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 微睡みは、深く沈む。

 意識は奥深く沈んでも。

 体はこの世界にありつづける。

 朝が来れば、また日々が訪れる。

 その前に、意識は。

 沈みきったそれは、何を見せてくれるのか。

 解き放つ鍵をさらうため。

 意識は糸を辿る。

 枝のように分かれているはずなのに。

 意識は同じ糸を辿る。

 一本に続いた、一本だけの、糸を。


「だからといって、君は生き続けるの?」

 意識の中。

 少女は言う。

「生き続けるよ」

 少年は答える。

「なぜ?」

「見当たらないから」

「その意味が?」

「そうだよ」

 夕陽が、少年と少女を照らしているのに。

 少年と少女の顔がどういう顔をしているのかは、見えない。

「この先には、何もない」

「それは、わからない」

「君は、言ったね。君にしかできないことがあるのだと」

「言ったよ」

「今、してよ。全部、終わったんだから。最後に」

「わかってないのだから、出来ない。そんなこと」

「あるじゃない。私を殺すこと」

「なぜ」

「君はずっと彷徨い続ける。それを探して」

「終わらせた。終わらせたじゃないか。だから」

「まだ終わってない。だから――」

 少年は、剣を掴んだ。

 握りしめる。

 心臓の音。

 汗ばむ手。

 少女を、睨みつける。

「殺して」


 そこで、糸は途切れ、意識が戻る。

 必ず、戻る。

 何度も辿ったはずのこの糸。

 見たはずの意識。

 夢。

 でも。

 見るたびに。

 少年が剣を掴んだ時のように。

 心は、ざわめく。

 ざわめいて、日々を送る。

 送らなくては、ならないのだ。


   ・



 シモン=ヘイトの生き甲斐は嘘であった。嘘を吐き、嘘で自分を塗り固めてみることこそが、自身の生で見つけた悦びであった。

 彼は今日も仕事をしながら、どんな嘘をつけるか、どんな嘘を身に纏うことが出来るのか、思考を練り上げていた。

 仕事自体は、忙しくはあるものの、難度は高くない。最初こそ苦労を要したが、慣れてしまえばお手の物だった。シモンの社会的な地位は、高い。なにせ勤め先は魔石管理機構だからだ。ここに所属する人間は、例えその業務自体がどれだけ平凡であろうと、所属しているだけで、権威的とすら言える。そんな組織に所属することが出来たのは、一重に彼の嘘のおかげだった。嘘に、あれほどまでに感謝したことはなかったと、シモンは自分を振り返ることができる。だからこそ、今も嘘を愛おしく思っているのが彼なのだが。

 筆記試験をぎりぎりで通過したシモンは、面接に身を委ねるしかなかった。今までは肉体労働にしか従事したことのなかった彼だったが、面接とは何であるかを考えたときに、必ず受かると自信を持っていた。

「シモン=ヘイトさん。経歴書は拝見させて頂きました。改めて我が機構に志望頂いた理由をご説明願いますか」

 面接ではなんと五人もの面接官がいた。それほどの人数がいるとは思わなかったシモンは動揺するも、しかしすぐに諫めることが出来た。一体俺はどれほどの嘘をついてきたのだ。人数の多寡でそれが揺らぐのか。

「私は、元々魔石の恩恵を受け、魔法士になりたかったのです。なぜなら……」

 シモンは忘れなかった。このとき一瞬だけ虚ろな目をすることを。相手にわかるかわからないか、その程度に虚ろな目をすることを。すぐ後に、覚悟をしたかのように、前を見やることを。全て、刹那の内に行ったことだった。

「私の両親が殺されたからです」

「ほう」

 面接官の一人、大柄の男が反応した。

「ただ、なかったんです。才能が。魔石に呼応する、才覚が。これしきも。目標は復讐でした。当然、私には言葉に出来ぬほどの憤怒。感情の渦が、今もなお、たぎっています。どれだけ肉体を絞らせて、努力しても魔石は呼応しませんでした。それでは一体何をすればいいのか? どうやって奴らに抗うのか。考えた末、私はこの機構に入り、尽力したいと考えたのです。彼らと直接相対さなくても、私に出来ることを、この機構でやりたいと。それが、今回の志望動機です」

 嘘だった。

 完璧な、大嘘。

 ただ、完璧な大嘘だったのだ。

 完璧な大嘘とはつまり、人にそれが真実だと思わせるほどの大嘘である。

 自分の身なり、身振り手振り、目が訴えかける迫真。どれも完璧だった。もはや、自分の言っていることは嘘ではなく、真実なのではないかと、自分自身で錯覚するほどの嘘だった。

「ふむ。その志と野望は、評価に値する。だが、弱い」

 一番権力を握っていそうな男が喋った。

「意識と意欲だけでは、採用に値しない。我々からすれば、そういった精神的な思想よりも、能力の高いものを雇いたいと考えている。あなたよりも、はっきりと言えば他に学問を従事してきた人間の方が、事務職としての適正がある。さらに言えば、筆記試験の出来も、合格者の中では、ぱっとしない。中の下だ。君と同等、あるいはそれ以上の意欲を持ち、事務職としての適正があれば、そちらを採用する。今言ったことについて、何か君から言いたいことはあるか?」

「もちろん、それは自覚しています。しかし、それは現時点でのお話ではないでしょうか?」

 ここで言い返せなければ不採用は確実だった。何千もの威圧的な質問を想定していたシモンにとって、この程度の応対など、取るに足らないものだった。

「事務職の採用は不定期なものですよね。私は、試驗の通達があってから勉強を開始しました」

「優秀なものは結果が全てだと理解している」

「言い訳をしたいというわけでわありません。しかし、優秀さとは本当にそれだけなのでしょうか。それに一言申し上げておきたいところは、事務の末端に必要な適正というのは、自身の役割をしっかりと理解し、その範囲の中で効率よく適切に業務を遂行することでは? 私はその部分に関しては、仕事に従事していくうちに、いくらでも伸ばすことが出来、そして順応できるものであると考えています。つまり筆記試験が水準内であれば十分かと。さらに、仮に現時点でそういった能力が劣っていようとも、意欲。将来にかけての延びしろこそ、求められるべき資質では? それこそが、私を採用する価値であります」

「例えば仮に、この試験で落ちた場合君はどうする? 君はどのようにして、その目標を達成する?」

「その程度の存在だったのだと思い、私は私なりに、また奴らに復讐ができる手段を探し出します。直接的にでさえ、間接的にでさえ」

 挑発的な発言ばかりだったが、それがシモンなりの賭けだった。ああして印象に残らなければ、否応なく不採用だと踏んでいたからだ。

 このようなやり取りを経て、結果的に、シモンは合格を手にした。彼は自らの嘘に感謝したのだった。

 現在。自らの生活に不満はない。

 シモンは多くを求めてはいない。嘘で誰かを不幸にすることも、幸福にすることも、求めてはいない。影響を与えたいとすら、思ってはいない。

 そこそこの暮らし。

 日常。

 そして嘘。

 これさえあればいい。

 万事がうまくいき、生活を充実させると心得ていた。


 今日も一日を終えて、シモンはすぐさま娯楽街へと足を向けた。

 行き着けの酒場に赴き、今日吐いた嘘。過去吐いた嘘。明日吐こうとする嘘。嘘、嘘、嘘。ありとあらゆる嘘について、考えるのが彼の一日の締めくくりであった。

 煙草の匂い。香ばしいベーコンの匂い。グラスを重ねる音。取るに足らない会話――喧騒。

 その中で。

 甘美な、ありとあらゆる虚実の入り交じった空想を、現実へと繋げていく。それこそが、自らを知の冒険へと誘う確かな方法であり、やはり生き甲斐でしかなかった。

 この酒場は、人間同士の交流場としても使われているようだったが、ほとんどシモンはその客席全体を見渡せるカウンター席で飲むのが常だった。ここは一人で飲みたい人間が着席するもの、といった、暗黙の了解があった。

 シモンは人々の表情と人間の観察をしながら空想を広げていく。

 交流などには興味がないが、人間それ自体には興味が尽きぬのだった。話さずとも理解できる、想像できる情報は山ほどある。

 そんなシモンが、目の端に、一人の青年を捉えた。

 その青年の相貌が、まず酒場に似つかわしくない、年端の行かないものだったから、ということはあるにせよ、それを抜きにしたとて、シモンから見て、注目に値するような人間だった。

 ただ、どこが、というのは理解出来なかった。どれだけ眺めてみても、その理解が及ぶ隙は見あたらなかった。

 交流。それも悪くない。

 自らの空想に、少し息詰まりを感じていた頃合いだった。シモンは立ち上がる。

「君は、ここにいてはならない年齢のように見えるけれど」

 すぐ隣の席へ座りながら、シモンは言った。

 青年は訝しむような表情もせず、シモンの会話に応じた。

「ああ。酒は飲まないですから。そう告げたら、入れてくれました」

「あまり見ない顔だな、って思って。居住区はどこだい?」

「ここの住人ではありません。魔法士の試験を受けに来たので、機構の用意してくれた住居に滞在しています」

「魔法士の試験? ああ。最近なのか」

 もちろんシモンは既に知っていた。機構直属の魔法士を採用する試験が明後日に行われるということを。

「ああ。どおりで見ないわけだ。腕に自信があるんだな?」

「どうでしょうね」

 言っている少年の目には、しかし自信がたゆんでいた。いや、正確に言うならば、自信のようなもの。普通の人間の持つ自信とは性質が違うように思えた。それを細かく検分していくことが難しかった。

 やはり、初めて会う人間。

 大概の人間はシモンにとって容易に理解可能な存在であるがゆえに、不可解であるがゆえの、好奇心が生じた。

「どうしてまた機構に? 何か成し遂げたい大儀でもあるのかい?」

「大儀。大儀って言うのとは違いますね。色々と知りたいことがあるので。それだけです」

 シモンは青年に、少しだけ自分と同じような性質を感じた。つまり嘘吐きの性質を。

 自分について問われれば問われる程、嘘を吐きたくなる。逆に、関心を抱かれなければ、ある一定の真実を言ってみたくなる。

 だからシモンは詰問をするようなことはあえて避けた。

「ま、深くは聞かないけど、確かにこの世の中ってのは謎に満ちあふれている」

「そうですね。それについては、同意します。所で、あなたは自分が一体何のために生きているのか、考えたことがありますか?」

 嘘をつくため。

 とは当然言うわけにもいかなかったので、シモンは嘘をついた。

「何気ない毎日が幸せって思えるように生きているか。そんな大層な目的は、ねぇかな。大儀、みたいなもんは」

「なるほど。それがあなたの答えですか」

「答えってわけでもないがな。人間ってのは、人の間でしか生きられないものだよ。そういうふうに出来ていると、俺は思うぜ。俺も斜に構えている部分はあるけれど、結局持ちつ持たれつなわけ。だから、全部が全部、とは言えないが、誰かの為に生きているという気も、最近してきた。幸せは、返すっていうわけでもないが。悪くねぇかなって。そういうのも」

 シモンは今の自分の幸福を思う。

 天性の嘘つきであったシモンは、他人に感謝をする自らの気持ちすら、嘘にまみれていたのだが。最近、そうでもなくなってきた自分に、嘘つきとしての綻びが出て来たことについて、考えていたのだ。

 それもよしとした結果、今のような発言に繋がったのかもしれない。

「誰かのために?」

 青年は、少しだけ語気を強めた。

「ああ」

「誰かのために……いや、わかりません。誰かのために生きるなんてことがあるのだろうか。俺は自分の為に、自分のやらなきゃいけないことをするまでです。そこに他人はいません」

「他人はいない……ね。でもお前さん。今こうして俺と話しているじゃねぇか。この他人はどう思う?」

「あなたのために話しているとは思っていないから」

「そうか。違いない」

 話していくにつれて、ますます理解ができなかった。表面では、なんてことのない会話だが、その真偽。つまり、彼が本当のことを言っているのか。本当に感情を込めて言っているのか。シモンにはわからないのだった。こんなことは初めて、ではないにせよ、彼にとっては珍しい経験だ。

「もし、誰かのために何かを本気で出来る人間がいるのなら、尊敬、とまではいかずとも、それに近い感情を持てるような気はしますが」

「君はそういう気になったことはない?」

「ありません」

 あるはずだろう。

 シモンは口を挟みたくなった。

 シモン自身、それはあったし、すべからくどのような人間にもあるはずだと思っていた。

 人はそれを優しさだとか、あるいは違う様々な言葉で形容するはずだ。

 青年も、その例に漏れないはず。

「俺は俺のために、生きています」

 しかし堂々と、青年はそう言うのだった。

「いくら悦楽の限りを尽くしたって、人は幸福にはなれないんじゃないだろうか」

「別に俺は悦楽の限りを尽くしたいだなんて思ってやいやしません。やるべきことをやるということです」

「そうか……」

 それ以上シモンは彼に問いかけることは出来なかった。彼が頑な表情になったからだったし、またどんな質問も受けつけないといったかのような雰囲気を出したからだった。

 それに、シモン自身もあまり関わりたくないと感じたからだった。

 彼から感じ取った、何らかの異質さ。

 それがシモンを退けたのだろう。

 彼がもし機構に来るのであれば、圧倒的な活躍をするか、あるいは厄介な問題を抱え込むか、どちらかではないかと考えた。

 相応しい、冠する言葉があるとすれば、規格外。

 どの方面で規格外なのかはまた理解不能だった。


   ・


 機構直属魔法士試験。

 魔法を扱えるもので、能力さえあれば、国籍や身分を問わず門戸を開いているその試験。

 毎年に一度の開催日には、予め適性試験を潜った人間が機構本部へと集結する。

 その試験の内容は、実施日まで明かされない。

 ヴェルム=ハントレットは一人壁に持たれて試験が始まるのを待っていた。

 彼のように精神を鎮める者。

 談笑する者。

 自らの魔力を確認する者。

 それぞれ様々にその時を待っていた。

 一人の男が壇上に上がったのを契機にざわめきは収まった。

「私は機構司令部で組織管理をしている、アドゥラ=デネラと言う。これから試験を開始する前に、一つの質問を君たちに投げかけたい。それぞれ、様々な目的を持って、ここにいるのだろう。金を欲するもの。名誉を欲するもの。力がを欲するもの。大志を抱くもの。様々だ。ただ、ただどのような者であれ、亜獣と相対するという事実は変わらない。もし仮に、この場に亜獸が現れた時、君たちはその身を投げ出せるか?」

 ざわめいていた場内は静寂に包まれた。どう返答すればいいのか、誰もが窮している。それよりも言葉を発していいのかどうか、判断に困るという空気だった。壇上に立つその男はそこに存在しているというただそれだけで緊張感を強いるような存在だったからに他ならない。

「できません」

 しかしヴェルムは叫んだ。

 それも、否定的な言葉を。

 そして再度静寂に包まれた。

 試験管はヴェルムの前まで、静かに歩み寄る。

「なぜだ」

「目標があるからです。やらなくてはいけないこと。それを成し遂げるまで、死ねないから」

 それは本心だった。仮にそう言って選考から除外されるのであれば、落ちても構わないと、そう思えるほどに。

 試験管は何も言わなかった。表情もさえ、変えなかった。しばしヴェルムの目を見つめ、そしてまた壇上に戻っていった。

「この試験が終わる時に、この質問をまたする。一つ、言っておく。この問いについて考えられない、答えられない人間は我が機構では不要だ」

 ヴェルムはもう一度その問いについて考えを巡らしてみるが、しかし出てくる答えは同じだった。自分のやりたいことが成し遂げられるまでは、死にたくなかった。

「試験に移る前に、試験概要について、改めて説明しておこう。合格人数だが、周知の通り定員はない。我々が欲しいと思った人間だけを採用する。辞退をすることは自由だ。中には死ぬ可能性のある試験もある。また、四つの試験から構成されるが、いずれも失格はない。最終的にすべての試験に参加した人間の中から、合格者を選出する」

 アデゥラは一度大きく咳払いをしてから、話を続けた。

「一次試験は実技試験だ。受験生同士で戦ってもらう。ここは元々訓練施設でな。そこにある四つの戦闘場で順番に戦っていってもらう。誰と戦うかは抽選だ」

 広々とした室内中央には確かに四つの、長方形の戦闘場があった。

「戦闘ではこちらが用意した訓練用の装備を使ってもらう。魔法の使用は禁止だ」

 ざわめく場内。誰もが魔法の使用を前提としていたのだろう。

「なぜ、と思うだろうが、この試験では、単純な肉体的な資質を見ている。魔法に依存しないものをな。魔法の能力だけで試験を渡ろうという人間もいるだろうが、総合的な強靱さは求められるというわけだ」

