第九話 執事長のお仕事
真雪たちが旅を決意し旅立ってから数日、彼女たちの探し人であるソージはというと、
「うん、今日も良い天気だ」
橙色のジョウロで花壇に水をやっていた。雲一つ無い快晴に包まれた空からは、清々しいほどに顔を覗かせている太陽の光が大地へと注いでいた。早朝にも一度水をやったのだが、今日は日差しが強かったので、昼にこうして再度水をやっているのだ。
燦々と輝くその光を浴びて、花たちもどことなく嬉しそうな感じがしてソージもまた満足気に頷いている。こうして元気よく咲いている花を眺めていると癒される。
「ソォォォォォォジ様ぁぁぁぁ~っ!」
そんな癒しを満喫している最中、ドドドドドと地面を鳴らしながら走ってくる者がいた。
「どうしたんですか、ニンテ?」
盛大に息を乱しながら駆けつけてきたのは、ニンテと言う名のメイドである。彼女はソージが十六歳の時にこの屋敷に雇われたメイドだった。
薄い紫の髪色をしていて、両端を短く紐で結っている。まだ十歳の新参者のメイドではあるが、よく働き笑顔を絶やさない可愛らしい顔をした少女だ。
コンプレックスは貧乳だということらしい。まだ十歳なんだからいいじゃないかとソージは思う。しかし彼女から「胸は女のステータスらしいんです」と強気で返されてしまった。
この間、誰から聞いたのか知らないが男の人に胸を揉んでもらえれば大きくなると言われたらしく、ニンテはソージに「ニンテのお胸をモミモミして下さいですぅ!」と頼みにやって来た。
しかも場所が悪く、そこにはヨヨを含めて、他のメイドにソージの母親までいた。何故か母親はその時顔を逸らしたのだが……。もしかしてこれは何かの罰ゲームないしドッキリかと希望を持ったが、彼女の言葉で思わず固まってしまったソージが理由を尋ねると、ニンテは真剣な顔をして先程の理由を声高々に告げた。
その時、ヨヨが物凄い冷たい目を向けて、「揉んだら分かってるわよね?」的な感じの殺気を飛ばしてきたので全身が汗でビッショリになったのを覚えている。
良くも悪くも純粋過ぎるニンテが起こした事件は、皆にとっては小規模なものだったかもしれないが、ソージは大爆撃の威力が込められたミサイルが頬を掠めていった感覚を経験したのだった。
あれからもっと常識を学ぶべきだということで、ニンテのことを気に入っているヨヨが直々に教えたりしている。そもそもニンテを孤児院から引っ張ってきたのはヨヨなのだ。まるで自分の妹のように可愛がっている。
そしてソージが調べた結果、ニンテに妙なことをいろいろ吹き込んだのは実の母親であるカイナだと分かった。あの時顔を逸らしたのはそういう意味があったのかと理解できた。そして当然お仕置きと称して一日飯抜きにしてやった。
カイナは「いいも~ん、自分で作るから!」と反省してなかったようだが、食材を管理しているのはソージなので、食べ物を得ることができずに、結局カイナは大人げなく泣いて謝った。それでも信賞必罰と称して一日我慢してもらった。というより大人なんだから、たかが一日飯抜きで泣くなよと思った。
「タ、タタタタイヘンですっ!」
血相を変えて叫ぶニンテを見てソージは怪訝に見返す。
「何かあったんですか?」
「コココココレをっ!」
そう言って彼女が腕を突き出してきた。その手には三つ折りになった一通の手紙のようなものがあった。それを受け取り開いて中を確認してみると、
「ああ、なるほど、脅迫状ですか」
「どうしてそんなにアッサリですっ!?」
「え? だってこんなもの、今までいくらでもありましたから」
そう、脅迫状など腐るほど送られてきたり、敷地内に投げ入れられたりされてきた。別段珍しくも何ともないのだ。
「だ、だだだだだってヨヨ様をねらうって書いてあるんですよ!」
「みたいですねぇ。ですが問題ありませんよ」
「どうしてです!」
「だって、オレがいますから」
「……へ?」
ポカンとなるニンテ。そしてソージは微笑を浮かべると、
「オレは、ヨヨお嬢様の執事ですから」
その顔には自信しか存在していなかった。
「あら~? ニンテじゃない、どうしたのそんなあわあわした顔して」
「あ、カイナ様!」
ニンテはソージに脅迫状を届けると、ソージは「これは預かりますね」と言ってどこかへ去って行った。
しかしニンテは何故そんなにも平然としているのか、ソージの態度に不安を感じて屋敷の中に戻った今でも気になって気になって仕方が無いのだ。
そんな時にソージの母親であるカイナが現れた。
「な~るほど、また来たってわけね~」
「ま、また!? ほ、ほんとにあれってそんなにイッパイ来てるんです!」
「ま~ね、ああいうものって権力者にとっては一種のステータス? みたいなものよ。有名になるほど、力を持つほど、周囲に妬みや恨みが膨らむのは必然よ。まあほとんどが逆恨みでしょうけどね~」
