの北西極地なんかで、大分昔から大量の人間が突然跡形もなく失踪していたって事件があってな。どこにでもありうるっちゃありうる事件ではあるが、同一犯である線を俺たちは追っていた。で、少年は失踪していた人間の一人だった、と」

「つまり、さらわれた人間が、人間奴隷として魔法で操られていた、ってこと?」

「正解だ。保護された人間奴隷の魔石は、ある失踪事件が起きた地域で発見された魔石と、全く同じものであると判明したんだよ。相関性が掴めて、あとはその大規模な組織がどこにあるかって話になってくるな。集団失踪事件と絡めて調べを進めていくってのが、俺達の今後の動きだ」

「そっかぁ。にしてもまだまだ時間はかかりそうだね」

「全くの袋小路からここまで来たんなら、たいしたもんだよ」

「その人間奴隷は、一体どこで保護してきたの?」

「そこらへんはまだ俺達にも降りてきていない情報だな。ただ、ブレイナさんが一枚噛んでるってのは知ってるが」

「ブレイナ……さんって、どんな人なの?」

「話さない人だ。そして、話せない人でもある」

 同じ情報課にいながら、一言も会話をしたことがないと思い返す。

 ペムには、ある一つの悪寒が、この時自らを襲っていた。

 もし自分の推測が正しければ。

 ブレイナという人間の魔法が、自分の考えた通りであるのならば。

 少しだけ、まずいことが起こってしまうのでは、ないかと。

 そんな思考が頭をよぎった時。

 ――視線。

 それは、人の心を射止めるような。

 なにもかもを見通すような、そんな目であり、視線であった。

 ブレイナのその視線に射止められたペムは、思わず身体が固まる。

 立ち上がり、こちらに近寄ってくる、ブレイナ。

「上官。お疲れ様です。どうかされましたか?」

 何事も無く挨拶をするケイゴを前に、ペムはただ自らに向けられた圧力に圧倒される他なかった。

 ブレイナは懐から一枚の紙片を取り出し、そこに何事かを書きつけた。そしてペムにそれを渡した。

『業務後、残るように』

 自らの悪寒が、的中していたことを、ペムは知り、焦りを覚えたのも束の間、全てを諦めた。諦めて、受け入れることにした。

 なぜなら。

 なぜならこれもまた、運命と思えたから。


   ・


 4番が夜に私の部屋に忍び込んでくることは日課とまではいかずとも、高い頻度になっていた。その度毎に私はかき乱されることはわかりきっていて、彼の顔を見るたびに、嫌悪感を持つようになっていたのだけど……同時に、新しい発見があるのも事実だった。

 私にはない世界を確実に、4番は持っている。

 それで私の神性が高められるかもしれない、と、私はある一面でそう感じるようになっていた。

 彼は来るたびに、全く違う話を私にしてきた。ある日は、今日の食べ物のこと。ある日は、駕籠に入る前の、私たちのこと。ある日は、肉体の鍛錬の仕方。ある日は、神性について、聖園について、神父様について。

 いずれも、彼ならではの視点で切り込んでくる。

 私は時々、彼に意見を仰がれると、何も言えなくなってしまうことがある。それほどに、考えさせることを、4番は口にするのだった。

 でも。

 そうやって彼に興味を持って、話を聞いても、やっぱり私にとっては悪い影響のほうが、良い影響よりも大きい。

 今日、もし彼が姿を現したのならば、私はもう夜、部屋に来ないで欲しい、と。言うつもりだった。付き合っては、いられない。彼が私を妙な形で蹴落とそうとしているわけでは決してないと思うのだけれど、私には考える必要のないことまで、彼は言うのだから。

 そして、彼はやってきたのだった。

 いつもの微笑を携えて……ではなく。

「また、来たのね」

「ああ。お邪魔するよ」

「どうかしたの? 浮かない顔をして」

 4番は、重苦しい、何か苦いものでも口に入れたような表情をしていた。

「お腹でも壊したの? 寝ていたらいいじゃない。自分の部屋で」

「俺、もういいんだ」

「何が?」

「もう、いいんだ」

 悲哀。

 お腹の痛みで、感情は傷つかない。

 私は、この時彼をこのまま部屋に突き返して、もう二度と姿を表さないで欲しい、と。予定通り告げるべきだったのかもしれない。その上で4番のことなんて忘れて私は私の神性を粛々と向上させておけばよかったのかもしれない。

 けれど、私の……私の邪な好奇心が顔を出したのだった。

「だから、何が?」

「俺はもう、聖園の道を諦める」

「何言っているの?」

「俺、このまま君に話してもいいか? いや、俺は君が断っても、このまま話を続けるだろうよ。だから、話させて欲しい。そして君も巻き込む気だ。そういう魂胆で、今日ここに来ているんだ。君は俺を、受け入れてくるか?」

「馬鹿を言っているの?」

「馬鹿を言っていやしないさ。俺は正気だ」

 その時4番は、いつもの精悍な表情に戻った。どころか、それ以上の、奥に信念や神性が見え隠れするほどの、崇高な目で私を見てきたのだった。

「いいか? 話をして」

 私は頷いた。

 頷いてしまった。

 話を聞くだけなら、として。

「早速聞くが聞くが、0番。お前は、見たことがあるのか?」

「なにを」

「聖園だよ」

「馬鹿じゃない。見れるわけがないでしょう。私達は、昇るために、来る審判の時のために、今ここで修練を積んでいるのよ。当たり前のことを言わせないで」

「本当に、そんな日があるのかよ」

「何を言っているの?」

「お前、俺が冷静さを欠いていると思ってやいやしないか?」

「思っているわ」

「俺は頭がどうにかなっているってわけじゃないんだ。その上で、さらに、もっと言おう。神性なんて本当にあるのか?」

「祈りを捧げて、感謝をする。その時にこみ上げてくるものを、あなたは感じないの? それ以外にも、神父様が言っている様々な神聖は、事実この身に宿っているじゃないの。それを感じるからこそ、私達は修練に励む。高まっていることを感じるから、こそ」

「感じるよ。そりゃ、俺だって。でも、でも。試してみたんだ。これははっきり言って、俺の中でとんでもない賭けだったけどな。何をかって、祈ったんだ。神に対してじゃない。自分に対してだよ。自分が生きていること。そのすべてに祈りを捧げてみたんだ。神は、全部おざなりにしてな。ああ、どうでもいいって思ってみたんだ。俺はその時聖園には行けないだろうと思った」

「4番、あなた……どうして、どうしてそんなこと…………」

「確かめたかったんだ。俺が俺で、今ここにあること。その何が悪いのだろう。聖園に導かれなくとも、俺は今、ここにいることを祝福出来ると、強く信じていたんだ。間違っているか?」

「間違っているわよ。全部、全部間違っている!」

「俺だって、なぜそんなことをしたのか、自分でもよくわからないんだ。邪な存在であると、自分でもそれはよくわかる。この身が、様々な因果に縛られているということも、理解していたさ! でもそれだからって! 今ここにいる俺が、俺自身が!」

「やめて!」

 4番が大きな苦悩と後悔を持っているのであろうということはわかった。それを、私に話して少しでも和らげようとしているのではないか?

