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かげり

 ごみに埋もれていた。

 聞こえるのは、猫や鴉がごみをあさる音と風の泣き声。そして、ごみが上から落ちてくる音。

 見上げる空はにび色で、直感的にこの場が太陽に嫌われているのだと知った。

「これはまた、綺麗な人形だ」

 頭上から声が降ってくる。――若い男の声。

「間引かれたか、形代にされたか、――いずれにしろ、おまえも落ちた者に違いない」

 彼の手が伸びてくる。

「また拾うの?」

 呆れたような、女の声が、男の背後から聞こえてきた。

「いいだろう?」

「面倒を見るのは私だってこと、わかってんの?」

 男は文句を聞き流して、こちらに向かって話しかける。

「名前さえも忘れたか?そうか、おまえも天使の仲間か。――いいだろう、名前をやろう。落とされた忌み子が再び天に昇れるというなら、おもしろい」

 ゆっくりと、抱き上げられる。


 ―――それらが、生まれた瞬間の記憶。





 花を探すために、夢幻むげんは外に出た。

 背中は、カミコが奏でる短調の曲を聞いている。やがて遠ざかり、屋敷の門をくぐってすぐに聞こえなくなる。

 外は、曲に似合いの重たい色の曇天だった。もっともここは、いつだって天使たちの住まう〈楽園〉の陰にあるのだが。

 吹いてくる風は、冷たく湿っている。不安を掻き立てられる。

 胸が苦しいような気がして、たくさん空気を吸い込んだ。肺に流れ込んでくる空気は、なんだか刺々しい。

 そして、吸い込んだ空気をただ吐き出すのはもったいない気がしたから、声帯を振るわせた。

 歌えたのは、ほんの数フレーズだけだった。それだけしか知らない。白道はくどうが口ずさんでいて、その場に居たカミコが「その歌詞の意味知ってるの?」とからかうような表情を見せたとたん、白道は歌うのをやめてしまったから。その理由を後からカミコに聞いた。

「劇中で歌われる曲だよ。生まれつき恐ろしい顔の男が、恋焦がれた相手に向かって愛を乞い、優しく歌ってる――そういう場面の曲」

「全部聞きたい」

「僕は歌う気になれない内容なんだよ。今度、誰かに頼んでみる」

 カミコはそう言ったけれど、覚えているのだろうか。会話から、随分日が経った気がする。

 ぱたん、ぱたん、と足を地面につけるたびに靴と地面が音を立て、周囲の廃墟がそれを反響させる。足音に合わせて、歌う。

 今度の曲は全部歌える。

 以前、カミコと白道が歌っていた。――二人が一緒に居て喧嘩しないのは、結構珍しい。二人が一緒に何かをするなんて、とても珍しい。

 カミコがまず歌って、次に白道が澄んだテノールで、それぞれにソロ。次のフレーズからカミコは綺麗なバリトンで重奏。カミコはしゃべるとき、いつも掠れたテノールだけれど、歌うときはちょっと低めのほうが綺麗だ。

 夢幻が歌えるのは、白道が歌っていたパート。

 白道はよく口ずさむ程度に歌うけれど、体の底から声を出して歌うことは少ない。彼の、耳に優しい繊細な声は、低めの声の女歌手を思わせる。――歌に関しては、カミコのそれよりもずっと魅力的だった。

