第三十二話 抱えているもの
屋敷に帰ったソージは、渦鱗族の男から聞いた情報をさっそくヨヨに伝えた。彼女は自室で書類仕事をしながらソージの話を聞いていたが、突如手を止めると眉を若干ひそめた。
「……そうなの。ということは、ユーは間違いなくその一件に関わっているということね」
「そうですね。ユーの態度に星海月という種族だということを考慮すると、まず間違いなく彼女は関わっていますね。というよりも、彼女が問題の中心に立っているかと」
「…………」
ヨヨは目を閉じて顎に手をやり、しばらく考察モードに入ったようだ。しかし今後、ユーの扱いは慎重にならざるを得なくなるかもしれない。
(お嬢様は一度屋敷に迎えた者を無下に追い出したりは絶対しない……けど、このままユーを屋敷に住まわせて何も起こらないという楽観はできない)
仮に本当に海の生物を石化させたのがユーだとして、何があってそんなことをしたのか分からない以上、ユーが何かのきっかけで屋敷の者たちにそういう行為を行うかもしれない。
無論ソージも、彼女がそんなことをするような人物ではないことは、まだ会って間もないが分かるつもりだ。
それでもやはり何が原因でユーがここにやって来たのか、確信できる情報が欲しかった。今はソージの推測に過ぎないのだ。
(やっぱ、ユーに聞くのが一番なんだけど……多分お嬢様も今オレと同じことを考えてるんだろうな……)
しかし無理矢理彼女から話を聞くという選択肢は選ばないと言ったのはヨヨ自身であり、それを簡単に覆す彼女でもない。
「……ねえソージ」
「何でしょうか?」
「もし、誰かが石化したとして、それをあなたは治せるかしら?」
「……それが状態異常の類だとしたら可能です。しかし石化した瞬間に死んでしまうのであれば不可能です。それはお嬢様も同じなのでは?」
「…………そうね」
ソージが知っているヨヨの『調律』の魔法は、対象に触れて、自在に対象の状態を調整したりする効果がある。簡単に言えば、身体に入った毒を、無害なたんぱく質に変化させることも、切り傷なども治癒能力を最大限に高めてすぐに治すこともできる。
だがさすがにヨヨの魔法でも、死人を生き返らせることは不可能だろう。少なくともソージはそう推察している。
もし石化を治せるのだとしたら、たとえユーが屋敷の者を石化させてもソージが治せばいいだろう。しかし石化=死だとしたら、これは捨て置くことはできない。
もしかしたらその刃がヨヨにまで届くかもしれないのだ。それだけでなく、屋敷の者を大切に思っているヨヨは、このままの状態を維持し続けることはできないはず。
「ソージ、ここへユーを呼んで来てくれるかしら?」
そう、それが最善の答えだろう。苦虫を噛み潰したような表情をするヨヨの思いは察するが、楽観的な思考は危険過ぎる。当主としての彼女の判断は正しい。
自分の言葉を曲げて、ユーから話を聞くことになるが、それでもこちらが親身な態度で接すれば、ユーもまた少しは心を開いてくれると信じているのだ。
「畏まりました」
ユーはニンテに屋敷内を案内してもらい、今は厨房でカイナも一緒になって一緒に料理を作っているらしい。
ソージは足早に向かうと、厨房にはヨヨに聞いたように三人が居た。
「あ、ソージ様!」
「え? ソージ?」
ニンテが最初に気づき、次いでカイナが何か慌てた様子で顔を向けてくる。
「母さん、とうとう隠れて見守るだけでは我慢できずに姿を現したわけですね」
「ちょ、何よその言い方は~! 二人に料理を教えてるんだから、ちゃんと屋敷のためになることしてるわよ~!」
プンプンと頬を膨らませるカイナだが、もう二十歳近くの息子がいるのだからそういうのは止めてほしい。また童顔の彼女なので、その姿に違和感が無いのが、ソージにとって違和感なのだ。
