フンボルトペンギンは孤独の意味を知るか
小生は愚フンボルトペンギンのピー太である。いや、失礼。フンボルト愚ペンギンである。訂正致します。
愚フンボルトペンギンでは、小生以外のすべてのフンボルトペンギンから怒られしまう。
本当は「ピー」ではなく「ギュゥヴェー」と鳴くのだが、なぜかピー太と名付けられてしまったので、ピー太と名乗っているしがないペンギンである。
動物園と呼ぶには少し小振りな、どちらかと言えば公園に近いような、そんな所で、生きているペンギンなのである。以後お見知りおきいただければ幸いである。
さて、小生の愚かさの話であった。小生の何が愚かなのか。
それは、餌を食べ過ぎて気持ち悪くなってしまうことだ。
実を申せば食べ過ぎて苦しくなった事はこれまでに一度や二度ではない。それどころか、その度に苦しくなるまで食べてはいけないと誓うのであるが、小生、すぐに、その誓いを忘れて食べ過ぎてしまうのである。
ちなみにさっき、一匹、アジをもどしてしまった。愚か、極まれり。すいません、アジ。
ちょっと満腹すぎるので、小生は岩陰のくぼみ、ペンギン舎の端にある、ペンギン気の少ない小生のお気に入りスポットに体を預ける。
立っていても苦しいし、かと言って、完全に横になるともっと苦しい。多分もう一匹アジが出てしまう。
いっそプールに入って全力で泳いだりすれば、この気持ち悪さも忘れられるかもしれないが、水から上がった後に多分もう三、四匹アジが出てしまう。
そんなこんなで小生は今、体を斜めにして、ぼんやりと空を見上げてるわけである。
笑いたくば笑え。
鶏と言う鳥は三歩歩けばそれまでの事を何でもかんでも忘れてしまうと聞く。そんな愚かな鳥とは比べものに成らないほど、小生は賢いのではあるが、だがしかし、そんな強がりもこの醜態では空しいばかりだ。
雲までアジに見えてきた。
「おーいっ、見ろよ!! ペンギンだっ!!」
そんなぼんやりとした小生の意識を、甲高い声が邪魔をする。
寝返りを打つようにして、柵の方に身を向けると、そこには何人かの人の子らが居た。
目についた順に、細長いの、小さいの、小さくて太いの、太長いの、中くらいでメガネを掛けているのの5人である。
小生、人の子らを見分けるのがあまり得意ではないので、イマイチ形くらいでしか捉えられないわけであるが、どうやら、みな一様に同じ帽子をかぶっている。おそらく、群れなのであろう。
小生たちが、同じ鑑札を着けているのと同じように。
小生だって愚かではあるが、実は賢いのであるから、わかってはいる。こういう時は、柵の近くへとペタペタと歩いて行ったり、勢い良くプールに飛び込んだりせねばならぬのだ。
だが、しかし、すまぬ人の子らよ。小生、今、それをやるとアジが……。アジが……。
小生が斜めの体を小刻みに震わせ、申し訳無さに苛まれていると、ふと、遠くで水音が上がった。そして、一瞬の間の後に、湧き上がる子らの嬌声。
見ずとも分かった。
仲間の中の誰かが、プールに飛び込んだのだ。
子らへの申し訳無さが、仲間たちへの申し訳無さとも相まって倍化する。
余りにも居たたまれなくなったので、いっそ、目を背けてしまおうと小生は決意した。子らよ、愚かな小生をどうか許されよ。
子らに視線を向ければ、すでに、場所を変え、プールの様子が一番見える所に移動していた。その後も、何度か水音が聞こえてくる。
元気に泳ぐ仲間たちがたくさんいるのだ、どうせ、こんな、食べ過ぎて満足に動けぬ愚ペンギンに視線を寄せる子などおるまいて、と小生は自らに言い聞かせ、岩陰の更に裏。夜に身を休めるスペースへと続く通路の方へと下がってしまおうと考える。
本当は昼間にそこにいると、タカハシに怒られるので最後の手段ではあるのだが、致し方ない。これ以上仲間たちの頑張る傍らで、体を斜めにしていられる程、小生強くはない。
どっこいせいと体を起こす。うぅ、やはりまだ苦しい。
水音と嬌声を背にして歩き出そうとした時、ふと視線を感じて、小生は廻りを見渡した。
すると、先程まで人の子らが居た所に、一人だけ残って、こちらに視線を向けている者が見えた。
中くらいでメガネを掛けているの、である。
気まずい。
なぜ、あの中くらいでメガネを掛けているのは、プールで泳ぐペンギンを見ないのだ。小生など見ていても、岩に体を横たえてぐったりしているだけであろう。どういう趣味をしているのだ、あの子は。
今も、こちらを見ている。
おい、プールを見たまえ、中くらいでメガネを掛けているの。
このまま、岩の裏に入って行ったら、完全にあの中くらいでメガネを掛けているのにその一部始終を見られてしまうではないか。
まさか。
あの中くらいでメガネを掛けているの、タカハシの命令で小生を見張っているのではなかろうか。
だとしたら不味い事態である。このまま、裏へと行けば、中くらいでメガネを掛けているのはすぐさまタカハシに報告に行くに違いない。
そうしたら、小生はタカハシに怒られてしまう。そうなったら最後である。
明日から、エサの順番並びの際に、列の後ろに行く様にタカハシは言うに決まっている。列の最初の方に並んでいなければ、たまにしか入っていない、数少ないイカを食する事の出来る可能性は限りなく少なくなってしまうであろう。
イカは惜しい。小生、イカ食べたい。
小生はわずかな葛藤の末、プールへと向かう事を決意した。
数匹のアジより、イカを食べられる可能性である。
もう一度、振り向き、プールを見やる。
すると、プールの前の柵に群がっていた子らの一人がこちらを見ていた。
「おいっ! お前、ひとりで何やってんだよ!!」
そう、声を上げ、細長いのが中くらいでメガネを掛けているのを指さした。
その声に、他の子らも中くらいでメガネを掛けているのの方を向き直る。
その時、中くらいでメガネを掛けているのが身じろいだのを、小生は見た。
「中チン。何やってんだよ」
次に声を出したのは、太長いのだ。子らの中で一番体が大きい。群れのボスだろうか。
太長いのを先頭にして、子らがこちらに帰ってきた。
「あ、あの、あっちにもペンギンが居たから」
中チンと呼ばれた中くらいでメガネを掛けているのは、そう小さな声で話すと、小生を指さした。
「あぁ? どれだよ」
子らは、中チンが指さしたペンギン、小生を一斉に見た。
急にそんな見られても。確かに、小生、覚悟を決めてプールに飛び込まんとしていた訳ではあるが、その、なんであろう。心の準備がそれなりに必要なわけであるのである。
小生が一匹、ドギマギしていると再び太長いのが声を上げた。
「なんだよ、あいつ。群れから離れて一匹じゃねぇか! 嫌われもんだな、きっと!」
群れから離れて一匹じゃねぇか! 嫌われもんだな、きっと!
