第七十六話 ネオスの目
「一応話はこれで終わりよ。皆は仕事に戻りなさい。カイナは二人に手解きをして」
「まっかせて下さい!」
カイナはやる気満々のようだ。余程可愛い子と一緒に仕事するのが嬉しいのだろう。その精神はもうおっさんに近いものがあった。
「あとソージは、例の卵を……」
「待って」
ヨヨがソージに向けて何かを発しようとしたところ、フェムが一言で途絶えさせた。シーンと静まった室内で、フェムが苦々しい表情で口を震わせた。
「……話があるのよ」
ソージとヨヨはその話に見当はついていた。だが彼女が話したくないのであれば、無理に聞き出そうとは思わなかった。
何故ならあの時、彼女の様子は尋常ではなかったから。顔を青ざめさせ、その小さな肩も小刻みに震えていた。
「…………フェム。辛いなら私が話しますが?」
隣に座っているメイド服のテスタロッサが彼女を案じて言葉をかけるが、フェムは頭を横に振って答える。
「いいえ、アイツのあの言葉、恐らくソージに興味を持ったんだもん。言わなきゃ……アタシが」
決意が込められた言葉に、ヨヨが立っているカイナたちに目配せをする。ここをソージとヨヨだけにしろという意味だ。フェムが話しやすい環境を作ろうとした配慮だったが、フェムはカイナたちにも居ていいと言った。あの時、その場にいたのだからと。
カイナも笑みを崩し、ヨヨが「座りなさい」と言ったので皆が腰を下ろす。この場に居るのはソージ、ヨヨ、カイナ、フェム、テスタロッサ、真雪、セイラの七人である。
そして皆が着席したのを見計らって、フェムがその重そうな口を開いていく。
「覚えてるわね? 【シンジュ霊山】に現れた男のことを」
真雪とセイラもハッとなり、ようやく何の話をしようとしているのか分かったようにジッとフェムを見つめる。
「あの時、あなたの様子はおかしかったわ。あの銀髪の男を見たあなたは、まるで恐怖の権化を見たような表情をしていたもの」
ヨヨの言う通り、まさしくフェムは男を見て、ある言葉を囁いた後、体調でも崩したかと思われるほど顔色が悪かった。そしてそれから屋敷に帰るまで一言も喋らなかったという。
何か思いつめたような顔をしていて、ニンテやユーも話かけられなかったらしい。
「……フェムさん、私はあの時、あなたがある言葉を呟いたのを聞きました」
「……ソージ」
若干目を見開きソージを見つめるフェム。
そう、あの時、フェムは確かにこう言った。
―――――――――――兄さま、と。
「聞かれてたなら少し話すのが楽になったわね」
フェムはゴクリと喉を鳴らし、意を決したように前を見据えながら言った。
「そう、あの男はアタシの兄よ」
兄さんという言葉を聞いていたソージと、それを伝えておいたヨヨは驚きはなかったが、真雪とセイラ、そしてカイナは吃驚している。それはそうだろう。明らかに敵意だけでなく殺意を剥き出しに攻撃してきた男が、ここにいるフェムの兄だと誰も思わない。
「込み入った事情がありそうね」
ヨヨの言葉にフェムが大きな溜め息とともに頷く。
「ええ、家の事情もあって詳しくは話せないけど、あの男は間違いなくアタシの兄で、名前はネオス・D・ドレスオージェ。《孤高の人形師》と呼ばれた男よ」
「ちょっと待って、《孤高の人形師》ですって?」
「え? あ、そっか、アンタは情報屋だったわね。なら知ってても無理ないか。家の事情も何も、情報屋には意味無いわね」
フェムはヨヨの発言に肩を竦める。
「私も知っています。僅か五歳で《自動人形》を作り出した天才。【ラヴァッハ聖国】に《神童》ありと言わしめた少年の話。ですが彼は……」
「ええ、十年前に【ラヴァッハ聖国】を舞台にして起きたあの事件で死んだとされたわ」
ソージの言葉にヨヨが継いで、そしてフェムがそれに答える。
