第二十五話 人手不足
――――――――――――――――――――こんなチカラいらないのっ!
ねがうのはそれだけ。それしかねがわないの。だからカミサマ――――――――――どうかおねがいをかなえてほしいの。
さびしいのは――――――――――――――――――――もういやなの!
冷たく暗い海の底。太陽の光を浴びてキラキラと輝いている水面とは違い、ここは穏やかで静寂な、全てを包み込むような漆黒が広がっている。
そこには生命の欠片を感じさせない、とは言えない。深海にもそこに生息する者たちだって数え切れないほどいる。深海の圧力に耐えられる構造を持った魚介類たち。
中でも大きな顎と鋭い剣のような角を持つブレイドシャークは、その深海に生きる者すべての捕食者であり、王者の称号を手に入れている。自らの何倍にもなる巨躯の魚相手でも、十数秒で平らげてしまう食欲と獰猛さは他に類を見ないほど野蛮で凶暴である。
そして今、そんなブレイドシャークの瞳が暗い海の中で怪しく光る。それは獲物を見つけた時に行う所作の一つだ。次いで頭を軽くフルフルと左右に振って突撃の準備を整える。
そのまま海底に沈んでいる小さな塊に向かって大きな口を開けて突進する。水の中とは思えないほどの速さでグングンと進んでいき、一瞬でその塊は口内に収まる……かに見えた。
――――――――――――――――――――バチバチッ!
海の中だというのに、その塊から放電現象が発生した。だがそれはとても弱々しい静電気のようなか細い光だった。
それが真っ直ぐ向かって来ていたブレイドシャークの身体に触れる。しかしブレイドシャークは蚊に刺されたほどの気づいていない様子で突っ込んできて、大きな口がもう少しで塊に触れると思われた瞬間――――――――――
――――――――――――――――――――ピキィィィッ!
突然ブレイドシャークが口を開けたまま石のように固まった。それは比喩ではなく本当に固まっていた。そしてその頑健そうな身体も、まるで岩のようにゴツゴツしたそれへと変化して、そのままゴロリと海底へと転げた。
そして小さな塊がガサガサと動くと、そこからヒョイッと顔が出てくる。どうやら身体に海藻を巻いてジッとしていたようだ。
「う~ごめんなさいなの……でもいきなりおそわれるとやっぱりダメみたいなの」
悲しげに歪むその表情はまだ幼く、外見では十歳前後の少女のようだ。透明感のある肌と穢れを一切知らないような純粋な瞳。黄緑色のショートカットだが海の中でユラユラと揺れている。
さらに貝殻を繋ぎ合わせて作った服を着込んでおり、頭から美しい透き通った羽衣のようなものを羽織っていて、それもユラユラと波の動きを伝えるように動いていた。
「きょうもこれで三かいめなの……」
よく観察してみると、少女から少し離れた位置に、同じように石になった魚が横たわっていた。
少女は涙を浮かべながら水面へと視線を走らせる。
しばらく水面に顔を出していないのを思い出し、彼女の中で一種の好奇心が湧いた。
「りくなら…………このたいしつ、なおるかな……?」
この体質のせいで失った友達や家族。そしてもうあんなことになるのなら誰にも自分には近づけさせちゃいけないと彼女は思っていた。
誰も近づかせなきゃ……自分がずっと一人であれば誰も傷つけなくて済む。今みたいにブレイドシャークのようなことにならない、そう彼女は信じている。
だがそれでも、やはりまだ子供。寂しさは相応に心を押し潰すが如く迫ってくる。海には無いと思われた自分の居場所が、陸ではあるかもと一抹の希望を持っても、それは仕方の無い想いだったのかもしれない。
彼女はまるで操られたかのようにスイスイと水面へと泳いで行った。何かを掴もうと手を必死に伸ばし、光の中へその身を投じていった。
ソージ・アルカーサは転生者である。元々日本人で朝倉想二という名前で生活していたが、学校の屋上に向かう途中に階段から落ちかける女生徒を庇って自らも一緒に落ち、気が付いたらこの【オーブ】という異世界に赤ん坊に生まれ変わっていた。
魔法や人間以外の人型生物などがいるファンタジーなこの世界で、ソージはなりたかった執事にもなれて、さらに魔法が使えるという嬉しい事実に日々の生活は順風満帆であった。