 これは懺悔なのだ。

 懺悔。

 私を巻き込もうとしている。

 話半分に聞いて、彼には、4番にはもう、このまま朽ちていってもらうしかない。

 邪な存在として。

「わかってる。俺はだから、邪な存在であるということを認めたわけだ。もういいんだ。そういうことに関しては。でもな。これだけは言いたい。0番。お前だから言っておきたいんだ。全く同じだった。どういうことか。自分の存在を祝福するために祈っても、この身に溢れるものは神様……神とやらに祈りを捧げた時と、まるで同じだったんだ。なぁ0番。これ以上の話、聞きたいか?」

 私はその身を強ばらせた。

 聞きたくないはずだった。

 首を横に振るべきだった。

 でも、何も言えない。

 言えずに、4番が続けて話す隙を与えてしまった。

「いいってことだな。つまり俺が言いたいのは、神に祈りを捧げて身に宿る神性なんて、存在しないんじゃないかってことなんだ。大げさに言えば、嘘っぱちのでたらめなんじゃないかってことなんだよ! それだけじゃない。全部だよ。仮にここの、神父が言っていること、全部でたらめだったらどうする? 聖園? そんなものあるのか? 神性なんてものがでたらめなんだからな! くだらねぇ! ずっと馬鹿やってたんだ! ずっと馬鹿やらされてたんだ!」

 4番は、懺悔をしているのだ。

 邪な存在を肯定したこと。

 冷静になれ。

 冷静に。

 私は彼に巻き込まれなんか、しない。

「4番、もう戻れないわ」

「0番、それはお前もだ。俺の話を聞いてしまった以上、お前はいずれ俺と同じことを考える。お前の頭は良いから。唯一俺が認めている人間だからだ。その時、お前は俺にまた会いに来い。お前が会いに来なくとも、俺は俺なりにこの自分を、もう、持ち続けることを選ぶ」

 それは何を意味するのか。

 すべてに、抗うということなのだろうか。

「神父様は騙せないわ。4番。あなたの考えをいつだって見抜く」

「騙し返すさ。最初から、あいつらが騙しているんだ。違うか? だから騙す。騙して俺は、俺であり続けることを選ぶ。例えそれが邪なものであってもな」

「いったい神父様は何の為に騙すというの? そんなことをして何になるというの?」

「わからない。あいつらは子供たちのために邪徒であり続けることを選んだって言っているけど、それは何かの方便に違いないさ。どこかに事実が紛れ込んでいたとしても、もう俺はすべてを疑わなくちゃならないんだからな」

「惨い」

「嘘だと思ったことを信じることの方が、惨い。その信じたことを正しいと考えていた方が、もっと惨い」

「考えを改めて、4番。急にあなた、変わりすぎよ」

「違う。俺はお前とあの日拳を交わした時よりずっと前から俺はささやかな疑問を手にしていた。もっと、根本的なものだ。俺はなぜここにいるのだろう。理屈では理解していた。神に反逆し、罪を抱えたからだと。ではその罪を抱えた存在とは何なのだろう。俺の前身である存在とは何なのだろう。存在とは、有るとは、すなわち何なのだろう。理解されるわけもない。誰にも、お前にも言わなかった」

「邪な存在であれば、いつか死ぬのよ? いつか死んでしまうのよ?」

「俺はそれも受け入れる。そういうことにしたんだ。死ぬこと。この身のまま死ぬこと。それでいいじゃないか。邪な存在であろうとも、俺は俺が好きなんだ。ただ俺は、このまま死にたくないという、ただそれだけなんだ」

「いつまで行っても、いつまで経っても、邪な存在であり続けるわ」

「そうか? 本当にそうなのだろうか? 俺はその点についても考えていた。確かに連中の言うことが嘘だったとしても、死ぬということは嘘ではない。この目で確かにその瞬間も見た。しかし永遠に存在して何になるだろう? 聖園とやらに行って、神と同化したとして、一体何になるのだろう? 今と同じような、反問と詰問の、永遠の苦しみがそこに待ち受けているんじゃないのだろうか?」

「じゃあ、あなたは死ぬというの」

「死なないさ。死なない。死なないよ、俺は。これから、あいつらに殺されようとも、俺は死なない。絶対にな。しかし、死をも受け入れる。そういうことだ」

「意味が、わからない。やめて。なかったことにしてよ! そんな話!」

「わからなくていいさ。ただ0番。俺がこれをお前に話したのは、色々な理由がある。俺はお前に話したいと思ったんだ。仮にこの先、俺のこの身に何かあった時、俺はお前の中で生き続ける。お前の頭の中でな」


 4番。

 彼はもう私の頭のなかから消えた。

 彼は聖園に辿りつけない。

 さようなら。

 ずっと、ずっと、さようなら。

 別れを惜しむ気はない。 

 それなのに、なぜだか空気が重く感じる。

 吸い込む空気が、悲哀を帯びていて、私の体も重くなっていく。

 誰が誰に向けて嘆いているの?

 私が、私に。

 違う。

 私が、彼に、だ。

 彼が、私に?

 違う。

 私は彼に巻き込まれたりなんか、しない。

 

   ・


 機構の本部最上階には、限られたもののみが入室出来るという、最高司令官の部屋があった。

 魔法移動装置で最上階に移動し、ブレイナとペムは廊下を歩いていた。奥には、一つだけ大きな扉が見えている。扉の前まで辿り着き、ブレイナが軽く二回ノックをした。無骨な声が、奥から聞こえてきた。

 開くと、無機質な机と椅子だけがある、机と椅子の数を除けば、情報課の事務室とほとんど変わらない景色がそこにあった。ただ一つ代わり映えがあるとすれば、そこに座っている人物だった。

 初めて見る。

 管理機構最高司令官。

 グス=エフマルド。

 試驗の面接で一度顔を合わせたことはあったのだが、ペムは気がつく。あれは、対客人用の顔であったのだと。再び見るその最高司令は、司る己の意志以外、すべての人間的な感情を消し去ったような、屈強な精神を放っていた。

「ペム=スター君、だね」

「はい」

「ここに来て、私と話す人間はごく限られていてね。私も司令としての仕事が多忙なものだから、ほとんどの情報はまとめて秘書からもらうのだよ。ただね、君とは、直接話がしてみたかった……いや、やめようか。そういう前口上は。君は利発そうだ。単刀直入に言おう。君が抱えている問題は、少しばかり、我々にとって重大な問題だという話だよ。わかるね?」

「はい」

「手早く終わらせよう。かけたまえ」

 言われるまま、ペムは椅子に座り、威厳を放ち続けるグスと相対する。

「早速だが、君はブレイナ君の能力について、どれくらい知っている」

「知りません。なにも」

「君の推測では?」

「……何か心の動きを読む、魔法であると」

「十分だ。今、この部屋には君と、私と、ブレイナと、私の部下が一人いる。この状況をどう思う」

「何か知りたいことがあるのだと。私の心のにあるもの」

「正解。そこまで言えるのならば、後はわかるね」

 今の状況。

 これは、まだまし、なのかもしれない。ここまで穏便に調査を受けていること自体が。

 ブレイナの魔法の性質を知った時に、最悪、拷問のようなことさえ、起きうるのではないかとペムは覚悟していたのだから。

「君はただ、正直であればいい。正直に、私の質問に答えて欲しい。質問の一つ目。人間奴隷について、君の考えを聞かせて欲しい」

「考え、ですか。ケイゴの言うとおり、一連の失踪事件が密接に関わっていると。捕らえた人間を魔法で人間奴隷にしている、そういう流れの元に生まれた人間だと思いますが」

「そうだな。その方向の見解で、我々も動いている」

 睨むように、グスがブレイナを見た。

 見られたブレイナは首を横に降った。

「ペム君。私は時間がない。言った通り、多忙でね。君が利発だってことは、もう既にわかった。君との会話はもっと単純にしよう。質問を変える。君がこの機構に対して隠したいと思っていることを全て語ってくれたまえ。時間がないんだ。わかるね」

 司令の表情は柔和なものだったが、しかしその皮一枚奥に見えた冷徹さは隠し切れていなかった。

 ペムは恐怖を覚える。

 時間がないという間接的な表現。

 解答を謝れば、どういう行為に出てくるかわからない。

 観念する。

 あの二人を逃したことが、結局あの二人の危機を招いてしまうとは。

 勘は外れたのか。

 自らに非はあるのか。

 思考はめまぐるしく回るが、しかし一つ出ている結論は、ここで死にたくないということだった。ペムは自分の命が惜しい。痛いことも、怖いことも、避けたい。それに仮にいま自分が二人のことをばらしたとしても、あの二人ならば……問題を乗り越えられると、考えた。