ソージは椅子に腰かけて、野菜の皮を剥いているユーを見つめる。ソージの登場に全く気づいていない。一心不乱に一つのことに集中しているようだ。
彼女の近くに歩いて行くと、ようやく顔を上げた彼女が小さく「あ……」と漏らす。
「やあユー、どうですか屋敷は? 気に入ってくれましたか?」
「あ、うんなの」
「何しているんです?」
「えっとね、これむいてるの。きょうはね、シチューなの」
シチューが楽しみなのか、彼女の頬が緩んでいる。
「そうですか、楽しそうで何よりです」
「ソージ様はどこに行かれてたんです?」
ニンテがその純粋な瞳を向けてくる。
「少しお嬢様からの頼まれ事を済ましてきました」
その言葉にカイナの眉がピクリと動く。ソージは彼女の目を見ると、微かに頷く。彼女もまた状況を察したかのように肩を竦めている。恐らくヨヨから、それとなくユーのことを聞かされて、監視も含めて傍に居てくれていたのだろう。
まあ、半分はユーとニンテの二人を見ているのが可愛いからという理由がありそうだが。
「ユー、それが終わってからでいいんですが、あとでオレと一緒にお嬢様のところへ行ってくれませんか?」
「へ? うん、べつにいいの」
コクンと小さな頭を動かすと、
「それじゃ、すぐにおわらせるの」
川剥き器を動かして野菜の皮を剥いていくユー。
「なにかお話なんです?」
ニンテが興味を惹かれたようで尋ねてくる。
「ええ、ユーが経理担当になることは知っていますよね?」
「あ、はいです」
「ですが一度に仕事を覚えることは難しいので、どうすればいいか今後の指針として、ヨヨお嬢様がユーに話しておきたいと仰っているんですよ」
「ほへ~なんかむつかしそうです~」
全くの嘘というわけではないのだが、もしかしたらユーを悲しませることに繋がるかもしれないと思うとソージは心がチクリと痛んだ。
「ニンテ、手が止まってるわよ~」
「あ、すみませんです!」
ニンテも皮剥きをしていたのだが、カイナから注意を受けて手を動かし始めた。そしてカイナが近くにやって来ると、耳打ちするような小声で、
「一応、何も無かったわよ。いい子よ、ユーは」
「ええ、それは分かってますよ」
「でも、何か……あるんでしょ?」
「…………はい」
カイナから小さな溜め息が聞こえたが、すぐに元いた場所に戻り作業の続きをし始めた。ソージもまた彼女たちの手伝いをして、ユーが終わるまで一緒に居た。
(あ、そうだ。お茶菓子でも作っておくかな)
ユーの話が長くなるかもしれないと思い、ソージは手軽に口にできるものを作ることにした。
作業が一段落した後、ユーとともにソージはヨヨの自室へと向かった。コンコンとノックをして入室許可を得ると、部屋の中へ入って行く。
「悪いわねユー、呼び出したりして」
「ううん、べつにいいの」
ヨヨの自室にはソファが二つあり、ヨヨとテーブルを囲んで対面する形でユーが腰を下ろした。ソージは来る時に持ってきていた紅茶と菓子をそれぞれの目の前に置いた。
ヨヨは一口紅茶で喉を潤すと、温かい息をゆっくりと吐く。
「ん、美味しいわソージ」
「ありがとうございます。ユーもどうぞ、お菓子もありますから」
「う、うんなの」
「あら、美味しい。このクッキー、甘さもちょうどいいわね」
ポリポリとヨヨも満足そうに口へと運んでいる。ソージが作ったのはいわゆるチョコチップが含まれているサクサクしたクッキーである。ソージが用意した紅茶にも合う茶菓子だ。
「ングングングング……」
ユーはどうやら相当気に入ったようで脇目も振らずにその小さな口を必死で動かしている。まるで小動物がエサを食べているようで愛らしい姿を見せている。
一息ついたところで、ヨヨが静かに話し始める。
「ねえユー、この屋敷はどうかしら? やっていけそう?」
「……みんな、いいひとなの」