「さすがね。そう、十年前に起きた『人形師殺害事件』で、ネオスは何者かに誘拐されて、ある場所で冷たくなったまま発見されたわ」
「ならやはり、あの男はフェムさんの兄ではないのでは?」
「い、いいえ……」
フェムは身体を小刻みに震わせ始めた。
「あの目……あの声……それに…………三体の人形を苦も無く操作していたわ」
そう、あの三体は《自動人形》だった。だから身体を切断されても血が噴き出さなかったのだ。
「あんなことができるのはアタシは一人しか知らない」
【シンジュ霊山】でもフェムは話していた。複数の《自動人形》を扱うのは非常に難しく、魔力供給などの問題でそんなことを苦も無くやれるとしたら化け物並みだと。
「それでは死体が偽物だったのかしら?」
ヨヨが当然のごとく思いつく疑問を口にする。
「そんなはずないわよ。何度もお父様が調べたようだし、ネオスだけじゃなく、攫われた人形師全員が殺されていたから」
「確か結局犯人は分からなかったのよね?」
「ええ、事件は一年ほど続いて、それからピタリと犯行が止まったの。それからは何も起きなくなったわ」
「奇妙なことね。突然終わった事件もそうだけれど、死んだと思われていた人物が目の前に現れるなんて。……やはりあの男はあなたの兄ではないのではないかしら?」
「そんなわけないわ! あの目……忘れもしないわ……」
テスタロッサが椅子から立ち上がり、震えるフェムの肩にそっと手を置く。
「テスタ……ありがと、大丈夫よ」
どうやらフェムとネオスとの間には兄と妹という関係の他に、ただならぬ繋がりがあるようだ。そしてそれはソージの見るところ…………恐怖である。
「兄は……ネオスはね、異常者なのよ」
「異常者?」
ソージが聞き返す。
「あまりに頭が良くて、何でもできて、兄と同じようにものを考えられる人はいなかったわ。アタシだって天才って呼ばれて育ってきたけど、兄と比べると霞むどころか消し飛ぶほどの才能の差があったわ」
下唇を噛んでいるところを見ると、やはり悔しいという感情は持っているようだ。
「だから《孤高の人形師》。誰も辿り着けない場所に一人でポツンといるのよ。そんな兄の考えは常軌を逸していたわ」
誰もが絞り出すように言葉を吐くフェムを黙って見つめている。
「ずっと工房に引きこもっている兄とは、あまり接点がなくて、仲良くした思い出なんか無いわ。兄専用の工房には立ち寄らせてはもらえなかったしね。でもアタシが五歳の時、珍しく兄から工房に来るようにと言われたの。アタシは不安だった。それまで兄妹のような会話なんて一切してこなかったもの。だから二人きりで会っても何を話していいかなんて分からなかった。ただそれでも、兄が初めて声をかけてくれたことが嬉しかった」
まだ五歳なのだ。兄から声をかけられ、入りたくても立ち入ることができなかった工房にまで招待されて嬉しくない妹はいないだろう。
「だけど、工房に入って言葉を失ったわ」
「どういうことですか?」
ソージは眉をひそめて聞く。
「彼の工房は広く、とても冷たかった。そして室内には夥しいほどの血液がそこら中に撒かれていたわ」
その言葉にそれまで黙って聞いていた皆の目が開かれる。セイラは口元に手をやり苦い表情を浮かべている。
「しかもそれだけじゃなくて、いろんな動物の死体までたくさんあったわ。腐ったものまであった。思わずアタシはそれを見て吐いてしまったの」
そしてフェムが言うには、そんな彼女を見てネオスは突き放すように言ったらしい。
『汚いな。どうやらお前もコレが理解できないみたいだな。なら帰れ』
それからフェムは涙を流しながら一目散に外へと出たという。
「その時見たネオスの目……あれはもう……人の目じゃなかったわ」