 こじつけた信頼だな。

 結局自分の命が惜しいのだから、と。ペムは自分の正義が屈強でないことを知り、そして悲観しながら、グスにこう答えた。

「……まず、人間奴隷についてですが、僕の魔法で人間奴隷の心音を聴きました。ボルドゥ、アラン、テトという人間を尾行して、その機会を得ました。彼らは『名も無き意志』という組織に所属しているということです。人間奴隷は特有の心音をしていました。聴けばすぐにわかる、特徴的なものです。すぐさまその心音を聴いた僕は、試験で同席したメナスクスさんとヴェルムさんのことを思い出しました。彼らもまた人間奴隷のものと同じでした。試験で魔法を使った時気が付いたんです」

「続けたまえ」

「僕は二人を逃さなければならないと考えました。なぜなら彼らは遅かれ早かれ、ここにいたのでは捕縛される可能性があると思ったから。生きた、意識のある人間奴隷として。僕以外にも、僕のような魔法を使える人間は機構ならいるでしょうし、また今後出てきてもおかしくない。それだけでなく、僕の勘がそうするべきだと言っていたから。彼らを逃がすべきだと」

「二人はどこに行った?」

「グラン大国です」

「なぜそこに誘導した?」

「それは、グラン大国にも同じ心音を持つ人間がいたから。その人間のことも、僕は覚えていたんです。二人と何か関係があるかもしれない。そして、ヴェルムさんは記憶をなくしたと言っていた。その手がかりになる何かが見つかるんじゃないかと思って。この辺も、やはり勘ですが」

「グラン大国……あの中立農業国家か。君はそこにも人間奴隷の拠点があると思うか?」

「わかりません……ですが、これだけ大規模に人間を捕まえる能力が相手側にある、となると、拠点が複数あっても、おかしくはないでしょう。もしあるとすれば、拠点の一部、だと思います。本部のようなものがあるとすれば、もっと目につかないところに、あるのかもしれません」

「君の考えはわかった。他に、隠していることは?」

「機構に対して僕が話さなければいけないことはこれで全てではないかと。彼ら二人を逃したこと。これは罪だと思っていますから。ブレイナさんが心を読むような魔法を持っていると知って、背徳感が生まれました。その背徳感の正体は、これですべてです」

 司令は再度ブレイナを見やる。

 静かに頷くブレイナ。

 安堵することは出来なかった。

「あの二人はどうなりますか?」

「現時点では何とも言えないな。ただ」

「そうですか」

「君からあの二人の名が出て来た時。実はそこまで意外というわけではなかった。白状してくれたお礼に教えてあげよう。この機構はね、別段純粋さを持ち合わせた人間だけを入れるわけではないのだよ。あえて引き入れてから、その目的を見定めることもしていたりする。虚実を吐くものや、反抗的な人間を入れて、その動向を伺うというね。亜獣討伐は人類の役に立っている自負はあれど、支持する人間だけではないものだからね。どのような国や組織がどのような陰謀を持っているかも、常に考えなくてはならない。あの二人を入れたのも、そういう側面があった」

「ブレイナさんの魔法は、どういうものなんですか?」

「それは詳細に教えられないな。ただ彼女の魔法で、二人の心もまた読んでいた、とだけ言っておこう。さて、ペム君。君との時間はこれまでだ」

「そうですか。残念です。僕処分、されますか?」

「君次第だ。君は情報課。常にブレイナに監視される立場にある。その能力をここで活かしてくれさえすればいい。君の心からは反抗心は見当たらないようだからね。今回は多めに見るとしよう」

 開放され、移動装置の中でようやくペムは一息つくのだった。

 恐らくずっと、このまま情報課で働くことになってしまおうが、命だけは助かった。

 想いを巡らすのは、ヴェルムとメナスクスに対して。

 どうなるかはわからないまでも。

 願わくば、自分のしたことが二人をよい方向へと導いて欲しい、と。

 

   ・


「ベイル大国、だそうだ」

 テト、アラン、ラウザの三人は再びアジトで会合をしていた。

 魔石を手に入れ、力を手に入れたアランは人間奴隷の次なる情報を渇望していたところ、ラウザが「機構と取引をした」、と言って二人を呼びつけたのだった。

「ベイル大国……あの農業国家のことですか」

「そうだ。まぁ俺もあの国はなんかしでかすんじゃねーかって思ってたよ。亜獣の脅威がない国だからこそ、な」

「場所はどこですか?」

「それは正確には教えてくれなかったよ。なんだか握ってそうではあったんだがな」

「教えてください」

「おっと。がっつくなや。取引をしよう」

「取引?」

「そんな身構えるなよ。お前を機構の人間に紹介してやるって話だ。機構がもうすぐにベイルに向けて出発しようとしている。が、何があるかわからんからな。お前を傭兵として機構に派遣して、俺は金を得る。お前は復讐を果たせる。機構は戦力を増強できる。これで相互に利益が見込める。どうだ」

「出来れば、場所だけ教えて欲しい。単独で、俺は俺のしたいことを、成し遂げたい」

「わがまま言うなよ。情報ってのは、結構高く付くんだぜ。世の中は金でどうにか出来る部分もあるんだ。それに、俺のパイプがねぇと、辿りつけねぇだろ? 向こう側の戦力になって、目標を果たせよ。単独プレイは厳禁な」

「……わかった」

「よし。じゃ、早速連中には俺から言っておくから。準備しとけよ」


 次回の集合日時と場所を伝えられた二人は、魔法で裏路地に戻された。

 別れ際、テトがアランを見て言う。

「アラン、本当に行くの?」

「行くさ。行くしかない」

「俺、今までアランを見てきて思ったんだけど」

「なんだ?」

 言うべきか、言わざるべきか。

 言葉を、飲み込みかけた。

「アランは復讐をして、幸せになれるの? って、疑問を」

「急に、何を言う」

「アランは、復讐の先に何を見ているの?」

「幸せになるために生きていない」

 怒りに満ちた表情、だった。それはアランの強い復讐心に基づく、感情。誰であっても、邪魔するものは容赦しない。強固な壁。

「本当なら言わないでおこうと思ったんだ。それに、言えるわけもないって。アランはアランの目で、故郷が滅んでいくのを見て、復讐をしようとしている。アランの特別な感情には、入り込む権利も、隙もない。でも、だからって君に何も言わないでおくということも、やっぱりできないんだ」

「何を言いたい……テト」

「俺は、復讐に……こういう言い方をすれば、君は怒るかもしれないけれど、復讐に取り憑かれているように思う。復讐心しか、見えてない。だから、他の、いろんなことに視点を巡らせることが出来ていない。だから、復讐を成し遂げた先のことも、見えていない」

「言っただろう! 幸せになるために生きていないと!」

 怒声。

 静寂が佇む夜の裏路地に、アランの声が響き渡る。

 感情的なアランと話すのは、初めてのこと。

 けれど、臆するわけにもいかないし、臆してなど、いない。

 話そう、と。

 思ったことを伝えようという覚悟がテトにはあったのだから。

「俺はたまに星を見る。死んだ故郷の人間を思って。あいつも、あいつも、あいつも、皆死んだけど、思い出だけは絶対に消えてない。苦しくて、寂しくて、何度も泣いた。飯も食えない時もあった。でも、胸を張って、毎日を生きていこうと思っている。それはあいつらのため。あいつらをいつでも思い出せる俺が幸せに毎日を噛み締めて生きていれば、どこかで報われるんじゃないかって思っている。力は、欲しい。村の復興のために。でも、それだけじゃない。その先にある、村の復興。そして、俺がちゃんと幸せになること。そのために、色んな経験をして、色んな人と触れ合うこと。そのために、俺は生きて――」

