第百七十二話 それぞれの宿命
セイラはジコクとチョウの二人が多面童によって動きを拘束され、次にチョウが攻撃を受けた時に、すでにもう一人をこの場に召喚していた。それがタモンである。
そのタモンを召喚した場所、それが多面童の背後。そして今、タモンの右手に握られてある巨大な棍棒が多面童の頭上から襲い掛かった。
大地を割るほどの強力無比な力で叩きつけられたら、どのような人物とて一溜まりもないはず。セイラは勝利を確信していたが、驚くべき光景が視界に飛び込んでくる。
「堅きこと――――――――鋼の如し」
棍棒は間違いなく多面童の頭に落ちた。そのまま身体が粉砕されてもおかしくないほどの無慈悲な一撃だったはずだが、多面童が立つ大地が割れただけで、棍棒は多面童を破壊することはできなかった。
「むぅ!? 堅いのう、お主」
タモンが口を尖らせて顔をしかめる。彼にとってもまったく無傷に立つ多面童に驚愕を覚えているようだ。だがタモンはそのまま棍棒を、今度は横薙ぎに一閃する。バキィィィッと痛々しい音とともに多面童が吹き飛んでいく。
「チョウさん、今その傷を治してもらいますから! 出てきて下さい、左のモクさん!」
さらに魔法陣の中から着物姿の女性が現れる。艶のある黒髪を頭の上で束ねている美女。セクシーな胸元が、着崩した着物からチラチラと見えている姿は妖艶である。
その腕には、大きな筆を抱えていて微笑を浮かべている。
「フフ、どうされたのかしら、セイラちゃん?」
「モクさん、お願いします、チョウさんの傷を!」
「あら、これは一大事のようね」
モクが持っている筆に口づけをすると、その部分から緑色の絵の具をつけたような色が広がっていく。それをチョウの身体――――――斬られた場所に塗っていく。するとシュゥゥゥッという音とともに傷が塞がっていく。
「う……」
「チョウさん、大丈夫ですか?」
「あ、はい主様。ご迷惑をおかけしました」
「そんな、迷惑なことなんて一つもないですよ。でも良かったです。ありがとうございます、モクさん」
「フフ、セイラちゃんのお願いですもの、当然よ。だけど、チョウちゃんほどの武人がやられるなんて……相手は相当の使い手のようね」
厳しい顔つきで吹き飛んでいった多面童を見るモク。倒れていた彼はムクッと起き上がって、ゆっくりと歩いてくる。見たところ傷らしい傷もない全くの無傷である。
「むぅ、ワシの一撃を受けてもケロッとするとはのう。些か驚きじゃわい」
タモンが目を見張りながら言葉を吐く。悔しさが滲み出ているのが伝わってくる。多面童がピタリと足を止めてセイラたちを見回す。
「ふむ、『四天王』の使い手。かつてウーラノスが使用した魔法。我が宿敵」
パンッと合掌する多面童から、先程よりも強烈な殺気が迸る。
「封印されてから幾星霜、再び相見えたこの喜び。長きに渡る決着を今ここで――――――つけるとしよう」
セイラ含めて他の四人が改めて多面童に対して身構える。ここからが本番。それは漂う空気が教えてくれた。
一方真雪の相手は血文殊と呼ばれる男。黒いサングラスをかけた飄々とした人物。パーマを当てたかのような癖の強い茶髪をしており、尖った耳には幾つものピアスが嵌めてある。彼も頭の上には大きな角が一つ生えている。
「……どうして攻撃してこないんですか?」
先程からジッと互いに距離を開けて対峙しているものの、多面童と違って少しも動きが無いので不思議に思っている。ポケットに右手を入れたまま、左手でタバコを吸って佇んでいるだけ。
隙だらけといえばそうなのだが、逆にそれが不気味に思えて真雪も近づけずにいるのだ。
「いや~だってよ、こ~んな良い天気なんだぜ? 汗かくってバカらしいじゃんか」
「あ、それは分かります。こんな天気が良い時は、ピクニックでもしたいですよね」
「お、話が分かるね~! そうなんだよ~。俺はゆっくり空を見ながらゴロゴロして、美味いものをたらふく食いてえなぁ」
「そうですよね。みんなでワイワイと楽しく食事をしてお喋りをして、きっと楽しいはずです」
