第九十二話 置き土産
ヨヨの背後に突如として現れたネオス。彼女を捕らえようと手を伸ばすが、ヨヨもまたそれに気づきその手をバシッと払いのけるが咄嗟にその腕を掴まれてしまう。
「は、放しなさいっ!」
キリッとした表情をぶつけるヨヨだがネオスはググッと掴んだ手に力を込めると、ヨヨは痛そうに顔を歪めてしまう。しかしその時、黄色い炎が突然ヨヨの傍に生まれ、その中からソージが現れる。
「させませんよっ!」
ソージは蹴りを放とうとするが、ネオスは咄嗟に掴んでいた手を放して回避する。しかしその反動でヨヨは体勢を崩して抱えていたシャイニーを地面に落としてしまう。
ソージが慌てて彼女を掬い上げようとしたが、シャイニーの落下する場所に空間の穴が生まれ、そこにシャイニーは落ちてしまった。
ハッとなりネオスの方に視線を向けると彼の腕の中にシャイニーが奪われていた。そして猫を持つような感じで後ろの服を掴み捕らわれているシャイニーは、知らない人に触れられていることからかバタバタと手足を動かして泣いている。
「黙れ」
まだ産まれたばかりのシャイニーの細い首に手刀を落として意識を奪うネオス。瞬間、ソージの心に黒いものが生まれた。
「…………一度だけ言います。その子を放して下さい」
「断る。弱点をつくのは常套手段だ。それにこのガキは良い検体になりそうだ」
ブチィッとソージの何かが切れる音がした。次の瞬間、ソージの姿が掻き消え、気がついたら握り締めた右拳をネオスの頬へとめり込ませていた。
「ぶふぅっ!?」
メキメキッと拳を伝ってネオスの頬骨が軋む音がソージは感じる。そしてすぐさまシャイニーを保護しようと彼の右手に掴まれているシャイニーに手を伸ばす。
しかしまたもネオスがシャイニーとともにその場から消失する。すると屋敷の屋根の上にネオスが出現する。
ソージは射殺さんばかりの視線を向け続け、再び動こうとするが、ネオスが懐からナイフを取り出しシャイニーの頭に近づける。
「動くな赤髪」
口から血を流しているネオスは、ペッと血と折れた歯を吐いた。ソージも距離があり過ぎて迂闊に動くことができずに足を止めて睨みつける。
「ふぅ……今の一撃は何だ? 俺にも見えなかった…………何者だお前?」
「……オレは執事だ」
「ただの執事じゃないだろう。それほどの力を持った奴が何の野心もなく過ごしているわけがない」
「それはお前の理屈だろ? オレは屋敷のみんなと平和に過ごせればそれで満足だ。それを奪おうとするならオレはお前を……ぶち消すぞ」
ソージの殺気で大気がビリビリと震える。そんなソージを見てネオスは楽しそうに頬を緩める。
「……なるほど、お前に関してもう少し調べる必要が出てきたな。玩具も役には立っていないし。……引き際か」
「逃がすつもりは―――」
「おっと、それ以上動くな」
「っ!?」
「ピクリとも動けば、コイツが死ぬぞ?」
そう言いながらネオスがシャイニーの首を絞めるように持つ。いつでも首を折ることができるという仕草だ。そして左手に持っているナイフを、
「いいか赤髪、動くなよ?」
ソージ目掛けて投げつけた。
「ソージ!?」
ヨヨが叫ぶが、ソージは動くことなく向かってくるナイフを身体に受けた。グサッと右腹部に刺さるナイフ。火傷しそうな熱と激痛が腹部から伝わるが、ソージは歯を食い縛り痛みに耐える。
「フッ、良い的だ。だがこれ以上長居すれば何があるか分からないからな。俺はここで……」
その時、苦しそうに呻き声を上げながらシャイニーが目を覚ます。
「う……くうしいおぉ……」
軽く首が絞まっているのだろう、彼女は涙を流しながら悲痛な声を上げるのを聞くと、ソージの頭が沸騰してしまう。
しかしヨヨがソージの右手を掴む。
「っ! ……お嬢様」
「今近づけば彼女が殺されるわ」
「で、ですが……」
そう、このまま放置したところできっとネオスの実験体になるだけなのだ。一か八か全速力で間を詰めて救い出すことを考えるが、やはり地上と屋敷の屋根の上とでは距離がある。
魔法を使って背後から奇襲をかけたいとも思うが、魔力を感知されると厄介なのだ。それにネオスの視線は常にソージへと向けられている。眼球の動きでさえ気取られているようだ。
シャイニーのことを思うとすぐにでも助けにいきたいが、ナイフによる負傷もあって、動きも鈍くなっているので、向かっている間にシャイニーを殺される可能性の方が高い。
(どうすれば……どうすればいい!?)