 ざわめきが収まらぬ中、試験は始まった。

 あらかじめ抽選をされていたようで、既に組み合わせが決まっていた。

 全員に、二回の機会が与えられるようで、そこで自らの能力を試されるようだ。

 ヴェルムは考える。

 恐らく、勝ち負けなどもあまり関係がないのだろう。どれくらい戦えるか、動けるか。実践的な能力をふまえて、見られる。

 考えるまでもない。ただ、全力を尽くせばいいと単純な結論を弾き出した。

 自らの名前を呼ばれてから戦闘場に上がると、既に対戦相手が待ちかまえていた。

 女性だった。

 場内であまり女性を目にしなかった為、意外に思う。

 自らの気が緩みかけた。

 が、すぐに引き締める。

 感じるのだ。

 相手から発せられる、その気力、気概を。

 常時以上に能力を発揮しなければ、倒されるような気さえ、する。

「一つ質問なのだけど」

 赤髪のその女性がヴェルムを睨みつけたまま口を開いた。

「相手を殺してもいいのかしら」

「一撃を与えた人間の勝利だ。その一撃で決着はつく」試験管が返答した。

「その一撃で殺めてしまう可能性もあるんじゃない?」

「殺めるというのか?」

「本気で挑めば、多分そうなるかと思うのね」

「これは試験だ。仮にそのようなことが起きた場合、失格とする」

 自らの番を待ち、観客として戦いを眺めている試験者がざわめいた。その言葉の中には、「本気で合格する気はあるのか」といったものもあった。試験管の心象を落とすような言動をあえてしているからである。常軌を逸していると感じたのはヴェルムもまた同じだった。

 女は「へぇ」とだけ言って、ヴェルムをまた見やった。

 果たしてどういう解釈をしたのか。失格になるのなら、殺したくない、ということなのか。あるいは失格になってもいいから……殺したい。なのか。そんな衝動的な人間がなぜこの場にいるのか。ヴェルムは疑問に思うが、払拭する。 殺される気もないし、簡単に屈服するほど、単純な能力で劣っているとも思わないからだ。

「試験を始めて良いか?」

 ヴェルムは頷く。

 相手が手にしたのは太さのある半身ほどの長さをした剣。一方、ヴェルムは小回りの利く相手よりは短めの剣を選んだ。いずれも訓練用のもので、鋭利なものでなく、柔らかい樹を素材に使ったもののようだった。

 始め、と試験管が示し、赤髪が踏み込んできたその一瞬で感じ取った。

 それは本物の殺意だった。紛いものでない、相手を殺すために発せられる意志。

 だからヴェルムは躊躇わなかった。

 殺さなければ殺される状態。考えるまでもなかった。

 ーー全力で。

 ヴェルムの全力もまた、相手を絶命させる気概と等しかった。元より長引かせるつもりはない。相手は戦闘に自信のあるであろう人間。こちらの素早さ、小回り、武器の性質差を活かして手早く勝負を終わらせようと計算を立てた。

 が、その計算脆くも崩れた。

 ヴェルムと同等、あるいはそれ以上の動きで、赤髪は長剣を振るってくる。その単純な力に関しては、もはや女性ではなく、屈強な大男を連想させた。

 ヴェルムはそれを何とか受けきることで精一杯だったが、しかし一撃を入れられる機会を逃さないよう、相手の動きを隅々まで確認するよう、目を配る。

 赤髪の女が攻撃をまくし立て。

 ヴェルムがそれを防御し、淡々と反撃の機を伺う。

 赤髪の女もヴェルムの視線でそれを理解しているようで、大きな隙は見せなかった。どころか、たまに挑発をするような動作の大きい攻撃で隙を見せてから、相手の攻撃を誘導し、反撃をしかけてくるといった、高度な攻撃を取り交わしてくるのだった。

 二人の中で、脈々と取り交わされる剣撃は、お互いの神経を削り合い、また高揚させた。

 拮抗している。

 ただそれは見せかけだけのもの。

 一瞬の気のゆるみ。

 それを見逃さない程に、赤髪は手練だった。

 突如挟み込まれた、行動の停止。

 意図されたものだろう。

 ――と感じた瞬間には遅かった。

 ヴェルムの長剣が弾かれていた。

 ヴェルムは自らの命を守るため、咄嗟に魔法の発動を試みようとしたが、止める。

 赤髪の女に戦闘の意志がないからだ。腕をだらりと下げて、殺意や、気概はそぎ落とされていた。

「どうした。戦わないのか」

「どう、だろうな。お前、何を考えている」

「負けるとは考えてなかった。意外だ、と」

「次の一撃で、私本当に殺そうとしてるけど、どう思う」

「やってみればいいよ。逃げるから」

「逃げる?」

「次、あんたが踏み込んだら俺は全力で逃げる」

「逃げる? その前に斬ることが出来るけれど。私の手中に、お前の命があるわけだけど」

「俺にはそれが出来る。やってみればいい」

「やってみようか?」

「試験は終わりだ!」

 問答を繰り広げる二人の間に、試験管が割って入った。

 同時に女は手にしていた長剣を手放した。

「本当に死にたくないんだね。愉快な人間」

 言い残して、赤髪の女は去っていった。

 ヴェルムは初めて見る性質の人間に困惑を禁じ得ないでいた。冷静であることを身上としていたのに、こうも揺さぶられるほどの経験をするとは想定していなかったのである。



 試験者の中で、二人の戦いの。そして二人の異質さについて考えを巡らせている人間が一人いた。

 彼の名は、ペム=スター。

 彼の意識の中枢にあるものは、好奇心だった。

 あれはどうなっているのだろうと、ただ無為に感じて、そしてそれを確認しにいく。いってみれば、彼の生き様とはその連続である。

 彼がこの場に足を踏み入れたのも、ほとんどその好奇心からだった。試験がどうなっているのか、試験にくる人間がどういう人間なのか、その他、何か新しい発見はないか、そして自らをわくわくさせるものはないかと、遠方からわざわざやってきたのだった。

 もっとも、彼の魔法では、自身が合格する可能性は薄い。合格して、あわよくば仕事を得て、この都市で暮らしてみたい、という気概はあったにせよ、それはあわよくばの願望だった。不合格になっても、この試験から何かを得られればいいと考えていた。

 それはもう、満たされた。

 彼の好奇心は、一次試験だけで満たされていた。

 二人の戦い。その中に見えた、異質さ。

 一体この異質さは何なのか。

 ペムは考える。

 二人から感じるのは、何らかの狂気だった。

 さらにその狂気は、二人とも違う性質の狂気だった。

 それらが重なって、言い表せない狂気を生み出しているのを、ペムは感じていた。

 狂ってる。

 ペムは喧噪ただよう場内で、一人呟いた。


   ・


 全てにおいて、自己責任の精神を持て。

 クライス=フィンナイトはそんな父の言葉を思い出していた。

 指導者として、故郷の駐屯兵を勤め、従えた父の言葉。

 父をずっと憧憬の対象として見てきたクライスにとって、父との記憶、そして繋いできた言葉はクライスの中で、大切なものとなっていた。

 もう一度、馬車内を見渡す。

 自分。

 そして、一次試験の前、妙な受け答えをしていた、ヴェルム=ハントレット。

 そのヴェルムと戦い、諍いを起こしていたメナスクス=バロン。

 異様に幼く見えるペム=スター。一次試験では、ほとんど戦わずに棄権をしていた。

 この車内。

 問題児しかいない、ように思う。

 自分が果たして人格者なのか、優秀なのか、という問題はさておき、今まで接してきた人間と比較していずれも異質な人間に違いない。

「でもさぁ、即興で小隊を作るなんて、しかもこのまま直行だよ? 信じられない」

「恐らく試されているのは柔軟性だ。どのような人間とも協力的にやる必要が機構にはあるのだろう」

 クライスは同伴していた試験管を見やる。

「私達、私語厳禁なのね。だから話しかけないで」

 試験管はそして黙りこくった。

「あしらわれちゃったね。話しかけてないのに」

「大体そのような具合だろう。ところで、皆。これから亜獣と相対するわけだ。話を、しないか。同じ小隊として、目標を同じくしている人間として。いや、その目標の部分なのだが」

 沈黙。一呼吸遅れて、ペムが頷いただけだった。

「君たちは、試験に、絶対に合格したいとか、そういう気概はあるか?」

 再度の沈黙。

 しかしこの沈黙こそ、クライスは彼らの答えだと感じた。

 自分が是が非でも合格したいとの志を持ってこの試験に挑んできたがゆえに、憤りを覚える。これならば、どれだけ能力などあっても同じ仲間として見れないとさえ思う。

 クライスはもう一度自分を鎮めた。

 看過することは出来ないが、やはり自己責任だ。居合わせてしまったことも。どうあれ、この連中と試験を通過しなければならない。先を見据える。この先こんな人間を従える機会が再び訪れる可能性もあるからだ。

 意志の統合は出来なくとも、表面上の相互理解だけはするべきだろう……が、どうもそれすら難しいように思える。むしろ、自分が主導権を握ろうとすればするほど、彼らは離れていくのではないか。

「ねぇ。二人はどうしてあんなに楽しそうだったの?」

 ペムが口を開いた。驚く。全くこの場の空気というものを読んでいないように見られた。クライスはペムのその目にひたむきな純真さを見つけた。子供のそれと、ほとんど同じような。

「楽しそうだった? どういうことだ」

 クライスは問い正す。これを会話の起点に出来ればと考えた。何より二人、ヴェルムとメナスクス。少しでも解きほぐしたい。

「戦っているのに、それを楽しんでいたから」

「俺はただ、自分より強い人間と戦えたことが貴重な経験だっただけさ。意外とすら思えた」

「なんでそんなに自信を持っているの?」

「全て勝てると思っているし、勝った先のことを考えているから。戦っている間にも」

「そういえば」

 ここでメナスクスが初めて口を開いた。

「死にたくないと言っていたのはなぜ?」

「やるべきことがあるからだ」

「それはなに?」

 メナスクスとペムが同時に訊いた。クライスは思う。そういう類のことを訊くのは、自分ならば繊細になってしまう。過去や信念のことなど、あまり会ってすぐの人間に話したくなどないからだ。

「記憶だ。俺は自分の記憶を探すために生きている」

「記憶?」

「俺には生まれてから、多分、推定だがだいたい十五歳くらいまでの記憶がない。だから自分が何歳なのかもよくわかっていない。言葉も喋れなかった。拾われた俺は、そんなことが通常起こらないと知る。言葉をなくすほどに記憶を喪失してしまうことなど、起こりえないのだと。何があったのか。俺は何者だったのか。知りたいと考えている。それがやるべきことだ」

 クライスは意外に思う。ここまで子細に自分の身上を話されるとは思っていなかったから。だが、次のヴェルムの言葉を聞いて、合点する。

「教えて欲しい。もし記憶を消すような魔法だったり、不可思議な能力があるのなら。心当たりがあるのなら。なんでもいいんだ」

 彼は真剣に自らの記憶を探している。逆に言うと、それ以外は優先順位が低いのだろう。

「記憶を消す魔法。聞いたことはないな。ただ、ありうるとすればやはりそれは魔法絡みなのかもしれない」とクライス。

「へぇ」とだけ言うメナスクス。

「僕も知らないけれど、もしそんなものがあるのなら、魔法だろうね」

「この件について、わかったことがあるのであれば、俺に言って欲しい。報酬が必要なら用意する」

「すると、この試験を受けにきたのも、自らの記憶の為に?」

「そうだ。それ以外にない。俺も可能性があるなら、魔法以外にないと考えている。ここなら数多ある魔法を研究対象としているだろうし、また未知の魔法と遭遇出来る可能性も高い」

「本当に、それだけなのか?」

 クライスは問いつめるように聞いた。そのようにしてしまったことを、一瞬後悔する。

 だが感じたのだ。決してそれだけが理由ではないのではないか、と。少しでも。

「それだけだ」

「そうか」

 それを聞いて、やはり一緒に働きたくはないと思った。様々な価値観の人間がいることは認めるが、自らが志願する理由とはあまりにかけ離れているからだ。が、表には出さない。

「メナスクスさんは? なんでこの試験に?」

「意味はないわ」

「え? 意味ないの?」

「なんとなく、よ」

 それ以上は訊くべきでないだろう。

「まぁ。色々あるだろう。それぞれの事情が。何はどうあれ、私は試験を通過したい。皆もそうだと思う。ひとまず……それぞれ何が出来るか知っておきたい。小隊として、協力は前提だと考えるからな」

「えぇ、もっと皆のことを知りたかったなぁ」

 賛成とも否定ともとれない空気が生まれる。まず自分から口を開く。

「私は氷の魔法を扱える。よくある属性魔法だ。威力は、一型なら時間をかければ丸ごと行動不能に出来る程度。二型なら部分的に行動不能に出来る程度。いずれにしても、近距離でないと十分に効力を発揮することはできない。距離が離れれば離れるほど、威力は落ちる」

「へぇ。氷かぁ。すごいね。僕は聴力、視力、そしてこれはあまり実用的でないけれど、第六感……つまり、精神的な感応力って僕は言っているけれど、が、上がる。その効力は僕にしか適用できないし、うまく説明も出来ない。言葉にはできないかな。異常に敏感体質になるって感じ」

「珍しい魔法だな」

「でしょ。ヴェルムさんは?」

「俺は空間魔法だ。移動したい場所へ移動できる。といっても、せいぜい五馬身程度。使用後十分程度は使えなくなる」

「空間魔法? こちらも随分珍しい」

 空間魔法を扱えるようになることのできる魔石はそのほとんどが、五型から確保されることを、クライスは知っていた。確保された魔石も、機構で管理され、加えて機構内で運用されるため、ヴェルムのような一介の試驗者がそのような魔石を使用して、魔法として扱えるようになっているケースは非常に珍しいのだった。五型の亜獣は、機構の直属魔法士が大規模な戦闘をして初めて倒せる程の力を持っているのだから。

「……最後に、メナスクス君。君は」

「どうでもいいわ。私の魔法も。お前達の魔法も。協力する気など、最初からないのだから」

「どうして? 皆で戦った方が効率がいいよ」

「その方が楽しいから。私一人で戦った方が楽しいから」

「なんで? なんで楽しくなるの? 戦いは勝った方がいいでしょ?」

 メナスクスは立ち上がり、そしてペムの質問をまるで聞かなかったかのようにクライスに向けて言った。

「私は一人でやる。協力というのを、したいやつが勝手にしたければいい.

私も勝手にやる。ただそれだけ」

 そして奥の車両へと行ってしまった。唾を吐き捨てはしなかったが、吐き捨ててもおかしくない態度。言葉を吐き捨てた。

 残された三人には、再度空虚な沈黙が訪れた。団結、とまではいかずとも、連帯の糸が見えたかにも思えたのだが、メナスクスによってそれは綺麗に断たれた。

 しかし、能力だけ見れば、悲観するものではない、はずだ。小隊としての均衡は取れている。

「彼女の魔法は、十中八九肉体強化型だろう」

 ヴェルムが沈黙を破った。

「なぜそう思う?」

「あの自信。一人で亜獣と相対する自信があるということ。加えて純粋な戦闘力。自身の肉体に依存しない、非肉体的な魔法……例えばクライスさん。あなたのような魔法であれば、あの自信と、剣技、体捌きは生まれないと思うから。常に自分の肉体で戦いを挑んできたという、そんな洗練された動きをしていた」

「的を得ているな。実際に手合いをした君が言うのなら、信憑性がある。もちろん、想定外を想定しておかなければならない。彼女が協力する気がない以上、我々が手を組まねばならないだろう」

「そうだね。メナスクスさんは協力をしたければ勝手にしろって言っていた。僕は三人で彼女を援護する形を取るのがいいんじゃないかって思う」

 二人とも鋭い意見を述べてくることを、クライスは意外に思った。

「俺も同意見だ。強力な攻撃手を要にしていった方がやりやすい。彼女が勝手に突っ込んでいくのなら、その援護に注力したほうがいい。もし彼女が想定外の能力を有していた場合、俺が前線に立ちます。二型程度なら、一人でも制圧出来るので」

「頼もしい限りだ」

 もはや指導者など要らないのではないか。自らが導こうと思い上がっていた自分が少し気恥ずかしくなる。

 それからまた車内は静まった。

 クライスは気を引き締めて、来る戦いに向けて精神を集中させることにした。

 どれ程たった頃合いだろう。

 試験官が立ち上がる。

「来たわよ」

 試験官が取り出した魔計器(亜獣内部に埋め込まれた魔石の多寡を計り取る、機構特製の装置)を取り出し、計測をしている。一型、二型、三型、四型、五型とは、その装置で確認がとれた魔力の多寡で亜獣を分類した大まかな呼称である。それが機構外、他国にも伝わり、様々な地域で用いられるようになった。最も、機構外の人間は魔計器のような器具を持っていないため、亜獣の単純な大きさで魔力の多寡、強さを予測し、一型~五型、と呼称する場合が多い。亜獣の大きさに、強さも魔力も比例する傾向があるからだ。

