第五十六話 フェムの情報
カチャカチャと陶器を鳴らす音が聞こえる。それはナイフとフォークが食器に触れる音であり、静かな場にその音はよく響いている。
そしてグラスに注がれた飲み物を小さな口に運ぶ少女フェムは、満足そうに息を吐く。
「はぁ~、とっても美味しかったわソージ」
「それはそれは、ご堪能頂きこちらとしても喜ばしいことです」
今屋敷の者と一緒にフェムも食室で昼食を食べている。フェムが来て話をしている間に昼食の時間を迎えてせっかくだからフェムもということでこうして昼食を一緒にしているのだ。
ちなみに昼食はソージが腕を揮った。そしてその腕前を実感してフェムは恍惚に表情を蕩けさせていた。
「ねえソージ、やっぱりアタシの執事にならない?」
「悪いけど私の執事に下手な勧誘を止めてもらえないかしら?」
「アタシはソージに聞いてるの! 束縛し過ぎる女は嫌われるわよぉ」
「あら、大丈夫よ。ソージは束縛されるのが好きだもの」
「そ、そうなの!?」
………………そうなの?
思わずソージも心の中で聞き返す。
「ええ、自ら苦しいことも進んでやるし、痛みにも常人の何倍も強いわ。束縛なんてソージにとっては逆に物足りないくらいよ」
あれ? もしかしてヨヨお嬢様、売り言葉に買い言葉で話してない?
「えっ!? もしかしてソージはドMなのっ!?」
いやいや、紛うことなき普通の性癖の持ち主ですが……?
「ええそうよ。ソージを満足に扱えるのはこの世に私ただ一人よ」
そっち系を体験しなくても十分幸せなソージは頬を引き攣らせながら固まっている。するとフェムは爪を噛み始めて、
「こ、これは予想外だったわ……まさかソージがそっち系の人間だったなんて。ア、アタシってばSになれるかしら? どうかしらテスタ?」
「……努力」
無機質にテスタロッサが答える。
「そ、そうね! 最高の執事を手に入れるためだもの! ソージ! アタシがドSになってあげるから仕えなさい!」
「…………嫌ですよそんなの」
「ええっ!? な、何で!? Sなのよ!? もしかしてSにもいろんなやり方があるの!? どうなのテスタ!」
「……要勉強」
「いやいや、テスタロッサさんも余計なこと仰らないで下さい! というか私はMではないですから! 確かに修行のお蔭で痛みとかには強くはなりましたが、それは副産物的なものであってですね!」
必死に言い訳をしているとヨヨがクスクスと笑っている姿が視界に映る。
「……お嬢様、オレをからかって面白いですか?」
どうやらフェムにソージを渡さないための抗弁とかではなく、ただ単に食事の場を明るくするためにソージをからかって笑いを生んだだけのようだ。確かに今、他の使用人たちも楽しそうに笑っている。
耳を澄ませると、最近新しく入った経理担当である五歳児のユー・ソピアが、彼女の母親であるシーにMとSについて聞いている。そしてもう一人、元気っ子のメイドであるニンテもソージの母親カイナに同様のことを聞いている。
(あ、危ない! ユーはともかく、このままではニンテが汚れる!?)
カイナは面白いことならたとえ息子が標的になろうが楽しいことを選ぶ。このままでは純真なニンテに、変態カイナの毒が回ってしまう。しかしヨヨやフェム、そしてテスタロッサも気になるし、頭の中はパニック状態だ。
とにかく必死に言い訳をして誤解を取り除くのに、そこから十分以上はかかった。久々に汗をかきながら熱弁したと思った。
食事も終わり、メイドたちは自分の仕事へと戻っていく。書斎にいた四人はまだ席に着いて一息ついている。
ヨヨは愉快に湧いた食事風景に満足したのか、笑みを浮かべながらその視線をフェムに移動させる。
「フェム、先程の話は本当なのよね?」
「当たり前でしょ。嘘なんかつかないわよ」
「……真実」
フェムの言葉にテスタロッサも後押しをする。
彼女の話とは書斎で彼女が言い放ったフェニーチェの卵を見つけたという件である。彼女がまだ幼い頃、父親に連れて行ってもらった場所で、フェニーチェの卵を見つけたという。
その時、彼女はテスタロッサと一緒であり、父親とは離れて二人で遊んでいたらしい。初めて見た時は、ただの鳥の卵だと思いそのまま放置していたが、後々調べてみれば、それはフェニーチェの卵だということが分かった。
しかしフェムは動物に興味が一切無かったためか、再び探しに行こうとは思わず今に至っているというわけだ。
そんな時、『透明』の魔法でヨヨの屋敷にやって来た時、たまたま書斎からフェニーチェの話が聞こえてきて、ソージが一目見たいと言った言葉を聞いて名乗り出たというわけだ。
