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フンボルトペンギンは意味宿らぬ声を聴く

7話がタイトルに「春」を冠していたことに驚きました。

光陰矢のごとし。執筆亀のごとし。


大変ご無沙汰しております。恐縮千万。


忌々しき「この連載小説は未完結のまま約3ヶ月以上の間、更新されていません。」よこれにてさらば。

 小生の機嫌は二つ要素で主に決まる。

 一つ、よく食べたか。

 一つ、よく寝たか。

 そのどちらにも関わってくるのが、今朝の出来事である。

 以前もあったのだが、朝も早いうち。小生がまどろみ、夢心地を漂っている時分に、なにやらペンギン舎に物音がいくつか立っている。

 薄く眼を開ければ、何やらガチャガチャとケージが耳障りな金属音を立てて、何羽かの仲間たちがペンギン舎から出ていく様が見えた。

 最近はケンシンが多い。しかも朝方から、移動させられたりしている。寝てる方の身にもなってほしいものだ。

 とは言え、悪いことばかりでもない。

 仲間が少なかった為、今日の餌争奪戦が激しさをひそめた。大きめの、背の良く光っている良いイワシを何匹か口にする事が出来たことは、小生の心を豊かで穏やかな気分にしてくれるのに大きく効果を発揮する。

 つまり機嫌は、良くもなく、さりとて悪くもなく。

 若干寝不足。そして満腹。

 つまり、まぁ、必然であるのだが、眠い。

 小生、めっちゃ眠い。

 今朝から数えて何度目かのアクビをしながら、しかし、眠気と戦い、柵の向こう側を眺める。

 往来盛ん。嬌声の交じる喧騒。そんな賑やかな空気に負けない様愛想を振り向かなければ。知性と可愛さを兼ね備える奇跡のフンボルトペンギンの、それが、責務であろう。

 と、気張ったはいいものの。

「ギュヴェ」

 人居ねぇ。

 往来は無く。喧騒どころか閑散。賑やかさなど夢のまた夢で、聞こえるのは、後ろで仲間たちが泳ぐ水音に、遠く響く、他の動物達の鳴き声。

「ギュヴェ」

 人居ねぇ。

 小生のボヤキも閑散さに飲まれて消える。

 一体これはどういうことだ。

「おい、ピー太。そんなに、柵の向こうを見ていても、今日は誰もこないぞ」

「ギェッ?」

 何?

 突如声を掛けられ振り向くと、そこにはタカハシがブラシを持って立っていた。日を背負って立っているからか、表情が見えぬ。

「今日は休園日だ。お客は居ない。つーか、ペンギン舎の掃除なんだから、お前もさっさと、移動しろ」

「ギュェッ?」

 休園日? 掃除?

 小生が聞き返すも、タカハシは、それ以上は何も言わなかった。ただ、無言で運んできたケージの中に入るよう、小生を促しただけだった。

「おぉいっ! タカハシ!! 移動は済んだか? 向こうの業者さんお待ちだぞ!」

 その時、遠くから響いたのはトミタの声だった。

「はーい! もう、すぐです!」

 タカハシはトミタからの問いかけに、少し、あわてた様子を見せたが、すぐに小生に向き直りながらそう言って、ケージへ入るよう再び促した。どことなく優しげな声色だった。

「ほら、ピー太」

 普段なら、タカハシの誘導など歯牙にもかけない小生であるのだが、その日の淡々としたタカハシの振る舞いは、不思議と小生を素直にケージの中へと誘った。

「ギュッヴェ」

 ピー太ではないがな。

 賢い小生、訂正は忘れない。

 小生がケージに入ったのを確認すると、タカハシはおもむろにケージを持ち上げる。それとともに、小生は、ゆらゆらと奇妙な浮遊感を味わった。

 タカハシに運ばれ、園内を走る乗り物の荷台に乗せられると、今度はガタガタと、振動が小生を襲う。この揺れが、小生は嫌いだ。ケンシンの時も僅かな時間だが、これを味わうことになる。今日は、どこまで移動するのだろうか。あまり長くないと良い。

