第六十四話 逃げるが勝ち
どうやら戦闘は避けられないようだ。ソージも仕方無く溜め息を漏らすと、身を引き締める。雰囲気を変えたソージに、増々楽しそうな笑みを浮かべる刃悟。
(さっきの《飛脚》……かなりのレベルだった。それにあの《火ノ原流》をどこまで修めてるのかで強さは変わってくるけど……)
ジッと刃悟を観察する。身形は武道者としては小さめである。しかしよく観察してみると、首や腕が逞しくかなりの近接戦闘力が高いと推察された。
(《火ノ原流》と戦うのは久しぶりだけど、さて……)
ジリッと相手に少しだけ詰め寄ると、刃悟が弾かれたように突っ込んできた。その動きはやはり速く、瞬きする間を無駄にするような動きだ。
「行くぜオラァッ!」
刃悟がソージの懐へと詰めると、空気を斬り裂くような蹴りを放ってきた。ソージは紙一重で避けるが、蹴りによって生まれた風圧はかなり凄まじく、思わず後ずさるほどだ。
しかも刃悟は蹴りの回転力を無駄にはせずに、次々と蹴りを注ぎ込んでくる。まさに電撃のような猛攻である。
ソージもまたその身を軽やかに動かしてバリエーションの豊富な蹴りを見事にかわしていく。
「ちっ! 避けるのは上手えじゃねえかっ! ならこれならどうだっ!」
刃悟が上空へと跳び上がり、身体を回転させると、彼の右足を黄色い光が包んだ。
「《火ノ原流・鞭》っ!」
刃悟が上空で蹴りを放つ。すると彼の足に纏われていた黄色いオーラがしなるように伸びてきてソージに襲い掛かってくる。
ソージはその場から背後へと回避する。ソージが居た場所に黄色のオーラが衝突し、大地を抉った。もしまともに当たれば痛いどころではすまなっただろう。
舞う粉塵の中、ソージは上空から自分へと向って来る刃悟に集中する。落下してくる刃悟が右足を突き出してくる。その右足に纏っているオーラが落下の勢いで軌跡を描く。
「《火ノ原流・槍》っ!」
ソージは真っ直ぐな攻撃だったので、またも簡単に避けられはした。しかし地面に突き刺さった刃悟の蹴りは、大地に亀裂を生みその威力を物語る。
「やるじゃねえか! やっぱ避けるのは上手えな。けどそろそろテメエからも攻めてきたらどうだ?」
「……そうですね。では……」
ソージがやっと本気になったと思っているのか、ワクワクしてそうな表情を浮かべる刃悟。しかしソージは突然、踵を返すと大木の枝の一つに乗る。そして一つ鳥の巣から卵を取り、刃悟に目掛けて、
「ほら、ちゃんと受け止めて下さいね」
「へ? あ、ちょちょちょ、な、何だっ!?」
刃悟も突然ソージから放り投げられた卵を反射的に受け止める。そしてふ~っと息を吐くと、
「テ、テメエ! 一体何のつもりだよ!」
すると上空から何かがこちらへ向って来る音がした。そこには――――――
「キエェェェェェェェッ!」
見るも巨大な怪鳥が明らかに憤怒を表した様子で向かって来ていた。
「なっ!? アレはグランイーグルじゃねえか!?」
刃悟の言う通り、体長が大きいものなら五メートルは軽く越える巨大な鳥だった。
「あ、気を付けて下さいね。グランイーグルはかなり気性の激しい生物です。特に卵を守るためなら死にもの狂いになると思いますので」
「…………はあぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
刃悟は自らの腕の中にある卵の存在に気づき驚愕する。そしてソージはスタッと地面に下りると、手を軽く上げてにこやかに答える。
「すみませんが、これ以上遊んでいる時間なんてありませんのであしからず」
それだけ言うと、橙炎で包んでいる卵とともにフェムとテスタロッサを連れてその場から退却しようとする。
「オイコラ待てテメエ! 逃げる気かよぉ!」
「え? そうですけど何か?」
「……は?」
「いいですか、この世には逃げるが勝ちという言葉もあるのです。それに、今は私などよりあちらを気になされた方がよろしいかと」
ソージが促す上空からは次々とグランイーグルが出現してくる。
「刃悟! さっさと卵を離しなさいっ!」
善慈の言葉で「そっか!」と口に出した刃悟が卵を放り投げようとすると、
「あ、ちなみに卵を壊すのは止めた方が良いですよ。彼らは根に持つタイプですので」
ソージは最後にそう言うと刃悟の動きもピタリと止まる。「それでは」という感じで再度手を上げるとその場から立ち去っていく。
「ソォォォォォォォォォジアルカァァァァァァァァサァァァァァァァァッ!」
背後からは尋常ではない大声が轟くが、ソージは無視して前だけを見据えていた。
その頃、真雪たちは【シンジュ霊山】に生息している妖霊族に苦戦していた。
「真雪さん! そっちへ行きました!」
「分かったよセイラ!」
セイラの言葉通り、真雪の正面には熊型の妖霊族が突っ込んできていた。
「ちゃ~んと対策はできてるんだからっ!」
真雪は地面に右手を触れる。真雪の右手から魔力が大地へと流れる。
「召樹っ!」
地面に亀裂が走り、そこから一本の樹が出現する。しかし枯れ木のように葉が一切見当たらない。
「避霊樹っ!」
真雪に向かっていた妖霊族が、真雪が創り出した樹に吸い込まれていく。そして周囲にいる妖霊族もまたその樹に引き寄せられていく。
妖霊族を吸い込んだ樹は、その枝に幾つもの蕾が生まれ、美しい花を咲かせていく。