 まだ、言いたいことがあるのに。

 この言葉の先に、言いたいことがあるのに。

 アランはテトに背中を見せていた。

 やはり聞く耳など、持たれていないのか。

 過ごした時間は、嘘、だったのか。

 そうでは、ないはずなのに。

「俺、ついていくから。ベイルまで。一緒に」

 伝えたいことが、伝わるまで。

 テトはアランの生き様を見ていようと、決心を固めた。


   ・


 田園国家、と言われるだけある。

 ヴェルムとメナスクスは借り受けていた馬車を降り、歩きながら景色を眺めていた。

 ついこの間まで特区で生活を営んでいただけに、ただ畑が広がるこの光景には、どこか懐かしさを覚えていたのだが、一方で変わらぬ景色の凡庸さに飽いてしまってはいた。

 話したくもない、というのが正直な感想だったのだが。

 目的地まではまだ遠い。

 話したくもない相手と話さなくてはならないほどに、退屈はヴェルムの口を開かせた。

「この先になにもなかったら、お前はどうするんだ。メナスクス」

 背後を歩くメナスクスに、視線を合さず言葉を投げかけた。

「知らない」

「知らない、じゃ、この時代生きていけないぞ」

「お前は」

「戻るかもな」

「へぇ」

「あんたは?」

「知らない」

「もっとも、戻るつもりがあっても、戻れないだろうがな。あんたは、やっぱり戦うために生きているのか?」

「そうかもしれない」

「適当な答えだな」

「お前は答えられるのか」

「なにをだ」

「何のために生きているのか、この先になにがあるから生きているか、なんてことを」

「ないから生きている。はっきりとわかることなんて、ないから生きている。それに、俺には希望がある。記憶が戻るかもしれない。その希望が。それはメナスクス。あんたも同じはずだ。同じように記憶をなくしているというのが事実であれば、そこに希望が持てるはず。何者だったか、知りたくないのか?」

「知りたくはない。知って、どうする。だいぶ前にも聞いた。知って、それからどうするんだ。お前は絶望するんじゃないか」

「それはあんたのことだ。俺は信じている。記憶を得た先にあるものを。だからあんたも信じろ、なんて言いはしないけれど、もう自殺行為はよしたほうがいい。死ぬために戦うことも。それはずれている。あまりにも。人間的な行為じゃない」

「お前に私の何がわかるの」

「何もわからない」

「それが答え。私もお前のことを知らない。何も言わずに歩け。言葉は何も生み出さない。言葉はずっと、くだらないことを示し続けるだけ。わかったか? 黙って歩け。お前の速度に合わせている」

「あんたも、そういう配慮ができるんだな」

 これ以上の無駄話はできないな、と。

 そう感じた時。

 ヴェルムは振り返った。

 殺意、と。

 ――魔力を感じたからである。

 そこには既に魔法を発動させたメナスクスがいて、彼女の背後には、二人の人間が武器、それぞれ長剣と槍を持って襲いかかっているさまがあった。

 一瞬の出来事だった。

 ヴェルムはメナスクスに抱えられ、その二人と距離を取っていた。

「馬鹿みたいな話をしていると、油断する、いい例。お前、人を殺したことがあるの」

 ヴェルムは静かに首を横に振る。

「ならそこで黙って見てろ」

 敵は二人。数は少ない。

 が、こうして相対しているにも関わらず、相手に緊張した面もちはなかった。明らかに戦いなれている、といった面持ちである。

「機構の人間だな」

 ヴェルムが問いかけた。

 かまをかけただけだったのだが、一方の人間が一瞬だけでも、わかりやすく表情を変えたのを、ヴェルムは見逃さなかった。

 もし、この二人が機構の人間ならば。

 そして、何らかの理由で攻撃をしかけてきているならば。

 こちらの魔法と、個人的な能力については知っている可能性が高い。

 その上で向こうは勝負を挑んできている。メナスクスの異常な戦闘力をすら見越して。

 一番良い選択は、メナスクスの魔法と能力を持って逃げることだった。

 が、それすらも相手に想定されていた場合、打つ手がなくなる。

 それに、メナスクスを説得する言葉が見当たらない。

「黙って見ているのは、メナスクス。君の方だ。何もしなくていい」

 こちらの情報を知り、こちらは相手を知らない。

 と、相手はそう思っているからこそ、勝機十分と考えているのだろう。

 手中はお見通し。完封すら出来る、といったような、準備を重ねてきた、表情、余裕。

 だからこそ自分がどうにかしなければならない。

 決断を下し、すぐさまヴェルムは魔法を発動させた。

 ヴェルムのその魔法は、空間魔法――などではなかった。

 それは説明を求められた時の、彼の方便に過ぎない。

 時空魔法。

 十秒ほど、時を止めること。

 それが彼の魔法の正体だった。

 自分でもなぜこのような強力な魔法が使えるのかはわからなかった。

 なぜなら記憶をなくす前から、持っていたであろう魔法だからだった。その理由、経緯こそ、どこか自分の記憶を辿る手がかりになると、ヴェルムは考えていた。

 魔法を発動したヴェルムは動く。手慣れた手つきで、腰に下げた戦闘具から、神経系に異常を与える即効性の麻痺針を二本それぞれ指に挟み、投擲する。それとほぼ同時に、魔法が解除される

 針は二本とも、二人の首を射止め、そして地に伏した。

「これで終わりだ」

「お前、何をしたの」

「詳しいことは後で説明する。今はここを離れよう」

「止めを刺すわ」

「待て」

「なに」

「殺すのはよせ」

「殺されかけたのに、殺さないのか? こいつら、追尾するような魔法を持っている。場所を探知されたとしか思えない。殺した方がいい」

 ヴェルムは自分でも驚く。

 なぜこうまで躊躇したのか。

 自分が殺される危険性がある。

 だから殺す。

 その理屈は間違っていないはずだった。

 今まで、人を殺したことがない、とはいえ、自らの為に人を殺すことなど、まるで厭わないという気概と覚悟はあるはずだった。

「やめろ。殺すな」

「私はいい。だが死にたくないお前が、死にたがるようなことをしていいのか」

 ヴェルムは沈黙で答えた。

 この感情は何なのか。

 整理が出来なかった。

 人が死ぬところを、見たくない、のか。

「構わない。俺は襲われても対処出来る自信がある。行こう」

 

   ・


 神性はとうに潰えた、と。4番はそう言っていた。

 おかしくなってしまった、4番。

 彼がどれだけおかしくなったとしても、私は私を律し続けなければならない。今まで聞いてきたことが、全部嘘だった? じゃあ、なんのために私達はここにいるというの?

 流されまいと決めたのに。

 その決意も空を切る。

 朝。目の端で捉えた4番は嘘のように冷静だった。どころか、今まで見た中で一番穏やかな印象を受けた。その事実がさらに私の頭を悩ませた。

 そこに、加えて浴びせられたのは。

 ――衝撃。

 あるいは動揺。

 そうとも括れない。

 不確かな心。

 こんな会話を、神父様と4番がしたからだった。

「4番。今日の君は、健やかな神性を保つことが出来ているように見受けられる」

 神父様は全ての神性を神のように見抜くことは出来ない。

 だけど、その一部を神父様が積んできた修練で垣間見ることが出来ると言っていた。

 間違っているのかもしれない。

 間違うことだって、あるのかもしれない。

 そこに正しさはないのかもしれない。

 神父様だって、邪徒なのだから。

「ええ、ありがとうございます」

 でも。

 やめて。

 そんなことを、4番に言わないで。

 だって。

 彼は……彼は……

「今日はとても、健やかな気持ちなのです」

「聖園に辿り着くということ、神性を高めるということ。それがどういうことなのか、少しだけ理解出来た気がするので」

「少し、というのが謙虚だね」

「神様は微笑んでくれると感じますから。その謙虚さに」

 私には彼が何を考えているのか理解出来る。

 それだから、そんなことが言える。

 彼の信じているものは、もう神などではないというのに。

 神父様。

 なぜそうも、彼を崇めるかのように見つめるの? 