 小生は、気持ちの悪い揺れから気分を逸らすために、ケージの向こう側に移ろう景色に心を馳せた。

 そこには、見知らぬ獣舎が立ち並んでいた。

 小生が暮らしている所がこの園がどんな所であるか。知ってはいたつもりだったが、そういえば、他の場所を目の当たりにするのは初めてであると気付いた。

 なるほど、普段、鳴き声だけを聴いていたり、ペンギン舎に訪れる者たちの口々に登っていた動物たちはあの獣舎の中に居るのか。

 たまに遠くから響く「プオォアーン」と言う鳴き声。あの声の主は、間抜けな鳴き声に違わぬ、ひょろひょろと貧相で滑稽な姿をしているのであろうか。そうにちがない。ゾウとか呼ばれているらしいが、そのアホ姿を想像すると、笑みがこぼれてしまう。

「ギュゲゲッ」

 落ち着け、小生。

 さておき、興味は尽きない。百獣の王と名高いらしいライオンとやらは、それだけ称揚されているのだ、なんらかしら類まれなる小生と共通点があるに違いない。

 もしや、何処かにアザラシなる小生の天敵は居はしないだろうか。

 自らの棲家にも関わらず、普段は見ることの出来ない部分の様子を知ることが出来ると、小生はにわかに興奮していた。

「コンニチワ!」

 すると、どこからか、声を掛けられた。

 小生は慌てて、周囲を見渡すが、今朝からの続く閑散さからも察せられるように、人っ子一人見当たらない。

 そうこうしている内に揺れが収まった。まだ、大して園内を見まわって居ないし、謎の声の正体も掴めぬままだ。いささかの困惑は否めぬが、まさしくカゴの中の鳥なので、文字通り手も足も出ぬ。

 運転席から降りてきたタカハシにケージごと持ち上げられる。

「ギュヴェエェッ、ギュッギウェッ」

 タカハシよ、小生もっと色々見たいし、なにやら誰か居るようであるぞ。

「掃除と、業者さんも入ってるから、少し時間かかるけど、その間ここで大人しくしてるんだぞ、ピー太」

 案の定、小生の訴えはタカハシには届かなかった。小生に出来る事は人語を解す事であって、人語を操ることではない。無念。あと、ピー太じゃねぇ。

「水場は無いけど、日陰だし、我慢してくれよ。ほんのちょっとの間だけだから」

 そう言って、タカハシは小生をケージから解放した。

 言い足りぬことしきりではあったが、早々にタカハシの背中は小さくなっていってしまった。

「ギュベッ」

 にしてもここはどこであろう。

 見知らぬ場所にポツネンと取り残された小生は、周囲の様子を探ってみた。

 小生が立っているのは岩場。その周囲を水場の様な窪みがぐるりと囲む。しかし、水は涸れている。

 窪みの向こうに目をやれば、そこはペンギン舎と同様に柵がぐるりと巡らされているが、その柵はすっかり赤茶け、錆が浮き、古びている様子が、離れたところからでも見て取れた。

 暑くはない。岩場の真ん中あたりに根を張る大木が生み出す木陰で、柵内の大半は覆われているからだ。

「ギュ」

 ふぅ。

 岩場の脇にあった、いくつかの古タイヤにの一つにもたれて一息つく。

 岩場の裏には獣舎へと続いてる思しき扉がある。誰も見に来ぬのであれば、いっそ、裏で寝ていたいと思い立つが、すぐに大きな錠前がぶら下がっている事に気付いた。

「ギ」

 ちっ。

 あそこへは入れないのであろう。

 仲間たちも居ない。園を取り巻く喧噪もない。タカハシも居ない。

 古びた柵に囲まれた、誰も居ない。何も居ない。そんなところに小生は居る。

 ここはどこであろう。

 日常と違う環境に置かれ、再び、そんな疑問が浮かぶ。

 断じて、寂しいわけでもなければ、心細いわけでもないのではある。純粋なる知的好奇心である。小生、聡明であるがゆえに、そういうの湧いてきてしまう。こればかりはどうしようもない。

 隠せぬ知性。

「ギュギュギュギュ」

 わはははは。

「コンニチワ!」

「ゥェギッ!!」

 なんっ!!

 再び、どこからか声が、降ってきた。

 思わず、上ずった変な声が漏れてしまう。

「ギュベ」

 落ち着け、小生。

 そう自らに言い聞かせ、落ち着いて考える。

 声は降ってきた。そう、降ってきたのだ。

「ギュ」

 上の方か?

