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フンボルトペンギンは逞しさを自らに課す

 小生、今日は気合が入っている。

 その証拠と言ってはなんだが、実は、今も、左足を少し浮かして立っていたりする。

 右足がプルプルと悲鳴を上げているが、我慢なのである。そして、精進なのである。

 仲間たちも、ペンギン舎を訪れる人々も、小生を好奇の目で見ている。なんで、あいつ片足で立ってるのか、と。

 確かに、事情を知らぬものから見れば、今の小生の姿は、いささか不可思議に写ろう。

 だが、心身を鍛えねばならぬ理由があるのだ。

 我が身の恥を晒すことになるが、それを語らねばなるまい。

 あれは、そう。いつものごとく、二十三羽の仲間たちと一緒に、岩場で日向ぼっこをしていたある日の事だ。小生は思いがけぬ不幸に見舞われたのだった。

 その日、あまりの心地よさに、自然とくちばしが開いてしまっていたと言うのは、確かに小生隙だらけであった。それは否めない。精進が足りぬのである。

 そこは自らを戒め、引き締めなければならない。

 ペンギン舎で、小生たちの天敵であると伝え聞く、アザラシなる者の姿を見かけたことはない。大きな気候の変動も滅多にないし、雨風をしのぐ住処も与えられている。そんな故もあって、ましてや、その日の様に、とてもうららかな陽気の日など、どうしても気が緩んでしまう。それ自体はなにとぞご寛恕頂きたい。ただ、隙が大きすぎたという点は反省点であろう。

 にしても、このアザラシなる者。小生、この目で見た事はないのだが、おそらく、体中にアザがあるか、もしくはザラザラとした体皮を持つのか。あるいはラシがあるかしているのであろう。

 名は体を表すと言うではないか。

 まぁ、小生のように「ピー」とは鳴かず「ギュゥヴェー」と鳴くにも関わらず「ピー太」と言う名を冠しているフンボルトペンギンも居るのであるので、必ずしもその限りではない事もあろう事は心に留めておいて頂きたい。

 小生も心に留めておく。

 さて、なんの話だったのであったか。

 小生の名前の話であったか。

「ピー」と鳴いた事も無いのにと言う下りであったか。

 違う気がする。それは何度も説明した気がする。

「ギュゥヴェーッッ!!」

 そうであった!

 アザラシの話であった!

 とかく、そのアザラシなる者、小生らペンギンをもりもり食ってのける怪物なのだという。

 名から推し量るに、アザなり、ザラなり、ラシなのである。もしかしたら、全部を兼ね備えて居るということもありうる。

 小生、ラシと言う言葉を知らぬが、なにかトゲトゲしていたり、禍々しい色をしているなり、毒をもっていたり、とにかく危険な性質を指すに違いない。おそらく小生たちがアザラシなる者を見たら震え上がってしまうような、そんな容貌を持っているのであろう。そしてその隙に食われてしまうのであろう。

 考えるだに恐ろしいではないか。

 よし。もし、アザラシに相まみえる事になっても、決して震え上がりその隙に食われてしまわぬ事を小生ここに誓う。なんら因縁があるわけでもなしに、ただ天敵であると言われたからといってこの生命を許すほど、小生易くはないのである。

 その為にも、日々、アザラシなるものの恐ろしい姿を想像することで、いざと言う時の衝撃に備えておかねばなるまいのである。

 精進なのである。

 …………精進。

「ギュゥヴェーッッ!!」

 そうであった!

 不幸に見舞われた話であった! アザラシの話ではなかった!

 忘れもしないあの日の事である。

 アザラシが我らがフンボルトペンギンにとっての天敵であるのならば、そのやつばらは小生の宿敵とも呼ぶに相応しいだろう。

 そう、カラスである。

 全身に濡羽色を湛え、嘴は鋭く、動きは軽妙。そしてなにより狡猾な振る舞い。

 小生は彼の者らと幾度となく争いを繰り広げているのだ。

 憎きカラスどもは何を狙っているか。

 アジである。イワシである。そして、そして時にイカですらあるのである。

 それは我らが命と言っても等しく、小生の何よりの楽しみの一つでもある。

 カラスどもは狡猾だ。タカハシ達がエサの入ったバケツをそろそろ持ってくる頃合いかと思って、小生たちがどこからが首だかわからない首を長くして待っている時、気づけば周囲の木々の枝や柵に居たりする。

 カラスどもがどこに住まい、どこからやってくるのか、小生は知らないのだが、気づけば奴らは要る。

 タカハシ達も、奴らを警戒しているらしい。

 その点、小生はタカハシが苦手であるが、利害は一致している。

 その日も、小生たちが投げられたエサをキャッチしそこねたりしたエサを、隙あらば奪おうとこちらの様子をうかがっていた。実際、まだ食事がおぼつかない雛の取りこぼしをあわや取られてしまうところだった。