 わからない。

「0番。君は最近、乱されているぞ。4番とは好敵手であるからといって、彼の神性が高まっていることそれ自体を否定してはならない。それは何にも増して醜さを持った代物なのだから」

「やめてください。これ以上、4番を誉めるのは」

「どうしたどうしてそんなことを言う」

「乱されるからです。お願いします。神父様。彼に対して、もう何も言わないでください。お願いします」

「0番。君はそれを言うことで、どうしたいというのだ」

「私の心を鎮めたいのです」

 問答無用だった。

 私はその場で懲罰房に連れていかれた。

 実は行くことを願っていたのかもしれない。そうでもなければ、あんなことを言わなかった。言うわけもなかった。

「君ならすぐに元に戻る」

 神父様はそう言って懲罰房に私を押し込んだ。

 疑い。

 4番のせいで、私に生まれた。生まれてしまった、疑い。

 この小さな疑いは、この暗闇の中で消し飛ぶのだろうか。

 消し飛ばさなければ、ならない。

 ――はずなのに。

 二日、二晩。食事も水も何も与えられない。身をよじることも出来ないような、密閉した暗闇でさえ、今の私にはどうでもよかった。居心地がよいとさえ思う。礼拝堂で、彼を……4番を……4番の神性が高いだなんて! そんなことを口にされる場所にいたくない。だって、だって……神父様がそう言わずとも、私でさえそのように感じてしまうんだから! 私だけが知っている、彼の秘匿。それを踏まえて、なんでそのように思えるのだろう。

 その全てが表すものは何なのだろう。

 何を信じればいいのだろう。

 張り付けにされたこの肉体に。

 どんなものが宿っているというのだろう。


 肉体は朽ちていくかと思った。

 この暗闇の中で。

 私は神性も、聖園への道も。何から何まで見いだすことが出来なくなっていた。

 朽ちれば、いっそのこと良かった。

 私はもう、邪徒のまま存在を終えてもいいと思った。

 ああ。聖園への道は閉ざされたのだな。

 もう私は戻っていくことは出来ない。

 疑いは、その根を消さない。

 死を受け入れた私。

 この肉体を受入た私。

 4番と、同じように。

 けれど、いつか朽ちていく。

 朽ちてなお、私は一体何をするのだというのだろう。

 この身と、意識の先にあるものはなんなのだろう。

 朽ちてなお、死してなお、私は……

 考え続けた私は睡眠もとらなかった。

 目を閉じず、これからのことを考え続けていた。

 そして、突然。

 思考が弾けて……突如、目まぐるしく、自分の頭の中にある記憶が渦を巻いて様々な映像を写しだしていった。

 私が、ここに至る、今までのこと一切が、思い出される。

 幾重にも、何層にも切り取られたそれらは、私の中で時に軽快に、時に重々しく立ち現れ、消えていった。一瞬のことだったのかもしれない。あるいはそれは一晩中続いたことだったのかもしれない。暴れ回り、制御が出来ない、その循環。

 朦朧としたまま、私はそれを追い続けた。

 そしてそれら、記憶の渦。感情の連鎖が、唐突に終わりを告げたときに、私はいてもたってもいられなくなっていた。

 こうしている場合じゃない。

 この身が朽ちてしまう前に、やらなくてはならないことがある。

 

 

「反省したようだな」

 暗闇から解き放たれた時であっても、私は明瞭な意識を保ち続けていた。寝てもいないはずなのに。

「ええ。私は、様々なことに気が付きました」

「顔つきを見ればわかる」

 顔つき? 何を言っているのだろう。

 私の神性なんて、そう呼ばれるものなんて、すっかり転覆して、消え失せているというのに。

 代わりにあるものと言えば。

 その身に宿しているものといえば。

 ああ。

 簡単だった。

 簡単な、ことだった。

 ――そういうことだったのか。


「わかっただろう。全てが」

 懲罰房から出た夜。4番が、また私の部屋を訪れた。

「わかる? 私が何を今、考えているか」

「全部はわからない。でも、一部はわかる。君が持っているその爽やかさの正体の、一部なら」

「私、何かわかったとは思わないの。ええ。全てはわからない。何もわかっていない。わかっていることは、私のこの肉体がここにあるということだけ。信じるものなんて、何もないわ」

「そうに違いない。連中、俺の神性が上がっているだなんて言うんだ。皮一枚被った俺の中では、神性と、聖園と、神父連中を真っ向から全部否定して、ただ俺の存在だけを崇めていただけだというのに! 何が神性が見える、だ。笑わせる。本当に!」

「私も懲罰房を出たときに言われたの。神性が上がっているって。でも考えていたのは、まるで違うこと」

「もうわかっただろう。奴らの、嘘。そして、企み。ああ、何か企んでいるに違いないさ」

「聞いて。4番。私、懲罰房の中で色々なことを考えたの。私なりに。神父は私の一体何を見て、神性が上がっているのだろう。多分、私が見いだした一つの答えなんだわ」

「答え?」

「そう。私、もうこの身がどうなろうが、どうでもいいと思えた。一切が、吹き飛んだとして、身体も、神性も、何もかも。死すら、もはや私にとって何か憂慮すべき問題ではないと思えたの」

 その時、4番の表情が変わった。

 不思議と、4番が考えていることが、この時私にも伝わってきた。4番が考えていること? 違う。4番と全く同じことを考えているのだと、思えた。だから、二人の意識が、お互い通じあっているような――

「でも、どうでもよくないことはあった。もし、この身体が消えたとしても、どうでもよくないことが。ううん。多分、残るであろうもの。この世界に、ひとしきり輝きをもって有り続けるのではないかと、そう思えたものが」

「いい。0番」

 彼は、全てをわかっていたようだった。これから私が話そうとした、一切のことを。

「もうそれ以上言わなくてもいいんだ」

 だから。

 だから彼は、私を抱きしめたのだろう。

 言葉を交わさずとも。

 輝きを持ったそれは。

 私と、彼と。

 全てを。

 その時包み込んだのだから。



 神父達など、取るに足らない相手のはずだった。

 私と、4番にとって。

 だから二人でこの駕籠から出る計画を立てた時、すべては順調に行くと思われていた。その決行前日まで。

 けれど見てしまった。体格だけはいい3番が、神父に圧倒されるところを。

 神父が戦っているところを、初めて見た。いつも戦闘の修練は、私達だけで行うものだから。体力も体格も劣っている神父が、簡単に3番をねじ伏せていった。神父曰く、修行を詰んだ結果、だそうだが……私と4番は簡単にその言葉を信じることができなかった。

「何か、ある」

 脱走の前日になって、私達は計画の変更を余儀なくされた。

「秘密があるんだ。連中、ただの老いぼれってだけじゃないらしい」

「一体どういう秘密だというの?」

「3番と戦って、まともに勝てる気するか? しないだろう。3番は頭は悪いが、戦闘能力に関してはここで一番だ。群を抜いている。それをいとも簡単にいなすなんて……それに神父から何かを感じ取ったのは事実だ。何か、俺達の知らない力を持っている」

「大切なのは、神父と戦って勝てないということよ。見つかることも前提に計画を立てていたけど、これじゃあ、全部考えなおさなくてはならない」

「連中の秘密を探らなくちゃな。俺に任せとけよ」

 この時、私達は悠長に構えすぎていたし、あるいは調子に乗っていたのかもしれない。私と4番は、神父の教えすべてを棄てることができていたし、そして脱走の計画も、神父がどれだけ強いといえども、必ず実行出来るものだと信じていた。

 未来は輝いている。

 そう言ったのは、4番。

 口癖のように、毎日そう言って私を安心させようとする。

 それは今日も同じで。

 4番が目に光を宿して、そう言った時だった。

 ――扉が、開いたのである。

 神父がそこに、立っていた。

「神父様!」

 私と4番は立ち上がって構えた。

 一方の神父は、いつもの笑みを持って、私達に語りかけた。

「これこれ。君たち、何をしているんだ」

「いえ。どうしても話したいことが、0番とありましたので。好敵手、ですから。お互いに知りたいことがあるというもの」

「規則について、知らないわけがないだろう?」

「知っていて、僕がやりました。懲罰房に行きます」

「……いや、いい。反省をしているのならな。0番。4番。君たちは特に優秀なのだ。聖園へ向かうことが出来ると、我々は信じている。頼むから失望させてくれるな」

「申し訳ございませんでした」

「謝るのであれば、己の神性と、そして神様に対して謝るんだな。二人共、こちらに来なさい」

 立ち上がり、着いて行く私達。その時、私は4番が目配せしたのを見逃さなかった。

 神父がなにかを企んでいる。

 毎日顔を合わせて、修行をして、それでいて神父を疑いながら見てきた私達だからこそ捉えることの出来た違和感だった。

 このまま連れられたら、まずいことが起こる。

 対処をしなくてはならないと考えていた。

 どうやってか。とにかくこのまま連れて行かれては駄目だ。

 考えていると。

 ――後頭部に痛み。

 一体どうして。何を考えることも出来ずに、私は暗闇に落ちていった。


 

