第七十二話 奇跡の一時
テーブルの上には、様々な料理が並べられてある。それらは全てソージが作ったものだ。
「あう~久しぶりの想くんの料理だよぉ~」
嬉しそうに真雪は口端から涎を垂らしかける。
「さ、さすがは執事さんです! 勉強になります!」
セイラは「むむむ!」といった感じで料理に見入っている。その言葉で彼女が料理好きなのが分かる。
「ふわ~おいしいそう!」
「すみません、病気を治して頂いたばかりか、このような素晴らしいお料理まで」
ミルとその母親がそれぞれ言葉を発する。
「いえいえ、私はこうして誰かのお世話をするのが日課ですから。それにそういうライフスタイルを気に入ってもいるのです」
「ぶ~だったら日本に居た時、もっと私に構ってくれてもよかったのに~」
真雪が愚痴を溢し始めたが、ソージは半目になって真雪を睨む。
「お前な、誰のお蔭で世話好きになったと思ってんだよ」
「え? 誰誰?」
ソージが世話好きになったのは、ここにいる真雪のせいでもあった。元々家のことを好きでやっていたということもあり、結構生活がだらしない真雪の世話をついでにしていた。
彼女は隣に住んでいて、家は結構な金持ちでお嬢様といえばお嬢様にも拘らず、服装の乱れや髪の手入れ、それに部屋の片づけ等、まるで少年のような奴だった。
せっかく見栄えが良いのに、それはもったいないと思って、幼い頃から、彼女の身辺に気を遣っていたのだ。また彼女の親からもそれとなく頼まれていたのもあるが……。
高校生になると、それもずいぶん大人しく……というか、ソージが放っておいてもマシと思えるくらいまでは成長した。しかしそこまで来るのに、結構長い時間彼女の世話をし続けていたせいか、すっかり世話好きおばちゃんみたいな性格になってしまったのだ。
親や兄も、真雪同様だらしない部分が多かったので、それがより助長された。本来なら逆に世話嫌いに陥るかもしれないが、ソージの場合、本質がそちら方面に傾いていたためか、それほど苦でもなく、むしろ誰かの役に立って、そして笑顔を見ることで心が穏やかになる感覚を味わってきた。
結構それが快感を覚え、自然と家事スキルがメキメキ上達していったということだ。何だかんだいって、追い詰められれば追い詰められるほど、逆に癖になるというドM気質もあるからなのかもしれないが……。
「まあ、誰のせいかはこの際、おいといてだ。さあ、皆で頂きましょう!」
ソージが手を合わせると、皆もそれに倣って同様の仕草をして「いただきます」をした。この町は海沿いではないにも拘らず、かなり良質の魚介類が店で販売されてあり、ソージはその魚介類を使った料理を作り上げた。
《ホワイトサーモンのムニエル》に《オータム貝のオニオンスープ》、《特製海の幸チャーハン》と《シャキポキ菜と赤ワカメのサラダ》がテーブルに並んでいる。
「はむ! むふふ~このムニエル、塩加減が抜群~! しかもプリップリしてて美味しいよぉ~」
真雪は箸が止まらないのか、次々と口へ運んでいく。
「うわぁ、この野菜、とても食感があって癖になりそうです」
セイラが口にしているのはサラダだ。《シャキポキ菜》はその名の通り、食べるとシャキッとしていて、噛むとポリポリと音までなるのだ。しかも少しピリ辛な《赤ワカメ》と相性が良く、とても美味なのだ。
「ねえおかあさん! このチャーハンさいこーだね!」
「ええそうねミル、ミルの好きなエビも入ってるわ」
ミルとその母親であるユーリが美味しそうにチャーハンを食べている。
「んぐんぐんぐ……ぷはぁ! 想くん! このスープ、おかわりある!?」
「……相変わらずの食欲だよなお前」
ソージが日本に居た時、真雪にもよく手料理をご馳走したことがあるが、その度にソージが目を剥くほどの食欲を見せつけてきたのだ。まるで衰えが……いや、むしろ増している感じがする真雪の食欲に辟易する。
「だってこのスープ、あっさりしてて飲み易いんだもん! 何だか優しい味? そんな感じ!」
「いや、そんな感じって言われても……ま、いっぱい食べてくれるのは作った側としては嬉しいけど」
ソージは真雪の器を持つと、キッチンへと向かいスープを注いで戻ってくると、
「想くん! チャーハンおかわりぃっ!」
「…………それ以上食べると太……いや、お前の場合はでかくなるぞ……か」
「はへ? 何のこと?」