「予定通り二型よ。討伐をお願い」計測が終わり、試験官が告げた。

「そこで黙って見てなさい」同時にメナスクスが、再度奥から現れ、言った。

 クライスが呼び止めようとした――その瞬間だった。

 魔法を発現したのだろう。

 強大な魔力が、彼女の肉体を覆った。

 そして、構えた。

 跳び上がるための、姿勢。それはもはや人間の、というよりは、猛獣の類が見せる姿勢だった。気がつくと彼女は空中を待っていた。否、駆け抜けていた。空中を闊歩するが如く。肉体を躍動させていた。

「おい!」

 クライスがその後ろ姿に声をかけた時には既に声の届かない距離に、彼女はいたのだった。

「あれじゃ、僕たちの出る幕なさそうだね」横にいたペムが言う。

「とはいえ、ここで待機というわけにもいかないだろう。行くぞ」

 三人は当初の予定通り、メナスクスを援護するという前提で、馬車を降りた。

 丘の上に走る間、ペムが言った。

「あんまりデカくなさそうだね。この感じだと」

「なぜわかる?」

「聴力。言ったでしょ。増強出来るの」

「この距離でか」

「うん」

「その魔法。強力だがある意味怖いな」ヴェルムが言った。

「ああ。安心して。この聴力増強に関しては使わないようにしているから。非常時以外は。盗み聞きなんてしたら、ばちが当たるからね」

「違いない」

 駆けていき、三人は丘の上に立った。

 そこから見た景色。

 戦うはずだった亜獣――は既に朽ちていた。

 メナスクスが背負っていた長い大剣が、突き刺さされていた。その傍らにメナスクスが立ち尽くして、こちらを見ている。

「遅いわ。って言ってるよ。やっぱり僕たちの出る幕なかったね。これ、試験的にどうなんだろう」

「魔法を出すまでもなかったな」

「これ、僕達評価されよう、なくない?」

 クライスは考える。戦闘能力以外の部分も採点対象……のはずだ。自然に見せる言動や性格、機構に適正があるかどうか。それがどう評価されたかはわからないが、評価されようがない、ということはないはずだ。

「それにしても。禍々しさを感じるのは僕だけかな」

「いや、私もだ」

「この禍々しさ、面白いなぁ」

「面白いか?」

「あんな人、今まで見たことないから」

「君は面白いかどうかで人を見ているのか?」

「うん」

 即答するペムも、クライスからみればまたどこか危うさを感じるのだった。


   ・


 帰還した四人は、翌日の集合時刻を告げられ、それぞれ解散することとなった。

「ねぇ、皆でご飯食べない?」

 明日に備えて休息を取ろうと考えていたクライスは思わずペムを見やる。一体この四人でどうやって会食などしようというのか。そんな光景をまるで想像できなかった。が、ペムの目には、気後れするような感情などなく、ただ未来への希望が宿ったような、言い換えればただわくわくしているという感情が灯されているだけだった。

 本当らしい。彼が面白そうだとか、楽しそうだとかの感情で動いているのは。

「そうだな。そうしようか」

 交流。どこかで躊躇ってしまう自分がいるものの、異端である彼らに、クライスとて好奇心が芽生えているのもまた事実だった。軽く、であれば構わないと結論を出す。

「それって行くってこと?」

「ああそうだ」

「やったー。二人はどうするの」

「俺も、行こう。たまには誰かと食事をとるのも悪くない」

「メナスクスさんは?」

「行くわ」

 予想外だった。彼女が談笑しながら会食をする姿など、やはりまるで想像がつかなかったから。

「本当?」

「ええ」

 頷いたメナスクスの表情もまた薄気味悪いものでしかなかったが、ペムは大喜びである。クライスには不穏な未来しか見えてこなかった。一度快諾した手前である。取り消す訳にはいかない。

 一行が辿り着いたのは、娯楽街にある、開放的な間取りのフードコートだった。好きな料理を自由に取り、楽しむことができる。多くの客で賑わう中、四人も適当な席を見つけ、それぞれ料理を手にして着席した。

「わぁ。おいしそうだね」

 ペムは肉を頬いっぱいに入れ込んで咀嚼している。食べかたもまた、子供そのものだった。

「あんた、死にたくないって言ってたよね」

 料理を口にせず、メナスクスが言った。どうやら彼女の目に映っているのは、ヴェルムだけのようである。

「ああ」

「記憶が戻ったらどうするの。その後も、生きたいって思うの?」

「その時考えるだろう」

「へぇ」

「メナスクス君は、やはり肉体強化の魔法だったな」

「私、ぞくぞくするのね。あんたみたいな奴。ひねりつぶしたくなるの。なんでだろうね。わからないけど」

 クライスはやはり自分の振りかざした話題はおろか、全く自分が眼中に入っていないことに気が付く。しょうがないので、美味しそうに料理を頬張るペムを見ながら、自らも料理をつまむ。

「俺はそういう趣味はないが、ただでやられる気はないね。あの時は負けたけど、魔法を使えれば、勝てる自信はある」

「勝てる自信はある? 私に?」

 狂気。

 凶気、とも言うべきか。

 ただひたすらに歪な感情が周囲を覆ったかのように思えた。

 下手をすれば、この場で戦闘が始まってしまうかのような。

「ねぇ、なんでメナスクスさんはそんなに強いの? 戦うのが好きなの?」

 そこに質問を投げかけるペム。

 クライスは思った。誰かここに常人を呼んで欲しいと。

「知らないわ」

「知らないの? 知らないのに戦っているの?」

 冷淡な目で、ペムを見つめてから、メナスクスは立ち上がった。そしてそのまま店を立ち去っていった。

「僕、変なこと言った?」

「関わらない方が良さそうだな。俺は死にたくない」

「ところで」

 クライスはとにかく話題を変え、談笑へとその空気を誘うことにした。


   ・


 メナスクスは笑った。

 暗闇の中、一人。

 その理由はわからない。

 わからないが、笑うことが出来た。

 いつ以来だろう。

 戦いの最中以外で笑ったりしたのは。

 あのヴェルムとかいう男。

 最初戦った時に感じた。

 強い、と。

 その強さに裏打ちされているのは、生への執着。

 だからだろうか。

 だからだろうか。

 だからだろうか。

 いや、違うように思う。

 それだけではない、というべきか。

 強さだけではない。

 あの太刀筋。

 一閃。

 線。

 何かを感じた。

 何だろう。

 わからない。

 戦う相手のことなんて、大体わかるはずなのに。

 わからない。

 なぜあの男に、あれだけ注目してしまうのか。

 一人の人間に興味を抱いたのも、いつ以来なのだろう。

 メナスクスはまた、暗闇の中で一人笑った。


   ・

 

 魔法都市ルーン。

 魔石管理機構が魔石と魔法士の力を利用して造った都市。

 その様相は従来の煉瓦や田畑を基調とした、牧歌的な街並みとは一線を画していた。

 亜獣から採れた魔石と魔法の力で生まれた、魔法文明とも呼べる都市の様相が、そこにはあった。皮肉にも、亜獣の出現が、人間の生活、文明の水準を飛躍的に向上させたのである。

 人間の住む場所は、固形化された化学物質を吐き出すことの出来る魔法により、画一的に住居が建造され、確保された。少ない面積で、多くの人間が居住出来るよう設計された、五階階建ての全く同じ建物が所狭しと林立している。その名の通り居住区と名付けられ、管理されている。

 松明などの原始的な灯火ももはや特区には必要なく、魔力の力のみで一日中、その光量を調整しながら町並みを照らし続けていた。魔石から手に入れることの出来るエネルギーを、様々なエネルギーへ変換することの出来る技術も、機構は手中に収めていた。

 その住居群の一棟に、たった今足を踏み入れる少年の姿があった。

 彼の名は、テト=クィンテッド。

 意気揚々と、彼は足を踏み入れる。念願が叶い、ようやく魔法都市の住人になれたことをひたすら嬉しく感じている。早く自分に割り当てられた部屋で一息つきたかった。

「ねぇ! 誰かいないの?」

 呼びかけた後で、魔法都市の建物は魔法の力で管理されているのだと思い出す。小さな魔石が埋め込まれた、同じく魔法の力が込められているであろう、手渡された住人証をテトは取り出した。不安なまま、ロビーの机上に置かれていた発光する長方形の装置にそれをかざす。

 すると、取っ手も、凹凸もない扉のようなものが自動的に開いた。

 魔法都市に来たのだ、という感慨が、また胸の内にあふれる。

 続いて目の前に現れたのは、細長い、一直線の廊下。その奥に、再度白塗りの扉。また同じ装置があったので、テトは同じ要領で住人証をかざす。中には何もなかった。閉鎖された空間があるだけ。ふと右を見ると、壁面に数字の記された、丸みを帯びた、形の誂えられた石片のようなものがそれぞれ存在していた。

 テトは自らの部屋番号を思い出す。住人証に記された番号を再度確認してから、その石片を押してみると、石片全体が光を帯びた。同時に、扉が閉まる。

 焦るテト。しかしもはやここから出る術はないようだ。

 が、このまま待っていればいいのだろうと解釈する。

 振動。上下左右に動いているのを感じる。この箱が、自身の部屋まで届けてくれるのだろう。

 少しして扉が開いたのだが、今度はその先に人間が立っていた。

 長身。

 鍛え上げられた肉体。

 色黒の肌。

 威圧感。 

 目が合う。

「こんにちは」

「おう。見ない顔だな」

「今日、初めて来たから」

「ほぉ」

 まるで筋肉の塊だな。テトは思った。

 とはいえ、その肉体を悪用するような、あるいはしてきたような人間には見えなかった。テトは直感的にその人間が善人であると見抜いた。

「来るか? 飲みに」

「飲みに?」

「酒だよ。一人で飲むのもどうかと思ってたんだ」

「おっさん。名前は?」

「おっさんじゃねぇぞ俺は。ボルドゥだ」

「あ。ごめん。ボルドゥ、ね」

 疲れた、けど。今の自分は誰も顔見知りがいない。少しでも友好的な人間を作っておくのは悪くない。それに、今日くらい、浮かれて酒を飲んでも悪くはないはずだ。

「わかった。先にロビーで待っててよ。荷物おいてから行くから」

「随分と友好的なんだな、坊主」

「まぁね。それじゃ」


   ・


 魔法都市は主に居住区、行政区、娯楽区からなる。

 中央に位置する行政区は機構を中心とした、市政を司る区として。

 居住区はその名の通り住居群。

 娯楽区は大小様々な店舗が並ぶ。飲食店や商店街などがあり、魔石の力を活かした娯楽施設などもある。

 テトとボルドゥは娯楽区の中でも一際賑やかな通りを歩き、小規模な酒場を選びそこに入ることにした。

「坊主。お前は何をしにここに?」

 酒瓶を煽るボルドゥが開口一番尋ねてくる。

「簡単だよ。金が欲しい。それだけさ」

「単純だな。それはある意味羨ましい」

「なんだよおっさん。じゃない。ごめん。ボルドゥ。あんたに俺の何がわかるってんだ」

「あぁ。悪かった。確かにな。じゃあもう少しそれを知るために、何で金が欲しいか、聞いてもいいか?」

 テトは悩んだ。初対面の人間に話すべきかどうか。

 が、隠す必要は何もないと感じた。

「故郷を復興したい。それだけさ」

「亜獣の被害か」

「ああ。デカい奴でさ。なんてことのないへんぴな村だった。だからこそ、亜獣の対策なんてまるでしてなかった。そんなもの、来ないとすら思ってた。それが甘かったんだよな。結果的に大壊滅。もうほとんど跡形もない。九割以上の人間が死んだ。けれど、俺を含めた若い連中は、復興のためにそれぞれ旅に出た。いつかあの地で、再会を決めて」

「出稼ぎってところか」

「そういうこと」

「ま、今はどこも復興支援なんて期待できねぇからな。亜獣の防衛対策で精一杯だ」

「だから俺は金以外にも魔石が欲しいんだ。いつでも亜獣に対抗できるようにね」

「適正はあるのか?」

「あるよ。あるからここの住人になれたんだ。俺が魔法を使えるようになりたいというのもあるけれど、魔石を持って帰って、誰かが使えればいいって考えてる」

「なるほどな」

「ボルドゥはなんでここに?」

「俺は……そうだな。お前さんと違って、大層な目的はない。ただ、どうしても会いたい人がいてね。待ち合わせって感じだ」

「すごいな。待ち合わせでここの住人になるだなんて。審査、厳しかったじゃない」

「俺も適正があるからな。それで通ったよ」

「あれ、なんなんだろうな。適正があっても落とす場合があるらしいし。かといって、素性を全部聞かれたわけじゃない」

「恐らく魔法だろう。何か人間の真偽や善悪だったりを判別する魔法があるんじゃないか」

「へぇ。やっぱりすごいな。魔法は。そんなこともできちゃうんだ」

「予想だけどな。お前さんは魔石を得ることが必要ってことだな」

「そうなんだよ。一筋縄じゃいかないだろうけれど、色々頑張ってみる」

「俺が思う最善手は、お前さん自身が魔法を使えるようになってから、亜獣を狩るってところだな。で、魔石を手に入れて、故郷に持ち帰る、と」

「それは俺も考えていた。にしてもまず自分に適した魔石を得なきゃいけないから。だから働く。ねぇ、働き口紹介してよ」

「はは。そう来るか。いいぜ。つっても大層な仕事はないがな」

「やったね!」

「にしても、お前さんは偉く明るいな。いや、お前さんの何をしった訳でもあるまいが、そういう過去を背負っている人間は何らかの淀んだ空気を発しているもんだぜ」

「まぁ、最初は悲しみに暮れていたよ。でもそうしていたって、何かが元通りになるわけじゃないし、それに人に殺されたわけじゃないから。天災みたいなもんだよ。あれは。未だにどこから現れたのかもわかっちゃいないんだから。誰のせいにも出来ない。憎しみの矛先はもちろん亜獣だけど。憎んだって仕方ないでしょ?」

「違いない。けっ。なんだよ。そんなあんたを見てると、とても、とてつもなくやる気が出てくるぜ」

 魔石。

 それは亜獣から採れたただの副産物に他ならなかったが、人間が元々持っていた魔力と呼応して、様々な能力を引き出すことの出来ることが判明された。

 魔石と人間との相性はあるため、すべての魔石から能力を引き出せるわけではないが、魔石の恩恵にあやかれる才能を持った人間は適正者と呼ばれ、亜獣討伐に際して将来的に魔法士としての活躍が可能な人間として、この特区では扱われる。適正があるかどうかの判別は、魔石に触れて、魔石の中にある魔力と、人間の持つ魔力が呼応するかどうか、という点でのみ判別される。


 別れ際、ロビーでボルドゥが言った。

「ああ。最後に。テト。これは俺の思いやりって奴だが」

「何?」

「気をつけろよ。善人だけじゃない。ここは。いろんな連中がいる。審査を乗り越えた人間しかいないが、この魔石と魔法の時代。何が起こるかわからねぇ。食われるなよ」

「へっ。それぐらい理解してるよ。危ない奴には近づかないさ」


   ・


 テトがルーンに足を踏み入れて、ボルドゥと出会い、少しの歳月が流れた。

「おい、行っちまったぞ。畜生」

「本当にあんな女が好みなのか?」

「最高だろ。俺は見てわかるんだ。ただものじゃないね。簡単に理解できなさそうな女にこそ、価値があるんだよ。青二才のお前にはわからないだろうが」

「全然わかんないね」

 テトは同僚のグランハネム=ロマネと共に、皿洗いをしながら厨房から見える客の観察をしていた。グランハネムはどうやら、異質な女性が好みなようで、先程までフードコートにいた赤髪の女性に目をつけていたようだった。

 ボルドゥから紹介された飲食街での仕事。決してテトにとって退屈ではなく、むしろグランハネムのような同僚に恵まれて、心地よく仕事をしていた。

 が、仕事に埋没していくだけで、肝心の魔石を入手する術、あるいは大金を稼ぐ方策をテトは思いつけないでいた。

 故郷の為。そのことは片時も忘れてはいないが、自分の目算や考えが甘かったことを都市の生活の中で知る。というよりも、目算など実はなかったのではないか。特区に行けばなにかあるとの幻想は、ただの幻想でしかなかったのだと、気がついてしまっていた。

「そんなことよりグランハネム。例の件。どうなった?」

「例の件? ああ。魔石屋のことか。すまん。結局俺の情報網じゃ、掴めなかった」

「そっか。いいんだ。ありがとう」

 グランハネムの聞くところによると、機構からの承認を得ずに魔石を売買している連中がいるとのことだった。通称、裏魔石屋。機構の管理下において、公式に販売している魔石もあるにはあるが、販売されること自体がほとんどなく、また、運良くその存在を確かめられたとしても、テトには手が出なかった。富豪だったり、あるいは組織立って購入する連中だったりがすぐに購入してしまう。さらにそのほとんどの魔石が使い物にならないと機構において検討された代物だったため、そもそも大金を払って購入に値するものでないこともまた、多い。

 最初こそ足繁く行政区に通い、一喜一憂していたテトだったが、今ではほとんどそこに活路を見いだすことは出来ないでいた。

「テト。俺はお前の為に言う。おせっかいかもしれないが、もう少し肩の力を抜いたらどうだ? 最近、すげぇむっとしているぞ」

「それは……」

 故郷を思えば、それはやはりできなかった。早ければ、早い方がいい。まだ村に残っている人間はいるのだ。

「ありがとう。グランハネム。君の斜に構えているけれど優しいところ、嫌いじゃない」

「けっ。斜になんか構えてない。俺は俺にとってこれが真正面なんだぜ。覚えておくといい、テト。人の価値観はハナから先までいっぺん通り、まるまる違うんだぜ」

「そんなこと、俺だってわかってるさ」

「そんな価値観の違いを押し付けようと、人間は厄介な戦争を始めちまうんだ。だから……」

「だから?」

「俺は女と共に生きていくって決めたんだぜ! この世界、全ての女とな!」

「はいはい。とりあえず、グランハネムはそんなことを言うよりも前に、ちゃんとガールフレンドを作りなよ」

「俺はこの世界、すべての女性を愛しているけれど、俺の好みはやっぱりせめぇんだなぁ! という価値観は許されるかな。お前は許してくれよ、テト」

「皿、洗おうぜ」

「……そうだな。なんか虚しくなっったわ」


 店からの帰り道、テトはグランハネムの言葉を反芻していた。

 価値観。

 戦争。

 確かにこれまでの歴史の中で……亜獣が現れるその時まで、戦争は人間を苦しめていた。

 テトも、様々な人間同士、組織同士のいがみ合い、暴力を使った敵対行為もまた、見てきたし、自分も巻き込まれたこともある。

 それでもテトは思うのだった。

 価値観の違う者同士でも、わかりあえるのではないかと。どこかで通じ合える部分があるのではないかと。だからこそ人は人の間で生きて来れたのではないかと。あまり人には言わないし、言ったとて話半分に聞かれることの方が多いのだが、実の所、テトの中でただ一つ信じられるものであった。

 違う人間だって、人間ではある、のだと。

 皆、幸せになればいいな。

 そんな訪れることは到底難いであろう恒久平和を願いながら、テトは空を見上げた。

 綺麗な、星空。

 と同時に、人影をみた。

 人影?