ちなみに彼女がココへやって来た理由は、ヨヨと勝負をするためらしい。無論その勝負の掛け金はソージだが、ヨヨは面倒という一言で切り捨てた。
落ち込みガミガミ怒鳴る彼女がうるさく、仕方が無いのでヨヨの計らいで機嫌を良くさせるために食事に誘ったというわけだ。
「でもあなたが見つけたのは本当にフェニーチェの卵なのかしら?」
「間違いないわよ。この子に登録された情報量は結構膨大なのよ。フェニーチェの卵の特徴と照らし合わせてこの子がそう認めたんだし」
どうやらフェムの相棒であるテスタロッサはかなり優秀な《自動人形》のようだ。
「それにね! あの時は負けたけど、この子だって最強装備してればソージにだって勝てたんだからね!」
「ふふ、それはありえないわ」
「何ですって!」
「私の執事は最強ですもの。ねえ、ソージ?」
「ヨヨお嬢様がそう望まれるならお応えするまでです」
正直、最強とは簡単には宣言はできない。何より執事長ソージの先代であるバルムンクに、本気の勝負をして勝てるビジョンが見えないのだ。
ヨヨの父親に仕えているバルムンク。今は屋敷を離れてヨヨの母親がいる【日ノ国】に父親とともに住んでいるはず。
彼はソージに執事とはどういうものか教授した初老の男性なのだが、その規格外とも感じられる力はソージですらも顔を青ざめさせてしまうほどである。
昔バルムンクと修行の旅に数年かけて世界を渡り歩いていたが、ある日、食材をとってくるといって海に潜り、一時間後に帰って来たバルムンクの手には、クジラもびっくりの巨大魚の尾ヒレが握られていた。
その魚は海底一千メートルに住む深海魚であり、肉食で凶暴な深海の主だった。一時間潜っているだけでもおかしいのに、無傷で主を仕留めてくるバルムンクには正直に恐怖を抱いた。
他にも常軌を逸したようなバルムンク伝説があるのだが、思い出す度に自信が無くなっていくので今では遠い日の思い出として封印しているのだ。
そんな人物がいるのに、おいそれと最強とは口には出せないが、ヨヨが信じているならそれには応えたいという思いはある。
ヨヨとの間には確かな繋がりが存在する。元々ソージは幼い頃から、ここに住んでいる。元々母親が屋敷に仕えていたので、ソージもまたともに暮らしていた。
ソージは転生者であり、前世は日本人の朝倉想二だった。しかし女の子が事故に遭い、助けたのはいいのだがその時に死んでしまった。そこで気づいたらこの世界【オーブ】で赤ん坊になっていたということだ。
ソージは日本に居た時から炊事洗濯など家事が大好きで、誰かの世話をするのもそれなりに抵抗は無かった。だから初めてヨヨに会った時、「私の執事になって」と言われて、執事になりたいと思っていたソージは彼女の執事になった。
無論それだけが理由ではない。その時に見たヨヨの寂しそうな表情を見て、彼女を助けて上げたいと思ったのも多分に理由が含まれている。
それからは九歳で当主になったヨヨと、二人三脚で様々な仕事をこなしてきた。
二人の絆を感じているのか、フェムは面白くないといった様子で口を尖らせている。彼女はこう見えても【ラヴァッハ聖国】に連なる王侯貴族なのだが、その姿はどこにでもいる年相応の子供だと認識させられる。
「いいもん! いつかソージはアタシがもらうから!」
「……捕獲予定」
いやいや、テスタロッサさん、狩猟をしているわけではないのでその言い方は止めて欲しい。
「ふふ、やれるものならやってみるといいわ」
「やってやるわよ! ふんっ!」
「……やれやれ、ところでフェムさん、先程のお話の続きなのですが」
「あ、そう言えばそうだったわね」
「そのフェニーチェの卵を見つけたとされる場所はどこなのでしょうか?」
「フフフ、それを教えてあげるからアタシのものに……」
「それは却下します」
「む……ちぇ~」
王国貴族がそんなふうに拗ねてもいいのかどうは甚だ疑問だが、ソージとしても興味のある話なのでできれば聞きたい。
「さすがに仕えろというのは無理ですが、それ相応には要求にはお応えしますよ?」
「そ~ね~、それじゃ一つお願いことを聞いてくれるってどう?」
「無茶なものでなければ……いいですかお嬢様?」
「ええ、ソージが判断して叶えるのであれば何も言わないわ」
その言葉にキラ~ンと目を光らせるフェムは、フフフと笑いながら何やら暗いことを考えているようだ。その様子を見て早まったかなという思いを抱く。
「分かりました。ではフェムさん、そのご要望をお聞きするということで、さっそくフェニーチェの卵があるところを教えて頂いても構いませんか?」
「ええ、少し遠いけど【ドルキア大陸】にあるから安心していいわよ」




