理想の恋人
屈辱だ、まさか僕が美夜湖ちゃんに小テストの点数で負けるなんて……。
もちろん僕だって悪い点数だったわけじゃない。二十五点満点中二十四点。むしろ高得点だ。だけど……僕はどんなことでも美夜湖ちゃんにだけは負けたくないんだ。よもや、本当に寝る間も惜しんで勉強してくるなんて……僕はもしかして彼女のバカさ加減を見くびってたのか?
「おいおい、どうした善也。まるで世界の終わりみたいな顔してるぞ、そんなにテストヤバかったのか?」
「うるせぇ西川、お前の世界を終わらせて、地獄に落とすぞ!」
まあ実際は天国とか地獄とかそんなものはないんだけどな。輪廻転生とかもない、小さい時に親父から聞いた。まあ仮にあったとしても西川は天国側だと思うけど。
「なんだよ怖ぇな。どうしたんだよ、いつもの温厚でクラスの人気者な古本善也くんはどこに行ったんだよ?」
「最初からそんな人間はいなかったんだ、それはクラス全体で見ている幻想だ。本当の俺は美夜湖の中にだけいるんだ」
「口調まで戻ってるし……」
僕だって、本当はこんな粗暴で乱雑な口調にはなりたくない、いや正確には戻りたくないか。でもしょうがないんだ、美夜湖ちゃんに小テストの点数で負ける僕なんて彼女にとって完全無敵な彼氏である古本善也じゃない。今の僕なんて高校生の団体に向かって石を投げれば十中八九当たる量産型男子高校生みたいなキャラで十分なんだ。
「兎に角元気出せよ。何か連休の予定とかないのかよ、お前は?」
「ああ……一応な」
「なんだよ、そんな嫌な予定なのか?」
もちろんそんな事はない。美夜湖ちゃんと旅行に行くのは凄く楽しみだ。だけど、今の僕の精神状態だと未来に期待を膨らませることすらできないんだ。目の前にいるこいつと違って。
「それで後輩にモテモテな西川くんはどこにお出かけになるんですか?」
僕はわざとらしく丁寧な口調で西川に問いかける。まあ大した意味はない、八つ当たりみたいなものだ。
「あれ? 俺連休どっか行くって言ったっけ?」
言ってないね。間違いなく言ってない。一週間くらい記憶を精密に遡れる能力があって、西川と話した部分の記憶をまるで編集作業のように漁ればもしかしたら言っていう場面を発見できるかもしれないけど、少なくとも今日はまだ言っていない。未来のことは知らないから、父さんにでも尋ねてくれ。
「さっき俺に、お前は、って聞いただろ? 普通に考えれば自分はどこどこに行くけど、お前はどこかに出かけるのか? って意味で受け取るよ。ましてや西川、お前はつい先日彼女が出来たって自慢してたじゃないか」
とまあ一人で勝手に論理的ぶってみたけど、外れてる可能性も大いにあるわけで。
「ああ、なるほどそういうことか。だけど残念ながら半分ハズレ。今回は彼女は関係ない。映研の合宿……というかロケだな。というか、善也。さっさと口調を戻したほうがいいぞ、彼女に見つかったらヤバいんだろ?」
「まあそうだな、自分じゃない自分を、昔の自分を演じるなんてのは映画の中だけで十分だ」
西川の言う通り、こんな口調で話しているところを美夜湖ちゃんに見咎められたら言い訳の使用が無い。現行犯逮捕、即刻懲罰房行きだろう。そして出てくる頃には、今度こそ美夜湖ちゃん好みの完璧彼氏が出来上がるに違いない。僕にはわかる、なぜなら経験があるから。まあまだ過去の成分が僕の中には残留している訳だけど。
「おいおい、それは映画の中で連続殺人鬼の役をやってる俺に対する嫌味か?」
「そんなつもりは毛頭ないよ。……って、おい西川ネタバレしないでくれよ。学園祭での映画の上映微妙に楽しみにしていたのに」
主に美夜湖ちゃんと暗闇で一緒という部分に。ああ、それならネタバレなんて気にする必要はないか。結局、僕は上映中ずっと彼女の表情の変化を楽しむつもりなんだし。映画の内容なんてどうでもいいのか。
「それにしてもお前も良くやるよな、彼女のために口調とか性格まで変えて、理想の彼氏をずっと演じてるなんてさ。自分でやってて違和感ないのか?」
まあ、そうだね。僕はこの学校に入るまで、いや美夜湖ちゃんに会うまでずっと俺だったんだから多少の違和感はあるけどね。
「もう半年以上これなんだ、流石に慣れたよ。西川も彼女に頼んでみたらどう? 俺の好みの彼女になってくれって、もしかしたら頑張ってくれるかもよ?」