しかしそんな彼だが、日本にいた時に考えていた執事の役目がまさかこんなにも膨大なものだと辟易するとは思ってもいなかった。
「はぁ、この書類はお嬢様に渡して、こっちはオレが処理できる。それにこっちは……」
こんなふうにソージの目の前に山ほど詰まれた書類を必死で整理しているのだが、本来この役目は執事がするようなことではない。いや、仮に執事がすることであっても一人でこなす仕事量ではないのだ。
「う~ん、やっぱオレ一人じゃ手が回らないかもな」
無論ソージの仕事はこれだけでなく、屋敷の当主であるヨヨ・八継・クロウテイルの身の回りの世話や頼まれごとがあり、使用人たちの職務確認や給金計算。それに家事などや菜園での仕事など挙げればそれこそ目眩がしてくるほど多い。
メイドたちとともに仕事は何とかこなしてはいるが、それでも翌日に回さなくてはならないものなどが出てくる。実は最近メイドの数人が実家の都合などで辞めてしまったこともガッツリと支障が出ている。
ニンテやサボり癖のついた実母であるカイナもさすがに慌ただしく動き回っている。
「これは人材を補給するか、もしくは今いる人たちの教育をするか……う~ん」
ソージは基本的には家事やヨヨの世話に集中したい。他のものはできればメイドたちに任せたいが、何とも効率が悪かったり、抜けている場所があったり、ソージがした方が確実なので結局ソージがする羽目になっているのが現実である。
それならば誰かそういう仕事ができるスペシャリストを雇うか、今いる人たちを教育するかなのだが、教育するには時間が必要であり、この忙しい時にそんな時間をソージは割けない。
それにものになるには結構根気強く続ける必要もある。ならば答えは一つ。
「人材補給かな? 一応お嬢様に確認取るか」
ソージはボキボキッ肩を回すと、自室を出て行った。向かうのはヨヨの部屋だ。
ヨヨに会うと、現況報告を行い先程考えた提案を述べた。
「なるほどね、確かにこのままじゃあなたが過労死するかもしれないわね」
「はは、それは笑えないですよヨヨお嬢様」
「ふふ、分かったわ。では触れを出しましょう。仕事ができる者にはそれ相応の給金も提供できるし、部屋も余っているから、住み込みでも構わないわ」
「畏まりました」
即日にバイト募集のチラシをソージは作って街に配った。募集内容は、経理が得意な人材と、園芸能力に長けた庭師だ。
特に経理の人材が急務であり、少なくとも二人はほしいところだった。
メイドも数人いなくなったこともあり、メイド能力もある人材なら一石二鳥なのだが、それほど期待はしていない。
それに今の状況ならカイナがしっかり働いているので、これはこれで良かったのではとソージは思っている
チラシを撒き終わった翌日から成果が表れる。かなりの数が面接を受けに屋敷に足を延ばしてくれたのだ。
面接官はヨヨ、ソージ、そして何故かカイナ。またサボりではと聞いてみたところ、「こんな面白いイベントに参加しないなんて嘘よ!」と意味の分からないやる気を見せてきた。
とりあえずメイド能力も判断したいので、メイド長であるカイナの同席を許すことにした。客間を使い、面接は一人ずつ行うことになった。
「ではお入り下さい」
部屋に入って来たのは真っ黒に日焼けした三十台後半くらいの男性。頭にはバンダナを巻き、ランニングシャツと短パンといったとてもラフな格好で面接に来ていた。
服装指定はしなかったが、あまりに自然体の彼に思わず苦笑を浮かべてしまう。
「で、では自己紹介をお願いします」
ソージが促すと、男はニカッと白い歯を見せ、
「俺はデミック・ランナウェイだ! 特技は見て分かるだろぉ?」
思わせぶりにソージを見てくるが、
「いえ、分かりませんが?」
「何だよつれねえなぁ。このはち切れんばかりの筋肉を見てまだ分からねえか?」
丸太のような筋肉の鎧を纏った腕をピクピクと動かして自慢している。
「……庭師希望ですか?」
「いや、経理だ」
「何でだっ! あ、し、失礼しました……」
思わず我を忘れて突っ込みを入れてしまった。だってそうだろう、庭師は暑い日でも外で仕事をするので体力だっているだろう。それに園芸はそれだけでなく、畑仕事などにも従事してもらいたいとチラシには書いてあったので、力仕事も必要になってくる。