 カミコも白道の歌声をよく褒める。カミコは白道の歌を「感情の塊」だって言う。

「なんだよ感情の塊って」

「言葉で説明できないような心の様相、かな。それを表すのが、白道はうまいよね」

「ほめられてるように聞こえねー」

 カミコは笑うだけで、肯定も否定もしなかった。

「ナナキのところだけでいいから、歌いに来ない?ピアノ曲にと思って書いたんだけど、思ってた以上に白道向きの曲だ」

「イヤだよ、めんどくせぇ」

「その答えも予想してたけど、ためらいもなく断られるとちょっと傷つくね。白道なら気に入ると思ったのに」

「別に曲をえり好みして断るわけじゃねーよ」

 それきり、白道はこの曲を歌わない。

 そんなことを思い出していたら、歌は終わっていた。再び廃墟に響くのは足音だけになってしまう。

 街はどこまでも続いていく。

 ここは終わりなき街。

 常に〈楽園〉の陰にある、翳りの街。

 胸騒ぎがしたから立ち止まる。――空を仰ぐ。鈍い色をした天を覆う影は、この街に不安を降らせる雲だ。


「そんな歌を歌うからさ」


 ふいに右手の路地から声がした。

 首をめぐらせ見た先には、土だらけの少年が居た。行き止まりの壁によかって座っている。周囲には小さな土の山と、シャベルと、そして穴。

「誰」

「穴掘り屋。――〈モグラ〉さ」

「もぐら?」

「知らないのか。――おまえ、落ちた天使だな?」

 嫌な感じのする笑みを口の端に浮かべて言う少年に、夢幻は心持体を引きながらうなずいた。

 この笑い方は、影鳥かげどりと似ていた。

 影鳥はもともと悪そうな顔なのに、優しさの欠片もない笑みを浮かべる。それを見て、悠江ゆうえは無神経にも大笑いするのだ。いわく、「なんて極悪な顔なんだろね?」と。

「この世には色んな生き物がいる。神様、天使、ヒト。ほかにもいるのさ。――トリ、ウマ、ムシケラ、キバ、それからモグラ」

「トリなら知ってる。街の外に出れる人たち」

「ウマもそう。キバはトリとウマを喰らう生き(やつら)だ。ムシケラはこの街にもいる。モグラも。――ヒトの中に混じってるから気づかないだけさ」

 ちっとも面白くなさそうに笑い声を上げた少年は、シャベルを持ち上げ、立ち上がった。そして口を開く。

「さっきの歌、なんていうの?」

「・・・風を待つ者へ捧げるレクイエム」

「ふうん、知らねぇな」

 そう言うと、彼はさっと夢幻に背を向けて、地面を掘りはじめた。今度は掘りながら喋る。

「不思議な歌だな。魔法みたいだ」

「カミコが作った曲だから、魔法がかかってるのかもしれない」

「そいつは魔法使いなのか?」

「違う。カミコの指に魔法がかかってる。だからピアノを弾けば誰もが聴き入るし、曲を書けば危ういほどに美しいものが完成するって」

「・・・なるほど、思い出した。――それ、音楽の天使とか呼ばれてる落ちた天使のことだな」

「そう」

 モグラが一瞬だけ、シャベルを動かす腕を止めた。

「おまえ、名前あるの?」

「・・・夢幻」

「むげん?変なの、どういう意味?」

「ゆめとまぼろし」

「そりゃあ・・・酷い名付け親だ」

 地面を掘る音はリズミカルに続く。

 不安を掻き立てる空の下で、その不安から逃れる場所を作るかのように。

「・・・どうして、穴を掘るの?」

「言ったろ。穴掘り屋〈モグラ〉はそういう種族なんだよ。天使とは違う」

「掘って、どうするの?」

「トリが空を渡り、ウマが草原を渡る種族なら、地中を渡る種族なんだ。地中に居れば、キバに喰われない。だけどトリやウマのように美しく駆けることがない。それだけの話」

「外に出るの?」

「そう。――ここは街の端なんだ。穴を掘ってつなげれば、外に出れる」

「・・・・・・でも、街の外に出たら、死んじゃうよ」

「外に出て死ぬのは天使とヒト。俺は〈モグラ〉だから平気だよ」

 モグラはやはり掘り続けた。

 なんだか怖くなった。

 ヒトは、この翳りの街から出られない。――闇を隣人とし、不安の雨の落ちる、淀んだ街。

 それでもここは、完成された世界だった。

 街に端は存在せず、ゆえに中心も存在しない。端を目指して歩いてゆけば、ぐるりと回ってもとの場所にたどり着く。

 ――だから、完成された世界。

「外に出たら、どうなるの?」

「――〈楽園〉の影から解放されるのさ」

 それは怖いことだと夢幻は思う。

 けれど、口には出さなかった。理由を説明できそうになかったから。

 代わりに無言でモグラに背を向け、来た道を早足で戻り始めた。


 ねぇ、と誰とも知れない相手に、心の中で問いかける。

 答えは得られないと知りながら。


 ――完成された世界を壊して、それを解放と呼べるのだろうか。


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