「俺は今の彼女に満足してるし、遠慮しておく。そもそも彼氏彼女ってそういうものじゃないだろ?」
まあ西川の言いたいことは理解できる。普通、恋人というのは自分に理想に近しい人物を選ぶものだ。もちろん恋人選びで大切なのはそれだけじゃないけどね。だけど神様になりたいと宣う僕の可愛くて仕方がない彼女様はなぜか彼氏を自分の好みへと改造する方法を選択した。もしかしたら同じようなことを考えてる人間は他にもいるかもしれないけど、実行するのは美夜湖ちゃんくらいのものだろう。それに従う僕も大概だけど。
「まあ確かに朝倉は可愛いけどさ。流石に俺には真似できそうにない」
「理解されたいとは思わないよ。この場合、おかしいのは間違いなく僕たちの方なんだからね」
「つーか、それは本当にお前のことが好きって言えるのか? 朝倉はお前に理想像を強要するわけだろ? なら理想を演じてくれる男なら誰でもいいってことじゃないのか?」
まあ、概ね西川の言うとおりなんだけどね。でも理想の恋人が中々見つからないのと同じように、美夜湖ちゃんの理想通りに動いてくれる人だってそんな沢山はいない。捻くれた言い方かもしれないけど、ある意味僕は美夜湖ちゃんの理想なんだ。自分の理想になってくれるという理想の彼氏。
「それは美夜湖ちゃんが他の理想を見つけて来たら考えるよ。それにさ、誰しも誰かの理想でありたいって自分を偽ったりするじゃないか。僕たちの場合、それが極端なだけだよ」
「まあ、お前がそれでいいならいいんだけどさ。それじゃあ俺は部活行くから」
そうは言いながらも西川が去り際に僕に向けた顔はどう考えても得心がいったという表情には程遠かった。ふむ、西川とは長い付き合いだけど、やっぱり根本的な思考に差異があるなぁ。まあもちろん彼との友情関係を見直すほどではないけど。
さて、だいぶ西川が付き合ってくれたお陰でだいぶ時間も潰せたけど美夜湖ちゃんはまだかな?
僕たちの通うこの田舎の私立高校は部活動に無駄なくらい力を入れていて。生徒の九割は何らかの部活に所属している。もちろん僕は一割の方だ。残念ながら神様の子供にそういった才能はなかったみたいだからね。
それで美夜湖ちゃんは空手部所属だ。実はまだ試合を見たことがないんだけど、聞くところによるとめちゃくちゃ強いらしい。どれくらいかと言うと、うっかり全国大会で優勝してしまうくらい。だから僕は絶対に美夜湖ちゃんを怒らせるようなことはしないと決めている。優しい彼女は暴力に頼ったコミニュケーションは使わないと信じたいけどね。
「ごめんなさい!待ちましたか?」
そうこうしているうちに愛おしき僕の彼女が部活を終えて教室に入ってきた。
「ううん。今日はいつもより早かったね」
「はい、退部してきましたから!これで毎日善也くんと一緒に帰れますね」
ん? 今何て言った?退部してきた?
「えっと……美夜湖ちゃん?退部って部活辞めたの?」
「はい!」
「ど、どうして?」
「だって、善也くんは格闘技とか好きじゃないんでしょ?だから辞めたんです。私は善也くんの彼女ですから」
僕の可愛くて、愛おしくて、愛らしい彼女はどうだ参ったか、と言わんばかりにその平らな胸を思いっきり張ってそう自慢気に言い切った。
「ははは、そうか。そうだよね」
愉快すぎて笑いが止まらない。そんな様子の僕を美夜湖ちゃんが不思議そうな顔で見つめている。いやでも、まさか退部までするとは思わなかった。確かに僕は格闘技というか人を殴ったり蹴ったりするスポーツが余り好きじゃない。別に大した理由はないけど何故か好きになれないんだけどね。
だからといって、格闘技をしている何て美夜湖ちゃんを嫌いになったりはしない。でも彼女は僕が嫌いなことを続けていること自体が嫌だったみたいだ。
「それじゃあ、帰ろうか」
そう言って僕が差し出した右手を美夜湖ちゃんは嬉しそうに受け取った。
二人で仲良く手を繋ぎながら下駄箱に向かう。
「そうだ、旅行用に買いたいものがあるんです。善也くんも一緒に買いに行きましょう!」
「うん、いいよ」
西川的に言ってしまえば、美夜湖ちゃんが好きな僕は本物の僕じゃないんだろう。
でも、もう暫くは偽物の僕であろうと思う。