第三十一話 予想外の状況
ソージ・アルカーサは今、屋敷の近海に来ていた。砂浜にはちらほらと人の姿が見えている。まだ海水浴の時期でもないので、恐らく散歩でもしているのだろう。
ここにやって来た理由は、めでたく屋敷に仕えることになった新米メイドであるユーの身元を調査するためだ。彼女は頑なに語ろうとはしないが、放置しておいて良い問題でもないので、ヨヨの命令でユーの種族である星海月が住むと言われている、ここへやって来たのだが……
「ただただ、穏やかな海が広がってるだけかぁ」
そう、ソージの眼前には青々とした美しい海が、心地の好い波音を生んでいるだけだった。ユーが海から出たことで、その家族や知り合いが、何かしら行動を起こしているかもと希望を持っていたが、どうにも動きが見当たらない。
「沖の方に行ってみるかな」
ソージはとりあえずここ周辺に異常が無いか調べるために、上空から海を見てみようと思った。
「想いを像れ、橙炎」
以前ヨヨたちを乗せたオレンジ色の炎で、あの時とは違い一人ようの乗り物を創る。その上に乗ると、そのまま橙炎を動かして行く。気分は筋斗雲状態である。
砂浜にいた者たちは、ソージの姿に驚きを露わにしていたが、ソージは無視して空を進んでいく。
ある程度沖の方まで来てみたが、やはり静かなもので何も見つからなかった。
「う~ん、やっぱり中に入らないとダメかな?」
一応水着は持ってきてはいるのだが、できることなら中には入りたくない。表面上は穏やかな海でも、中には凶暴な生物や、好戦的な水棲族だっているのだ。
もし戦闘にでもなったら、水の中ではソージの得意とする魔法が使えない。何と言っても炎なので、やはり水には弱いのだ。
水の中でも戦闘ができるように、かつての執事長であるバルムンクから、地獄とも言える修業はさせられてはいるが、それでも魔法のアドバンテージがなくなるのは面倒ではある。
「あの~! ユーという名の水棲族を御存知の方いらっしゃいませんかぁ~!」
無論返答は期待してはいないが、とりあえず誰かに聞こえたら御の字だと思い叫んでみる。何度か上空を旋回しながら叫んでいると、
ブクブクブクブク……
ちょうどソージの見ていた部分から泡が生まれていた。そしてしばらく見ていると、泡の下から影がが見えて、
バシャァッ!
中から魚を擬人化したような、いわゆる魚人のような人物が現れた。
(アレは確か渦鱗族。しかも男か)
渦鱗族という種族の特徴は、その名の通り、渦のような形をした鱗で全身が覆われた魚人である。ここら近海に生息する水棲族で、結構短気な気質を備えた種族なので、いきなり攻撃されてもいいように警戒だけはしておく。
「お前かぁ! さっきからうるせえんだよ!」
やはり怒っているようで、なるべくこれ以上刺激しないように言葉を選んで話す。
「すみません。ですが是非お聞きしたいことがございまして、宜しかったら少しだけお時間を頂けないでしょうか?」
ソージの低姿勢の態度に、魚人の男はめんどくさそうに舌打ちをするが、
「……お前、それ魔法か?」
「ええ、そうです」
「ちっ、今こっちではその魔法問題で厄介なことが起きてるってのによ」
「え? それはどういうことでしょうか?」
「……人間には関係ねえよ」
「……お気を悪くされたのならすみませんでした。ですが、こちらも少々お尋ねしたいことがありまして、よろしいでしょうか?」
「…………言ってみな」
「ありがとうございます」
ソージは素直に感謝を示し頭を下げる。
「では、ユーという少女を御存知ですか?」
「あ? ユー? 知らねえな」
「星海月族の子供なのですが」
「は? お前今何て言った?」
「え? ですから星海月の……」
「お前! アイツらがこの海で何したか知ってて言ってんのかコラァ!」
それを調べるために来たのだが、どうやら相当面倒なことがこの海で起こっているようだ。彼の尋常ではない憤慨ぶりに、思わず後ずさってしまう。
「何をしたのでしょうか?」
「アイツらはな、ここに生息してる奴らを石化させやがったんだよ!」
「せ、石化……ですか?」
「そうだよ! 俺の仲間も何人かやられた! 他の生物もだ! 何もしてねえんだぞ! それなのに、奴らはこの海を荒らしやがった!」
「……ですが見たところ穏やかで、争いごとの形跡も見えませんが?」
ソージの目に映るのは、相変わらず平和な海だ。
「けっ、今はな。けど種族長らが、集まって話し合ってんだ。これ以上奴らに好き勝手されちゃ、たまらねえってな。少なくとも奴らを追い出すことは決定してる」
「お、追い出す……?」
「ああ、そこで反抗した時こそ、戦争だ戦争」
これは思った以上に大事になっているようだ。それに恐らく関わっているであろうユーの存在。彼女が一体何故陸へ上がってきたのか、しかも逃げるようにだ。
「戦争とは穏やかではありませんね。星海月族は何と言っているのですか?」
「あ? 向こうはもう脅威は追い出したから大丈夫だって言ってるぜ。けどな信じられるか? 海の中じゃ、そりゃあもう石化した奴らで溢れてんだぜ! もう脅威は去りましたとか相手から言われても納得なんかできやしねえよ!」
彼の言葉でおおよそ推測は立てられた。仮にユーが、その石化の原因を作った者だとして、恐らく彼女の仲間は最初はユーを庇っていたのだろう。
しかしとうとう手に余るようになってきて、ユーは一族を追い出された。そして海の中を一人で彷徨っている間にも、彼女が多くの生物を石化させたのかもしれない。
そこで彼女は海には居場所が無いと考え、陸へと上がって来た。もし彼女が原因だとしたら、確かにそれで海の平和は守られるはずだ。
しかし男の言うように、それは相手側の一方的な言い分であって、やったことに対する罰が必ず必要になる。そして種族長たちは、星海月の一族を、この海から追放することにしたということだ。
「……どうしても話し合いで解決できませんか?」
「知るかよ! 悪いのは向こうなんだからよ!」
「ですが、同じ水棲族同士なのですから」
「けっ! 海には海のルールってもんがあんだよ! 陸の奴らは黙ってろ! というか何でそんなにこの件に首突っ込むんだ? ……お前もしかして奴らの回し者か? 奴らは陸の連中まで利用してこの海に残ろうってのかよ!」
「ち、違います!」
「ふざけんなっ!」
突如、男が水を口に吸いこみ、水鉄砲の要領で放ってきた。
「落ち着いて下さい! 私はただ話を!」
「うるせえ! 陸の者が出しゃばるんじゃねえっ!」
マシンガンのように水の弾丸を放ってくる男。
(くっ! ここは一旦退くか!)
このままでは話し合いどころではないと判断し、その場から陸へと戻って行った。背後から「おとといきやがれぇ!」という叫び声が聞こえ、つい溜め息が漏れた。
(お嬢様、どうやらとんでもない子を引き入れたようですよ)
ソージは男から聞いた情報を、そのまま橙炎を動かし屋敷へと持ち帰ることにした。