「……し、知りませんでした……」
ニンテは顔を俯かせる。
「ま~そうでしょうね~。ああいうものはいつもソージが対応してたから。今日はたまたまニンテの目に入ってしまったってだけだし」
「……あ、あの、ほんとに大丈夫なんです?」
「へ? 何が?」
「その、キョーハクジョーのこと……です。もしヨヨ様がほんとにねらわれたら……」
ニンテは不安に心を震わせ悲しそうな表情をする。そんな彼女の肩に優しく手を置くカイナ。
「大丈夫よ。ソージも言ってなかった?」
「え、あ、はい。おっしゃってましたです」
「なら大丈夫。ああ見えてウチの息子は強いしね」
ニカッと笑うカイナだが、ニンテにしてみれば首を傾けるしかできなかった。その時、二階から誰かが降りてくる足音がした。
「あら、二人とも、どうかしたのかしら?」
ヨヨだった。どれだけ手入れをしたらそれほどの美しい流れるような金髪を維持できるのだろうとニンテは思う。
歩く度にキラキラと揺れるそれは、ずっと見ていてもニンテを飽きさせない。そして母譲りの黒い瞳は、見る者を引きこんでいくような気分にさせてしまう。
雪のように真っ白な肌、触れると折れるのではと思われそうな細い体。間違いなく誰の目をも惹く美少女である。ニンテが勝っているところなんてあるわけがないと思うのも無理はない。
ただそう、唯一、ある一点だけに関しては、ニンテも親近感を覚えている部分があった。それは---------------本当に女性かと思うほどの薄い胸だった。
無論女性なのはニンテも理解している。ともに湯浴みをしたこともある。だからこそヨヨが紛うことなき女性だということは存じている。
しかしながら、悲しいことにヨヨの胸は同年代の女性と比べても嘆きだけが零れるほど、残念な貧乳ぶりだったのだ。
そんな彼女がソージとともに二階から降りてきた。どうやらソージはヨヨの所に行っていたのだとそこで初めて知ったニンテ。
「別にどうもしませんよヨヨ様。言ってみれば、女同士の内緒話でしょうか?」
カイナがそう言うと、ヨヨはフッと笑みを浮かべて、
「それは楽しそうね。時間があれば私も混ぜてほしかったわ」
「母さん、もしかしてまた余計なことをニンテに……」
ソージは前科のあるカイナをジト目で睨む。
「や~だソージ、私はためになることしか教えないわよ?」
「どの口が言うんですか?」
「も~プリプリしないの。あ、ところでどこかお出かけになられるんですかヨヨ様?」
「ええ、コレの処理にね」
そう言って彼女が見せたものを見たニンテは「あ……」と呟く。それは間違いなく先程の脅迫状だった。
「そ~ですか、では馬車のご用意を?」
カイナが尋ねるとヨヨは首を横に振る。
「いいえ、ソージが運んでくれるわ」
「分かりました。ソージ、ちゃ~んと仕事してくんのよ」
「分かりましたよ。というか母さんもくっちゃべってないで仕事して下さい。給金下げますよ?」
実は働いている者たちの給金を計算して、その旨を当主であるヨヨに伝えているのは執事長のソージである。元々メイドの給金などはメイド長のカイナが、その者の働きぶりを観察して、それに見合った額をヨヨに提示していたのだが、ソージが時間給や歩合制に、危険手当やボーナスなどといったシステムをヨヨに話した結果、それは分かり易くていいということで、計算の得意なソージに一任されることになった。
カイナは一つ仕事が減り楽になったと喜んでいたのだが、自分の給金も息子に握られていることを知り、しまったと思ったらしいが、時すでに遅し。今では屋敷の全てを把握しているソージにカイナは膝を折ることしかできなかった。
「そ、それだけは止めてぇ! もうすぐ欲しい服が市場に出るのよぉ!」
「だったら給金を頂くに見合う働きをお願いします。このままだと、ニンテよりも低くなりますよ?」
「う……嘘……よね?」
「さあ?」
まだ仕えて半年ほどのニンテと、二十年以上仕えているカイナとでは給金が違うのは当たり前。しかしソージは、皆に仕事ぶりを評価して平等に給金を計算すると公言した。
つまりは働けば働くほど給金が増えるのだ。しかし全く働かないカイナの給金が、めまぐるしく必死で働いているニンテより給金が劣るのも仕方が無いのだ。
ソージが生まれるまでは皆から止められるほどの働き者だったのだが、何がどう間違ったのか、楽を覚えてしまい駄目親になりつつある。
ガックリと項垂れるカイナをよそ目に、ソージとヨヨは外に出て行こうとする。するとふと、ヨヨが足を止めて、
「そう言えばニンテ、あなたはまだ執事長のもう一つの顔を見ていなかったわね」
「え、あ、も、もうひとつの顔……です?」
「ええそうよ」
「お嬢様、まさか……」