ソージの視線は真雪のポヨンポヨン動いている胸に向かっている。これだけ食べても太らないのは、きっと栄養が全てそこにいっているからなのだろうとソージは解釈した。
セイラもソージの言葉を聞いていたのか、真雪の胸と自分の胸を見比べて「えぅ……」と悲しそうに目を伏せていた。確かにセイラはどちらかというと貧乳クラスになるかもしれない。
まあ、ヨヨよりは数段マシだが……。
ソージは軽く嘆息すると、チャーハンをよそいで再び真雪のところへ戻ると、
「想くん! ムニエルもうないの!?」
「一気に言えよなっ!」
思わず突っ込まずにはいられなかった。そんなやり取りに食卓を囲んでいる皆から笑顔が零れる。楽しい団らんは食べ終わるまで続いた。
食事が終わり皆で後片付けをした。すると改めてミルとユーリから頭を下げられ感謝された。そして真雪とセイラにも二人は感謝を示した。
二人は照れたようにはにかみながらも、ユーリがすっかりよくなったことをミルと一緒に喜んでいた。
ソージは、治ったといっても無理はしてはいけないと忠告して、早々にユーリを床に就かせた。ミルもまた彼女と同じベッドに入り幸せそうに寝息を立てていた。
真雪たちは、ミルたちが寝ている部屋の床に布を敷き布団代わりにして寝ていた。ソージはミルたちとは別の部屋である。そこは昔ユーリの旦那さんが使っていた私室だということ。
そこにも簡易式のベッドがあったが、そこにも布を敷いてソージは横になっていた。
(それにしても驚いたよな……まさかこの世界で真雪に出会うなんてなぁ)
しかも同じように召喚されたのが、自分が救った女生徒だ。これが驚かずにいられるわけがなかった。だがソージはこの出会いは素直に嬉しかった。
日本に居た時、一番仲良かったのは言うまでもなく真雪だった。だからこそ、自分が死んで迷惑をかけただろうと強く感じていた。
できれば一言謝りたかったがそんなわけにもいかず、ずっと胸にその思いがつっかえていたのだ。決して取り去ることができないであろうそのつっかえを、今日取り去ることができたのだ。
(あ、そういやまだ謝ってなかった……)
出会いの衝撃で、すっかり第一の目的を忘れてしまっていた。厳密に言えば、まだつっかえを取り去ってはいなかったのだが、嬉しさで満たされて麻痺してしまっていたようだ。
(明日謝らなきゃな……)
そう思っていると、コンコンと扉からノック音が鳴った。
「はい」
「そ、想くん?」
「真雪か?」
「う、うん。入っていいかな?」
「いいぞ」
がチャッと扉が開き、薄い服を着込んだ真雪が姿を見せた。胸が物凄い強調されているので、思わずソージは喉が鳴りそうになったが、すぐさま目を逸らした。
「ひ、一人か?」
「うん。セイラも誘おっかなって思ったけど寝ちゃってて」
今日はいろいろあっただろうから無理はないだろう。ソージと会って、張りつめていた緊張と後悔の糸が切れて気持ちにゆとりができたはずだ。今は安堵して眠っているに違いない。
ソージはベッドに座ると、その横に真雪もチョコンと座る。
「どうした?」
「うん……」
すると彼女がジッとソージを見てくる。純朴な彼女の瞳が真っ直ぐ向けられてついドギマギしてしまうソージ。
「ど、どうしたんだよ?」
「ううん、良かったって思って」
「え? 良かった?」
「うん……やっぱり想くんだって」
「……真雪」
「見た目は結構変わっちゃってるけど、うん、やっぱり私の知ってる想くんだ」
その笑顔は反則だった。太陽のような笑顔。ソージがまた見たいと思っていた最高の笑顔。思わず胸が熱くなってくる思いを感じるソージ。
「…………悪かったな真雪」
「え?」
「死んじまって……さ」
「…………」
「できれば一言ぐらい言って別れたかったけど……だからごめん」
すると真雪は顔を俯かせて、
「実はね……今日想くんと会って不安だったんだ」
「え? 不安?」
何が不安だったのだろうと首を傾けるソージ。
「私の知らない想くんが……いたから」
「…………まあ、誰もオレが執事になってるなんて思わないよな」
「ううん、そうじゃないよ」
「……?」
真雪が顔を上げてソージの目を見つめてくる。
「何ていうのかな……想くんが本当に魔族を皆殺しにしたり、山の時だって殺すとか平然と言ったりさ……結構ビックリだったんだよ?」
なるほど、確かにそこは想二を知っている真雪にとってはショックが大きかっただろう。何せ日本に居た時、ソージはもちろん人を殺したことも、簡単に人に向かって殺すなどと口にすることなんてなかった。
