第七十三話 帰還してからのデミック
「本当にこの度はありがとうございました」
「ありがと! おねえちゃんたち!」
ユーリとその娘であるミルが玄関の前でソージたちを見送るために出てきていた。真雪はミルの小さな頭を撫でながら笑顔を浮かべている。
「ううん! ミルも元気でね!」
「うん!」
そんな二人のやり取りを微笑ましそうにソージが見ていると、ユーリが近づいてきて、包みのようなものを差し出してきた。
「あの、良かったら道中召し上がって下さい。せめてものお礼にと、作らせて頂きました」
「気を遣わせてしまい申し訳ありません。ですが、謹んで頂戴します」
ソージはほんのりと温かさが伝わってくる包みを受け取る。どうやらおにぎりを作ってくれたらしい。実際おにぎりは【日ノ国】の文化でもあるのだが、ユーリの祖父が【日ノ国】出身で、おにぎりの作り方を知っていたそうだ。
結構な量を作ってくれたようでずっしり重みを感じる。大切に食べようとソージは心に決めた。
「代わりといってはなんですがコレを……」
そう言ってソージがユーリに手渡したのは《チェスモモ》だった。
「え? あ、ど、どうしてこれを?」
「そうだよ! もってたの想くん!?」
ユーリと真雪が突っ込んでくるが、ソージは微笑を浮かべながら頷きを返す。
「ええ、二つしかストックはなかったのですが、どうぞ、もし今度病を患ったら食べて下さい」
実はソージが修業時代の頃、【シンジュ霊山】に行った際に《チェスモモ》を紫炎の中に保管しておいたのだ。バルムンクからも《チェスモモ》は便利だからという話を聞いていた。だからさっき紫炎を創り出して、その中から《チェスモモ》を取り出しておいたのだ。
ちなみに《チェスモモ》というのは形がチェスの駒のようになっていて、ほんのり淡いピンク色ではあるが、ポーンやナイトなどの駒の形をしている面白い果実なのだ。味は桃と同じである。
「あ、ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」
「あ、《チェスモモ》は土の中に埋めておいて、適度に水をやっておけば腐らないので保管はそのように」
「重ね重ね本当に」
ユーリから何度も何度も頭を下げられる。しかしソージも喜んでくれるだけで嬉しいので保管していた甲斐があったというものだった。
もう一度、ミルたちからお礼を言われてソージたちはその場を後にした。真雪やセイラは何度も振り返り、ミルが手を振るのでそれに応えていた。
町から出ると、ソージは足を止め、真雪に顔を向ける。
「本当について来るんだな?」
「うん! だって奇跡の出会いをしたんだよ! 離れたくなんてないよ!」
恥ずかしい言葉をこともなげに言う真雪。セイラもまたウンウンと何度も頭を縦に振っている。
今朝、真雪たちに今後のことについて尋ねたところ、彼女たちはソージについて行きたいと申し出てきた。別段ついて来られても問題はないが、彼女たちにもやるべきことがあったりしないのかと聞いてみたが、当初の目的だった魔族の統率者を倒すことはソージがやってのけたので、実際真雪たちが抱えている問題というのは一つだけだった。
それは抜け出してきた【ラスティア王国】について。恐らく情報屋を頼った経緯を知り、追っ手がやって来るだろうが、元々統率者を倒したら自由にしていいと言われていたらしい。
この世界に召喚した召喚魔法の使い手が、地球へ戻る送還魔法の準備が整うまでという条件ではあったみたいだが。
しかしほとんど何も言わずに出てきたみたいなものなので、追っ手がやって来る可能性は大。だが追っ手がやって来ても、しっかり説明すればいいと真雪は考えているようだった。