 空に舞う。

 一体なぜ。

 人影は、そのまま着地し、裏通りに当たる細い路地へと消えていった。どのような人間か、なおも判然としない。

 追うべきか、追わざるべきか、考える余地もない、好奇心がテトを動かした。

 テトは駆ける。

 裏路地に入ったところで、もう一度人影が左折していくところを見た。

 そして。曲がり角一歩手前で足を止めるテト。

 不穏な空気を感じたのだった。

 入ってはいけない、との勘。

「あなたが魔石を売っているのか?」

「いかにも」

「魔石を売ってくれ。金ならある」

「一体どうして?」

「力が欲しいからだ」

「実に素直だな。お前さん。びっくり仰天だよ。嘘ついたことすらないんじゃないかってくらい純粋だな」

「煽り合いをしたいわけじゃない。単純な取引だ。売って欲しい。金ならある」

「駄目だ」

「なぜだ」

「誰にでも売ってるわけじゃねぇからさ。力を手にするってことの意味を、考えたことはあるか?」

「ある。何度も」

「その考えた結果を教えてくれ」

「目的を達成出来る」

「その目的とはなんだ」

「言いたくない」

「最低でも言ってもらわなきゃな」

「どうすれば売ってくれる?」

「だからそれを言ってくれたら、俺が判断する。お前が力に見合う人間なのかどうかをな」

 テトは困惑しながらも、自らに訪れた幸運を確認する。

 裏魔石屋で、間違いない。

 一体宙を舞っていた男が、どのように知り当てたのかはわからないが、恐らく、テトがフードコートの皿洗いと自宅の往復を繰り返す毎日では辿りつけない存在であることは間違いない。

 千載一遇。

 テトは決して見つからぬよう、身を潜め、耳を傾けた。

「復讐だ」

「復讐?」

「そうだ。それだけだ」

「復讐……ね。力を手に入れて、復讐。それで満足なのか?」

「それだけでいい。それしか望まない」

「その後はどうする」

「わからない。その時考える」

「へぇ。手に入れた力を利用して、何か悪事を働こうと考えたことはあるか?」

「目的は復讐だと言っている。その達成に必要なことをするだけだ。それを誰かから悪事と捉えられるのならばそうなるのだろう」

「悪事だなんて、言ってないぜ」

「売って、くれるのか」

「生憎だが今手元に魔石がなくてね」

「なぜだ? 魔石を取り扱っているんじゃないのか?」

「そう急くな。お前さん、裏魔石屋としての情報を手に入れてここに来たんだろうが、実は俺は裏魔石屋なんかじゃないし、魔石を売っているわけでもない」

「どういうことだ?」

「俺はラウザ=ギィンガ。ある組織の門番であり、案内人さ。魔石屋なんちゅうのは、ま、仮の姿ってこと。こうして来る輩には、色々と才覚があるからね。はぐれものとしての」

「そんなことは私にはどうでもいい。力を、貰えるか?」

「お前さん次第だ。言葉通り、な。見込みはあると、思ったぜ。適正もあるんだろう?」

「ある」

「だったらひとまずアジトに行こう。ここじゃなんだからな。どうする?」

「……わかった」

「素直だな」

「力が欲しいだけだ。あなたを信じたわけでは、決してないとは言っておこう」

「ちょっと待った!」

 間髪入れず、テトは叫んだ。

 賭け、だった。

 

 どうなるかはわからなかったものの、この千載一遇の機会を逃すわけにはいかなかった。


   ・


「クライスさん!」

 試驗、二日目。

 ペムはようやく終わったこの試験に人心地つけていたところ、その目の端にクライスを見つけた。

「ペムか。どうだった?」

「よかった、よ。特に面接は」

 二日目の試驗は、教養と知的な能力を測りとる筆記試験と、試験管に魔法の能力も含めた自らの能力をアピールする面接試験。最後に、試験官と一対一で戦う実技試験。これで全てだった。

「面接か。随分威圧的なものだったがな」

「そう?」

「君ならその威圧もなかったものとしそうだな」

「僕は結構魔法の能力を買われたからね」

「珍しい魔法だからな」

「クライスさんはどうだった?」

「私はさんざんだったよ。特に最終実技はな。筆記試験には自信があるが、恐らくほとんどの合否は、最終試験で出ているんじゃないだろうか」

「まぁでも、あの試験管って、この機構直属魔法士のなかでも強い人達でしょ? 負けちゃうのはしかたがないよ。僕だって、糸みたいなものを吐いてくる魔法を使う人に一瞬で完封されたからね」

「反省はしても、仕方がないものだな。しかし全力は出せたように思う。あとは天命を待つというだけだな」

「そうだね。はー、なんかおいしいものでも食べようかな」

「そういえば、あの二人はどうなったんだ?」

「ああ。ヴェルムさんと、メナスクスさん? 試験管を倒してたよ、二人共」

「本当か?」

「うん。メナスクスさんに至っては、途中で他の試験官に止められてた」

「やりかねんな……彼女なら。とはいえ、戦闘能力だけで言えば、抜群に秀でているからな。単独行動しかできないとはいえども、その力は本物だな」

「ヴェルムさんもね。どうやったかわからないけど、あっという間に試験管を倒していたよ。多分、魔法が強力なんだろうね」

「空間魔法、だからね」

「この調子だと、二人と……そしてペム、君も合格しそうだな。珍しい魔法だからな」

「いやぁ、正直、全然わからないよ。誰が合格して、誰が合格しないのか、なんて」

「そうかもしれないな」

「合格発表、もう明日には出るって知ってた?」

「意思決定の早い組織のようだ」

「色々あったようで、全くなかったけどさ、僕はヴェルムさんと、メナスクスさん、クライスさんに、僕で小隊を組めたこと、思い出になったよ。僕なりに、だけど」

「私もそうだな。いい経験になったよ」

「またどこかで出会って、一緒に合格したら、よろしくね」

「ああ。こちらこそ」


   ・



 その組織は『名もなき意志』である、と。

 そのアジトに足を踏み入れている前に、テトはそれだけを言われた。

「ここは、どこなんだ?」

 共に来た男、長身で、長髪の男が尋ねた。二階窓から飛び降りた男である。

「アジトだって言ったろ」

「いや、そういうわけじゃない。どこにあるのか、ということだ」

「それは秘密だ。内部から情報が漏れないようにな。ま、明かしても問題はないんだが。一応、ルールでな。当然だが、現実にある場所さ」

 テトは窓の外をみた。

 四方共に、平原と稜線。この建物は小高くそびえ立っているようで、その景観は魔法都市では絶対に見られないものに違いなかった。

「単純に俺の空間魔法で、ここに来ただけ。そう認識しておけ。俺の魔法は決まった場所と場所を繋ぐことのできるものってところだな。だからこそ門番なのさ」

「ねぇ、本当に、俺も来てよかったの?」テトが恐る恐る尋ねる。

「ん? ああ。構わんよ。俺がいいって言ったんだ。本来は機構の人間かどうか、俺達の信義に合うかどうか。そういうところを、俺……つまり裏魔石屋に至るまでに試験しているんだがな」

「そうだったのか」

「ま、最後に一番重要なのはお互いの感性ってとこだよ。お前等が、俺と合うかどうか。信頼すれば、信頼する。それだけだ。で、二人とも、俺達の意志に合うと思った。改めて俺はラウザ=ギィンガだ。この名もなき意志の門番であり、創設者だ。よろしく」

「アランクエイクだ」

「テト=クインテッド」

「そいじゃま、なんか質問あるか? 掛けろよ。適当に。酒、飲むか?」

 二人は小さな丸椅子に腰掛け、酒は飲まない旨を伝えた。

「一体何なの? この組織は」テトがまず尋ねた。

「うん。いい質問だ。二人にとっちゃ、こんな組織があること自体想定外だったろう。答えは簡単。ただの自由な傭兵が集まって出来たもんだ」

「傭兵?」

「おっと。それも知らないか。昔から亜獣を対策するために、金で雇われる魔法士が多くいたんだ。だいぶ機構に吸われていったがな。それでも今も多くいる。金だけじゃなく、お前等と同様理由は人それぞれある」

「へぇー」

「昔、俺も一人で亜獣と対していた。が、こんな魔法だ。正直誰かと協力しなきゃやっていけねぇ。だんだんと人と協力する楽しさを覚えた俺はこの組織を作った。ここには色んな連中がいる。目的を遂行するために、な。自由なやつらが自由にやれる組織を、俺は作りたかったんだ」

 ラウザはぐびりと酒の入っているであろうボトルを煽ってから続けた。

「質問は出てきた段階でまた訊いてくれ。ここにはルールがある。まずそれに従って欲しい。いいか。一つ。深く詮索をしない。なぜか。それぞれ、目的がある。組織の人間は協力的な奴が多いが、それぞれのやり方がある。二つ、もめ事は起こさない。まぁ喧嘩すんなよ面倒だからって話。三つ。基本的にはここで起きたこと。ここで得た情報。全て秘匿して欲しい。以上だ。他にも細かいのがあるが、まぁ大体これを守ってくれ」

「ラウザさん。話は大体飲み込めた。ただ、俺の目的は力が欲しいということだ。魔石はあるのか?」

「ああ、俺も俺も」

「すまないが今んとこ魔石はない。誰かが提供してくれるのを待つ他ないな。仮に提供してくれたとしても、取引を持ち込まれる可能性があるかもしれないが」

「取引?」

「皆慈善で生きているわけじゃねぇ。てめぇになんの利益も見込めないのに魔石を渡す奴なんていねぇさ。金か、同等の魔石か。能力か。対価ってのはいつだって必要だぜ」

「そうか。それは確かにそうだが……」

「けっ。二人とも落ち込むなや。そんなお前等に、俺が気を利かせてやろうっての。なんせ俺は創設者だぜ。俺が一言言えば、お前等に魔石を回すことも出来なくはない」

「本当か?」

「ただ条件はやっぱり対価なんだな」

「俺、そこそこ戦えるよ。魔法なんて使わなくても」

「あいにく、戦闘要員はいまんとこ足りててね。必要なのは情報だ。欲しいのは、ある件に関する情報、だ」

「何だそれは」

「人間奴隷についてだ」

「人間奴隷?」

「ああ。聞いたことないか?」

 二人とも首を縦に振る。

「正体不明。そんなもんがいるのかすら、俺たちはわからん。わからんが、どうやら存在するらしいんだ。人間を、まるまる操るような魔法と、その結果生まれた人間が。まぁ、もしそんなもんがあるのであれば、おぞましいよな」

「確かに、怖い」

「正味な話、俺らには関係ないんだがな。知ったこっちゃないと言ってもいい。だが、知っちゃこっちゃないと言えない状況なんだ。実は俺たちが機構に疑われている。あっちとしちゃ、疑わしきの一つってところだろうが」

「え? この組織って機構に認知されているの」

「ああ。そうみたいだ」

「秘密組織なんじゃないのか?」

「基本的にはな。だが俺達としてみれば、何か妙な犯罪行為をやっているわけじゃないし、前提としては秘密組織だが、認知されても別に構わないってスタンスだ。自由な活動を規制する法も、今んとこねぇしな。秘密じゃねぇじゃん、って言うなよ。干渉されるのが厄介なだけであってな。背徳心を持つ必要もねぇ。こんなざっくばらんに新入りを入れてるくらいだ。どっかから情報が漏れてもまぁ、おかしくはないだろ。それに機構の持っている情報網は幅広い。どんなところに諜報員が潜んでいるかもわからんからな」

「なるほど」

「問題は俺達が疑われて、変に罰則を受けたり介入をされることなわけ。自由にやるためにな」

「で、その疑惑を晴らしたいというところなのだな」

「その通り。さっさと原因を見つけちまえば、俺達は機構に疑われる必要もなくなるわけ。あそこは犯罪の温床なんじゃないかって疑いがな。ってわけで、その情報を何らか持ってこいって話だ」

「組織が疑われるのもそうですが、そんな魔法野放しにしておくのも、やっぱり怖いですね」

「ああ。もし完全に人を操れる魔法があるんだったら、気がつかない間に、皆支配されちまうかもな。既にこの組織の中にいるのかも。俺もそうかな、なんてな」

 冗談の一つとも思えたラウザの言葉だったが、確かにそんな魔法の存在一つで疑心暗鬼ともとれる状態を生み出してしまうとテトは感じた。機構であれば、なおさら警戒心を高めなければならないだろう。

「もしお前等がその情報を掴めれば、提供して欲しい。今、この組織皆で取り組んでいる問題の一つだ」

「それを提供すれば力……魔石を貰えるんだな?」

「あんま期待すんな。とは言っておく。もし本当に力が欲しいんなら、他人に頼るな、と俺は進言しておくね。あわよくばって気構えでいろ」

「……わかった」

「ここでは基本的に色々な人間が情報を交わしている。それぞれの意志、目的のためにな。そこの記帳が、主な連絡用の書類だ」

 見ると、古ぼけた、分厚い記帳が確かにそこにあった。

「確認したが、今は魔石の取引を持ちかけてる人間はいない。今後お前さんたちも、何かあったら利用するといい」

「わかった」

「もしまたこのアジトに来たい場合は、あの裏路地に、月の末日に来て欲しい」


 二人はもう一度ラウザの魔法で裏路地に戻された。

 魔石はまだ手にすることができていない、とはいえ、大きくその存在に近づくことが出来たのは間違いがなかった。テトは意気揚々と、帰路につく。

 帰り道が同じだった二人はその道を共にしていた。

「えっと、アランクエイクさんだっけ」

「アランでいい。君は」

「テト。テト=クインテッド。よろしく。テトでいいよ」

「ああ。よろしく。互いに目的は共通だ。これからうまくやっていこう」

 テトは違和感を覚える。おおよそ復讐という言葉が、彼に全く似合わないような気がしたからだった。知性があり、精悍な顔つきをした彼の顔つきは、本来であれば仮にどれだけの憎しみを持ったとて、むしろ何か別の糸口を求めると言ったような印象をさえ受ける。

 訊いてはいけないだろう。テトは開こうとした口を閉じた。組織のルールを早速破るところだった。

「アランは何か心当たりある? 人間奴隷って」

「全くないな。ただ知り合いを当たってみる他ないだろう。こういう捜査に関しては、やはり人間的な情報が一番の頼りになってくる」

「知り合いかぁー。俺もそうするしかないんだけど、そこまで人脈がないからなぁ」

「私もだ。ただそれはこれから作ればいい。厳しいとは思う。なぜならああいった組織でもその情報の芽をつかめていないのだから。けれど地道に捜査をしていくほかなさそうだ」