「そう、それは嬉しいわ。仕事については聞いたかしら?」
「すこし……なの」
「本格的な経理の仕事は、そこにいるソージが教えてくれるから安心するといいわよ」
「おにいちゃんが……?」
ソージは優しく微笑むと、ユーが少し恥ずかしそうに顔を俯かせる。
「あらあら、ソージはもうこんな可愛らしい女の子を虜にしたのかしら?」
「え……?」
ヨヨが突然若干低めになった声音でとんでもないことを言ってきた。今のユーの態度で、どうしたら彼女を虜にしたという理由になるのか全くソージには分からない。
だが確実に室内の気温が冷えたような感覚を覚えたソージは、長々と言い訳をすれば藪蛇になると思い、ただ短く「ご冗談を」とだけ言って、話を変えるように紅茶のおかわりを聞く。
「……はぁ、相変わらずねソージは。でもいいわ、おかわりもらえるかしら」
「畏まりました。ユーはどうしますか?」
「ほ、ほしいの」
二人のカップに紅茶を継ぎ足し、話題を変えられたことにソージはホッと胸を撫で下ろしていた。
「さてユー、実はね、ここに来てもらったのは、あなたに聞いておきたいことがあるからなのよ」
「……なに?」
「……あなたは星海月の一族でしょ?」
突然目を大きく見開くユー。そして明らかに動揺しているようで、目を泳がせている。
「あ、う、そ、それは……」
「いいわ、隠さなくて。別にあなたが星海月の一族でも、それを糾弾しようとも思わないから」
「……お、おこらないの?」
不安気にユーが言葉を発する。
「あら、怒る理由が無いのに何故? それともあなた、怒られるようなことをしたのかしら?」
ビクッと身体を震わせて顔を俯かせるユー。その態度を見るに、やはり何か言い難いことを抱えていることは間違いない。
「……実はねユー、そこにいるソージに星海月族が住む海に行ってもらったのよ」
「! ……え?」
ユーは顔を上げてヨヨを見ると、そのまま顔を動かしてソージを注視した。
「あなたには悪いと思ったけど、こちらもあなたを屋敷に仕えさせる以上、あなたの身元を調べる必要があったの」
「…………」
「本当は、こんなふうに聞き出すのではなく、あなたから教えてくれるまで待つつもりでいたのだけれど、どうやらそうはいかなくなっている状況なのよ」
「……どういうことなの?」
「今海ではね……」
そうしてソージから聞いた話をヨヨがユーに説明するが、説明をしていると徐々にユーの顔が青ざめていく。そしてバッと立ち上がると、
「い、いかなきゃ……なの!」
その場から去ろうとするユーの前にソージが通せんぼをするように立ち塞がる。
「おにいちゃん、どいてなの!」
「落ち着いて下さいユー」
「だって……だってユーのせいで……だからユーはいかなきゃ……」
ユーはメイド服をギュッと掴むと、悲しそうに頭を垂れている。ソージは膝を折り、ユーの顔を正面から見つめる。そしてニコッと笑みを彼女に向けて、
「何があったか、話して下さい。力になれることがあるかもしれません」
「……お……にいちゃん………………なんでなの?」
「え?」
「なんで……そんなにやさしくしてくれるの?」
「それは当然です。お嬢様が言ったじゃないですか。ユーはもう、家族なんですよ」
「…………うぅ」
「家族が困っているのなら、オレたちは全力で助けますよ」
「う、ひっぐ……ひぐ……ううっ……うっ……」
「君が抱えていることを話すのが怖いのかもしれません。でも、決して見捨てたりはしませんよ。そうですよね、お嬢様」
「ええ、当主として、望むのは屋敷の者の幸せよ」
「うわァァァァァァァァァン!」
ユーがそのまま目の前にいるソージの頭に手を回して抱きついて泣き始めた。ソージも優しく受け止めると、ポンポンとあやすように背中を叩く。
「大丈夫です。だから話して下さい。君が抱えてること全て」




