少年の独白
お会計を済ませ喫茶店を出た僕たちは、美夜湖ちゃんの家に向かってだいぶ秋らしい気温になった夜道を肩を並べてゆっくりと歩いている。
隣を歩く彼女は僕と遠出できることがよほど嬉しいのか短めのポニーテールを正に尻尾の様に振っている。でも今の彼女の様子だけ見ると仔馬というか仔犬って感じだけど。まあどっちにしろ、後ろから抱きつこうかって思うくらい可愛いから大した問題じゃないんだけどね。
でも何だか楽しそうにしている女の子を見ると虐めたくなるよね。もしかしたら遺伝子レベルで男に刻まれた本能なのかもしれない。
「そういえば美夜湖ちゃん。明日小テストだって吉見が言ってけど、大丈夫? 前回も補習食らってたよね?」
こんな僕の一言で美夜湖ちゃんの喜色満面だった表情が一瞬にしてその色を失い、ものの見事に真っ白になってしまった。やっぱり何も勉強していないらしい。ちなみに吉見というのは僕らのクラスを担当する英語教師のことだ。チョーク投げの正確さが持ち味だ。
「ダメだよ美夜湖ちゃん。神様なのに英語も話せないなんて言ったら笑い者になっちゃうからね」
「……はい」
と、そうこうしているうちにもう美夜湖ちゃんの家の目の前に着いていた。もう少し勉学に励むことの大切さを語りたかったんだけどしょうがない。今日はこの辺りにしておいてあげよう。
「じゃあ、少しは勉強しなよ? 小テストなんてそんなに難しいわけじゃないんだからさ」
美夜湖ちゃんは僕の問いかけに一度だけ頷くと、玄関の方へ体を向けて、そちらに歩いて行く。彼女の背中はとても寂しそうで、まるでご主人様に叱られた仔犬のようだ。どうやら少し虐めすぎてしまったみたいだ。
「美夜湖ちゃん」
だけど、彼女をそんな状態のまま帰してしまうほど僕は不実な男ではない。
僕は声に反応して美夜湖ちゃんは僕の方に顔を向けた。あーあー、今にも泣きそうじゃないか。
「明日の小テスト。補習にならなかったらお願いを一つ聞いてあげるよ」
「な、なんでもですか!?」
それを聞いた彼女の表情はこんな秋の空気の中で、そこだけ春を思わせるレベルで華やいでいた。ものすごい切り替えの速さだ。
「い、いや……もちろん僕に出来る範囲でね」
まあそんなことをわざわざ言わなくても美夜湖ちゃんがそこまで無茶なお願いをしてくるとは思えないけどね。
それにしても単純だな美夜湖ちゃん。そんな子供みたいなところも可愛いくて大好きなんだけどね僕は。
「わかりました! 私今から寝る間も惜しんで勉強します!」
いや、そこまでしなくても小テストなんて一時間も真面目に取り組めば問題ないレベルだからね。でも、本人がやる気になってるんだから、わざわざ水を差す必要ないか……。
「がんばってね。それと温泉楽しみにしてるから」
その言葉を聞き終えた美夜湖ちゃんはものすごい勢いで顔を上下に振ると、これまたものすごい勢いで家の中に入っていった。外に立っている僕にまでドタバタと階段を登る音が聞こえてくる。どうやら今すぐ勉強を始める気らしい。本当に目標を定めると一直線なんだから。頑張りすぎないといいけど。
さて、僕も帰るとするかな。
美夜湖ちゃんの家から僕の家はそれなりに離れていてたとえ自転車を使っても三十分以上かかってしまう。徒歩なら更にその倍だ。
流石にそんな夜のウォーキングを楽しむ気にはならないので、僕は近くの駅から街中を走る路面電車に乗った。ほぼ毎日乗っているからバカにならない出費である。
美夜湖ちゃんが自転車に乗れれば自転車通学に切り替えようかとも思うんだけど、残念なことに僕の彼女は自転車に乗れない。他のスポーツはできるのに、何故か自転車だけは乗れないのだ。