 テトは頷いた。

 一番有益、そして確実な情報を見込める存在といえば、やはり管理機構になってくるだろうと考えていたが、やはりその人脈が二人にはないのだった。

 

   ・


「人間奴隷だ」

「人間奴隷?」

 ペム=スターは聞き慣れない言葉に関心を持ち、訊き返す。

「なにそれ?」

「単純に言うとだ。人を支配できる魔法があるってこと。機構じゃ今それを洗いざらい調べている。上がうるせぇんだ。がやがやと」

「へぇー」

「情報課は少数精鋭だ。俺たちゃ結託してそんな居所の知れねぇものをかぎつけねぇといけねぇんだな。ペム。お前の能力をもう一度教えてくれか」

「視力、聴力、そして感応力を高めるっていうのかな。そんな魔法です」

「視力ってのは透視とか出来るのか?」

「それは出来ない。出来たら僕もイヤだよ」

「聴力は? どれくらい聞こえる」

「振動を深く察知するっていうのかな。こういう、壁に阻まれていたりすると、全く聞こえないんだけど。屋外であれば、わりと遠くまで聞こえるよ」

「おお! それだ。それは使える。それを使って、情報を入手しにいこう。なんでもいい。どこでもいい。特区やなんか、怪しげなところに耳を澄ませて欲しい」

「でも、僕はこれ、あんまり使わないようにしているんだよなぁ。なんてったって、あんまり聞こえたくないものも聞こえてくるような気がするし。そこは唯一僕のやっちゃいけないこととして守っている」

「仕事だぜ。ぬるいこと言うなよ。情報課に配属された以上。もてる力を持って目的に取り組むんだ。じゃねぇと司令部に何を言われるかわかったもんじゃねぇ。つうかお前の魔法。とんでもねぇな。まさしくエースになれるよ、うちじゃ」

 ペムは試験に合格していた。

 その後、直ちに情報課に配属されていた。

 組織の人数はたった十名。

 内部から情報が漏れないため、その生い立ちがはっきりしており、魔法に情報収集の適正がある人間が配属される、情報課。

 彼と会話をしているのはケイゴ=アンク。直属の上司として、ペムの指導役を任されていた。ただ、ほとんどペムと同じ年齢ということがわかった二人は、かなり自然体で打ち解けていたため、元々緊張する性質ではないにせよ、固くならず、友人に話しかけるかのように、自然に会話することが出来ていた。

「それはありがとう。僕もせっかく縁があるわけだし、頑張りたいと考えているよ」

「おう。一つ言っておくがペム。そういう、フランク過ぎる態度は俺だけにしておけよ。一応、ここは縦社会の要素が強いからな」

「うん。ケイゴは話しやすいから。ケイゴだけだよ。にしても、僕が不思議だと思うのは、どうして人間奴隷なんて存在が知れたのかってことかな。その情報の元を辿ればいいんじゃないの? そこはまだわかっていないの?」

「鋭いな。実は何でその存在を確信しているかっていうとな、実在していたからだよ」

「え?」

「その人間奴隷が、いたんだよ。実際に。何名か」

「本当?」

「俺は見てない。でも実際に機構で保護されていたらしい」

「その人を見てなんで人間奴隷なんだってわかったの」

「お前が言いたいことはわかるぜ。人間奴隷なんかじゃないって可能性は、確かにある。魔法で繰られていた実証はどこにもないからな。ただ、可能性が高い理由。三つある。一つは三人とも、機構のある人間を襲撃してきたということ。指令部の人間だな。幹部だよ。二つ、そいつらは一様に言葉を喋れなかった。考えられるあらゆる方法を駆使しても、虚ろな目をして、何の言葉も発しなかったんだな」

「だから操られてたと?」

「三つ。極めつけは、跡形もなくなっていたんだ。ある日突然。そいつらは忽然と姿を消して、代わりに魔石が残ってた。三つな。そいつを今んところうちの人間が解析しているが、成果は上がらん。司令部としちゃ、今回は被害はなかったものの、また同じようなことが起きしまう前に手を打ちたいってことなんだろう。何らか、機構に恨みのある人間の犯行という可能性もあるしな」

「へぇー」

「全部総合して、操られていたと。魔法で操られた人間。つまり人間奴隷だったということで推論がほとんど結論になった。もちろん可能性として、まだ色んなものを上は想定しているだろうがな」

「怖い話だね」

「怖い話なんだよ。だから、捜査をしなくちゃならない。そういう魔法を扱える人間が出て来たとしても、別段今じゃおかしくはないからな。それに、機構の人間を襲ってきたというのもな」

「なんか、恨まれるようなことをしたのかな」

「難しいところだな。ペム。お前はこの機構がどうやって栄えてきたか、知っているか?」

「えっと、亜獣を討伐する為にその力を結集したんじゃなかったっけ」

「ちょっと惜しい。元々はな、亜獣が現れた時に、各国の仲裁を図る中立的な交渉をする組織を一時的に立ち上げたんだ。それが機構の前組織、亜獣情報部だ。何せ亜獣が出てくる前まではお互い、いがみ合っている国ばっかりだったしな。しかも場所が悪かった。四つの大国と隣接している内陸国家で最初の化け物、亜獣は現れた。どの大国も、ただこちらに来ないで欲しいとだけ願っていたような状態で、下手に援助はしなかった」

「内陸国家って、今この機構がある?」

「そうだ。ここだよ。今はその国家、ガウ国は消滅した。理由はリディナ大国に取り込まれたからだ。ただ、取り込まれても、特別な自治権をもった存在として認められているのか、この魔法都市ならびに魔石管理機構ってわけだな。リディナ自身も、亜獣の対策はしたいし、各国との連携も図りたい。こっちとしても、リディナの援助を受け、そのうえ自治権も貰えるのであれば、断る理由はないって話だな。まぁ亜獣という存在で、各国はそれぞれ団結しなくちゃならなくなったんだ」

「じゃあ、恨みを持つ人間や、国家なんて、限られないかな。だって、機構は亜獣を身を持って討伐しているわけでしょ」

「どうだかな。まず、狙われる理由があるのであれば、他の大国だな。仮に亜獣の存在が消えたときに、魔石と、強力な魔法士を抱えた機構は強力な脅威に成りうるだろう。それに俺達も慈善事業じゃないんだぜ。他国には討伐依頼が出た時に、金を貰っている。中立的な存在を名乗りながら、そんな行いを気にくわないって連中も多いだろう」

「皆やればいいのに、機構と同じようなこと」

「いずれやるだろうし、各国も亜獣対策は全力でとっているだろう。しかし俺達は強力な魔石と魔法士がいるからな。それに、今はよその国から、お前もやった試験を通して高い戦闘力を持っていたり、優秀な魔法を扱える人材を機構内部に入れることによって、機構一局に力を集中させている。他国での優秀な人材を報酬と名誉で囲うってことさ」

「そんなことまで考えているんだねぇ」

「ああ。上の連中、相当やり手だよ。この都市も、適正者であったり、何らかの能力があれば、他国からの移住を寛大に引き受けているのもそういう背景があるからだ。こういう事情もふまえて、よほどのことがない限り、力の均衡は崩れないよ。機構の力は増強し続けるだろうよ」

「勉強になる。ケイゴは物知りだし、勉強熱心だね」

「あのなぁ。一応は俺も情報課で働いてきたんだ。これぐらい当たり前だよ」

「結局のところ、ケイゴと、情報課は犯行は他国の可能性が高いって考えてるの?」

「そうとも限らん。人間ってのは誰に恨まれるかわからないからな。そんなお国事情は抜きにして、狙われた人間。つまり機構の幹部が気にくわなかったって事情かもしれない。だから、襲われる理由なんて、可能性がありすぎて考えるのも無駄なわけだよ。わかったか」

「まぁ、なんとなくは。とにかく考えずに捜査しろよって、そういうことでしょ?」

「その通り。突き止める材料はあるはずだ。さっそく街へと繰り出すぞ」

「はーい」


 その日の夜、ペムは自宅に帰ってから、夜空を見ていた。

 情報課での仕事は、うまくこなしていくことが出来そうだった。

 ただ。

 人間奴隷。

 その言葉を聞いて。

 とても嫌な予感がしたのだ。

 魔法を使っていても、いなくても、彼の勘は冴えていた。

 最近は、その勘の精度がますます上がっていくのを感じる。

 具体的には当然、わからなくはある。

 どういうふうに嫌なことなのか。その嫌なことに、自分は巻き込まれるのか。

 ペムは夜空に向けて一人、感傷に浸るのだった。


   ・


「お前等には悪いが、早めに言っておく。この課は使い捨て要員だ」

 大型亜獣対策課。

 別名、特攻課。

 ヴェルムとメナスクスもまた試驗を突破し、特攻課に配属されていた。

 配属初日から、二人は同じ小隊として配属され、上官である、分隊長のアフレド=ガネクトに説明を施されていた。

「一体なんだって機構に来たのか。それは各自色んな考えがあるだろうが。命の惜しい奴は早めに辞めた方がいい」

「どういうことでしょう」

 ヴェルムが思わず尋ねる。

「この課は他の課とはちょっと違う。いつでも切り捨てていい連中の集まりだ。戦闘力だけが評価された奴らの集まりと言ってもいい。基本的に、素性のわからん連中……つまり自分の過去を証明出来るものがない奴に対して、そこまで明るい評価を機構はしない。面倒な奴を引き込んで、問題の因子になることを嫌う」

 故郷の戸籍表や、それに類するものの提供を、試験の申し込み時に要求されたことをヴェルムは思い出した。

「ただ、そうでなくとも試験で何とか使えそうな奴はここに来る。大型亜獣戦闘要員としてな。これが即ち、使い捨ててである理由だ」

「使い捨てと公言しているのか? 上層部は」

「そんなことはない。が、俺みたいに長年いれば……いや、いなくてもここの課が使い捨てだなんてことはわかる。無論、給与は他より高いし、昇給や昇級の機会も他とは圧倒的に多い。だが、その分危険度は高い。四型以上の亜獣が相手だからだ。さらにはな、通常機構内で出回っている、共有されている情報も、ほとんど回ってこないんだよ。これには頭来るよな。ま、その程度の認識ってことだ。もう一度訊く。いいんだな? この課でやっていくことに関して」

「問題ないと、何度も言っているわ」

「俺もだ」

 ヴェルムは当然死にたくないが、自身の魔法であれば、死は例え四型、五型を前にしても避けられると考えていた。仮に危機に直面すれば、敵前逃亡すればいいだけの話。まずは機構の中で情報を掴みながら、危険があった時に退けばいい。

「わかった。ひとまず引き受ける。お前等の話は聞いているよ。実は問題児だと聞かされている。特にメナスクス。君は命令が聞けるか?」

「私に戦って勝てたら従うわ」

「わかった。君は単独行動で構わない。が、こちらも助けない。干渉しない」

「それ、脅しのつもり?」

「亜獣を甘く見るな。君みたいな自信過剰な人間が散っていくのを何度も見た」

「そう。もう私行っていい?」

 二人の上司であるアフレドは頭をかいた。まさか、これほど聞き分けのない人間だとは予想していなかったのだろう。

「ヴェルム。君は命令を聞けるのか」

「ええ。俺は別に単独で戦うことに価値を見出していないですから」

 こいつは話が出来るらしい、とアフレドが安堵の表情を見せた瞬間だった。

 室内に、警戒音。

「何ですか、この音」

 甲高い、人間の危機意識に訴えるような音だった。

「魔法装置で音を増幅したものを、室内に流している。ここ専用の警報装置だ。こいつは通称『死のメロディ』。中々珍しい。全員出撃を要する亜獣を確認したという警報だ、覚えておけ」

「全員出撃するんですか」

「ああ。本来なら、ある程度の人員は残さないと色々面倒なことが起きてしまうのだがな。ちょっとやばい事態なのかもしれん。出撃命令。行けるか?」

 ヴェルムは頷き、アフレドと共に部屋を出た。

 特攻課に配属される馬は、毛並みが白い、北国で量産された適応能力の高い馬である。機構周辺に生息する馬よりも、より速く、そしてより安定した速度を保ち、目的地に向かっていた。

 目的地は機構の自治領域を少し超えた、リディナ大国内の山々。サウディナ嶺峰だった。幸い、付近に人間が居住してはおらず、甚大な被害というのはまだ出ていない、とのことだった。

「特攻課の中でも、俺達は大分先んじているが……理由はわかるか?」

 揺れる車内の中、アフレドがヴェルムに問うた。

「わかりませんね。むしろ俺たちは出遅れた部類じゃないですか?」

「特攻課や、その他の課でも、組織の人間を評価する人間がいるのは知っているか?」

「知らないです」

「公正、客観的に評価をするために、という名目で、機構には情報部ってところに、人事を司る組織があってな。その組織が、機構の人間を全員評価してやがるんだ。連中、特攻課の戦闘においては必ず同伴してくる。大層便利な空間系の魔法を持ってる奴がいるようでな。戦えよ、って思うのに、本当に、ただ評価をするだけのために来やがるんだ。具体的な評価内容は明らかにされていないし、下された評価に意義を唱えることもできない。要するにどれだけ戦闘に貢献したかで評価される。小隊単位、そして個人単位でな。だから皆、自分たちの所属している小隊以外はおざなりにする連中が多いんだ。結果的に全体の結束などもなく、統合もまた、取れなくなるって話なんだな」

「違う小隊と協力すれば、やりやすくなるし、お互い相乗効果が見込めるんじゃないですか?」

「そう思うだろう。ただ結局それは拙い連携だ。以前、俺が所属していた小隊ではそれで足を引っ張り合った。以来、俺も他の多数と同じように、小隊だけに目を配らせている」

「それを機構はどうにかしようとしないんですか?」

「だから結局寄せ集めでしかないんだ。入ったり出たりが繰り返されるものだから、機構も諦めているんだろう。それよりも、目先の報酬をぶらさげたほうが、寄せ集め連中にとってはいいんじゃないかって判断をしているのさ。で、だから。だからこんなふうになるのさ」

「というと?」

「鈍いな。つまり皆、評価狙いの報酬狙いさ。世のため人のためだなんて大志や大義を抱いている連中は少ない。最初に特攻するよりも、最初に特攻させて、その様子を伺い、亜獣の特性を伺ってから連中は出てくるんだ」

「なるほど。せこいとは思いますが、理に適っていますね」

「連中、俺達にまず特攻させようとしている。大分舐められていると思う。問題児二人に、急造の分隊長。特攻させればいいかな、ってな具合でな」

「いいんですか。アフレドさんは、それで」

「よかねぇよ。全くな。あいつらと足並みを揃えるって手もある。けど、特攻すれば、それはそれで評価も稼げる……それに」

「それに?」

「一応俺は期待しているんだぜ、お前たちに。全く俺の手につけようがないように思える人間が一人いるけど、それも含めて、だ。俺も初めて小隊を持つからな。最初くらい盛大にやりたいんだよ。こう見えて、目立ちたがり屋でな」

「うまいですね、人を乗らせるの。僕は僕で、役割は全うしますよ」

「まぁ、ヴェルム。お前に関しては問題ないと思っている。問題はあいつだ」

 アフレドは車外の、乗馬しているメナスクスを指さす。

「多分、放っておいても結果を出すと思いますよ。そこらへんの小隊も目じゃないくらいに。強いです。あいつは」

「そいつは期待しておくがね。気になるのは突っ込んで散ってしまいやしないかってことだ。どれだけあいつが強かろうと、亜獣は何してくるかわかったもんじゃない。どれだけ戦いを積んでも、どれだけ強い魔法を使えたとしても、慢心なんて出来るわけがないんだ。止められるかどうか、が俺の気になるところだな」

「止められないと思いますよ。あいつの魔法はそんな生易しいものじゃない。一応、僕もそうならないように気を遣いますが。期待しないでください」

「ああ。お前も気張りすぎるなよ。って忠告は不要か。嶺峰までは、もう半日くらいかかるかな。ゆっくり休んでおけよ」

「わかりました」

 そう返事をした刹那。

 大きな、衝撃音。

 轟音とも、呼べる。

 アフレドが慌ててメナスクスに馬を止める指示を出す。

 馬車が止まってから、二人は急いで馬車を飛び降りた。

 そして、見上げる。

 なぜ今まで気が付かなかったのか。

 なぜ、談笑など続けていられたのか。

 それはまるで突然ここに出現したかのように、あるいは既にそこにいたかのように、空中で羽ばたいていた。形状は蝶、に近いのだろうか。透明な、そしてあまりにも巨大な、薄い羽には、硝子のような硬質さと、絹のような柔らかさ、そしてしなやかさが同居していた。胴体は全体が薄紫色で、先端に触覚のようなものを二本つけている。