 暗闇から覚めたのは、こんな声が聞こえてきてから、ようやくのこと。

「0番。4番。君たちには失望したと同時に、やはり期待の念を込めているよ」

 朧気な頭に、入ってくる神父の声。

「一体いつから気がついていたんだろうね。すべての真相に」

 身体がぴくりとも動かないように拘束されていると気が付く。懲罰房での拘束など比ではないくらいに。どんな隙間も許さないほどに。

 4番も、同じこの部屋にいるのだろうか。喋りたい。けれど、口にも何か拘束具を付けられている。苦しい。それに、痛む。

「入念に、君たちのような輩が出てこないように対策を練り直したというのに、こんなことが起こるとは我々も考えていなかった。どうにも人間というのはまだまだその力に、発展性が見込めるようだな。今後、参考にさせてもらう」

 悦に浸ったような、声。

 確かに神父の声だった。

 けれどそれは、化けの皮を剥いだ神父。

 思った通り。

 私達の考えた通り。

 4番の言った通り。

 全部……全部嘘だったのだ。

「優秀すぎないくらいがいいのかもしれないな。そんな君達に教えてやろう。簡単な、ここの仕組みを。君たちならあるいは勘付いているのかもしれないな。ここはただの戦闘兵士を造る施設だ」

 狂ったような笑い声が、部屋中に轟いた。

「面白いか? 面白いだろう。君たちがさんざん信じこまされてきたものは、私達が創った物語にほかならない。それを信じて、君たちは聖園へと向かっていたのだよ。安心して欲しい。聖園はある。君たちは途中で歯向かったといえども、そこにはしっかり行ってもらう。おしゃべりはこれくらいだな。しっかりと戦うよう」

 全部見抜いていたことだったのに。

 これまで、なのか。

 怒りと悲しみが合わさって、私は絶望にくれるはずだった。

 だけど、神父が私の身体に触れた後も。

 そして何かの力で私を覆った後も。

 私は。

 決して絶望などしていなかった。

 ――未来は輝いている。

 と、その言葉を信じて。 


   ・


 すっかり沈んでしまった陽。

 魔法都市のように街灯があるわけではない。

 月明かりを頼りにしながら、ヴェルムとメナスクスは追っ手の存在を意識しながら歩き続けていた。

「休むか?」

「もうすぐ目的地に到着する」

「それからでも、遅くはない、と」

「そうだ」

「あんたも、気になっているのか?」

「思い出したから。記憶がないことを」

「一日中、歩き続けたな。そして、一日中あんたと行動を共にした。そして試驗から、あんたを見てきた」

「だからなんだ」

「少しだけ、わかってきたことがある」

「へぇ」

「あんたは、悪人じゃないな」

 ヴェルムは決して他人に興味があるわけではなかった。だからこそ、人を見る目というものが必要もなければ意識をしたこともなかったし、自らのそんな能力に自信もなかった。

 だけどわかる。

 善人ではないことは確かだが。

 悪人でもない、と。

 人の気持ちを慮ることはしないが、戦い以外で人を傷つけることも、ないのだと。

 あるいはヴェルムだからこそ理解出来たことなのかもしれない。試驗から、剣を突き合わせてきた、彼だからこそ。

「悪人ってのは、なんでもするもんだ。あの手この手で、どうやって自分の目標を達成するか、考えている。そういう意味では、俺も悪人なのかもしれない。悪人と思ってこれまで生きてきた。記憶を戻すことが一番だと思っているから。それ以上必要なものはない、と。誰かを蹴落として記憶が手に入るのならば、そうしたい、と。けれど迷うことは、実のところあった。あんたが言った通り、記憶を求めたその先になにがあるのか。はっきりとしない。はっきりとしないまま、このまま悪人を貫いていくべきか、なんて考えている」

「黙ってろ。哲学者を気取るな。私は話したくない」

「わかった」

 なおも歩いたその先に。

 この遠征の果てに何があるのか。

 二人は会話をすることをやめて、また歩き続けた。


    ・


「なぜ――なぜ動くんだ!」

 神父は困惑し、恐れ、慄いていた。

 計画通りにいかなかった二人も、魔法を使えば、無事に傀儡と化すはずだったからだ。

 自らの帝国を造りあげるための、強靭な兵士として。

 魔法で全ての命令を受けいれる、兵士として。

 例外はなかったはずだ。この魔法が効かなくなること、なんて。

 0番と4番は。

 記憶を失ってもいた。

 加えて、その魔法……人間に魔石を埋め込み、繰ることの出来る特殊な魔法で行動は制限されていた。しっかりと魔法の効力を受け入れていたはずだ。

 事実、彼らは何も考えていない、傀儡に等しかった。

 が、0番と4番は動き続けた。

 記憶を失い、魔石を埋め込まれ、魔法をかけられ、それでもなお動き続けた。

 その身を駆るのは何なのか。

 それは意志だった。

 ――意志、それはかすかなもの。

 ただ一片の、粒子のような。

 一筋の、見えるか見えないか、わからない光のようなもの。

 ありし日にみた記憶。いや、記憶とも呼べない、形容しがたい残滓。

 その粒子を。

 錯覚するかのように、目に映るものの全てをかき消すために。

 そのかすかな、見えるとも、見えないとも思えるものに、身を任せて。

 まず神父を目標に、鍛えあげられたその肉体で、傀儡である自分を制して、攻撃した。防ぐまもなく、神父は絶命した。

 二人はなおも動いた。

 その理由がわからずとも。

 なぜこの生があるのかわからずとも。

 一片の記憶を頼りに。

 その身を動かした。

 

    ・


 目的地が見えた時、ヴェルムはそれが教会だと、すぐにわかった。わかりやすい、教会としての象徴がそこにあったわけではない。そのはずなのに。

「あれが、そうだな」

 冷静さを欠くのは嫌だった。邪魔な感情は、邪魔になるだけだとわかっている。ヴェルムは乱されたものの、すぐにそれを押さえつけた。

「あの建物、ね。なにがあると思う?」

「わからないな」

「私、見て思ったけれど。見たその瞬間に、ぶち壊したいって思った。亜獣や、その他の弱い人間、強い人間……戦っている時と同じような感覚」

「だからって、壊すなよ。俺は、わからないまでも、重要なものがあるように思う。ペムの勘は、強ち捨てたものではないようだ」

 ずっと左右に広がっていた農地はそこにはなく、隆起した荒々しい地形に生い茂った森林があり、その先に小高くそびえた、建物があった。

「行こう」

 建物の中にあるものを、この目で見なければならない。

 幸い、雲がかっていた天気が、晴れ、月明かりが十分に二人を照らすようになっていた。これならば手元の携行ランプも消して進めるほどに。

 だからすぐに、その森の茂みにいた人間をみつけることができた。

 ヴェルムとメナスクスは警戒し、戦闘態勢を取る。

 出てきたのは、少年と、少女だった。

 少年と少女だからといって、戦闘態勢は解かない。

 むしろその警戒を、ヴェルムは強めるばかりだった。

 もし、死してなお生きている人間がいるというのならば、それは目の前にいるこの少年と少女のことを指すのではないか。ヴェルムはそんなことを考えた。感情が死に、肉体だけが生きている人間。