 音を頼りに、目線を周囲に走らせる。すると、大木の豊かな枝ぶりに隠れて目立たなかったが、よくよく見れば隣にも動物がいる事に気付く。

 ペンギン舎の周りには他の動物はいなかった。

 期待に胸を膨らませ、そちらへと近づく。ライオンとやらか。まさかアザラシではあるまい。

 小生の期待と怖れとをない交ぜにした興奮を迎えたのは、しかし、鳥であった。

「ギュ」

 鳥……か。

 珍妙なる鳴き声と姿を持つゾウでも、百獣の王なる雄々しきライオンでも無い。

 飛べぬとはいえ、小生も鳥なわけで。大して未知なる出会いでも無い。

 いささかの落胆と共に目の前の鳥を見据える。すると、いったんはしぼんだ好奇心が少し膨らんだ。

 よくよく見れば、同じ鳥とは言え、目の前の存在はいささか面妖で、小生の目を引きつけた。

 その姿、実に鮮やかな極彩色の羽を纏っている。赤色。黄色。少し、緑色。そして、くちばしを持っているのは小生と一緒だが、心持ち同様に平らかである小生のそれとは、似ても似つかぬ、丸みと鋭さを兼ね備えた黄色いくちばし。

 果たして、あれでイワシが食べれるのであろうか。

 トサカと言うやつだろうか。小生には無い、頭の上に逆立つ羽毛も目を引く。

 しかして、その鳥。面妖なるは見た目だけに留まらぬ鳥であった。

「コンニチワ」

 喋ったのだ。

 こんにちは、と確かに言ってみせた。

 てっきり周囲に誰か、人が居るのかと思っていたのだが、どうやら声色が一緒だ。先程から聞こえていた声の主はこの色とりどり鳥らしい。

「ギュヴェエヴェ!」

 お主? 人の言葉を話せるのか!?

 人の言葉を操る鳥が小生以外に居るのかと、一瞬にして気持ちが昂る。少なくとも、ペンギン舎には喋る者も解する者も居なかった。たまに、飛来するカラスやスズメの中にもそれは居なかった。

 それは、ずっと、ずっと、小生だけであった。

「コンニチワ」

「ギュベヴュ!」

 お、おぉ、こんにちはだな。

「コンニチワ」

「ギュヴェッヴェ!」

 で、どうなのだ? 話せるのであろう?

「コンニチワ」

「ギュギブ」

 う、うむ。

 小生は、人語の解せても、操ることはできぬ。ペンギンの言葉で問いかけても、どうやらペンギンではないこの者には通じぬ様だ。

 それもそうか。

 うぐぐ、もどかしい。

 せっかく。せっかく、小生と似た者に出会えたのに、会話をすること能わぬのか。

「コンニチワ」

 小生の必死の呼びかけも虚しく、色とりどり鳥はコンニチワを繰り返すのみ。歯がゆい。小生、歯を持たぬが。

 ペンギン語では何ら意志の疎通が図れぬのであればと、小生、羽を振るい、足を踏み鳴らす。なにかしら感じ取ってもらえればと、全身を使う。尻も振る。くちばしだって開けたり閉めたり。

 こちらからの言葉の発信は出来ずとも、小生の振る舞いに反応し何かを言ってくれれば、小生はそれを受け取れる。そう思っての行動だった。

 しかし、小生の奮闘は空しく散った。

「コンニチワ」

 色とりどり鳥の口を突くのは、その言葉だけだった。

「ギュベヴェエヴェ」

 お主、人の言葉を操るのではないのだな。

 色とりどり鳥は、おそらく、人の言葉そっくりに鳴くことができるだけなのだ。「コンニチワ」と聞こえるこやつの声に「こんにちは」の意味はない。

 小生の仲間かもしれないと思った鳥は、もう一度だけ「コンニチワ」と鳴くと、その鮮やかな翼を広げどこか見えない方へと飛んで行ってしまい、小生の前には、金網だけが残された。

 なにも居ない金網を眺めていても仕方がない。かといってどこへ行くでも、何をするでもない。仕方がないので、また古タイヤのある所へ戻る。

 その日、小生はタカハシの迎えが来るまでの間、ポツンとそこに立っている事しか、することが無かった。

 小生はフンボルトペンギンである。何故か、人の言葉を解せるペンギンである。

私信。

「春」よ。私は書いたぞ。

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