 それは見るものの感性を刺激した。

 亜獣であることを忘れ、思わず美しいとすら、感じさせるものだった。

 しかしその美しさを拭う要素があるとすれば、その大きさだった。

 もしこの規模の大きさの亜獣が侵攻すれば、甚大な被害は免れないだろう。まして、空中を飛んでいるのだ。見失えばまた、捜索作業が続くこととなる。

 先ほどの轟音の一体なんだったのか。ヴェルムは辺りを見回すが、轟音の正体を探る、それらしいものは見当たらない。

「さすが異界から来た化け物だな。羽を持っていやがるなんて。俺も初めてだよ。

「どうしますか?」

「ちっ。聞いていない情報だよこれは。空中戦なんて、俺達じゃどうにもならん。援軍が来るのを待とう。一旦引き返す」

 ヴェルムは頷く、が。

 メナスクス=バロン。

 引き返せと言って引き返すような人間、ではなかった。

 彼女から戦意は失われてなどいない。

 笑みを浮かべて、空中で旋回しているその存在を見つめている。

 その瞳に映っているものは。

 景色は。

 どういうものなのか。

 ヴェルムは彼女を見入っている自分に気が付き、我に返る。

「メナスクス。あれは五型で間違いない。流石に一人じゃ死ぬぞ」

 忠告は、彼女の闘志を炊きつけたのかもしれない。

 彼女はそのまま笑みで返したのだった。

 いや、笑み、なのか。

 彼女なりの表情の一つ。

 深い闇が、垣間見えたような。

 その瞳を見た瞬間、アフレドは魔法を発動させていた。彼なりの計らいだった。どうあっても止めることが出来ないのだろうという判断。

 アフレドの魔法は他者、あるいは自己の肉体を強化するものだった。メナスクスのような特化した自己強化能力ではないが、汎用性の利く優れた魔法だった。

 アフレドの魔法が彼女の身体を覆った、一瞬後に、彼女は騎乗していた馬を飛び降り、猪突に駆け抜けていた。

 平地を抜け、駆け上るのは山々。

「無理だ。あいつを止めるのは。ヴェルム、放っておこう。もう散るかどうかなんて、気にしていられない。初めての小隊長だからな。妙な責任感を持ってたが、そんなもん持ってたら、身体がいくらあっても足りないぜ、全く……ヴェルム?」

 アフレドについて行くべきか、行かざるべきか。

 悩んでいる自分に、驚く。

 自らの魔法であれば、最悪の事態は避けられるだろうし、その訓練は再三積んできた。その対象が五型であれども、自身の戦闘における精度、鮮度は保つことの出来る自信はある。亜獣が空中にいても。うまくいけば攻撃と、そしてメナスクスを援護出来る算段もまた、ある。

 ――だとしても。

 なぜ、行くのか。

 なぜ、悩んでいるのか。

 答えが、出ない。

 彼女が一人みすみす散るのを見てしまえば、気分が悪くなる……から、か。いや違う。他人など、尊いものだとは考えていない。そのはずだ。自分の命が一番尊い。そのはずだ。目的を達成するまで、誰かに巻き込まれるなど、あってはならない。そのはずだ。それにメナスクス=バロン。所詮、試驗で同じになり、偶々同じ特攻課に配属された程度の付き合い。会って間もない。助けるまでもない。一人でもどうにかなるのではないか。

 そのはずだ。

 なのに。

 理由は明らかに出来ない、まま。

 ヴェルムの体は既に動いていた。

 馬に乗り付けたヴェルムはアフレドに告げる。

「出来る所までやってみます」

「正気か?」

「自分を試してみたいんです」

 それは嘘なのか、真実なのか。言ったのが自分でありながら、本心なのか、判別できないでいた。確かなことは、戦う意志が出てきたこと――そこに、理由をつけることができなくとも。危機が訪れれば、すぐに戦線を離脱すればいい。

 頭を掻くアフレドは、魔法をまた、ヴェルムにかけた。

「肉体強化の魔法だ。行って来い。責任なんて取れないけどな。てめぇの命だ。勝手にしやがれ。俺は命が惜しいし、まだやりたいことがあるからな。墓標くらいなら用意しておけるぜ」

「気持ちだけで十分です」

 半ば呆れ顔のアフレドを尻目に、ヴェルムは駆けた。体が軽くなるのを感じる。思った以上にアフレドの魔法に効力はありそうだった。

 どれほどの戦闘力を持ってしても、一人で適う相手とはやはり考え辛い。その亜獣は空中を羽ばたき旋回しているようで、この場から離れる様子はなさそうだった。

 気になるのは、亜獣の攻撃手段。

 あの轟音が、もし亜獣の攻撃手段と関係性があるのであれば、相応の威力は秘めているだろう。一撃必殺と、そう呼べるほどに。

 メナスクスは山頂を目指しているに違いない。恐らくあの山頂からなら、彼女の肉体強化魔法であれば、亜獣の高度次第で飛びかかることが出来るかもしれない。

 推測は正しかったのだが、意外な光景がそこにあった。

 猪突に駆けていったのだと考えていたメナスクスが、山の麓の小さな石の上に掛けているのを発見したからである。

「なにをしている」

「こっちの台詞だ。なぜこちらに来る」

「なぜ来るのだとわかった」

「私一人で十分だ」

「十分ではないだろう」

 会話が、咬み合わない。

 これ以上話すのは無駄だと、判断したのか。

 メナスクスはヴェルムを意味ありげに一瞥して、山を登っていった。

 投げかける言葉を探しながら、その背中をヴェルムは追う。

 ――最中で、亜獣に動きがあった。いや、動きというよりも、変化。二本、対になっていた触覚が伸びたのだ。何を意味するのか。どうなるのか。わからずとも、こちらに向かっているということは理解できた。こちらの位置と、そして戦意を把握しているかのように、その動きは正確だった。

 その触覚は、まずメナスクスへと近づいた。

 容易に触れてしまえば、何か、敵の攻撃を受けてしまうに違いない。

 が、メナスクスは掴んだ。

 掴み、まるで一本の、垂らされた綱を登るように、一目散に登りつめていった。

 ヴェルムは遠目に見つめながら、驚嘆する。

 彼女のその、戦い方に。

 もはや戦い、なのか。

 それは果たして敵と戦っていると、呼べるのか。

 もう一本の触覚はヴェルムの元までは来ず、また元の長さへと収束していくのを見て、安堵は……しかし出来なかった。

 空中で、メナスクスが舞っているのを見たからだった。どうやら伝い、上り詰めたあとで、振るい落とされてしまったらしい。

 この高さから落ちて無事で済むわけがない。

 彼女を救う方法を考えるのも束の間、ヴェルムは驚嘆することになる。

 空中に放り出された彼女は、落下する途中、再度その触覚を掴み、また胴体へと駆け上っていたからである。

 執念と闘志が導いた荒業、なのだろうか。

 落下を防いだメナスクス、だったのだが。

 彼女が胴体へと着陸した直後、亜獣の体が発光した。

 ヴェルムは察知する。その光が、先ほどの轟音と関係性があるということを。刹那の内に、ヴェルムは近くにあった木樹の影に隠れた。果たしてこの木樹で、来るであろう攻撃を遮断することが出来るか、はわからずとも。そうするよりほかなかった。

 一瞬後に聞こえて来たのは、やはり例の轟音だった。

 ヴェルムは木陰から、何が起きたのかを見る。見てしまう。

 亜獣が、爆発したのだ。

 爆発し、炎を身に纏った後でも、悠々と飛び回り続けているのだから、これは自爆ではない、のだろう。亜獣はその自らの肉体を滅ぼさない爆破能力で、メナスクスを屠ったかのように見えた。

 確実に死んだはずだった。

 メナスクス=バロンはその爆発に巻き込まれて死んだのだと、確信していた。

 ――が。

 空中から亜獣へと落ちてくるメナスクスの姿を、ヴェルムは捉えた。

 あの高度。爆破前に、大きく跳躍していたようだ。距離を取り、さらに大剣で、その炎と爆撃を防いでいた、ということだろう。

 落下してきた、彼女は。

 大剣を持ち替え。

 大きく振りかぶり。

 その勢いのまま、振り下ろし。

 亜獣を一刀両断した。

 亜獣の弱点は、その胴体にあったようだ。脆さを醸し出していたであろうその胴体は、真っ二つになり、地上へと落下していく。メナスクスもまた、同様に落下していった。

 落下地点を正確に把握することが困難だったため、右往左往してから、ようやくメナスクスのその体を発見した。

 ここでも、彼女は死を免れていた。

 どうやら柔らかい草場に落下したようで、一命を取り留めていたのである。

「おい、大丈夫なのか」

 馬から降りて駆け寄るヴェルム。

 そして彼女の表情を見たヴェルムは思わずその身を固めてしまう。

 気絶し目を閉じていた、わけではない。

 疲弊していたわけでもない。

 充足した表情をしていたわけでもない。

 その目は、これだけの戦闘……とも呼べない捨て身の荒業をやってのけた後でも、なお、闘志をむき出しにしていたからである。

「おい」

「いたのか、お前」

「いた。一体どうやってあの爆破を防いだというのか?」

「あの男の魔法が相性がよかったらしい」

「アフレドさんの魔法か。にしても、あまりにも無謀すぎる戦いだ。感想をいうのであれば」

「どうでもいい」

 吐き捨てるように、彼女は言った。

「俺には、あんたが戦っているのではなく、死ににいっているようにさえ、思えた。五型に一人で突っ込むことも、そして戦闘の仕方そのものも。自らを滅ぼすために。違うか? 戦おうとしているんじゃないよ。あんたは。死のうとしている」

 メナスクスは笑った。

 ひきつった、笑み。

「死のうとしている、ね。なぜそう思ったの?」

「いくらあんたが強いからって、少しでも違えば、死んでいた。あれは死を賭して戦っていた、というよりも、死のうとしていたようにしか見えなかった。俺は自分がどれだけの動きが出来るのか、自分の限界値と、相手の力量を計りながら絶えず戦っている。だからだろう。無謀な、あんたの死への願望が見えたのは」

「それで、仮にそうだったとしてなんだというの」

「気になるんだ。なぜあんたは死にたがるのか。あんたが死のうとしているのだと感じて俺は衝撃を受けた。死ぬために戦っている人間がいるのだと」

「さぁ、ね。どうにもならないことを聞いて、どうするの」

「どうにもならないかはわからない。何か変わるかもしれない。わかるかもしれない。死に隣接していると、そんな近い未来への希望も沸かないのか?」

「希望って言ったね。今」

「ああ」

 視線を外す、メナスクス。

 空を見て、全く違うことを、考えているように見える。

「教えてくれないのか」

「くたばればわかるかもね」

 メナスクスは言って、言い切って――そして目を閉じた。


   ・


「ある意味、わかりきっていたことではあったね。聞きこみで手に入るような情報なんかじゃないってことは」

 人間奴隷の情報を探し、『名も無き意志』で魔石や力を手に入れる。その目的を同じくしたテト、そしてアランだったのだが、聞き込みに次ぐ次の策を考えていた。

「そうだな。ラウザさんも、猫の手を借りたいくらいの気持ちだったのかもしれない。私達にこんなことをふっかけてみて、とりあえず何か情報が得られれば、という程度の。『名も無き意志』という組織が一体どの程度の規模の人員を抱えているかはわからないが、歴史を感じさせる仕組みを持っていた。そこそこに規模はあるのだろう。そんな組織と、機構でさえ情報を掴めていないのならば、聞き込みなどという方法ではうまくいかないのは自明だった」

「でもなんかいい方法ってのがねぇ。ごめん。俺には思い付かないや」

「ここは目を魔法都市の外側に向けて見たほうがいいのかもしれない。この都市の中ではさんざん、『名も無き意志』も、そして機構も手を回しているだろう。どれだけ俺達がその手を尽くしたとしても、その線を再びなぞるだけになってしまう」

「他国、ということ?」

「国、ではないな。これは俺の個人的な事情なのだが。そうだな……」

 アランは一度息を呑み、そしてテトを見つめた。

「君は、私を信頼しているか?」

「え? 何、突然に」

「いや、すまない。思ったように言ってくれていい」

「あまり、考えたことがないかな」

「人と話す時に、何を考えている?」

「別に何も考えていないよ。というと、嘘になるかもしれないけど。強いて言うなら、その人が一体何を感じているのか、大切にしているのか、とか。そんなところかなぁ」

 アランが、堅い表情ながらも、微笑をテトに見せた。テトが初めて見るアランの表情だった。

「何か、おかしいこと言ったかな、俺」

「いいや。いいんだ。すまない。ただ君は、無垢なのだな、と。侮辱しているのではない。人に対して純粋なのだな、と。そう思ったのだよ。君の何を知っているというわけでもないがね」

「そうなのかな? そう言われるならそういうことになるのかなぁ」

「私は人に対して、いや、すべての人に対して、というべきか。そういうふうに対することはできなくなってしまったからね。失礼。君は既に、私よりもある意味では上の次元にいるのかもしれない」

「難しい話が好きだね、アランは」

「そんな君を、私は信頼したいと思う。これから話すことは他言しないで欲しい」

 空気が、変わった。

 二人がいたのは、娯楽区にある、賑やかな喫茶店だった。

 にも関わらず、その空気が張り詰めた。

「人間奴隷、と聞いて。思ったことは、私の故郷のことについてだ」

「故郷?」

「ああ。復讐、と。私がラウザさんに向けて言っていたのは覚えているかな」

 テトは黙って頷く。

「私の故郷はブリエナ大国と、シーウッド大国の国境沿いに位置していた」

 機構を囲んだ四つの大国。

 北西のリディア、北東のエリベ、南西のブリエナ、南東のシーウッド。おおまかにではあるが、大国はそのように分けることが出来た。ブリエナは南西へ進むにつれて、国土の多くを密林が占めるようになり、熱帯とも呼べる地域が多い国家であり、シーウッドは海に隣接し、水彩国家と呼ばれるほどに湖も多く国土に含まれている国である。

「あの国境周辺には多種多様な民族が形成する村や町は集落や集団があった。昔は、ブリエナとシーウッドに管理されていたのだけど、亜獣が出現してからというものの、どちらの国家も手を回さないようになってね、国の干渉を受けないような集団がさらに増えてきたんだ。特に私達の住んでいる場所はその傾向が強くなってしまってね。群雄割拠と言ってよい位に勃興した集団によって、抗争が行われるようになって治安は安定しなくなっていった」

 アランは顔をしかめた。表情が曇ったのは、やはり復讐に関係した話をするのだろう。テトも緊張した面持ちになる。

「私達の故郷は、そんな混迷した環境で襲撃を受けた。何者かもわからない者たちにね。結果的に村は崩壊してね。だから、復讐、というわけだ」

 アランの表情は冷ややかだったものの、テトはその心の奥深くに、たぎるような憎しみを感じた。

「それはその……」

 同じように故郷が滅びた経験を持つテトは、どのように言葉をかけるべきなのか悩んだ。テト自身も、それは簡単に拭えるような経験ではなかったし、他人にどれだけ同情されてもそれは同じだった。知ったようなことを言われることはアランとしても嫌なことだろうと思ったテトは、口を閉ざした。

「その数多に存在していた自治体のどれか、だったのかもしれないし、あるいは第三者、だったのかもしれない。その人間たちの由来を私たちはまったく追うことができていない。けれど、私は覚えている。同胞を殺した人間のその姿を。人間のその目を。それはつまり……奴隷のようだったんだ。まるで意志を持たぬような、傀儡。人間奴隷と聞いて、まさか、とは思った。ただ、連中がもし、ここで噂を立てられている同じような人間奴隷だったのであれば、正解に近づくことが出来るかもしれない。私の故郷へ、一度戻ることで」

「アランは、大丈夫なの? その、こっちに来たのは魔石を手に入れるため、でしょう? また戻る、というのも」

「問題ない。私がこうしている間にも、仲間が何か情報を仕入れてくれているかもしれない。それを確認するだけでも、また帰郷する理由になるし、やはりここ魔法都市にいたとしても、これ以上は進展がないだろう。私の故郷だけでなく、他の場所で聞きこみをする、というのも視野に入れたい」

「アランが大丈夫というのなら、俺もついていくよ。俺だって魔石が欲しいし」」

「ただ、やはり我々だけでは戦闘能力に欠けているように思う。誰か、もう一人くらい人間を引き込むことが出来ればいいのだがな」

「その国境沿いって、どんなところ?」

「ん? 密林と湿地が、山々に囲われている、といった場所が多いな」

「そっか。自分で言うのもなんだけど、強いよ、俺。そういうところじゃ。だから大丈夫、なんていえないけれど、そこまで戦闘能力に悲観する必要はないと思う」

「強い?」

「うん。そうは見えない?」

「すまないが」

「ふふ。アランも素直だね。でもまぁ、正直言って、俺もアランもお金と人脈がない中で、対等な仲間を作るのは難しいと思うから、ひとまず二人で行った方がいいんじゃないかな? その方が動きやすいし。必要なら、お金で雇える傭兵を探せばいい……アラン?」