 その時は小生たちの群れの中でも、一際体の大きい、ギンジロウが翼を大きく羽ばたかせ、一声威嚇。無事に追い払ったのである。無論、小生も「ギュゥヴェー」と援護射撃をした事は忘れずにお伝えをしておく。

 小生からカラスまでは少し距離があったが、その援護射撃の甲斐があったに違いない。カラスは忌々しげにこちらを見ながら、ピョンピョンと二、三歩跳ねたのちに、どこかへと飛び去って行った。

 小生、声だけでなく、かなりの迫力で睨み付けてやったので、その効果もおそらくあってのことであろう。

 しかし、不幸はその後だ。先だってのこともあり、エサを腹八分目に控える事に成功した、同じ過ちは犯さない小生は、高くなった陽の光を浴びようと、柵の近くに移動し、ひなたぼっこをしていた。不覚にも、くちばしをうっすらと開けてである。

 それは突然の事であった。小生の、そのうっすらと開いたくちばしに何か得体のしれない物が飛び込んできたのだ。

 その瞬間、小生は我が身に何が起こったかわからず、何かが口に飛び込んできたと「ギゥヴェェェ」とむせた。くちばしの中がねちゃりとして、なにやら不味い。

「キュビュウェッ」と吐き出してみれば、何やら灰色の粘ついたものが小生のくちばしから飛び出した。それとて、すべてが吐き出せたわけでなく、口の中に不快感は残る。

 いったい何事かと、仲間たちもこちらを振り返るが、何事か聞きたいのは小生である。吐き出したものをまじまじと見ていると、それを覗き込んでいた小生の頭と謎物体を覆うようにして影が差した。

 あわてて、空を仰ぎ見れば、そこにいたのは奴である。

 憎き漆黒。

 不吉なる濡羽色。

 魔の化身。カラスである。

 カラスは小生の上空を二、三、これみよがしに旋回をしている。それを見て、小生は合点がいった。

 あろうことか、カラスの奴に糞を食わされたのだ。

 許すまじ。誠、許すまじである。

 それを悟るやいなや憤怒に燃える小生に、「カーカー」とカラスが鳴いて見せた。

「カーカー」ではない。「カーカー」では何を言ってるかわからぬ。人語かペンギン語を話せ、愚か者め。

「ギュゥヴェーッッ!!」

 小生は猛り吼えた。

 すると、上空を旋回していたカラスが途端、くるりと方向を変え、小生に向かって滑空してくるではないか。それもかなりの勢いで。

 空に浮かぶ、さして大きくもなかった黒い点がみるみる大きくなる。近くまで来たと思ったら、バサッと音を立て黒い翼を大きく広げ、鋭い爪を備えた足を此方へと向けてきた。

 その迫力には、さしもの小生も虚を突かれた。

 驚愕と恐怖。二つがないまぜになった衝撃に襲われ、次の瞬間、小生は走り出していた。

「ギュゥヴェーッッ!!」

 気づけば、小生は水の中に居た。

 勢いよく全身を振り、水を切り裂くようにして泳ぐ。周囲の光景が、揺らめきながら後方へと溶け流れていく。

 その馴染みの光景に、小生は幾ばくかの安心を得、しばし速度を落としゆっくりと泳ぎつつ、様子を水面の様子をうかがう。

 遠くに「カー」と言う奴の鳴き声が響いた。

 ゆっくりと、水面に顔を出すと、奴は、また遥か上空を旋回していた。

 間一髪であった。小生、奴の奇襲を機敏なる判断によって、見事にかわしおおせたのである。

 さぞ忌々しげに、俊敏な小生を見下ろしていることであろう。

 しかし、小生も、いささか悔しくはある。

 小生は空を飛べぬ。故に、奴を強襲してやることが出来ぬのだ。

 飛べさえすれば、敵では無いと言うのに。

 まぁ、小生が空を飛べぬように、奴は水に潜れぬ。

 ふむ、今日のところは引き分けと言う所か。

 旋回の勢いが増した。

 もしや、また、滑空してくる気ではあるまいか。

 小生は、大事を取って、再度潜水の姿勢を取る。戦略的撤退と言う奴だ。

 この日以来、小生はやつばらを宿敵と認め、日々、研鑽を積む毎日なのである。

 その研鑽を続ければ、いつかはアザラシを凌駕する日も遠くないかもしれぬ。

 今はまだ、プールの側に居ないと、少し、ほんの少しだけ不安で、奴を睨み付けることも中々出来ないが、それも今のうちである。

「ギュゥヴェー」

 今に見ているがいい。

 小生は、少しだけカラスの苦手なフンボルトペンギンである。名をピー太と言う。

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