ソージは頬が引き攣られる思いをしていた。だがヨヨは楽しそうに笑みを浮かべると、
「いい機会だわ。ニンテ、一緒について来なさい」
「へ?」
「あなたに見せてあげる。この屋敷の執事長がどういうものかをね」
「……はぁ」
ニンテは意味が分からないのか口を開けたままだ。無理もない。いきなり執事長にはもう一つ別の顔があると言われてもピンとくる者は少ないだろう。
「ソージ、彼女も連れて行くわ」
「畏まりました」
ソージは最初から反論するつもりなどなく、頭だけを下げる。
外に出て、ニンテは不安そうに口を開く。
「あ、あのヨヨ様。も、もしかしてですけど……そ、そのキョーハクジョーを送った人たちに会いにいく……とか?」
ニンテは無表情のヨヨの横顔を見て、
「あ、あはは、そんなわけないですよね! すみませんです! まさかトウシュ様みずから動かれるわけが----------」
「その通りよ」
「な……い…………へ?」
「フフ、女の子がそんなに口をポカンと開けないの。もう一度言うわ。これから向かうのは脅迫状を寄越した連中のところよ」
「え……え? …………ええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
盛大にニンテの声が響き渡る。
「ん……耳が痛いわよニンテ」
「あ、すみませんですヨヨ様!」
即座に頭を下げるニンテ。
「で、ですがキケンですぅ! なにもヨヨ様みずからいかなくてもです!」
「いいのよ」
「え?」
「私はどんな者たちがこんなものを送ってきたのか把握しておきたいのよ」
「で、ですけど……」
「大丈夫よ。そのために私には優秀なボディガードがいるのだから」
ニンテがゆっくりとそのボディガードであるソージに視線を向けると、ソージは微笑を浮かべて軽く顎を引いた。
「ではお嬢様」
「ええ、頼むわ」
「え? いまからなにを? あ、そういえば馬車なしでどうやって移動を……」
「見ていれば分かるわニンテ。大人しくしていなさい」
ヨヨに言われ、ニンテは「はい……」と呟いてジッと見守っている。
ソージが前方に手をかざすと、突然その手から橙色の炎が出現する。
「きゃっ!」
初めて見たニンテは、咄嗟に身を引いて悲鳴を上げた。
「え? あ、火? え、でもオレンジ色? あれ? 普通赤じゃ……?」
明らかに混乱しているニンテを楽しそうに見つめるヨヨ。
「想いを像れ、橙炎」
ソージがそう呟くと同時に、オレンジ色の炎は形を変えていく。そしてまるでそらに浮かぶ雲のような造形になり、両端には翼が生えている。ちょう乗車一台分ほどの大きさだ。
その光景を見て、増々混乱が強まっているような顔をしているニンテをよそに、まずソージがその上にヒョイッと乗った。そしてヨヨに手を差し伸べて彼女も同乗した。
ヨヨはいつまでも固まっているニンテに顔を向けると、
「行くわよニンテ」
「え、あ、は、はいです!」
しかしやはり火のように燃えているので、警戒している様子のニンテに、ソージが手を差し出す。
「安心して下さい。熱くはありません。ただの乗り物と思って下さい」
「えっと……は、はいです」
ソージは彼女の手を取り、クイッと引っ張り上げた。小さく彼女は悲鳴を上げたが、ようやく熱くはないと感じたのかホッとしていた。
するとフワッと三人を浮遊感が包む。ニンテはまたも声を上げて、腰を落としているが、ヨヨは慣れているようでそのまま立っていた。
そして橙炎は三人を乗せたまま上空へと昇っていく。いまだに夢の中にいるような感じでキョトンとしているニンテを見てクスリと笑みを溢したヨヨは、
「そう言えばソージ。別にこの羽はいらないのではなくて?」
「……演出です」
「そう、素敵ねとでも言ってほしいのかしら?」
「……ご随意に」
確かに翼などなくとも飛べる。何故ならばこの橙炎の特徴は、ソージの想像を具現化するもの。つまり物体に触れることができる炎なのだ。
こうして人を乗せる乗り物を創ることもできれば、包丁や鍋なども創れてソージとしては使い勝手抜群の効果を持っている。
実は今日、オレンジ色のジョウロで花に水をやっていたのだが、それもこの橙炎で創ったものである。ニンテは脅迫状のことで気が動転し気づいていないようだったが。
飛んでいる間、少し落ち着いてきたニンテに、ソージは魔法の説明をしていた。ソージのような魔法は初めて見たのか、魔法だと知ってからは目をキラキラさせて話に耳を傾けていた。
しばらく飛んでいると、眼下に森が広がっている場所へと辿り着いた。
「あそこのようですねお嬢様」
「向かいなさい」
ソージが指を差したのは、森の中にある小さな泉だった。そこには男たちが数人いた。どの男も身形は小汚く、賊のような武装をした者たちだった。