第六話 ミサンガの願い
朝倉想二の葬式は盛大的なものではなく、小規模な家族葬で行われた。しかしその中には彼の幼馴染だった天川真雪の姿もあった。
棺に入った想二の前で、彼の家族が絶望の色に顔を染めていた。想二と違って、いつも社交性に明るい彼の兄である光一も、今は表情を消し、まるで能面みたいな表情で呆然としていた。
彼の母親と父親も同様だ。いや、母親だけは我慢する気も無いようにハンカチを濡らしながら嗚咽していた。
四人家族で一軒家に住んでいた想二は、彼らの姿を見れば愛されていたのだと理解できる。少し遅れてやって来た田舎に住んでいる想二の父方の祖母は、棺を叩きながら声を枯らさんばかりに嘆いていた。
そのいたたまれない姿を見て、真雪は溜まらずそこから飛び出していた。途中、光一の叫び声が聞こえたが止まることはできなかった。
歯を食い縛り、まるでこれは夢だというように、その夢から脱却するかの如く、ただ一直線に走っていた。ガツッと何かに躓き転んでしまった。
そしてゆっくり顔を上げた時、右手首につけているミサンガが目に入る。これは以前、学園の家庭実習で糸が余ったからといって想二が作って真雪に上げたものだった。
『願い事でもすりゃいいよ』
ミサンガは願い事を叶えると切れてしまうという逸話を持つ。だがそんな効果よりも想二が自分のために何かを作ってくれたことが真雪には嬉しかった。
あれからずっと肌身離さず持ち続けているが、彼はそれに気づいているのか気づいていないのか、話題には全くしなかった。
それでも真雪はミサンガから彼の優しさと温かさを感じてとても心地好かった。ずっと子供の頃から一緒に育ってきた。
家族付き合いも少なくなく、本当に仲が良かった。高校生になって、少し想二がよそよそしくなったが、彼の母親から思春期なのよ、そのうち治るわと言われて我慢することにした。
でも彼は他の女子たちには普通に接したりする。それが真雪には不満だった。特に彼の作ったお弁当を彼女たちに上げている姿を見ると、増々不愉快さが増した。
だけど以前、それに対し愚痴みたいなことを言ったら、お前はオレのオカンかと言われてショックを受けた。確かにいろいろ想二のことを心配しているけどその言い草は酷いと思った。
だからできるだけ何も言わないように我慢した。
だって普通に接していれば、想二は自分に笑いかけてくれるから。それが嬉しかった。子供の頃、お前は笑っている方がいいと言われたことから、真雪はいつも笑顔を絶やさなかった。
そうすれば想二が喜んでくれると信じていたから。笑顔は想くんを救うんだよと前に言ったら、何だよそれって大笑いしてくれた。
だから彼が笑ってくれるなら自分は笑っていようと決めた。だけど……
「もう……笑えないよ……想……くん……」
もう彼はいない。もう傍にいない。もう……笑ってはくれない。
学園で事故が起きたと騒ぎがあり、その騒ぎの中に彼の名前があったことに真雪は肝を冷やした。しかし真実はもっと残酷なものだった。
事故に巻き込まれて怪我をしたのではなく、その事故によって、彼が命を失ったという。即死だったと。
それから後のことはよく分からない。正直どうやって過ごしてきたのか記憶が無い。学園にも行っていなかった。
葬式が開かれ、無意識に足が彼の家へと向かった。そこで確かめたかったのかもしれない。これは彼によるドッキリとかではないだろうかと。
たまにビックリするくらいのドッキリをする彼の悪戯ではないかと。なら今度はさすがに泣いて怒ってやろうとも思った。
しかし、棺の中に入っていた彼は、氷のように冷たかった。どれだけ触れても、語りかけても、何も返してくれはしなかった。
ただただ残酷で冷たい現実が強くなる一方だった。
「想くん……想くん……想くん……想くん……想くん……くん……ん」
何度も何度も地面に倒れたまま繰り返す真雪。しかしやはり何も答えは返ってきはしなかった。次第に雨が降って来て、ポツポツと徐々に身体を濡らして行く。まるで想二の死を天まで悲しんでいるかのようだ。
トボトボと自分の家に帰り、母親と父親の慰めの声が届くが耳に入らない。そのまま自室に閉じこもると、自分の机の上に飾ってある自分と、恥ずかしそうに苦笑を浮かべる想二が映っている写真が目に入った。
もう、我慢できなかった。堰を切ったかのように両目から涙が溢れ出てきた。今まであまりに突然の出来事で涙が出てこなかったが、今初めて真雪は声を上げて泣いた。
「やだよぉ……やだよぉ! 帰って来てよぉ! 想くぅぅぅぅぅぅんっ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
それから何度も泣いた。何度も何度も、涙が涸れないと思ってはいても、いつか涸れてくれると信じて、ただ声を上げた。
母親は、泣き腫らした真雪の顔を見て「酷い顔ね」と言いながら優しく抱きしめてくれた。彼女もまた泣いていた。母親だって想二のことを息子のように思っていたのだ。
母親から、想二は女の子を守って死んだと聞かされた。どうやらその子は軽い打撲で済んだとのこと。想二がしっかり抱きかかえていたからこその結果だったという。
『想ちゃんらしいわね』
母親は涙を流しながらも嬉しそうに言った。
