第七十七話 お誘い
結局ネオスがフェムを工房に呼んだのは、自分がしていることを理解できるかできないか確かめるためだったようだ。恐らく、もしフェムが理解できる人格の持ち主なら、一緒に作業をしていたのだろう。
そう思うと、そんな異常性がフェムになくて良かったとソージは思う。それと同時に、そこまでしてネオスは何を作っていたのか気にはなる。
「誰も分からないのよ。ネオスが何をしたかったのか……もちろん人形に関することだろうけど……」
そしてネオスは例の事件に巻き込まれて命を絶ったとのこと。
「フェムさんの感じたものが真実だとしたら、【シンジュ霊山】に現れたのはネオス。どうやって死んだはずのネオスがそこに現れたのかは分かりませんが、彼がネオスだとしたら、何故あそこにいたのか分かりますか?」
「分かるわけないわ。ネオスの考えてることなんて誰も……」
その呟きの後、しばらく重苦しい空気が流れる。誰も何も発せず、時の針だけが動いていた。そして最初に口火を切ったのはヨヨだった。
「感謝するわフェム」
「え?」
「辛い話をしてくれてありがとう」
「あ……う……べ、別にそんなんじゃないし」
頬を染め上げながら照れ臭そうに顔をヨヨから背けるフェム。空気がポッと温かくなった。
「考えても分からないことをいくら考えても無駄よ。私たちはただ、フェムの話を受け止めればいい」
「で、でも何かアイツはソージに興味を持ったわ! もしかしたらやって来るかも……」
「その時はその時でしょう? 仮にやって来て面倒をかけるようなら、ソージが何とかするわ」
「ええ、迷惑はゴメンですし、早々に退場して頂きます」
「ヨヨ……ソージ……」
「それにですね。ああいう連中は何も初めてではないですしね」
「そ、そうなのっ!?」
叫んだのは真雪だ。
「ああ、言っただろ? 修行の旅をしてた時なんて、どれだけ異常者に追われたか……」
思い出したくないが、その経験のお蔭で多少のことが起ころうと冷静でいられる。
「さ、さすがだね想くん……。想くんはそういった闇の組織の陰謀を打ち砕き、今は最強の執事をしてるんだね!」
「お前、ありきたりなラノベを読み過ぎだろ」
「え? あはは、あんまり褒めないでよぉ~」
「褒めとらんわ!」
ソージは真雪がライトノベルや少年漫画が好きなのは知ってる。そして彼女は結構それに影響されるのだ。
「ふふ、本当に驚くわね。ソージがそんなに砕けた口調で話すなんてね」
「ヨ、ヨヨお嬢様、これはですね。まあ、前世からの幼馴染だというか何というか……」
「あれ? そう言えば聞こう聞こうって思ってたんだけど……」
真雪が顎に指先を当てて小首を傾げながら皆の視線を集める。
「何を聞きたいんだ真雪?」
「うん、あのね、何で想くんはヨヨさんのことをお嬢様って呼んでるの?」
「……はあ?」
真雪が意味の分からない質問をしてきたのでついキョトンとしてしまったソージ。
「だってさ、ヨヨさんってアレでしょ? 男の娘なんだよね!」
でしょでしょ? 的な感じで追及してくるが、周りの者は時を止めたように固まっている。セイラは「えぅえぅえぅ~」とどうしていいか戸惑っているようだ。
「お、お前な、お嬢様のどこをどう見たら男の子に見えるんだよ?」
「え? だってそれって女装なんでしょ? 今流行りの男の娘じゃないの?」
……………………
………………
…………
……っ!?
何度も頭の中にクエスチョンマークが躍っていたが、ようやく真雪が言っている意味が理解できたソージは、慌てて頭を振る。
「ば、馬鹿っ! 日本の文化が異世界で流行ってるわけないだろうがっ! そもそも男の娘っていう存在すら見たことないわ!」
「ええっ、そうなの!? だ、だったらヨヨさんって…………女の子?」
「あ、当たり前だ! お前がヨヨお嬢様のどこを見てそう判断したかはコンマ数秒もかからず理解できるが、決してお嬢様は大きい方ではないけど、これでも少しはあってだな! それに胸の話はお嬢様の前では禁句で……」
「ソージ?」
ビクゥッとまるで全身が一瞬にして麻痺したかのように硬直するソージ。冷たく暗い声。その声にはいつもの穏やかさは一切なく、まるで刃物のような鋭さと氷のような冷たさだけが存在していた。
ヒタヒタヒタヒタ……と、まるでホラー映画で良く聞いた、静かで不気味な足音がソージの背後に響き、ピタリとすぐ傍で止む。
大きく喉を鳴らし意を決してゆっくりと振り向いて、その存在を確認する。そこには綺麗な微笑を浮かべた美少女が立っていた。普段なら誰もの目を引く優雅な佇まいなのだが、今の彼女からはまるで噴火前の火山のような雰囲気が感じられる。
微笑というマスクを剥がせば、そこからは間違いなく般若か仁王の怒り狂った顔が出てくるに違いない。ソージはガタガタと震える身体を止めることができなかった。
「ソージ、お・し・お・き・ね」
そう言ってヨヨはピタッとソージの額に冷たい手で触れる。ああ、気持ち良い冷たさだなと思った瞬間――――――
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロォォォォォォッ!