ソージとしても、せっかく彼女ではないが、奇跡的な再会を経験したのだから、一緒にいても全然問題は無い。それにセイラもソージともっと話をしたいらしく、真雪に賛同しているようなので、彼女たちが決めたならそれでいいかと判断した。
「分かった。でも、屋敷じゃあまり構えないぞ? オレにはたんまりと仕事があるしな」
「手伝ってあげるよ!」
「いや、真雪にやられると余計仕事が増えそうなので却下だ」
「な、何なのさその言い方ぁ!」
「えぅ……真雪さん落ち着いて下さい!」
正直に言って真雪は不器用である。器用さを求められる執事の仕事に、真雪が介入すればどうなるかは火を見るより明らかなのだ。
「ま、まあ、屋敷にいてもいいけど、長く滞在するなら何か仕事はしてもらうからな」
ただ飯を食わせるつもりは無い。生活したければ働いてもらう。それは幼馴染でも関係ないのだ。
「もっちろんだよ! こう見えても力とか結構上がってるんだから!」
「はいはい、期待してるよ。それじゃ、ちょっと離れてろ」
「え? 何?」
真雪の言葉を無視してソージは右手を前に出し「想いを像れ、橙炎」と呟く。右手から突如として現れたオレンジ色の炎にギョッとする真雪たち。
だがそこで真雪は初めてソージを見た時のことを思い出したようで、
「ああ! あの時の煙だね!」
「……炎なんだけど」
「え? あ、そうなんだ……あれ? でも熱くないよ?」
普通は驚いて距離を取ってしまうものなのだが、驚くことに真雪は指先で炎を突いてきた。彼女の好奇心は恐ろしい。もし普通の炎だったらどうするつもりだったのだろうか……。
いや、彼女の動物並みの第六感で橙炎は触れても大丈夫だと悟ったのかもしれない。真雪は恐ろしい子だった。
「夜中に説明したろ? オレの魔法のことも」
「あ、そうだっけ? そういやそんなことも話したような……」
まあ、本当に一睡もせずに話しこんで、様々な話をしたので忘れていたのだろう。あまり記憶力もよくない真雪なので、ソージは昔から知っている彼女のおつむの残念さにこれ以上突っ込みは入れなかった。
橙炎が畳で四畳ほどの大きさの四角になると、ソージがその上に乗る。
「うわ~乗れるの!?」
子供のようにキラキラ目を輝かせた真雪が、何の躊躇いもなく乗り込んできた。セイラは彼女とは違って戸惑っている様子だ。そんな彼女にソージは「大丈夫ですよ」と声をかけて手を差し伸べる。
「え、あ、あの……えぅ」
恥ずかしそうに顔を紅潮させて手を差し出してくるので、その手を握り彼女を橙炎に乗せた。
「あ、柔らかい」
セイラが驚き混じりに小さく呟く。
「不思議だよね、想くんの魔法って! この前は白いのも使ってたし」
「驚くのはこれからこれから」
ソージはそう言うと、橙炎を宙に浮かせた。セイラは「ひゃ!?」と可愛く声を上げたが、真雪は「おおぉ~!」と感動していた。まさに対極である。
(本当に真雪は子供みたいだな……)
ソージの中では十七年以上も会っていない幼馴染。その彼女が全く変わらない姿を見せてくれることに、呆れながらもホッとする思いが胸に生まれた。
「さて、ゆっくりと屋敷を向かいますからね」
ソージの言葉に真雪は「おお~!」と答える。セイラもマネしなければならないのかと思っているのか、照れながらも小さい声で「ぉ~」と言っていた。顔を真っ赤にしながら言う彼女はとても可愛らしくほんわかするような思いだった。
普通ならここでソージが、セイラの可愛さに心を掴まれるのが少年として当然の現象なのかもしれないが、こう見えてもソージは精神的には三十を越えているのである。
そして育ってきた環境もあるせいか、何だか彼女のような初々しい反応を見ると、微笑ましいような、まるで妹か娘を見ているような気持ちになってくるのだ。
よくヨヨにも「あなたって時々おじさんに見えるわ」と酷いことを言われたりするのだが、実際問題…………おじさんなのである。