だからこそあの筋肉が活かされるのは庭師だと判断したソージは間違っていないはず。
「ブハハハハ! いいね兄ちゃん、いいツッコミだ! 安心しろって、俺は庭師希望だぜ!」
「……あのですね、これが面接だと理解していますか?」
「は? そりゃ当たり前だろ? そのために来たんだからよ」
だったら面接官をおちょくるんじゃねえと声高に叫びたい衝動にかられたが、一つ咳払いして、
「では庭師希望ということで、無論経験はお有りですよね?」
「ああ、こう見えても《ガーデニングフェスタ》にも出たことあるぜ!」
「へぇ、毎年一回中央大陸で開催するナンバーワン庭師を決める大会にですか?」
中央大陸、別名【オウゴン大陸】には皇帝が住む宮殿があり、毎年多くの大会などが開催されている。《ガーデニングフェスタ》もその中の一つだ。
世界中から名のある庭師が集まって腕を競い合うのだ。優勝者には宮殿の庭師として召し抱えこんでもらえるチャンスが与えられる。
「確かアレは百人参加型のイベントでしたね。百人に選ばれるとは相当の実力なのでは?」
「ブハハ! そう褒めんなよ! 照れちまうわぁ! あ、けどよ、残念ながら優勝はしてねえぜ?」
「そりゃそうでしょうね。優勝者は宮殿で働けるのですから、わざわざそこを蹴って、東大陸のしがない貴族屋敷に仕えたいと考えるとは思えません」
「あらソージ、しがない屋敷で悪かったわね」
怒気は込められてはいないが、失言だったとソージは背筋を伸ばした。
「申し訳ありませんでしたヨヨお嬢様」
「ふふ、まあいいわ。ところであなた、何故ここで働きたいのかしら?」
「あ? そんなもんこの庭を一目見て気に入ったからに決まってんだろ?」
「そう、では採用よ」
「ちょ、お嬢様!?」
これが驚かずにはいられない。採用するということにもそうだが、それをたかが数分の会話で決断したヨヨに愕然とする。
ハッキリ言って彼を採用する理由としてソージが思いつくのは《ガーデニングフェスタ》に出たという言葉だけ。しかもそれが真実かどうかなどまだ分からない。
簡単に言えば雇われたくて口から出まかせを言っている可能性だってあるのだ。確かに仕事は見た目からできそうだが、それにしても即決し過ぎだと思った。
そしてそれはソージだけでなくデミックも同様だったようで、口をだらしなくポカンと開けている。
「どうかしたのかしらソージ?」
「い、いや、あのですね。採用するにしても、まだ彼は一人目です。他にも優秀な方がおられるかもしれないですよ?」
「あら、それならその者も雇えばいいじゃない」
「う……それはそうなのですが、ですが……」
「……私がどうして即決したのか聞きたいのかしら?」
「は、はい」
それは他の者もそうだろう。ヨヨは微笑を浮かべると、その薄い唇を静かに開いた。
「彼が庭を気に入ったと言ったからよ」
「……はい?」
「私は尋ねたわ。この屋敷を選んだ理由を。そして彼は庭を一目見て気に入ったと言った。だから雇うことにしたの。分かったかしら?」
室内に沈黙が流れる。彼女の合格基準はどうやら仕事能力よりも、庭を好きかどうかだったらしい。
いろいろ言いたいことはあるが、この屋敷の主人がヨヨである以上、彼女が決定したことに異を唱えたところで無駄だと思い諦めた。
「分かりました。ではデミックさん、仕事内容はメイドにお聞き下さい」
「え、あ、えっと、いいのか俺で? そりゃ俺は嬉しいけどよ。こうもあっさり決まるなんてさすがに思ってもいなかったんでな」
「ええ、だけど仕事はしっかりね。生半可なことをしていたら即座にクビにするわよ」
ヨヨの言葉を受け、ガリガリとその短く刈り揃った頭をかくとニカッと笑うデミック。
「オッケーだ嬢ちゃん! 誰が見ても最高の庭を維持してやるぜ!」
「ふふ、期待しているわ。あ、あとそれと私に仕えるのであれば、拙くてもいいから敬語を話すように心がけなさい。公の場では特にね」
「分かったぜ! あ、いや、分かりましたぜ当主様!」
親指を立てて了承すると、メイドに連れられ部屋から出て行った。