その言葉が小生の中に響く。
嫌われ者。
はたして小生は嫌われ者なのだろうか。そうなのだろうか。確かに小生は食べ過ぎて具合を悪くしている愚ペンギンなのであるが。
仲間たちのほうに目をやる。
いつの間にか、こちらに来た子ら以外にも同じような帽子をかぶった子らが柵の前に居る。その子らに向けて、プールで泳ぎを披露していた。
しばらくの間、小生は何をするでもなく、仲間たちを見ていた。
「ほら、あぁやって離れた所から群れを見てよ、お前と一緒だな中チン」
そんな小生をよそに、太長いのはそう吐き捨て、周りの奴らがそれに合わせて笑い声をあげた。
中チンは笑っていなかった。
「やっぱ、変な奴はハブられるんだな」
細長いのがそう言った。ずいぶんと甲高い声だった。なにか、無性に腹の立つ、癇に障る声であると小生は思った。
「そうだそうだ」
細長いのの意見に太長いのが大きくうなずき、そして、太長いのは、中チンを突き飛ばした。
小生は驚いた。
「お前もそうなんだから、あいつもそうに決まっている」
中チンはふらふらとたたらを踏んで、転び、尻餅をついた。
中チンが怒るかもしれない。小生は、少し、そう期待した。なぜ、そんな期待をしたのか、よくはわからない。
太長いのが尻餅をついた中チンの前に覆いかぶさるように立つ。そして、自分を見上げる中チンから、メガネを奪い取った。
立ちはだかる太長いのを、見上げ、そして、中チンは、笑った。
小生は、人が浮かべる、目を細め眦を下げる、そして口角を上げる、というその表情を指す言葉を「笑う」しか知らない。
だから、小生は中チンが笑ったのだと思った。でも、小生は同時にそれは違うとも思った。
「や、やめてよ、健ちゃん」
中チンは「笑い」ながらそう小さく絞り出し、太長いのにメガネを返す様に乞うた。
しかし、太長いのは立ち上がった中チンの届かない高さまでメガネを掲げてみせ、一向に返そうというそぶりは見せない。
「ギュゥヴェーッッ!!!」
小生は鳴いた。
「ギュゥヴェーッッ!!!」
もう一度。
中チン達は驚いた顔をして、こちらを見ている。柵内の他のペンギンも動きを止め、何事かとこちらを見ていた。
好奇の目など意に介さず、小生は柵内の端っこで、独匹、鳴いた。
「ギュゥヴェーッッ!!!」
「ギュゥヴェーッッ!!!」
何度でも鳴いてやる。
やがて、小生の鳴き声に感化されたのか、何匹かの仲間が声を上げた。
「ピュゥウェエ」
「キュウウェウェウェッ!」
にわかに騒がしくなったペンギン舎へと、何事かと、人が集まり始めた。そこには大人も何人か居た。
その様子に、太長いのはキョロキョロと周りを見渡すと、つまらなそうな顔で、中チンへ向けメガネを放り、ペンギン舎を後にしていった。
他の子らも、中チンと太長いのの背中を交互に見やりながら、迷っている様なそぶりを見せていたが、結局太長いのに付いていった。
「待ってよ、健ちゃーん」
甲高い声だ。癇に障る。
一方、中チンは受け取ったメガネをかけると、立ち上がり、ズボンをはたいている。
それが終わると、小生を見た。
小生も、中チンを見た。
中チンは笑ってはいなかった。
悲しんでいるようにも、怒っているようにも、戸惑っているようにも伺えた。
しばしこちらを見つめると、あろうことか、太長いの後を追うようにして、こちらに背を向け去って行った。
中チンは、あの群れの中で、他の子らと何が違うのだろうか。何が同じなのだろうか。
小生は、仲間たちと何かが違うのだろうか。
小生は、もう一度、鳴いた。
「ギュゥヴェー」
小生はフンボルトペンギンである。名をピー太と言う。