おそらく自転車を乗れる様になる頃には、高校を卒業してしまっているだろう。つまり僕はもう暫くこの路面電車とお付き合いしなければならないってことだ。
それにしても自転車に乗れない神様か……ずいぶんと親しみやすいな。
でも実際、美夜湖ちゃんが目指している神様になるために自転車に乗れる乗れないは全く関係ない。必要なのはもっと別のもの。
簡単に言ってしまえば血統だ。
この世界の神様はある一族が代々世襲制でその役割を担っている。モーゼさんに十戒を授けたり、マリアさんを知らない間に孕ませたりしてたのも全部その一族の仕業。
なぜ一介の高校生に過ぎない僕がそんなことを知っているかというと理由は単純で、うちがその一族だからだ。現在の神様は僕の父親。つまり僕は神様の子供で、次期神様なんだよなぁ。
こんなことを例えばクラスメイトの西川あたりに言ったら多分「どうした、ついにお前も彼女の毒にやられたのか?」なんて言われてしまうだろう。だけど本当のことなんだから仕方がない。証明しろと言われても困るけど。
まあでも、そんな真実は本当にどうでもいいことだ。さっき話にでた西川が最近演劇部の後輩から告白されたことくらいどうでもいい。
結局、僕にとって大切なのは美夜湖ちゃんのことだけなんだから。もちろん、僕が字面通りの意味で神の子であることは彼女は知らない。もし知られてしまったら僕たちの関係は恋人同士という甘酸っぱいものから、神を目指すライバルなんて暑苦しいものに変わってしまうだろう。そんなのはゴメンである。
そもそも僕は神様なんかにはなりたくないんだ。落語家の息子がみんな落語家になる訳じゃないのと同じで、神の子にだって職業選択の自由があってもいいじゃないか。だから僕は仮に神様になったとしても、美夜湖ちゃんなりたいと言うなら、いつだってその座を明け渡すつもりだ。
勘違いして欲しくないけど、もちろん僕はそういう邪な理由で美夜湖ちゃんと付き合っている訳じゃない。僕はあくまで朝倉美夜湖という存在が好きなんだ。別に彼女が神様を目指すのを辞めて、未確認生物になりたいというなら全力でそれをサポートしよう。どうサポートすれば正解なのかは全く見当がつかないけどね。
ずいぶんと話が横に逸れてしまったけど、とにかく僕は美夜湖ちゃんに自分の正体を打ち明ける気はない。このままの関係が末長く続いて結婚とかになったらまた別だけど、少なくとも学生でいる限りは僕はただの高校生で、美夜湖ちゃんの彼氏だ。
実際、現時点の僕は何の不思議パワーも持たないただの高校生だしな。父さん曰く、神様パワーは実際に神様になってから身につけるものらしい。まあまだだいぶ先の話だな。まだ父さん現役バリバリだし。
終点である地元の駅で路面電車を降りた僕は、徒歩で家に向かう。僕の家は飲み屋街と化している駅の東側とは反対側にあるため、この時間はずいぶんと静かだ。
家に着いたら僕も小テストの勉強しないとなぁ。美夜湖ちゃんにあれだけ言っておいてダメでしたなんてかっこ悪すぎるもんな。まあ、僕は彼女と違って普段からそれなりに勉強してるし問題ないとは思うけど。
それよりも思ったより遅くなっちゃったし早く帰らないといけない。また姉さんに怒られてしまう。姉さんは僕と美夜湖ちゃんの関係をあまりよく思ってないみたいで事あるごとに別れろと言ってくる。
少し帰りが遅くなったくらいでこんな風に言われるんだから、おそらく成績が下がったりしたら本格的にヤバイ。まあ美夜湖ちゃんと毎日遊んだ程度で成績が下がるとは思わないけどね。
あっ、しまった……そういえば教科書全部教室に置いてきたんだった。
まあ所詮は小テストだ、明日学校に行ってから勉強すればどうにかなるだろう。