 怪我をしている、というわけではなさそうだったが、少年と少女は血にまみれていた。     

誰かの、血……なのだろうか。

 血にまみれた二人は、ヴェルムと、そしてメナスクスを見る。

 目が合う。

 その時。

 ヴェルムの頭の奥で、鳴り響く一つの旋律があった。馴染みが深く、よく聴いたことのあるような。

 音楽に耽溺したことなどなかった。そのはずだった。

 だが一体なぜこれほどまでに沸き上がる。そして思い出される。ペムの言うとおり、この場に来たから? いや、それとも。

「メナスクス、君は何かを感じるか? いや、感じないか? あの二人を見て、記憶に纏わることなんか」

「わかっていることは、こいつらと殺し合いになるということ。あの二人、手強い。お前、あいつらを殺せるのか?」

「殺してはいけない」

 ヴェルムはこの二人こそ、自らの記憶を紐解く手がかりになるのではないかと感じていた。だからこそ、殺し合いなどは避けたかったのだが――殺されるわけにもまたいかなかった。

「殺意がある。向こうは殺しにくる。殺しにいかなければならない。お前。殺されるぞ」

「おい、君達。話すことが出来るのか?」

 無駄だとはわかっていたが、やはり反応はない。

 答えようとする素振りも、投げかけた言葉の意味を吟味するような素振りもまた、ない。その目を通して、どんな景色が見えているのだというのか。

「無駄だ」

 と、メナスクスが言った時。

 あるべきもの。

 そこにいたものが、なくなっていた。

 反射神経。

 身体が勝手に、ということだろう。

 ヴェルムは魔法を発動させていた。

 先ほどまで存在していた場所に、彼の、少年の姿はなく。

 メナスクスの前にいた。

 空間魔法の類、なのだろう。それこそ、ヴェルムが対外的に吹聴していた、瞬間的な移動が出来る、と称していた空間魔法のように。既に彼は手にしていた鋭利な刃をメナスクスの首めがけて一閃、振り抜く動作をしている途中だった。

 ヴェルムはメナスクスを突き飛ばしてから、二人の首筋に、麻痺針を投げ込む。

 魔法が解け、少年と少女は倒れ込んだ。

「いかさま魔法か」

「危ないところだった」

 弛緩した空気は、再度緊張に晒された。

 少女が、すぐに立ち上がったのである。

 効いていない?

 連発の出来ない時空魔法。

 ヴェルムはすぐさま、再度麻痺針を投擲するが、それはすぐさま見透かされていたかのように、弾かれてしまう。

 さらに、少年も立ち上がった。

 彼もまた、ヴェルムのように魔法を短い時間間隔で使うことが出来ないのだろうか。今度は瞬間移動のようなことはせず、その身体をそのままこちらにぶつけてくる。

 感じるのは明確な殺意、ではない。やはり人間的な感情は一切感じなかった。殺すことも、殺されることも、どのような感情として処理されていない。なぜなら感情が、彼らには欠落しているのだろうから。

 理由などなく。

 考えることもなく。

 糸で繰られた傀儡のように。

 少年と少女は動き続けていた。

 勝負は一瞬、だった。

 少年と少女の非人間的な胆に圧倒されず、むしろ二人の不気味さを覆すほどの殺意を持って彼らに向かったメナスクス。ヴェルムの魔法が解かれてから、すぐに魔法で自らの肉体を強化し、まず少年の胸部をその拳で打ち抜いた。続けざま、メナスクスに襲いかかっていた少女もまた、腹部にメナスクスの一撃を当てられ、絶命した。

 瞬く間だった。

 ヴェルムは立ち尽くした。

 口を開け、唖然として。

「人が死ぬ所が見たくなかった? なぜそうもまぬけなことばかり考えているの」

 血まみれの、メナスクス。

「違う。そうじゃない。この二人は俺の記憶を呼び覚ましてくれる。そんな気がしたんだ」

「そんなことばかり考えてたらいつか殺される。死にたくない。その言葉は嘘じゃないのか」

「ああ、死にたくないさ。死にたくない! だけど!」

 なぜここまで感情的になるのか。

 頭の中では、まだ例の旋律が鳴り響いている。もう少し、もう少しだけ、彼らを見ていたら……

 ヴェルムは二人を見やる。

 重なった死体。

 動けなくなった二人の表情。

 そこには微笑が添えられていた。

 なぜだ?

 先ほどまでは生きた死人のようであった。そのはずなのに、死顔にはまるで人間性が灯されたかのように、恍惚とも呼べる笑みを映し出している。

「この二人は何なのだ?」

「答えを急ぎすぎている。恐らくあの教会の中に、何かがある」

「あんたも、あそこが教会だなてことが、わかるのか?」

「考えていたって仕方がない。急ごう。急がなければいけない。早くしなければ」

 お前こそなぜそうも急いているのだ。

 ヴェルムがそう問おうとした時だった。

 木陰から、草むらから。

 周囲の端々に、潜む影を感じ取った。

 少年と少女は囮、だったのだろうか。

 見渡す限り、二十人以上の、同じような目をした少年少女が、そこにいたのである。

 逃げよう。

 ヴェルムがそう口にして、背後を振り返った。

 するとそこには、また十名ほどの人間が立ってこちらの様子を伺っていた。

 すぐにヴェルムは理解した。追手が、背後に迫っていたのだと。

 逃げよう、と。

 声をかける前に。

 集団の中で飛び抜けて体格のよい一人の少年が、メナスクスを襲っていた。肉体強化魔法を使っていたのだろう。互角に大剣と大剣でメナスクスと鍔迫り合いをしている。

 自分だけが逃げる、という選択肢。

 逃げろ、と、本能がわめいている。

 それなのに。

 ヴェルムはいつか見た。

 あるいは、いつも見ていた。

 ある夢を、思い出していた。

 戦っていた。

 血まみれになりながら。

 大勢の人間と。

 剣を持ち。

 なぎ倒し。

 その先を――

 未来を、見つめながら。

「逃げろ!」

 メナスクスの声で、意識が戻る。

 逃げろ。

 なぜ、彼女は自分を逃がそうとするのか。

 彼女の言葉に抗うように、体を動かし。 

 蹴りつける、少年の顔面。

 続けざまに、メナスクスが一閃。

 少年の首から吹き出る紅い返り血が、ヴェルムとメナスクスを染めた。

「見ていろ。そこから。お前に人は殺せない。人は殺したくない。そうなんだろ。人を殺すこと。それは私ができること。私だけができること」

 咆哮。

 彼女の魔法と相成って、それは周囲に轟いた。

「私の人生はただただ、戦いに明け暮れるだけのもの。戦闘狂として生きた人間。人間なのかは、わからなかった。その行く末。その様を見ていて。もうすぐ、思い出せそうだから」

 見ていろ、と言われて。

 その場で竦んでいたいわけではなかった。

 けれども見たかった。

 見て、いたかった。

 自分の命も。

 彼女の命も。

 すべての危機を、忘れて。

 夢と。

 頭の中で奏でられる旋律と共に。

 彼女の愛した戦いには。闘いには。

 どのような答えがあったのか。

 彼女のすべてを。

 言葉には出来ないことを。

 見守っていたかった、のか。

 自分自身の感情なのに、うまく捉えることが出来ない。

 そのまま。

 迫り来る、集団。

 少年と、少女たちは、血を吹き出して。

 大剣になぎ倒されていく。

 有効打は誰も当てられず。

 そのまま地に伏していく。

 死にたくない、そのはずなのに。

 ヴェルムの体は動いていた。

 見守ることをやめて。

 振り返ったメナスクスと、目が合う。

 それは、初めて剣を交わしたあの日のように。

 その視線の一筋で。

 彼女の言いたいこと。

 彼女が戦いの先に見えたもの。

 想像が、出来たような気がした。

 儚く、脆く、それでいて意志を感じた彼女のそれに、ヴェルムは触れた。

 彼女が大剣を振るい。

 ヴェルムが死角を補いながら、戦う。

 少年と、少女は倒れていく。

 死にたいのか?