必死に思考を回転させるが良い案が生まれてこない。それはヨヨも同じようで、明らかな動揺が見て取れる。
「パーパ! パーパァ!」
泣き叫ぶシャイニーを見て益々怒りが募っていく。だがその時、シャイニーがハッとしてソージを見つめる。その視線は間違いなくソージの腹部から流れ出ている血液に向かっていた。
「え……どおしちゃの……パパ?」
ソージも彼女が自分の腹のことを言っているのだと理解できた。
「いちゃいの? なんで? だえがパパをいちゃくすゆの?」
驚愕に開かれたシャイニーの目が徐々に吊り上がっていく。そしてゆっくりと顔をネオスへと向ける。
「おまえが……すゆの?」
「はあ?」
ネオスは不愉快そうに眉をひそめる。わなわなと震えるシャイニーは、クワッと目を見開き叫ぶ。
「おまえが……パパをいちゃくすゆのかぁっ!」
「なっ!?」
シャイニーの赤い髪がふわりと浮き上がりボボボッと紅蓮の炎を作り出す。
「パパをいちゃくすゆのはみんなきえおぉぉぉぉっ!」
シャイニーの全身が燃え上がり、凄まじい火柱が彼女を中心にして生まれその近くにいるネオスも巻き込まれる。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
堪らずネオスは屋根からシャイニーを放り投げる。ソージは咄嗟に橙炎を創り出して、シャイニーを包み込む。そしてゆっくりと彼女をソージの前まで下ろしてくると、
「……あ……パ、パパァァァァァッ!」
ソージの顔を間近に見て安心したのか泣きながら抱きついてきた。ソージも彼女の頭を優しく撫でながら彼女の無事を喜んだ。
「もう大丈夫ですよシャイニー。すみません。オレのせいで怖い思いをさせてしまって」
「パパァ……パパァ……」
彼女が無事で本当に良かった。まだ産まれたばかりのこの子には見せて上げたいものがたくさんあるのだ。父親として、家族として、彼女の生存が何よりも嬉しかった。
「ぐ……あ……っ!」
屋根の上から呻き声が聞こえる。見れば身体からシュゥゥッと煙を出しながら凄まじい形相でソージたちを見下ろしていた。
「どうです? 私の家族は強いでしょう?」
「はあはあはあ…………」
すると彼がしていた額の赤いバンダナも燃え落ち、奇妙なものをソージは目にする。それは彼の額に横一線に刻まれた傷のような筋である。すると彼はそれを隠すように左手で額を覆う。
(何だ? 何かあるのか?)
隠すということは様々な理由がある。羞恥などという理由では決してないことは彼の性格からも分かる。しかしハッキリした理由はいくら考察しても見つからない。
突然何を思ったのか、ネオスは上空へと右手をかざした。するとアクアラプトルを召喚した時と同じような巨大な穴を屋敷の上に作り出した。些か距離があるように思えるが、また何かを召喚するのかと警戒する。
「…………赤髪ぃ……置き土産だ」
そう言うと、ネオスは自らのすぐ傍の空間に穴を作りそこに足を踏み入れる。そして殺意に満ちた目を向けて更に一言。
「必ずお前を人形にしてやる、楽しみに待っていろ」
ネオスは穴に消えていった。しかし奇妙なのは上空の穴がまだ消えていないということ。すると屋敷からカイナやシーが騒ぎで起きてしまったようで出てきた。
彼女たちもソージたちが上空を見ていることに気がついて同じように視線を向かわせて首を傾げている。
(あの穴は何だ……? 置き土産と言ってたけど…………ん?)
ソージの目に信じられないものが飛び込んできた。穴からズズズッと巨大な物体が姿を現し、そして真っ直ぐに屋敷へと落下してきた。
「まさか……っ!?」
「嘘でしょ!?」
ソージとヨヨだけでなく、その場に居る者全員が声を上げて固まっている。何故なら上空からは半径十メートルはあろうかと思われる巨大な岩の塊だったのだから。
「まずい! あんなもんが落ちたら!」
ソージは抱えているシャイニーを地面に下ろして岩に向けて両手をかざし、
「喰らい尽くせ! 白炎っ!」
と声高に叫ぶが、何故か魔法が発動しない。
「どう……して? …………ま、まさか!?」
ソージは腹部に刺さっているナイフに注視する。恐らくこのナイフに塗られている毒のせいだと直感した。
「ヨヨお嬢様!」
「分かっているわ!」
ヨヨは全てを把握しているようでソージに触れると彼女の身体から膨大な魔力が放出されソージに注ぎ込まれていく。たとえ毒で魔法が使えなくされていても、ヨヨの『調律』の魔法なら除去し元の健康状態に戻すことは可能である。
しかしその間も岩は屋敷へと向けて落ちてきている。あれほどの規模を一気に破壊するのはこの中ではソージしかできない。
だがそのためにはソージが魔法を使えるようにならないといけないのだ。
「お嬢様……」
目を閉じて集中しているヨヨを見つめるソージ。心で早く早くと願うが、岩の方が早いとソージも思ってしまっている。
(くそっ! このままじゃ屋敷が! みんなが!)
カイナとシーは危険なのにもかかわらず再び屋敷へと入っていった。まだ中にはシーの娘であるユーやニンテ、他のメイドたちも寝ているのだ。
あの岩が直撃すれば恐らく命は無い。とんでもないネオスの置き土産だった。
「くそっ! 間に合わないっ!」




