第七十一話 ミルのもとへ
「しゅ、しゅみましぇんでした……」
セイラはひとしきり泣いた後、恥ずかしそうにまた顔を伏せていた。
「でも良かったねセイラ!」
「は、はい……良かったです」
セイラも本当にスッキリしたような感じで笑顔を浮かべる。
ソージはこれで真雪たちが何故この世界にいるのかハッキリして胸のつっかえが取れたような気がした。しかしまだ一つ気になっていることがある。
「ところで、真雪たちは何で【シンジュ霊山】に? まさか観光ではないだろ?」
真雪がピタリと動きを止める。そしてその表情を悲しげに歪ませる。
「実はね……」
彼女から聞いた話は、ミルという少女の母親の病を治すために、【シンジュ霊山】にある《チェスモモ》を獲りにきたということだった。
「だけど、あの騒ぎだともう情報屋の人だって逃げてしまってたようだし……」
確かにあそこにはすでにソージ一行しかいなかった。
「どうしよ……ミルとの約束……守れないよ……」
「は、はい……」
真雪とセイラが落ち込む中、ソージは淡々と言い放つ。
「何だそんなことか、それなら問題無いだろ?」
「…………ほえ?」
真雪がバカっぽく声を漏らし口をポカンと開けている。
「その情報屋ならここに居るし、それに……」
ニッと笑うとソージは口を動かす。
「その病気、オレなら治せるだろうしな」
しばらくの沈黙。
真雪とセイラは時を止めたように全身を硬直させていた。彼女たちの気持ちが分かるので、ソージは静かに彼女たちが解放されるのを待った。そして
「「えええぇぇぇぇぇぇぇっ!?」」
二人して悲鳴に似た声を上げるので思わず顔をしかめてしまう。その叫び声で、さすがに今まで近づいてこなかったヨヨも、「何事かしら?」と訪ねてきた。
馬車を一度止めて、ソージが真雪たちが探していた情報屋がヨヨのことだということ、そして自分が大抵の病なら治せることを彼女たちに告げる。
話を聞いた二人は理解が追いついていないのか、いまだにキョトン状態だが、
「ユーのおかあさんも、おにいちゃんになおしてもらったの!」
「フフフ、あの感覚は忘れられないわね~。まるでソージくんに抱かれているような温もりだったわ」
ユーは純粋に喜んでいるのだが、シーの発言には本当に肝が冷える思いである。思わず突っ込みを入れると、「フフフ、冗談ですわ」と言ってくれたのでホッとした。
確かにヨヨ曰く、ソージの癒しの効果を持つ魔法に包まれていると、とても温かく心地好いものを感じると聞いたことがあるが、ソージにはそれは分からないので否定もし辛いのだ。
「想くん! あとでお話があります!」
「え、あ、うん……まあ、別にいいけどさ」
真雪から詰め寄られきっと説教受けるんだろうなと思っている。ヨヨはシーがからかっていると知っているのか、何も言わないがジト目で睨んできている。本当に勘弁してほしいものだ。
「と、とにかく! お、お嬢様!」
「ええ、では急いで参りましょうか」
「え……あの……想くん?」
ソージとヨヨのやり取りに今一つ理解できないようで小首を傾げている真雪。
「じゃあ、案内してくれるか真雪?」
「えっと……どういうこと?」
「どういうことも何も、今からそのミルって子の母親を治しに行くんだよ」
真雪はセイラと顔を見合わせてしばらく呆気に取られたのか固まってしまっていた。
「……癒しを施せ、緑炎」
女性の寝息だけが聞こえる室内に、ソージの呟きが広がる。右手から生み出された緑の炎が、ベッドに横たわっている女性の身体を包んでいく。
その光景を固唾を飲んで見守っているのは、その女性の娘であるミルだ。
真雪から話を聞いて、すぐさまヨヨの承諾を得てミルの母親のもとへやって来たソージたち。ソージやヨヨの魔法なら、別段特効薬である《チェスモモ》に頼らずとも病を治すことも可能なのだ。
真雪から話を聞くに、一刻を争う事態に発展する前に、こうして馬車を飛ばして辿りつけたのは、ミルにとっては幸運だっただろう。いや、一番の幸運は、ミルが真雪と出会ったことだ。
彼女が昔から困っている人を放っておけない性質なのは、ソージは知っている。きっとミルの母親を見て、絶対治してあげると息巻いて【シンジュ霊山】へ出向いて行ったのだろうことは容易に想像できた。
相変わらずのお人好しな真雪の行動力に、懐かしさが込み上げてくるソージ。その懐かしさが、どことなくこそばゆいものを感じさせるが、悪くない気分だった。
今ソージは、ヨヨの指示のもとミルの母親に緑炎を使用している。ソージだけでも無論病を治せるが、ヨヨが『調律』の魔法を使い、ミルの母親の身体を検査しながらの方が、より効率が良いし、他に悪いところがないかも確かめられるのだ。
母親が患っている『青風邪』だが、症状は三段階に分けられる。まず最初、風邪のような症状が出始め、三日経つと体中に青い発疹が出始める。するとそこから急激に体力が減っていき、意識が混濁し始めるのだ。
そしてさらに三日後、今度はその発疹が体中を埋め尽くすように広がり、肌の色が真っ青に染まっていくのである。そしてその後は、早ければ数時間後に死に至るという恐ろしい病なのだ。
母親の症状は思ったより進行が早くて、ハッキリ言って危ないところだったとのこと。
もし真雪たちがソージを見つけることができなかったら、恐らく考えたくない結末を迎えることになっていただろう。