突然腹の中から最大警報が鳴り響く。
「こ、こ、これはぁぁぁぁ……っ!?」
思わず腹を押さえながらソージは蹲る。そして冷ややかな表情で見下ろすヨヨが一言。
「仕事、サボらないようにね」
何とも残酷な一言だった。この状態で仕事をこなすのはきっとあれだ……そう、皆が赤ん坊の頃にお世話になった下半身を包む例のアレが必要になる。しかしさすがにそれはソージのプライドが許さない。
「そ、想くん、どうしたの?」
そう言いながら真雪がソージの身体に触れると、
「はうっ!?」
軽く触れられたショックでも腹に響き、もう我慢がリミットブレイクする。
「ト、ト、トイレェェェェェェェェェェェェッ!?」
こうしてソージはしばらくトイレの住人として過ごすことになった。
「まったく、ソージはデリカシーがないわ」
改めてフェムと真雪とセイラはヨヨの恐ろしさを感じた瞬間でもあった。それからソージは夢の中でトイレの神様に「お前また来たんか?」と言われるまで、足繁くトイレのドアを叩いたという。
フェムの告白から数日後、真雪たちも仕事に慣れてきたのか、他のメイドたちやニンテたちとも親交を深めていった。
ソージもお尻を痛めながらもその光景を喜んでいた。そしてある日、フェムからフェニーチェの卵の様子を聞かれたソージは、私室へと彼女を連れて行きベッドの横に作った卵用の簡易ベッドを紹介した。
あの告白からフェムは少しやることがあると行って屋敷を出て行って今日訪ねてきたのだ。無論その傍にはメイド服を着込んだテスタロッサも控えていた。
「ふぅん、あんまり変わんないわね」
つまらなさそうにフェムは言うが、ほんの少しだけ卵が大きくなっているのだ。元々興味の無かった彼女なので、その変化には疎い。
「あ、でもほんのり温かいわね」
下に藁を敷き詰めて鳥の羽毛で周りを温めている卵を触りながらフェムは感心するように言う。
「情報では【アサナト火山】にいるフェニーチェの復活日もそろそろだということですから、その日が来ればこの卵にも変化が現れますよ。ハッキリとね」
「みたいね。できれば産まれてほしい?」
「それはそうですよ。せっかくですから貴重な誕生シーンが見たいです。まあ、産まれる可能性は極めて低いのが現実ですが」
するとフェムはソージに対し身体を正面に向けると、
「ねえソージ、覚えてる? アタシとの約束」
「約束? ……はて? 何か約束しましたか?」
「……テスタ、お仕置きモードに」
「ああ、嘘です嘘です! すみませんっ!」
「もう、からかうなら相手を選びなさいよね」
選んでいるからこそのフェムなのだが、もうお仕置きというワードはしばらく聞きたくないのだ。
「あはは、すみません。卵の報酬として何でも言うことを聞くというものでしたね」
「そうよ」
「ですがあまり無茶は止めて下さいね」
フェムのことだからとんでもない無理難題をかけてくるか分からないのだ。フェムはニヤッと笑みを浮かべると、懐から手紙のようなものを出して手渡してきた。
「それが何か分かるかしら?」
「えっと…………《自動人形品評会招待状》……え?」
フェムはニヤッと口角を上げる。
「ちょっと先だけど、一か月後に【シューニッヒ王国】で《自動人形品評会》が行われるのよ」
「はぁ」
「アタシも《自動人形》発祥の地として【ラヴァッハ聖国】の代表の一人として向かうのよ」
「なるほど」
「そこで、アナタにも一緒について来てほしいのよ」
「へ? 何故私が?」
「だってアナタ、《自動人形》に興味があるとか言ってたじゃない」
「ま、まあ確かにそのようなことは言いましたが……」
「そこには最新式の《自動人形》だって紹介されるようだし、一見の価値はあるわよ!」
「ほうほう」
「それに【シューニッヒ】ならここからでも近いし、それほど時間だってかからないわよ」
確かに【シューニッヒ王国】は、この屋敷がある【ドルキア大陸】に存在している。地方こそ別名だが、大陸を渡るわけではないので近いと言えば近い。
「ですが近いとは言っても、私も通常の業務がありますし」
「そこは抜かりはないわよ! ちゃ~んとヨヨからも許可を得てるわ!」
「へ? そうなのですか? むぅ……ならまあ良いのですが」
正直こういう催し物は嫌いではない。特に最新式の《自動人形》とやらは確かに一目見たい。
「私が行くのは良いのですが、何故このイベントへ?」
「そ、それは別に……あまり深い理由はないわよ」
何故か顔を背けられるソージ。
「…………理由説明。フェムはその時に開催されるフェスティバルを、ソージと一緒に楽しく見回りたいと言ってました」
「ちょ、ちょちょちょっとテスタ!? ア、アンタ何言って!?」
「…………紅潮。顔が真っ赤ですフェム」
「あ、あああああああもういいわっ! ソージッ!」
ビシッと指を突きつけてきたフェム。その顔はテスタロッサの言ったように紅潮して真っ赤だ。
「は、はい?」
「と、とにかくその時が来たら迎えに来るからそのつもりでいなさいっ! 分かった!」
「あ、はい……分かりました」
フェムの勢いに押されてつい返事を返してしまった。まあ、ヨヨの了承を得ているのであれば問題はないのだが。
そうして宣言をした後、フェムは足早に屋敷から去っていった。