セイラがホッとした様子で真雪に近づく。
「さすがは真雪さんです! 妖霊族の天敵ですね!」
「ま~ね! 私の樹は元々《精霊樹》だしね! こういうこともできるんだよ!」
真雪の避霊樹は、最初は冬の枯れ木のような細々として頼りない樹であるが、周囲のエネルギー体を吸収して大きく成長していく。
この【シンジュ霊山】に来る前に、いろいろ調べた結果、真雪ならば妖霊族の悪戯も意味が無いと判断して二人で喜びを得ていた。
「セイラは私から離れないようにね!」
「は、はい。ですがどうやら諦めたみたいですよ?」
セイラが言うように、仲間たちが樹に吸い込まれたのを見て、他の妖霊族たちは諦めたようにその場から去って行った。
「あらら、案外あっけなかったね」
「でも助かります。これで安心して《チェスモモ》が探せますから」
「うん! それじゃ早く行こ! もうすぐおじさんから教えてもらった場所だよ!」
山の麓にある観光スポットで、店のおじさんに《チェスモモ》の成っている樹がある場所を教えてもらっていた。しかし彼が言うにはもう時期が終わりに近づいているので、《チェスモモ》が手に入らないかもしれないと言われて、こうして慌ててやって来たのだ。
真雪たちは足早に進み、少し開けた場所まで辿り着いた。そこには多くの木々が密集してあり、おじさんからの情報だとその木々が《チェスモモ》が成っているはずの木々だということだった。
「お願い! 一つだけでもあってよ!」
「真雪さん……探しましょう!」
「うん! それじゃすぐに―――――」
バキィッと突然、左の方から大木を薙ぎ倒しながら何か小さな物体が転がってきた。真雪とセイラは足を止めてゴロゴロと転がっていく物体を見つめている。
そしてその物体は木にぶつかって止まる。
「ってぇ……」
それは人であり頭を押さえながら痛みに顔を歪めていた。
「え……誰?」
真雪の呟き直後、けたたましい叫び声とともに突風が吹き荒れる。バサバサッと上空から翼をはためかしている音が聞こえる。
「ま、真雪さん! アレを見て下さい!」
「え……うわ! 何あの鳥ぃっ!?」
セイラが指差した方向にいたのは巨大な怪鳥。しかも一匹だけでなく五匹ほど大空を飛んでいた。そしてその中の一匹が転がって来た人物目掛けて突進する。
「ちぃっ! こなくそぉっ!」
よく見るとその人物は少年であり、真雪と同じく黒髪黒目を持っていた。少年はすぐさま起き上がり上空へと跳び上がる。しかしそこへ別の鳥が彼に突進してきた。
「二度同じ手食うかよっ!」
少年の右足に黄色い光が纏ったと思ったら、それが伸びて向って来る鳥の顔に当たり鳥を吹き飛ばした。
そしてそのまま身体を回転させると、最初に狙ってきた鳥に向かって同様の技を放ち地面に叩き伏せる。
「す、凄いです……」
「う、うん。でもアレって魔法じゃないよね? 魔力は感じないし」
彼からは魔力を感じない。あの黄色い光の正体は分からないが、魔力でないということと、彼がかなりの実力の持ち主だということは理解できた。
「オラァッ! あと三匹ぃっ! さっさと来いよぉ!」
目つきの鋭い少年は挑発するように上空にいる三匹に向けて言葉をぶつける。すると今度は三匹同時に突っ込んできた。
「けっ! 今度は三匹同時かよ!」
少年は踵を返すと木々の密集地帯へと入って行く。しかしそこは真雪たちにとって用事のある場所だったため、二人はギョッとなる。
少年を追って鳥は木々を薙ぎ倒しながら飛行していく。
「ちょ、ちょちょちょっと待ってぇっ! そんなとこで戦わないでよぉっ!」
思わず真雪が叫ぶ。何故ならもしその戦いに巻き込まれて《チェスモモ》が潰されでもしたら大変だからだ。時期も終わりかけの《チェスモモ》。もしかしたら一つ二つしかないかもしれないのに、それがこの戦いで犠牲になったら目も当てられない。
しかし少年は突き進み、鳥はバキバキバキバキッと木々を倒壊させていく。
真雪とセイラは追いかけようとするが、突然上空にその少年が跳び上がる。そして身体を回転させると、踵落としの要領で足を地面の方角に向けて振る。しかも片足だけではなく両足だ。
その両足には先程確認した黄色い光が纏ってあり、振り下ろした瞬間、その光が塊となって地面に落下して三匹の鳥を襲う。
「くらえぇぇぇっ! 《火ノ原流・斧》っ!」
光の塊が大地に衝突して大爆破を生んだ。その衝撃はかなりのもので、まるで台風でもやってきた破壊力を備えていた。爆風は大地を抉り、木々を周囲に飛ばしてしまう。
その攻撃の中心にいた鳥たちも衝撃波により地面を転がり近くにあった岩や大木に衝突して沈黙した。
真雪たちも吹き飛ばされないように身構え、飛んでくる木々や土などから身を守る。そして爆風が治まり、周囲に広がる光景を見た真雪とセイラは言葉を失って固まった。
「そ、そんな……」
そこにあった《チェスモモ》の木々が見事に薙ぎ倒されて密集地帯の中心にはクレーターを生み出していた。
真雪は慌ててどこかに《チェスモモ》が無いか確認するが、見える範囲には無かった。
「え、えぅ……ど、どうしましょう真雪さん……?」
セイラもあわあわといった感じで戸惑っている。真雪は身体を震わせ、その視線をクレーターの中心で勝利の優越感に浸っている少年に向けると、ズカズカと歩いて行く。