 メナスクスが叫んだ。

 そうかもしれない。

 思ってもないことを。

 あるいは思ったことを。

 ヴェルムも叫んだ。

 最後の一人、少年をメナスクスが薙いで。

 ヴェルムが時を止めた。

 時を、止めたのは。

 背後から、追手の一人が魔法を放っていたからだった。

 直撃すれば、絶命は免れない。

 太い、氷属性の魔法が。

 それぞれに向けて。

 即座に、判断する。

 距離を取っていたメナスクスを救け。

 自らも助かることは、不可能であると。

 時間を止めた中で、

 ヴェルムはメナスクスを見る。

 彼女の瞳の奥。

 その、向こう側。

 時を止めた今。

 ヴェルムはその向こう側を探る。

 死が迫る今であっても。

 そうしなくてはならないと。

 そう、思えたから。

 ――彼女は、戦いと言う場に、自らを求めた。

 自らの死を、希望に置き換えていた。

 本当に、それだけを考えていたのか。

 希望のある死。

 だったらなぜ。

 希望のある、と。

 希望、と。

 そう呼んだのか。

 そう呼べるものを見いだしたのか。

 戦いに、希望はない。

 死もまた、希望ではない。

 そのはずだ。

 そうだと、伝えたかった。

 でも。

 伝えずとも。

 理解していたのではないか。

 何を彼女は希望だと言っていたのか。

 その理由は。

 自分の生に。

 戦闘狂としての生に。

 意味や、価値があったのだと。

 そう思いたかったのではないのか。

 それを見出すために。

 戦ってきたのではないのか。

 ヴェルムは動き出す。

 時を止めた中。

 ただ一人。

 自らの意志に驚くことはもうなかった。

 魔法が解ければ、自らは死ぬだろう。

 これほどまでに、なぜ。

 という疑問も、すぐに溶けていった。

 誰かのために生きる。

 自らの疑問。

 そんなことが、起こりえているのか。

 本当に――起こりえているのか。

 記憶を得た、その先。

 記憶得る、その前。

 今。

 意志は止まらなかった。

 身体は敵ではなく。

 メナスクスへと向かって駆けていた。

 ただ一言。

 強く手を。

 体を。

 握りしめて。

 ヴェルムの魔法は、解け、

 叫んだ。

 言葉で伝えられないものを。

 言葉で、伝えるために。

 その言葉が。

 どんなものだったのか。

 わからないまま。

 叫ぶ。

 そして、彼女は。

 メナスクス=バロンは笑った。

 純真な笑みを、ひとひら添えて。

 そしてそのまま。

 魔法に胸を貫かれた。

 苦悶に顔を歪めるわけでもなく。

 彼女はそのまま笑う。

 笑い、そのまま。

 メナスクスは、一言。

 彼の名前を呼び。

 その生を終えた。

 その一言で。

 彼女との、これまで。

 記憶をなくすまでの、これまでを。

 ヴェルムは思い出していた。

 時はなおも動いて。

 ヴェルムもその胸を貫かれる。

 時の流れの中で、彼らの時は止まった。

 散ることのない、永遠と共に。

 

   ・


「――催眠をかけるような魔法があったのだろう。人間の価値観や、記憶を書き換えるようなもの。それでさらった人間たちをいいように調教して……どうやってんだかは知らんが、魔石を体に埋め込み、適性のない人間に、強制的に魔法を使わせるようにする。肉体改造だな。従順な兵士の完成、と。大体そんなところだろう。詳しくはこれからわかってくるだろうが」

「なにをしようとしていたんだろう。それだけのことをして」

「独自の国家を築きあげたいだとか、そんな野望じゃないか。なに、蓋を開けてみれば大したことのない事件だよ。これからも、こういった事例はどんどん増えていくだろう。今回はベイル国の陰謀ってわけじゃなく、少数の犯行だった。だからこそ、脅威だな。強力な魔法一つや二つで、とんでもないことができちまったりする。機構も安心しちゃいられないんだよ」

「亜獣が消えるのが一番だね」

「そういうわけでもないぜ。亜獣が消えたら消えたで、また戦争が始まるかもしれない。魔石での便利な生活も失われる」

「そうなるかな」

「そうなるさ。だから結局どうすればいいのかわからなくなる。人間ってのは本当、わけがわかんねぇもんだよ」

 帰路。馬車の中。

 ケイゴ=アンクと名乗った機構の人間と、テトが話し込んでいるのを、アランはうつむきがちに聞いていた。揺れる馬車の振動と共に、アランは自らを顧みていた。

 思い出すのは、惨状。死体の山。

 臆してはいけないのだ、と。自らを律して放った魔法。

 正確に、二人を射止めた。

 かつて、人間奴隷であったのだと。そのように機構から言われた人間を、二人。

「あの二人は、本当に人間奴隷だったのか?」

「……ん? ああ。そうだ」

「なぜ、そう判断したのだ?」

「経緯は詳しくはわからない。が、信頼に足る人間からの、信頼に足る情報だぜ。あくまで機構の中でって話ではあるが」

「そう、か」

 自ら殺めた二人の表情。

 感情が死んでいたわけでは、決して無い。むしろ、普通の人間であったようにすら思う。それは、殺してから気がついたこと。安らかな、二人の死に顔を見てから気がついたこと。復讐を果たして、気がついたこと。

 人が、人を殺める。

 その連鎖の中に、自らもいるのだということもまた、気がついた。

 テトの言葉が、思い出される。

 満たされる、わけがないのだと。

「すまない、一度、降ろしてもらってもいいか?」

「休憩か? 仕方ねぇな。そろそろ頃合いだし、構わないだろう。俺は酒を飲むことにするよ、まったく」

 

 一人きりに、なりたかった。

 成し遂げたはずの復讐は、空虚をもたらしている……のだろうか。

 それは、わかっている。

 答えは出ている。

 まるで自分も、故郷を破壊した。

 あの――人間奴隷のようになっていたのだと、気がついたから。

 感情を殺して。

 復讐に満ちた感情で閉じ込める。

 それは、奴隷のようだったのだ、と。

 復讐に取り憑かれた、奴隷のようだった、と。

 答えは出ていたのだが。

 思いの丈を、どこにぶつければいい。

 そして、これから先――

「後悔、しているの?」

 振り返る。

「テト。なぜここがわかった」

「なんとなく。野生の勘ってやつかな」

「一人になりたい」

「駄目だよ。今アランは、一人になっちゃ駄目だ」

「なぜだ」

「寂しそうだから」

「それだけか」

「それだけ。それ以外の理由がいる?」

「わからない」

 それは、この心の動き。

「君の言った通り、私は取り憑かれていたのかもしれない」

「それを後悔しているの?」

「どうだろう、な」

 なぜ。

 なぜ目の前の青年は、微笑んでいられるのだろう。

 笑顔で、立っているのだろう。

 私のこれまでを見てきたというのに。

 この感情の正体を見抜いているだろうに。

 その上で、あの二人を殺めたところを見ていたというのに。

 なぜ、笑顔でこちらを見ているのだろう。

 見て、くれているのだろう。

「俺はアランがやったこと。アランのしたこと、全部受け止めるし、受け入れるし、それに悪いも良いもないって、思うよ。アランが出す答えが、全て」

 

「会って短いし、俺は俺の考えでそう思っていて。それはずっとまえから……もしかすると、初めてアランと出会った時から、そう思っていたのかもしれなくて……アランは強情だから、どう思っているかはわからないし、この俺の気持が、伝わるかはわからないけど」

 急に照れくさそうに、目の前の青年は頬を掻く。

「何が言いたい?」

「仲間だって。そう思ってる。色んなことは抜きにして、だから――」

 手を、差し出してくる青年を前に。

 積み重ねていた感情が崩れ落ちるのを感じた。

 この青年とのこれまでを思い出しながら。

 自らの頬が濡れていくと共に、

 青年の手を取り。

 穴の空いたこの心に満たされるものを感じて。

 微笑みを返そうとしたけれど。

 これだけが精一杯だった。

 青年の瞳を見て、

 ありがとう、と。


                                   了

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