 急に、力の抜けたような目でアランがこちらを見ていた。

「いや。いいんだ。君と話していると、落ち着く自分がいる」」

 言ったアランの目は、ずっと遠くを見ていた。

 それは故郷を見つめるように。

 あるいは、未来に待ち受ける敵を見つめるように。

 冷たく、鋭いその目はを見て、テトはどこか自分が寂しくなっていくのを感じた。


   ・


「どうだ? ペム。何か感じることはあるか」

 ペムと、そしてケイゴは街を歩いていた。

 魔法都市の夜は明るい。

 居住区の棟と同じように、街々には画一的に、等間隔に柱が建てられており、柱の間には、光源となる魔力を通す特製の線が張られている。夜になるとそれらの線が魔力を通じて暖色としてほのかに点灯されるようになり、暗闇の中で幻想的な風景を魔法都市に灯していた。

「ケイゴに言い忘れていたけど、同時に音を聴こうとするとね、この力ってあんまり遠くの方の音が聞こえたりはしないんだ」

「なに。こちとら藁にもすがる思いだ」

「僕は藁なの」

「ああ。ごめんごめん」

「とにかく、ずっと聞き耳を立てていて欲しい。魔力の持続する限りな。何か怪しい言葉を聞いたら、そいつを尾行しよう」

「でもさ、こんなことをしちゃっていいのかな。ちょっと罪悪感があるよ」

「普段ならさせないししないだろうな。言ったように状況が違うんだよ。いち早く対処しなきゃいけない問題でな。言ったように上層部は頭が切れるんだ。この問題を放置しておけばまずいことが起きるって理解している。だから、背に腹は変えられない。多少の罪悪感なんてなんのその、なわけだよ。わかったら魔法を使い続けるんだ。ぶーたれるなよ。俺、一応お前の上司だし、嫌だって言っても上司の権限発動させんぞ」

「わかったよ。でも一つだけ問題があるよ、ケイゴ」

「なんだよ」

「おなかがすいた」

「あのなぁ!」

「でもさ、ご飯食べながらでも魔法が使えるし、こうやってぶらりと歩いているよりも、人がいる場所に行ったほうが効率いいよ」

「お前、歩きたくないだけじゃないか?」

「違うよ。お腹すいただけだよ。それに、魔力も尽きそうなんだ」

「早くないか?」

「そんなに長く使えないんだ。でもね、お腹いっぱい好きなもの食べたら少しは元に戻りそうではあるんだ」

「都合のいい体してんな」

「さらにもうひとつの問題はね、僕にはお金がないってことなんだ。あ、こんなところに上司のケイゴさんが! いやぁ、助かります」

「ほんと、お調子者だな。阿漕な野郎とも言える。俺の前だけにしておけよ、その態度は」

「わかってるわかってる。この前行ったフードコートがあるんだけど、そこにしない? 大きくて、多分色んな人たちの話を聴くことが出来るよ」

「しゃーねぇな。奢ればいいんだろ、奢れば」

「話がわかるなーケイゴは。ちなみに僕の魔力」

 二人は娯楽区に向けて、また都市を歩いて行く。


   ・


「それにしても、蒸し暑くなってきたなぁ」

「山を登り、そして降ってきたからな?」

 テトとアランは、魔法都市を出て、計画通り南下し続けていた。アランの故郷へと辿り着くために。

「盆地に入ってきたってことだね」

「そうだ。ここら一帯はの平地は山々に囲われていてね。南方はただでさえ温度が高い地域だ。盆地となれば、なおのこと。熱しやすく、冷めやすい」

「だろうね。俺、ちょっと脱ぐよ」

「気候の変化は激しいが、山々で住むよりも、平地で暮らした方が、色々と利便性が高い。多くの民族が、この国境沿いの盆地、アスマ盆地で暮らしている……と、知らなかったか?」

「ぜんぜん。俺はね、威張る訳じゃないが、無教養で無学なんだよ。都市の連中みたいに、学舎に通って勉学を積んできたわけじゃないからさ。アランとは大違いさ。だから行ったところのない地理なんて知るわけない」

「なに、私もそこまで深く物を知っているというわけじゃない。君と同じく、公共の機関で勉強した経験はないよ。ただこの地域は言ったように、気温の変更も激しく、獰猛な動植物も多い。加えて国境沿いであり、様々な民族が生活をしている。自らを守る知恵が、どうしても必要だった」

「謙遜するねぇ。にしても、様々な民族って、一体どれほどの数なんだ?」

「正確にはわからないところだ。それは現在進行形で増えているかもしれないし、減っているかもしれない。言ったように、ブリエナもシーウッドも、国境沿いのことなどどうでもよくなってしまったのだろう。都市の中枢をいかに亜獣から守るか。それだけを考えている。実質無法地帯なのだよこの界隈は。だから気をつけた方がいい。いつ賊が現れて襲撃するかわからないからな」

「脅す気?」

「一応、警戒はして欲しい。ただ、この馬車は魔法都市のものだ。襲えばリスクがあるというのは遠目から見てわかるというもの。それに、君は武術が得意なのだろう?」

「なんでそう思う?」

「自ら強い、と言っていたからだ。その強さの正体を、実はこのところ観察して見極めようとしていた」

「どう思った?」

「私にはない野生が、君にはあるように思う。その野生を伴った武術を、君は持っていそうだ、と」

「野生、ね。そいつは確かに俺にとっちゃ褒め言葉だよ。人間を含めた色んな生き物を見つめて俺は生きてきたからな。だから賊程度には、びびらないんだぜ」

 テトのその野生を伴った強さをアランが理解するのに、時間は要らなかった。

 この目で――すぐにそれを見ることが出来たからである。

 まず、馬車が大きく傾いた。

 突如のことに動揺していたのは、アランの方であり、目の前にいた……いたはずのテトは雑談を続ける平時の調子で、馬車が傾いて、転倒する前に脱出していたのを、アランは目撃したのだった。

 アランがようやく襲われたと気がついた時にはテトは既にその賊と……馬車をひっくり返したらしい人間と向かい合っていた。

 テトはその言葉通り、これまで様々な生き物を見つめてきた。村での彼の役割は、狩猟隊の突撃隊長であり、まとめ役だった。彼の村では。その役職に就くために、一定期間の修練と実績を積み、その上で長老と戦士達の推薦、加えて村人の投票で過半数の承認を得なければならない。

 そのようなしきたりを持つ村の中で、テトは異例であり、異端であり、異才であった。村の長らく続く慣習をさえ、なきものとするほどに、誰もがテトのその才能を認めていた。長老の一声で、テトはその若さでまとめ役についたのだった。

 その異才とは。

 魔法を扱えるというわけでもなく。極端に運動能力が高いというわけでもなければ、豪腕を伴う体格を持っているわけでもまた、ない。

 テトの才能とは、直感的に相手を見抜く力と動物的に自らを律する力だった。相手を見抜き、その上でどうすれば勝てるのかを、瞬時に見抜くことの出来る観察眼と、反射神経。それがテトの持つ、人間離れした特殊能力だった。自分がどうすれば戦闘に勝利するかを、本能的に見抜き、それを緻密に、ほとんど無意識に実行する勇敢さ。そこに一つの躊躇いも、臆するような感情も、テトにはないのである。

 その才能を持って、一目見れば、テトには十分なはずだった。人間であっても、動物であっても、単体であっても、複数であっても、どういう攻撃をしてくるのか、得意なのか。慢心しているのか、警戒しているのか。目線の動き。呼吸のリズム。

 全体を俯瞰しながら、その場にいる全ての敵の一挙手一投足を微細に感知し、彼の持つ統計的な経験と、本能で分類し、即座に判断を下す。

 こうすれば、勝てる、と。

 先ほど馬車が転倒した時も、彼は冷静に頭の中で考えていた。この速度で馬車が倒れるのならば、このタイミングで窓から脱すれば、無事でいられる、と。

 自らのその力に甘んじているわけではないにせよ。

 ――しかしテトは初めて。他者にも認められ、自らも磨いたはずの特殊能力を持って初めて、硬直したのだった。

 読めない、のである。

 読めないのは、その人間の考えていることも含めて、全て、である。戦意がある人間とは、必ず敵意を持っている。その敵意は、必ず行動に影響を及ぼす。汲み取るべきは、その敵意や、それに似た感情、なのだが。

 見当たらないのである。感じることもまた、出来ないのである。

 だからこそ、テトは敵の一手先を読むこともまた出来なかったのだったし、硬直したのだった。

 欠落しているのは、感情だけではないということが、見ている内にわかった。じっと、佇んでいる。テトと戦っている、というよりも。ただそこにいる。ただ何気なくそこにいる、という状態。

 敵意だけではない、おおよそ人間的な感情の全てが見当たらない。

 感情のない人間がいるとすれば、この目の前にいる人間でしかないだろう。

 思い出すのは、人間奴隷、という言葉。

 テトは背負っていた、彼の愛用している曲刀を抜いた。

 戦わなくては、ならない。

 初めての経験である。前もって検討した観測結果がないままの、戦闘。

 が、テトの焦りとは裏腹に、その眼前にいた少年は、背を向けて、去っていった。森林へと抜けていき、その姿は見えなくなってしまった。

 振り返ると、ひっくり返って真っ逆様になった馬車がそこにあった。馬は幸いにも無事なようだ。中からアランの声が聞こえてくる。テトは用心深く辺りを見回した。他にああいった輩がいないかを確認するためである。だが、どこにも怪しい存在は見受けられない。一人で馬車をひっくり返したとでもいうのだろうか。

「テト、大丈夫か」

「大丈夫だよ。アランは?」

「無事だ。賊は近くにいるのか?」

「消えていったよ」

「すまないが、一人で出られない。手を借りてもいいか?」

「うん」

 一難去った、はずだったのだが、その後もテトの頭にはあの少年の不気味さが残り続けることになった。


「あれは人間ではない」

「人間ではない?」

「人間の形をしている、全く別の何かだ」

 二人は、無事にアランの故郷、エイリン集落に辿り着いていた。

 着いて早々、アランは集落の人間に囲われ、抱擁と祝福を受けた。人々の歓待ぶりから、アランがどれだけの人徳者だったのか、慕われているのかをテトは確認の意味合いも込めて知ることとなる。 

 集落、というのはほとんど原始的な、最低限の生活が営めるような移動式の簡易住居が幾つかある程度で、十余名ほどの人間しか、そこにはいなかった。

 故郷が壊滅してしまった結果、なのだろう。

 アランとテトは、ヴァムという名の村の仮長を務める人間と共に簡易住居の中で座り込み話をしていた。アランが村に戻ってきた理由を話し、そしてテトがあの少年。二人を襲ったあの少年について、話をしていた。

「テトさん。あなたが出会ったその少年は多分、私たちの仇だ」

「あれが、人間奴隷?」

「アランの言った、魔法都市のそれと同じかどうかは、私にもわかりかねるが、しかし人間奴隷、という名称は的を得ている。誰かに操られてでもしなければ、あんな目はしないと思うものだから」

 ヴァムが溜息をつくようにして言った。

「それは私も同意権なのだよ、ヴァム。あれから仇を、いや、この際人間奴隷、でいいだろう。どれくらい確認したのだ?」

「一人だけだ。テトさんと同じ、茶髪の少年」

「捕らえることは、出来なかった?」

「出来なかった。二つの理由がある。まず、とてつもない肉体能力を持っているということ。そして目的が判然としない、ということだ。動きが読めない」

「肉体能力。確かに。だって、馬車を一人でひっくり返したんだもの」

「あれは恐らく、肉体強化型の魔法を使っているんじゃないかと推測される」

「目的が判然としない、というのはどういうことだ?」

「かつて、あいつらが我々の村を襲撃したときには、殺意があった。我々を駆逐するという、殺意が。ただ、この界隈に一人いるその存在からは殺意や諸々の敵対意識が感じられなかった。だから、目的が判然としない、と言ったのだよ。二度、遭遇したが。いずれもこちらの様子を伺うだけ伺い、その俊敏な脚力で逃げていった」

「捕らえられなかったのか?」

「速すぎる。その上私たちも生きていくための活動で手一杯だった」

「……そうか」

 少し苛立ったような表情を見せたアラン。彼にとっては、何よりも忌むべき存在であるだろうし、何に代えてもやはりその手で復讐したい存在なのだろう。

「あの区域は、どうなった?」

「すまないが、これも未踏だ。他の部族とも抗争があってね」

「あの区域って?」

「人間奴隷が拠点にしているのではないかと推測される区域だ。山の上にあるのだが、突如、高い、頑強な塀を伴って……出現した、と言ってもいい。それほど突発的に建立されたと推測される。その先に何があるのかまだ未確認なのだよ。私が魔法都市で魔石を求めにきたのも、すべては力を手に入れ、その先にいるであろう仇を一網打尽にするためだ」

「そこには忍び込めないの?」

「見張りがいる。複数で厳重に警戒されていると思われる。一人でも強力な殺戮能力であろう連中に遭遇してしまえば、当然返り討ちに合う。アランはそれでも行く、と行って聞かないのだが、我々がなんとか止めているんだ。自殺行為であると」

「復讐を遂げたいだけだ」

「無駄死には仲間への背徳だ」

「無駄死にする気などない」

「今は基盤を整える時。全滅するのが、何よりの危機だ、とあれほど言ったはずだ。まだ意識は変わらないか」

「変わらないからこそ、魔石を求めている。復讐心を忘れてしまうことこそ、背徳だ」

「やめよう。この話はどれだけやったことだか」

「結局、奴らに関する情報は、私が旅立ったころと比較して何も変わっていないのだな?」

「すまないが、そういうことになる」

「わかった」

 仲間である、はずなのに。

 そのはずなのに、交渉が決裂して、仲違いをしたような、そんな状況になってしまった。

 住居を出ていくアランの背中を追い、テトは声をかける。

「どうするの。これから」

「考えている。すまないな。テト。口論になったところを見せてしまった」

「俺、自信あるよ」

 怒りから一転。儚い目をするアランに、テトはその力を貸したくなった。

「ここまで来たんだ。俺は俺のできることをしたい」

 危険があろうとも。

 テトには関係がなかった。

「自信?」

「例え連中に勝てなくってもさ。そもそも勝負にならなきゃいいんだよ。見つからずにその区域に忍び込むことくらいなら、出来る」

「自信、というだけだろう?」

「甘く見ないで欲しいな。連中が魔法を使えようとも、強力であろうとも、俺の野生はそれを上回るんだぜ。人形には真似できない、人間の醍醐味ってのを、見せてあげよう」

 快活に笑うテトを見て、アランはこの少年の奥深さを甘く見ていたと感じていることに気がつく。

「アランが知恵をつけているというのなら、俺はやっぱり野生をつけているんだよ。野生をつけるって、変な話だけど。とりわけ山間や森の中で誰にも気づかれずに隠密行動をするなんて、屁みたいなもんだぜ。勇敢な戦士、テト・クインテッドを信じろ。こう見えて、村じゃ結構強かったんだぜ。村の中だけで、かもしれないけどな」

 笑いながら、親指を立ててくる、テト。

 なぜ、ここまでしてくれるのか。

 ここまで言ってくれるのか。

 テトが道中してくれた話を思い出す。

 彼の故郷もまた、滅んでしまったということ。

 そう、言っていたのに。

 身の危険をものとも思わず。

 手を貸してくれる理由とは。

 アランの中でこみ上げてくるのは、復讐を遂げるまでその奥にしまいこんでしまおうと。必要のない物だから、取り出すことは避けようとしていた、人間的な感情だった。



 湿地帯、密林、数多ある沼や湖畔。目的地までの道のりは有能な馬を駆使しても進みにくく、また難航したのだが、テトとアランは人間奴隷が拠点としているであろう山の麓までようやくのことで辿り着くことができた。

「遭遇は、しなかったね」

「そうだな。連中どころか、他部族にも」

 幸運なはずであったのだが、アランは妙な薄気味悪さを覚えていた。何らかの困難が必ずあると考えていたのだが、その困難とは地理的なものだけであり、立ちはだかるものは何もいなかったのである。

「じゃ、言ったとおりこれからは俺一人で行くよ」

「私も行く」

「一人の方がやりやすいんだ。今回の目的は、視察だけ。決して戦うことじゃない、でしょ?」

「私も行く。ここまで来て引き下がることはやはり出来ない」

 意志の強さ。

 それは時に強靱な力を発揮することを、テトは知っていたのだが、同時にまた弱さになりうるとも知ってた。アランは復讐心に基づいた信念と、それを達成する意志で、周りが見えなくなってしまっているのではないか。テトはそんな彼にかける言葉を探し、一言ずつ紡いでいった。

「俺も、ヴァムさんの言っていた通りだと、思っているよ。自分の身に何かがあることが、仲間への背徳だって。それに、アランは俺を信頼していないの? って。まだ会って間もないから、そんなことは無理だろうけれど……信頼して欲しい。それはアランの仲間を信頼するように、俺を信頼することは難しいと思うけれど。目的は俺なりに達成したいと思っているから。それからでも、遅くない。でしょ?」