「ん~いいねえ~」
真雪も笑みを浮かべて喋っていたが、急に真面目な顔をして口を動かす。
「……でも、あなたたちがそれをさせてはくれない……ですよね?」
「……そうなるんかねぇ」
「本当はみんなが手を取り合って助け合うべきだと私は思います。だけどあなたたちは、人っていう生き物をゴミと呼びます」
「…………」
「たくさん殺しました。本当にたくさん」
「……まあねぇ」
「倒したいなんて思いたくないですけど、あなたたちを倒さなければ、きっと悲しむ人が大勢出てきます」
「ま、そうなんだろうねぇ」
「だから……私は戦うんです!」
真雪の覚悟を込めた顔を真正面から見つめる血文殊。自嘲するような感じで苦笑を浮かべると、タバコを地面へ捨ててポケットに手を突っ込む。
「やっぱ、殺り合うしかねえのかねぇ、まったく」
やる気の感じられない物言いだが、間違いなく彼も鬼なのだ。この世界を混沌に陥れようとしている存在。
「素直に投降してくれるのなら大歓迎しますけど?」
「ハハ、嬢ちゃんは優しいねぇ。けどま~、そういうわけにもいかねえっしょ。ほら、こう見えても鬼だしよ」
「……残念です」
「けど、嬢ちゃんみてえな奴、結構好きだぜ?」
「あ、でも想いには応えられませんよ? 私、大好きな人がいるんで」
「か~フラれたよ。いっきなりフラれたよ。まあ、嬢ちゃん可愛いし、恋人がいてもおかしくねえもんな~」
「そうなればいいって思っていますけど」
「え? まだなの? その男は草食だね~。俺だったら間違いなくおはようからおやすみまで、ずっとベッドの上でイチャイチャするのによぉ」
その言葉で真雪はソージとのあられもない情事を想像してしまい、顔を真っ赤にして頭から湯気を出してしまう。そんな真雪を見て血文殊はニヤニヤと面白そうに笑う。
「カカカ、初心だと思ってたけど、良いねぇ。その男は幸せもんだ」
「もう! エッチなことばかり考えてないで、いきますからね!」
「おうよ、んじゃちょっち揉んでやらぁ」
「む、胸とか揉んだら本気で怒りますからね!」
「そういう意味で言ったんじゃねえんだけどな……まあ、天然っぽい嬢ちゃん、さっさと来な」
真雪はバカにされたと思い、少しムッと感じるものがあった。
「縛樹っ!」
血文殊の足元から木が伸びてきて絡めとろうとしてくる。しかし彼は動かない。そのまま拘束されてしまった。
「お? 嬢ちゃんが『樹の覇王』の使い手だったか。んじゃもうゼウスのオッサンとは対話したかい?」
「ゼウスさんのこと知ってるんですか?」
「そりゃもっちろんだぜ。何たって俺を封じたのはオッサンだったんだしよぉ」
「そうだったんですか」
「まあ、一緒に酒を呑み交わした仲でもあったけど」
「どんな仲なんですか! 敵同士だったんですよね!」
「カカカ、そうだぜ~、けどゼウスのことは、大好きだったぜ。これも宿命かもなぁ~、ゼウスの力を引き継いだ相手とこうして再び戦うことになるなんてよぉ。できりゃ、嬢ちゃんとは酒でも飲み交わしてえが、そうもいかねえか……」
寂しげに揺れる瞳。本当にゼウスのことが好きだったのだと、その表情だけで真雪が理解することができた。
(こんな鬼さんもいるんだ。だけど、私はこの人を倒さなきゃいけないんだ!)
心にチクリと痛みを感じるが、相手が人を殺そうとしてくるならそれを守るらなければならない。真雪は口を一文字に結んで表情を引き締め直す。
「このまま大人しくしてもらいますっ!」
「……そうはいかねえんだわ」
苦笑を浮かべたまま血文殊が言うと、彼の身体がボコボコボコッとまるでマグマのように沸騰していく。そしてドロドロと彼の身体が溶けだしていき、拘束していた木も燃えてしまう。
「ずいぶん昔にゼウスのオッサンも言ってたぜ? 俺とお前は相性が最悪だってな」
真雪は彼の能力を知り、確かに相性が良くないということに愕然とした思いを抱えてしまった。
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