それで自分の命を落としてしまうなんて、本当に馬鹿だよと真雪は思った。真雪はしばらくの間、学園に行かずに家に籠っていたが、友達も心配して家に訪ねて来てくれたりした。
少しずつ学園にも通い始め、半年近くが過ぎた。友達に笑顔くらいは向けられるようになったが、まだ真雪の心は晴れず、鎖でがんじがらめになっているかのようだった。
そして彼が死に一年が過ぎた頃、高校二年生になった真雪は、休みを利用して、一人で想二の墓参りに来ていた。
「想くん……」
やはりいまだ慣れない。どうしても彼のことを想うと涙が流れ出てくる。だがその時、ふと背後に気配を感じて振り向く。
そこには見たことのない少女がいた。真雪が泣いていたことに動揺しているのか、手に持っていた花を落とすとその場から逃げ出そうとした。
「あ、待って!」
思わず真雪は彼女の腕を掴む。
「お、驚かせてごめんなさい! もしかしてあなたも想くんのお墓参りに?」
そう聞いたが、相手は顔を背けたままだ。いや、掴んでいる腕が小刻みに震えている。そして振り向いた彼女の顔は、まるで何かに怯えているようだった。
パーマをかけた茶色のショートヘアをしている。だが気になったのは可愛らしい小顔の顔に備わっている彼女の青い瞳だった。
するとその瞳から涙が流れ出る。
「えっ!? あ、その……私何かしたのかな?」
「い、いいえ! セイラが……私が悪いんです」
突然座り込んで泣きじゃくる彼女の扱いに困る真雪。真雪は彼女が落ち着ける場所まで連れて行き、自販機で買ったジュースを手渡した。
「あ、ありがとうございます……」
恐縮するように小さくなる少女。彼女の名前は星守セイラといって、アメリカ人と日本人との間に生まれたハーフだという。だから瞳が青いのだと納得した。
しかも同じ学園に通う同級生だという。
「想くんのこと……知ってるの?」
「…………それは……えぅ」
言い辛いのか、ずっと顔を俯かせていた。こんな状況だが、その姿が小動物か何かに見えて可愛らしかった。そこでふと気になったことがあったが、真雪も尋ねるのがかなりの勇気を必要とした。
ゴクリと真雪が喉を鳴らすと、
「あ、あのね……も、もしかして……その……想くんの……か、か、彼女さんだったりとか?」
「か、彼女っ!? ち、ちちちちち違いましゅっ! そ、そんなおしょれ多いぃっ!」
顔を真っ赤にしてブンブンと頭を横に振るセイラ。噛む姿が物凄く可愛いと感じた真雪だが、彼女ではないと聞いてホッと息をついた。
「そ、そうだよね! 私も彼氏いないのに、想くんがいるわけないもんね! あは、あはは!」
取り繕うような感じでわざとらしく笑う真雪。
「あ、それならどうして? 友達?」
「えと……セイラは…………」
するとまた泣き出した。もう何が何だか分からず戸惑う真雪。そして……
「……な……さい」
「……へ?」
「ごめん……な……さい」
「……どうして謝るの?」
純粋な興味から聞いた。そして驚くべきことを彼女が話し出した。
「…………あの時、朝倉さんが……助けてくれたんです」
「……え?」
「ごめんなさい……ごめんさない……」
「…………もしかして、想くんが助けたのって……あなたのこと?」
コクンと身体を震わせながら肯定を示したセイラ。しばらく沈黙が続き、またセイラが謝り出して、
「セイラの不注意で……だから……だから……っ!?」
真雪はセイラを力一杯抱きしめた。セイラは目を大きく見開き固まっている。
「……ありがとう無事でいてくれて」
「え……でも……セイラのせいで……」
「ううん、違うよ。想くんは正しいことをしただけだもん」
「…………っ!?」
「だから、想くんが命を懸けて守ったあなたが、無事で本当に良かったんだよ」
「……う……うぅ……うわぁぁぁぁぁん!」
二人は一緒に抱き合いながら泣いていた。
「あ~泣いたね!」
「えぅ……はい」
真雪とセイラの顔は真っ赤になり、目は充血していた。女性としては男性に見せられない顔である。
「でも本当に良かったよ……うん、良かった」
「……ごめんなさい」
「こら! もう謝らないの! ほら、一緒にお墓参りしよ!」
真雪はセイラの手を引いて墓へと向かった。二人はそれぞれ持ってきた花を添えて、手を合わせる。
「ねえ、これから時間ある?」
「え……はい」
「私の家に来て」
「ええっ!?」
セイラは驚愕に顔を歪めるが、強引に真雪は連れて行った。家に着いた二人は、真雪の部屋でアルバムなどを見て一緒に笑い合っていた。
二人はこうして友達になったのだ。それからは定期的に一緒に墓参りに行くようになった。学園では昼食も一緒だ。二人はいろんなことを話していた。
そして数か月が経ったある日、二人はまた墓参りに来ていた。
「あ、真雪さん。そのミサンガって確か朝倉さんに頂いたものですよね?」
「うん」
「ふふ、何かお願い事、したのですか?」
「願い事かぁ…………やっぱりあれかな」
「え?」
「想くんに会いたい」
「っ!?」
「セイラだって、そう思ってるでしょ? 会ってお礼を言いたいって言ってたし」
「……はい」
「でも……その願い事だけは……無理なんだよね」
「……そう……ですよね」
二人は想二の墓を目の前に呟く。
「会いたいなぁ」
「はい……」
するとその時、足元から眩い光が迸った。二人の目の前は真っ白に包まれ、気が付いたら………………知らない場所に居た。