 渋い顔をするアランだったが、ようやくのことで頷いた。

「全部覚えている」

「私は少し、君をみくびっていたのかもしれないな。人間として。すまない」

 他のどういった仲間でさえ、諌めることはできなかった。心もまた、穏やかになることもまたなかった。それがテトといると、復讐心は忘れずとも、どこか落ち着いている自分がいる。

「なにいってんの。アランはアラン。俺は俺だよ。それじゃ、行ってくるよ」

「何かあれば、すぐに戻ってきてくれ」

「言われなくても」

 テトは馬を降り、山を駆けた。時には植物の中を。時には樹上を。時には小川の中を。滝の中を。常に誰かから見られている意識を持ち、山上へと駆けていった。

 彼が今まで登った山々の中でも、崖などもなく、なだらかな傾斜で登りやすいものだった。今日は悪天候というわけでもない、危険な動植物も潜んでいない。人間奴隷が拠点にしているであろう、という危険因子を除けば、テトにとっては隠密しながら、という条件を加えても難度の低い山だった。

 が、慢心はしない。

 細心の注意を払い続けること。

 どのような瞬間であっても。

 全方向への警戒を怠らず、テトは駆け続けた。

 彼の感じた違和感は、アランが先ほどまで感じたものとほとんど似通っていた。

 それは、ある意味不自然なまで、だったのかもしれない。自然の中で感じる。不自然。何者とも、遭遇をしないのだ。野生動物の息遣いは聞こえるものの、その姿を現さない。

 違和感を抱えたまま、テトは遂に辿り着いた。

 ここまでは成功。その目でテトはその塀を確認することが出来た。

 樹上から、様子を伺う。

 それは無機質で、人工的な塀だった。石や、木ではない。例えるなら、魔法都市にある、魔法で生み出されたような、自然物質でない素材。黒く、滑らかで、まっすぐに、地面と垂直になって建てられている。

 感じるのは、あの少年と向かい合った時と同じような不気味さだった。

 行くか、行かざるべきか。

 その塀の端々を見て、どこかに入り口がないかを確認しながら考える。結果的に、入り口は一つしかなかった。人一人がようやく通れるような、小さな入り口、というよりも穴があるのである。見張りはいなかった。内部の景色がどうにも見えないので、その中に門番のような人間がいるのかもしれないが。

 考える時間は、必要がなかった。

 判断が出来ないとき、テトが何より信じることにしているのは、己の勘でしかなかった。行った方がいい、と。そう告げているのだから、テトは感情を殺し、樹を降りて、入り口へ向かった。狭い入り口だ。想定の出来ない、意識と肉体が無防備になる瞬間が、どうにも出てきてしまうと思われたものの、テトはこれまでの、山を登ってきた調子で入り口を潜ったのだった。

 ――そして。

 殺していたはずの感情が、押し寄せる。

 あまりにもテトの想定になかった景色がそこあったからに他ならない。

 何も、なかったのである。

 入り口を潜り、塀で囲われたその空間には、何もなかったのである。文字通り、何も。あるのは地面に転がる砂利だけ。山々に満ちていたはずの木々を初めとした植物達は、跡形もなくなっていて、不自然に切り取られた荒野が、そこには広がっていたのである。

 ――そこには人間奴隷も。

 人間奴隷が住んでいたであろう痕跡も。

 あるいは人が住んでいた形跡も。

 何も、なかったのである。

「もぬけの殻じゃん」

 テトはそんな言葉を呟いて、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。


   ・


「なにも、なかった?」

 テトは無事帰還し、簡易住居の中でアランとヴァムに偵察の結果を伝えていた。

「びっくりしたよ、俺も。ぽっかりと穴が空いていてさ」

「一体どういうことなのだろう」

「山を登っていた時には、どんな気配も感じ取れなかった。完全に。だからこれは俺の推測だけど、人間奴隷は、移動民族のように、場所をとっかえひっかえして、流動する集団なんじゃないかってことだよ」

「可能性は高い……な」

「そんな。だとしたら、もう遅いということか。連中を倒すこと。敵を討つということが」

 アランの記憶には、まだありありと、あの日……故郷が滅ぼされた記憶が残っていた。人外のように無感動に殺戮する連中の姿を。

「アラン。落ち着け。完全にいなくなったわけじゃ、ないだろう。あの少年がいる。移動していると言っても、この近くにまだいるかもしれないんだ。完全に敵を討てなくなったわけじゃない」とヴァムがたしなめた。

「だからって、悠長に構えていられるか? 私の判断がやはり誤っていた。もっと素早く行動に移すべきだった」

「同じ議論はもうしないぞ、アラン。今なすべきこと。お前がなすべきことは、力をつけることだと、それで結論が出たはずだ」

「そう、だが……」

 アランは返す言葉を発さず、無言で席を立った。

 追いかけるように、テトも。

「アラン! 落ち着いて欲しい」

「ああ。大丈夫だよ。落ち着いている。落ち着いているから、聞いて欲しい。この目で、確認したいんだ。君の見た、誰もいない、何もないその光景を」

 口振りは、確かに冷静だった。だがテトには、普段以上に冷静さを持ったアランに、どことなく不安を覚えてしまう。

「……うん。いいよ。行こう。もうあの界隈に危険は潜んでいない、と思う。もちろん警戒はした方がいいと思うけれど」

「すまないな。君に迷惑をかけてしまって」

「いいよ。行こう」

 掛ける言葉を探しはするけれど、微笑んで、それだけを言うことしか、テトには出来ないでいた。



「どう、なっているんだ」

 再び、空洞。

 どのような痕跡も、そこにはないことを、テトは再確認し、アランは見渡し驚愕した。

「わからない。多分、魔法だよ。この塀も魔法で出来たものだと思うし、こうやって跡形もなくすることが出来るのもまた、魔法くらいのものだと思うよ」

「もっと早く気が付くべきだった」

「アラン。自分を責めないでよ。気軽に、なんて言えはしないけれど、こんな状態になっているなんて、誰も予想ができないんだから」

 自分と、アラン。

 二人しかいない、はずなのに。

 この静けさしかない、空虚な空間であっても、アランの心に、自らの声は届いてはいないのではないか。テトはそんな寂しさを、また覚えてしまった。

 だから気を緩んでいた、というわけでは、決してなかった。

 警戒はしていたはずだった。山を駆けてきた時とまた同じように。

 ただ、気が付くのがあまりにも遅れた、とテトは悔やむ。むしろ、遅れたのかどうかすらわからないほどに、その存在を感知できていなかった自分に。

 入り口を振り返ると、そこにあったのは目だった。あまりにも強烈な印象をもたらす、その両目。

 いや、目だけではない。身体も、そこにある。

 馬車をひっくり返したあの少年がそこに立っていたのである。

 テトは臨戦態勢に入る。相手に敵意を感じ取れないが、戦闘する未来は簡単に予測が出来た。

 そして、まずい、と。

 入り口の前に立ち、そして塞がれているこの状況。肉体的な利や、未知の力を持っている敵に対して、地の利や、地形的な攻撃をしかけ、同時に敵の攻撃を防ぎたいテトにとって、この状況の深刻さに焦りを覚えた。

 純粋な力のぶつかり合いに、なってしまえば勝機はないのではないか。馬車をひっくり返すほどの力。魔法。勝ち筋は……

 考えるテト。

 不用意には動けない。相手の出方を後退しながら待つ、と。そう決断をしたのだが。

 横には、敵意と、闘争心をむき出しにしたアランがいた。

 テトはアランがどういう戦闘をするのか知らない。

 知らない、が。

 幾多の戦闘経験を積んできたテトにとって、冷静に、客観的にみれば、アランは自らよりも、弱く、そしてこの少年に太刀打ち出来るともまた、思えなかった。特殊な技能でもあれば別……だが、それを手にするために、魔石を渇望していた。だから、特殊な技能などないはずだろう。

 だからテトは叫んだ。

「アラン。落ち着いて。確かにあれは人間奴隷で、君の仇かもしれない。でも冷静さを欠いたら終わりだよ」

「ここで奴を逃がせば、私は私に胸を張れなくなってしまう」

「だからって! いったん後退しよう。あれは強い」

「逃げてしまうかもしれないぞ、また」

「逃げてもいい。今このなにもない場所で純粋に勝負したら、負ける。俺の直感が、そう言っているんだ!」

 信じて、くれないのか?

 その言葉を、投げかけることは出来なかった。

 気がつけばアランは駆け出していたし、そしてその背中に言葉をかけることの無意味さに、テトは気がついていたから。

 仕方なく、バックアップが取れるようテトもアランの背中を追う。

 少年は動かず、待ち構えている。

 ただ無感動でそこに立ち尽くしている。

 全く先と行動が読めないままだ。

 懐に下げた剣を、アランが抜いた。

 テトもまた、自身の曲刀を抜く。

 いつでも、少年の動きに反応する意識を持っていた。

 が、それが削がれるほどに。

 その敵対意識も、すべてなかったことにするほどに。

 最後の、最後まで、

 少年は動かなかった。

 アランと、テトがその刃を突きつけてもなお。

 少年は動かなかった。

 話しかけても。

 少年は喋らなかった。

 アランの罵声も、怒声も。

 すべて聞こえていないようで。

 そして。

 倒れ込んだのだった。

 何事もなく。

 アランの感情も、テトの予測も、全てを乗り越えて、少年は行動を停止した。

「どういうことだ?」

 目を見開いたまま、ぴくりとも動かない少年。

 テトは恐る恐る少年の心臓に手を当てる。

「脈は静かに打っているし、間違いなく生きている」

 突如動き出すのではないか、という危惧もなきものとするほどに、頑なに少年は動かないでいた。この硬直ぶりが、既に人間離れしており、人間奴隷を体現していた。

 そんな少年に、有無をいわさず、アランは拳を振り下ろした。仇、とはいえ。全くの無防備である少年の腹に拳を打ち付けるそのさまを、テトは見ていたくなかったのだが、やはりかける言葉は見つからなかった。

 どれだけ、拳を振り下ろしても。

 殴りつけても。

 蹴りつけても。

 少年は動かなかった。

 アランは、何を目的にして殴っているのか。テトは考える。

 少年に動いて欲しい、と。

 動いて、立ち向かってこいと。

 止まっているのではない、と。

 本来安堵すべき状態のはずであるのに。

 その複雑に編まれた感情が。

 そうあってはならないと、怒鳴りつけているのだろうか。

 感情は、振り下ろす拳となって、アランを動かし続けた。

 少年は動かず。

 痛みもまた、ないのだと。

 感じないのだと。

 その復讐心に、一切の無で答え続ける。

 この一切が切り取られた空間で。

 だからこそ歯がゆく。だからこそ空しさは募る。

 吠えるアランのその背中を、テトはただ見守ることしかできないでいた。


   ・


「ぷはぁ! うめぇ!」

「昼間に飲むお酒ってまずくない?」」

「関係ないね。酒は妙薬だな。俺にとって。飲むことにより、生産性が上がるんなら、全くもって飲むね。飲んで飲んで飲みまくるね」

「仕事中だってのにね」

 フードコートには、前回ペムが訪れた時のように、多くの客で賑わっていた。ペムは好物の野菜を大量にとり、ケイゴはピーナツを始めとした乾物や、魚介類を机にならべ頬張り、酒を流して込んでいた。

「こうなってくると、仕事って感じじゃないね。」

「馬鹿を言え! お前はお前の仕事をちゃんとするんだぜ。俺は酒を飲むから」

「職務怠慢だね」

「いつも頑張ってるからいいんだよ」

「仕方ないなぁ」

 喧噪の中、ペムはその能力を発動させる。

 期待はしていなかった。

 朝の間ずっと歩いて聞き耳を立てていたものの、聞こえてくる会話には人間奴隷はおろか、あくどいことを企む人間というのはいなかったのである。魔法都市が変わった経緯を持ち、特異な都市とであるとはいえど、人間は皆、毎日その日を暮らすことで精一杯のようであるということが、今日の仕事の中でペムの発見したことである。フードコートで聞こえる声もまた、同じようなものだった。取るに足らない、しようのない会話。

「ケイゴみたいな人ばっかだね。酒飲んで愚痴を吐くために、この場はあるようだよ」

「黙って仕事に取り組めぇ!」

 ケイゴはどうにも酒癖が悪いようだな、としてペムはもう一度魔法を使う。

 結果は同じだった。堪え性があるとは言えないペムは、客ではなく、あえて店員の話し声に耳を傾けることにした。仕事の話や、事務的な内容が多いだろう、半ば会話を聞く前から諦めていたのだが。

 ――予期せぬ会話を、ペムは聞くこととなる。


   ・


「かくまう?」

「しっ。そんな大きな声を出さないでよ」

「そりゃお前、仕事中にそんなことを言われたら焦るよ。お前みたいな純情丸出し野郎が人間を拉致ったなんて話されたらさ」

「拉致ったんじゃないよ。保護したんだ。本当に色々ワケがあってさ」

「同じことだろ。俺にそういう性癖はないぜ。女子には紳士でいたい」

「性癖とか関係ないでしょ。それに、その人間は男だ」

「男かよ! なおさらイヤだね」

「無理は言えなけど、もう一度頼むよ。俺、ここで知り合いグランハネムぐらいしか知らないからさ」

「俺はね、こう見えて平和主義なわけ。テト。お前が何を企んでるかは知らないが、一介の飲食店店員には荷が重すぎるって話だ」

「そんな」

「けどな、うってつけの人間を知っているぜ。お前も知っているはずだ」

「誰のこと?」

「ボルドゥのおっちゃんだよ。あの人はさ、正直言って謎に満たされているし、なにやってるか全くわからないけど、いい人ではある。お前が困った顔してその拉致った人間をかくまう場所を探しているって言えば、なにくわぬ顔してそんな場所を提供してくれるんじゃないか?」

「でも、ボルドゥがどこにいるか知らないよ、俺」

「今日、店に来るぜ」

「本当?」

「多分な。月に一回はこの店に顔を出す。この前も来ただろ? 俺の勘だと、今日であると告げている。外れたらごめんな……て、噂をすればなんとやらだな。俺ってすごくね?」

 遠目から見て、誰もが目に付くであろう、黒い肌に長身のボルドゥがちょうどよく現れた。席につくまえに、一直線にこちらに現れる。

「俺も勘には自信あるけど、やるね、グランハネム」

「だろ?」

「よう、お二人さん。元気に仕事してっか?」

「元気だぜ、おっちゃん。ただよ、テトが変なこと言ってるから聞いてやって。結構厄介なことだと思うぜ」

「なんだなんだ?」

「それが」

「おっと。聞く前に、ちっとばかり、テト。お前さんと二人で話したいことがある。少しだけ、抜けられるか?」

「うん。いいよね、グランハネム」

「なんだよ。デートかよ。っかー! 俺に女を紹介しろー!」

「今度な」


   ・


 テトという人間と、ボルドゥという人間。

 フードコートから出て行ってしまう。移動しなければ。

「ケイゴ! ケイゴったら!」

 職務怠慢。

 酒に強いと言っていたケイゴであったが、完全に飲み過ぎて泥酔している。

「馬鹿ケイゴ!」

 捨て台詞と共に、席を立つ。見逃してしまう。一秒を争う。そう判断したペムは席を立ち、怪しまれないように出口へと向かう。

   ・


「テト。お前、『名もなき意志』に入ったな?」

「え? なんでそれを」

「ラウザから聞いたよ。全くお前が入ってくるとは考えなかったんだがな」

「もしかしてボルドゥも?」

「そうだ。で、ラウザに収穫はあったか聞いてこいって頼まれたんだよ。あいつは今、遠出してるからな」

「通りで見あたらないわけだ」

「驚かないのか?」

「なんとなくボルドゥって怪しいし」

「はは。違いない」

「聞いたの? 俺とアランが人間奴隷と思しき少年を保護したって」

「いや。聞いてない。というか、それ、本当か?」

「本当だよ。アランの故郷にいたんだよ。で、たった今グランハネムにその少年を保護する場所を探していたって相談してて」

「ああ、あの家じゃ入らないか」

「入るには入るけど、狭いんだ」

「今はどうしているんだ?」

「アランの家で保護しているけど、アランも一人だし。居住区で割り当てられた家の広さは俺と同じだよ」

「そう。で、どうかな。ボルドゥに頼んでもいい?」

「ああ。受けるぜ」

「ありがとう」

「にしても大手柄だな。魔石、手に入れられるんじゃないか」

「でも、話さないんだ。話さない、っていうより、反応しないって言うか。全く動かなくなってしまって、死んではいないみたいだけど。そこから手がかりが得られるようには、どうにも思わないでいるから。どうだか」

「それはうちの連中でどうにか出来るだろうよ。そんなの保護出来た奴、うちでもいないからな」

「でも仕事が終わるまで待ってくれよ」

「そんなもんグランハネムにやらせとけばいい。あいつは仕事と女とヤることくらいしかやることがないからな。ほら、いくぞ」

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