第百七十五話 皇帝ネフリティス
鬼たちの襲撃を受けた後、ロブの提案で、避難通路を通って脱出を図っていた時、急に首筋に衝撃を感じたかと思えば意識が遠ざかった。
夢の中―――――最近よく見る夢。
それはある人物が、自分を助けてくれる夢。名も知らない、見たこともない人物。優しげな雰囲気を持ち、胸に穏やかに響くような心地の良い声音で自分のことを守ると言ってくれる。
闇の中から救いのような声が頭の中に響く。瞬間、一筋の光が目の前に現れる。
「う……」
身体が揺れている。先程まで自分が籠の中に座っていたはず。それなのに何故目が覚めると目の前に床が現れるのか。しかも腹部にかかる圧力。誰かに抱えられているということは理解できた。
「い、一体何事ぞ?」
言葉を漏らすと、ピタリと歩みが止まった。
「ほう、ようやく起きたか、皇帝」
皇帝―――――ネフリティス・シャルティア・オウロ・スフェラは顔を上げて、自分を抱えている者を見つめる。見たこともない青年だった。
「お、お主! 朕を誰と心得て折るのだ! 早急に朕から離れるのだ!」
「断る。お前にはまだ役に立ってもらわねばならんからな」
物凄く冷たい瞳。まるで人の命など、そこらへんに転がっている石と何ら変わらないと思っているような感情の無い表情。睨みつけられただけで全身が粟立ち震えてくる恐怖を感じる。
「お前には《最後の魂》を解放してもらう」
「なっ!? 何を申しておるのだ! 賊にそのようなことができるわけがないぞ!」
「お前に選択権はない。時間はかかるがお前をこれから頭の中をいじくって傀儡にしてもいいんだぞ?」
「ひっ!?」
狂っている。一言そう思った。目的のためなら手段を選ばないということ。そのためなら、たとえ世界の敵に回っても気にしないといった雰囲気を醸し出している。
「お、お主は一体……何者なのだ?」
「人として、究極を求める存在だ」
「究極……?」
再び歩き出した。ここは《皇宮》であることは間違いない。そしてこの方向に進んでいけば、彼が言うように《最後の魂》が安置されている場所へと辿り着く。
(一体この者は何が目的で……?)
そう考えた時、今ここを襲っている《混沌一族》のことを思い出す。
「お主は……鬼ぞ?」
「俺を破壊だけが生きがいの肉塊と一緒にするな」
どうやら彼は鬼を軽蔑している様子。
「鬼に《最後の魂》を渡すわけにはいかないからな。アレは俺が手に入れ、至高の存在を造り出すためのものだ。誰にも渡さん」
「ま、待つぞ! お主はアレがどのようなものなのか熟知しておるのか!」
「当然だ。アレがあれば鬼だろうが赤髪だろうが敵ではない」
赤髪……? 気になる言葉が聞こえたが、彼が赤髪と口にした時、何故か楽しげに頬を緩めていたのは気のせいだろうか。
「確かこっちだったな」
そこは《金子の間》のさらに奥に存在する小さな礼拝堂。殺風景な造りになっており、突き当たりには祭壇があるだけ。男は祭壇へと真っ直ぐ向かうと、手をかざした。すると祭壇に光の線が走ったかと思うと、ズズズズとその線を隔てて祭壇が切断されていく。
「な、何と言う罰当たりなことをっ!?」
「黙れ。この世に神など存在しない」
代々大切に扱われてきた祭壇があっさりと賊によって寸断されしまった。
(ご先祖様……申し訳ありませぬ!)
この祭壇は神が降り立つとされていて、《皇宮》が造られてから今まで大切に守られてきた場所なのだ。毎日必ず皇帝はこの祭壇に祈りを捧げることを務めとして生きる。
死んだ先祖の魂がこの祭壇へと帰ってきて、心の中で対話をするのだ。とても大切な守るべき祭壇。
「それなのに……っ!?」
祭壇が破壊され、その下から地下に通じる階段が現れる。ネフリティスは、忌々しげに男を睨みつける。しかしその視線を涼しい顔で受け流したまま男は階段を下りていこうとする。
悔しい。何もできないのが悔しい。皇帝として世の中を良くするために知識を使ってきたが、結局一人では何もできない。
(このような時……夢の中のような者が傍にいてくれたら……)
そう思った時、背後から声が聞こえた。それは聞き覚えのある声。
「ロブッ!」
「皇帝っ!」
そこに現れたのは《五臣》のロブだった。他にもリンネや、見たこともない者たちもいるが、一緒にいるということは仲間なのだろう。
信頼するロブやリンネが駆けつけてくれたことでホッと気持ちが落ち着く。
「ほう、何故ここが分かった?」
「アルココが吐いた」
「ちっ、口の軽い使えない奴だ」
突然身体に浮遊感を感じたと思ったら床に投げ出されてしまった。
「皇帝! 貴様ぁ、皇帝にそのような扱い、万死に値するぞっ!」
「たかが皇帝の腰巾着が強がるな」
「何だと貴様……」
ロブがあれほど怒りを露わにしたのを初めて見る。自分のために怒ってくれているということは素直に嬉しいものを感じるが、男から醸し出される残虐性を受け、段々と心配になってきた。
無論自分に仕えてくれている《五臣》のことは信頼している。しかし戦闘に特化しているグロウズや火澄ならともかく、他の者たちはそれほど戦闘力が高いわけではない。
男がどれほど強いのかはいまだ分からないが、少なくとも一人でここまで乗り込み、皇帝を攫うという大胆な行動ができるほど自信を持っていることも分かる。
本当にこのまま戦わせていいのだろうかとネフリティスは考えてしまう。するとその時、ピタッと首元に短刀が突きつけられる。
「動くな。動けば皇帝が傷つくぞ?」
「くっ……卑怯な輩めぇ……!」
このままでは自分が人質に取られてロブたちがまともに動けない。何か男に隙でも作れるような出来事が起これば……
そう願っているところ、突如として天井が崩れて何かが落下してきた。男もさすがに予想外な出来事だったようで思わず短刀を引いている。
今が好機だと思いロブへ向かって走る。
「っ!?」
男も気づき手を伸ばして捕まえようとしてくるが、ロブが召喚した蟲たちがネフリティスの背後に出現し壁の役割をする。
ネフリティスはロブのもとへ辿り着くと、リンネが涙を流して抱きしめてくる。
「良かったですよぉ~っ!」
彼女がいつも自分の身体のことを慮ってくれていることは百も承知。《五臣》の中で一番語り仲が良いのは間違いなく彼女だ。
男はやれやれといった具合に肩を竦めて、天井から落ちてきたものを睨みつける。彼にとっては憎き存在だが、ネフリティスにとっては救いの物体だった。
しかしそれは一人の人間。しかも見覚えがある女性だった。
「痛つつぅ……今のは効いたぁ」
瓦礫の中から起き上がったのは―――――
「お、お母さん……!?」
「ん……? あれぇ? ヨヨじゃな~い! ひっさしぶりィ!」
【英霊器】における武神。《猛る姫》こと希姫・八継その人だった。
次回更新は12月17日(水)です。