「……う……あ」
「お、お母さんっ!?」
「……ミ……ル?」
母親の全身を汚染していた発疹が治まり、もとの肌色へと戻っていた。まだ本調子ではないが、病自体は消え去ったとみていい。ソージもそのことをミルに言うと、泣きじゃくりながら母親に縋りついていた。
「お疲れ様でしたヨヨお嬢様」
「いいえ、私は視ていただけよ。ご苦労様、ソージ」
「もったいないお言葉です」
丁寧に頭を下げるソージの姿を真雪はジッと見つめて、そして二人に近づいてきた。
「想くん、ヨヨさん、ありがとうございました!」
その後ろでセイラも頭を下げていた。
「いいえ、あなたのその優しさが導いた結果よ。その心根、大切になさい」
「あ、は、はい!」
「ふふ、ではソージ、私はカイナたちと先に屋敷へ帰っているわ」
「え? お嬢様?」
「積もるお話もあるでしょ? 今日はこの町でゆっくりなさい。それに……」
ヨヨはチラリとミルの母親を見つめる。
「大丈夫とは思うけど、今日一日、あなたが対応なさい」
ヨヨの診断なので、まず間違いなく再発することはないが、一応の安全としてミルの母親に一日ついていろということだ。
それが建前だということは分かっている。ヨヨも久しぶりに出会った旧友である真雪と話したいだけ話せと言ってくれているのだ。その心遣いが何とも心に染み渡った。
「畏まりました」
ヨヨは微笑を浮かべると、そのまま家から出て行った。その立ち振る舞いを見ていた真雪がぼ~っとしながら言う。
「綺麗な人だなぁ……そっかぁ、あの人が想くんのご主人様なんだね…………いいなぁ」
真雪の声音にはいろんな想いが宿っていた。感動や羨望、そして嫉妬が含まれているのだが、ソージが気づいたのは感動だけだった。
「だろう? オレの最高のお嬢様さ」
「むぅ」
どういうわけか真雪が頬を膨らませて、上目遣いで睨んできた。
(え? な、何で? 自慢したから? いや、だって真雪だって褒めてたじゃんか!)
そうは思うが、何かを言えば倍になって返ってきそうな雰囲気を感じて目を逸らすことにした。これはヘタレたわけじゃない。戦略的撤退である、
するとクイッと服を引っ張られる感触を覚える。見れば腰にも届かない小さなミルがソージを見上げていた。
「ありがと、おにいちゃん! で、でもね、ちりょうひは高いの?」
不安気に見つめてくるミルの頭にそっと手を置く。
「いえいえ、治療費はいりません」
「え、でも……」
「そ、そうです……せめて少しだけでも」
ミルと母親が渋っている。しかしソージは首を振る。
「いいえ、困った時はお互い様です。もし治療費のことを仰るのであれば、今日一日、こちらへお泊め頂きたいです」
「そ、そのようなことでよろしいんですか?」
「はい。あ、できればここにいる彼女たちも一緒だと嬉しいのですが」
もちろん真雪とセイラのことだ。
「こちらからお願いしたいくらいです。本当に何とお礼を言っていいか……狭いところですが、どうぞお寛ぎ下さい」
ミルの母親からも了承を得たところで、ソージは腕まくりをし始める。
「ど、どうしたの想くん?」
「ん? 料理作るんだよ。お腹すいたろ? それにミルさんのお母様にも精のつくものを召し上がってもらわないとな」
「あ、それなら私も手伝う!」
その時、二人の脳内に衝撃が走る。それはソージとセイラだった。
このままでは病み上がりの母親が死んでしまうと本気で思ったソージは、顔には極力出さずに真雪に言う。
「おほん! な、なあ真雪?」
「ん? なあに?」
「えっと……だな、そう! 真雪には掃除を頼みたいんだよ!」
「え? お掃除?」
「そうそう! ほら見ろ! 恐らくミルさんのお母様が倒れてしまってからは、ろくに掃除もされていなかったに違いない。ほら、埃!」
窓の縁をなぞって埃があるのを見せつける。この行為は、非常にミルたちには失礼なのだが、今は真雪をキッチンに立たせないことが最優先事項である。そのためならいくらでも憎まれ役を買って出る。
するとセイラも弾かれたように真雪の手を取り、彼女は若干頬を引き攣らせながら、
「い、一緒にお掃除しましょう真雪さん!」
セイラがチラッとソージを見てくる。それはここは任せて下さいというアイコンタクトだった。
(そっか、君も味わったんだね、あの恐怖を……)
真雪の手料理は、それはもう我慢できるレベルを軽く超越しまくっているので、さすがにここで病み上がりに人に食べさせるわけにはいかなかったのだ。
本人自身、自覚も無いし、彼女の家族は平気でそれを口にするので、自らの料理の凄まじさが普通だと思っているので性質が悪過ぎる。
(もしあんな激辛……いや、超激辛……いや、極激辛をミルたちが食べたら……)
想像するだけで身震いしてしまう。まだソージが想二だった時、いつも試食は想二だった。何度同じリアクションしても、何故か真雪は決まって、
『もう、大げさなんだから!』
と満面の笑みを浮かべていた。ちっとも大げさではなく、死の気配さえした料理もあったのだが、それでも彼女はその殺人料理を作り続けては想二に食べさせた。
想二も最初は断るのだが、涙目で嘆願されたら断れないのだ。仕方無くいつも胃腸薬を常備することになった。
ソージはセイラのファインプレイにホッとしながらキッチンへと向かい、料理を始めた。