それを知っている真雪には、ソージの言葉を聞いて自分が知っている想二とかけ離れていると不安に思ったのも仕方が無いかもしれない。
「まあ、オレもこの世界の住人だってことだ。お前は知らないだろうけど、オレはこの世界でもう十七年生きてる。それにな、ヨヨお嬢様の執事は強くなくちゃならないんだよ。あの人を守るために、オレは力を手にする必要があった。敵には容赦ができないように先代の執事長にも教え込まれたしな」
「想くん……」
「昔のオレを知ってるお前にとっちゃ、カルチャーショックみたいなもんだよな。けど、オレは…………後悔してないよ」
「…………」
「この世界じゃな、弱い奴は強い奴に平気で全てを奪われてしまう。ヨヨお嬢様は、あの歳で有名な情報屋の跡を継いで屋敷の当主になられた方なんだ。そんな人には敵も多い。誘拐なんて日常茶飯事だった時期もあった。戦えないヨヨお嬢様を守るのは、オレの使命……いや、その言い方は卑怯だな。オレは守りたいんだ、あの人を」
「…………羨ましいな」
「真雪?」
「だって……さ、想くんにそんなに思われてるんだもんヨヨさん」
「…………」
「綺麗でカッコ良くて、優しくて、頭も良さそうで……うん、やっぱり羨ましいや」
何故か今度の間雪の笑いは力が込められていなかった。無理して笑っているというか、その笑いには自信の無さが見て取れた。
「まあ、確かにあの人って完璧に見えるな。他の人からはさ」
「え? 違うの?」
「ああ見えて結構弱点だってあるんだぞ? というかそもそも完璧な人間なんていないだろ? それにあの人がどう頑張っても真雪に勝てない部分もある」
「そ、それ何!?」
必死に詰め寄ってくる真雪。その動きで盛大に揺れ動く二つの山。その見事に膨らんだ双子山だよとソージは言いたかったが、その言葉を呑み込んで、
「そ、それはだな……笑顔……かなやっぱ」
「え? え、笑顔?」
「ああ」
キョトンとしたままの真雪。
「オレの人生の中で、最高の笑顔を持ってるのは真雪……お前だ」
「わ、私!?」
「ああ、少なくともオレは一番だと思ってる」
ソージが微笑むと、ボフッと真雪の顔から湯気が立ち昇る。そして真雪は両頬に手を当てて顔を背ける。
「そ、そんな! い、いきなり恥ずかしいこと言わないでよ想くんってばぁ!」
「は? 恥ずかしいことか? 笑顔が素敵だって正直に言ってるだけで」
「ああもういいから! 私のことはいいからぁ!」
「お、おう、そうか?」
何だか分からないが、真雪が嫌がることは止めようと思った。真雪は胸を押さえながら、
「ふぅ、不意打ちとかやるな想くん」
「不意打ち? 何言ってんのお前?」
「むぅ~転生しても想くんは想くんか……」
一体何を言っているのか理解ができない。転生しても記憶がある以上、ソージは変わらないはずなので頭を傾げるだけだ。
「……でも、うん。やっぱり想くんだね!」
「ま、まあな」
「あと……さ、一つ聞いていい?」
「ん? ああ」
「そ、そのね……ヨヨさんとは屋敷の当主と執事の関係ってことでいいんだよね?」
「そうだな。それ以上でも以下でもないな。まさしくそれだ」
「そ、そっかぁ……えへへ、そっかぁ」
何で急に笑顔になったのか……だが、先程の笑いより全然良かったのでソージもホッとする思いだ。
途中真雪が首を傾けながら「でも何でお嬢様なんだろ?」とか「普通はお坊ちゃんだよね?」とか訳の分からない呟きをしていたが、途切れ途切れに聞こえて全容を把握できていなかったソージにとっては突っ込むことができなかった。
「と、ところで想くん!」
「な、何だ?」
「想くんのことを聞きたいと思います!」
「は、はあ?」
「主にこの世界での想くんをです!」
「な、何で敬語なのお前?」
「そんなことより、話してくれるの! それとも……ダメ?」
目を潤ませて上目遣いで見つめられて断れるほど男を捨てていないソージ。
「べ、別にいいけど……」
「やったぁ! よ~し、今日はい~っぱい教えてね!」
……うん。コイツはやっぱり笑顔だ。
ソージは強くそう思った。そして再びこの笑顔を見ることができて本当に良かったと思う。
ソージと真雪は一睡もせずに、話し合っていた。まるでそれは失われていた時間を取り戻すかのような奇跡のような一時だった。