ソージはそんな自分の気質を感じて頬をポリポリとかきながらも、橙炎に集中し屋敷へと動かしていった。
途中、空の旅を満喫している間にユーリからもらったおにぎりを三人で食べ、舌鼓を打っていたが、ようやく前方にクロウテイルの屋敷が見えてきた。
庭園の方へ向かうと、そのまま橙炎をゆっくりと地面へ近づけた。三人が橙炎から下りたところで、ソージは炎を消した。
「おう、ソージじゃねえか! 何だ何だ? 朝帰りしたと思ったら……はは~ん、男になったんだなソージ?」
鬱陶しいのがやって来た。
黒く日焼けした健康そうな肉体美を放つ屋敷が誇る……いや、ある意味では誇れない庭師、デミック・ランナウェイである。
ニヤニヤと白い歯を見せながら盛大な勘違いをどこまでも広げようとしてくる。
「そっかぁ~、せ~っかくお前さんのために、今度の飲み会、キレイどころを集めたってのによぉ~。そっかぁ~必要無かったかぁ~残念だぁ~」
すぐさま彼に詰め寄って抗議をする。
「ちょ、ちょっとデミックさん! いい加減に下品な勘繰りは止めて下さい! この子たちはオレの客人であって、決していかがわしい関係ではありません!」
「ほほう~、んじゃ朝帰りにも拘らず何も無かったと? そんなに可愛い子二人もいて?」
「か、可愛いことは認めますが、断じてそんなことはしていませんから!」
デミックの地声は低音でよく響くので、無論真雪たちにも届いている。なので二人して顔を真っ赤に染め上げてしまっている。恐らくソージが可愛いと言ったことが一番威力が大きかっただろう。
「ふ~ん……あ! でもそんだけ可愛いんだ。もう飲み会は無しでいいのか?」
「と、当然…………の、飲み会というのは例のバインバインの?」
「おう、バインバインで締まるとこは締まってる美女だぜ? ソージのことも話したら、向こうも興味持っちゃっててさ、そのまま行くとこまで行けるかもしれなかったが……いや~残念だ」
デミックが大げさに肩を落とし踵を返そうとしたが、彼の肩をソージはガシッと掴む。
「い、いやデミックさん、そんなせっかく集まって下さる婦人たちを追い返すようなマネは頂けないのでは?」
「……ふ~ん、なら…………やるか?」
「そ、そうですね、一度ゆっくりお話を――――」
その瞬間、周囲がブリザードに包まれたように一気に気温が低下した。そして刺すような視線がソージの背中に集中する。思わず我を忘れてしまい、デミックの口車に乗ったことを後悔する。
ギギギと油の切れたロボットのように顔を振り向かせると、そこには笑顔なのだが、全く目が笑っていないクロウテイル当主様、ヨヨお嬢様が佇んでいた。
小声だったはずなのに、ヨヨには聞こえていたのか不思議でならない。いや、よく見れば真雪は何のことだか分かっていない様子だが、セイラは明らかに引いている様子だ。
…………うん、聞こえてたねこれ。
全身から冷たい汗が噴出するソージ。修業時代何度も感じた死の香りが今まさに漂っているのを肌で感じる。仕方無くここはデミックと力を合わせて解決に導こうとしたが、
「あ、あれ? デミックさん?」
「ああ、今日も良い感じだよリップ」
いつの間にかソージのもとを離れて花壇に咲いている花に語りかけていた。というか花に名前付けてるのかよと突っ込みたかったが、今はそれどころではない。
「……ソージ?」
まるで身の丈五十メートルはあろうかと思われる鬼に声をかけられた気分。ソージは咄嗟にスマイルを作り、すかさずヨヨの前で跪く。
「只今戻りました、ヨヨお嬢様」
「今日、マッサージとお仕置きね」
「…………あ、あのお嬢様?」
「マッサージとお仕置き。それともお仕置きだけが良いかしら?」
「……か、畏まりました、マイ・ロード……」
がっくりと意気消沈するソージだった。今夜は荒れるなと……