第十七話 攫われたヨヨ
乗っていた船が海賊に襲われ、その海賊の御厄介になるという想像だにしなかった事件に見舞われた天川真雪は、星守セイラとともに船の中にあるキッチンを使って料理を作っていた。
「よし! できた!」
真雪は大なべの中でグツグツと煮込まれている液体を見て、満足気に頷いていた。しかしその隣にいるセイラは若干……いや、かなり頬を引き攣らせていた。
「え、えっと……真雪さん?」
「ん? な~にセイラ?」
「……そ、その料理は……何でしょうか?」
「へ? カレーだよ?」
「……え?」
「だってね、日本に居た時、テレビで海軍の人たちが毎回決まった曜日にカレーを作ってたんだ。アレって海にずっといるから曜日を把握し辛くて、その曜日を見失わないためにカレー曜日を作ってるんだって」
「は、はぁ……」
「だけどね、それって海軍の人がみ~んなカレーが好きだからできた決まりだよね? 海賊と海軍ってやっぱ海の人たちだから、カレー好きだと思うんだ! だからきっと気に入ってくれると思って!」
「え、ええ……それは分かりますが……」
何故ならカレールーのようなものもキッチンにあったのだから、彼らも好んで食べるのだろう。しかしそんなことどうでもいいのだ。今セイラが気になっているのは、何故カレーなのに…………………………鍋の中身が真っ赤なのかということだ。
時々ボコッと沸騰しているように弾ける現象が起きるので、まるでマグマを見ているような気分になるセイラであった。
(こ、これは……カレーなのでしょうか……どうみても食べてはいけないものに見えてしまうのですが……)
キッチンの熱さなのか、それとも目の前にあるカレー(仮)を見て出た冷や汗なのか分からないが、額から垂れるものを感じるセイラ。
「う~ん、もう少し赤い方が美味しそうに映るんだけどなぁ~」
とんでもないことを言い出した真雪。何故赤いのか調理過程を見ていなかったセイラには判断しかねるが、きっと唐辛子的なアレだとは分かる。何故なら先程から若干目が痛いのだ。
これは唐辛子を煮込み過ぎて、その刺激を含んだ湯気が目を攻撃しているのだと推測した。何故真雪が鍋の直前にいて、一切のダメージを感じていないのかは謎だが。
ちなみにセイラが作ったのは簡単なサラダと魚のフライだった。海にいるので魚介類には困らないのだ。サラダも美味しそうな貝や魚の身を蒸して解したものを野菜と絡めてある。
料理が得意なセイラだからこそ、目の前にある真っ赤な死の香りに唖然としてしまった。
その時、「腹減ったぁ~」と言葉を溢しながらゾロゾロと食堂へとやって来る海賊たち。意気揚々としてお皿にカレー(仮)を注いでいく真雪。
「…………おいマユキ、これは何だ?」
皆が食堂に入って来て、テーブルを囲んだ後、頭であるユーラが目の間に置かれてある皿を見て頬を引き攣らせている。
「ん? あれ? 知らないの? カレーだよ!」
あれからユーラに関しては、彼女から砕けた喋り方でいいと言われていた真雪たち。
「い、いや、カレーは知ってるけど……え? これカレーなのか?」
ユーラだけでなく全員が穴が開くほど真っ赤な液体を見つめている。
「……なあ、何だか目が痛いんだが」
「ああ、俺も涙が止まらねえ」
「ま、前が見えない……」
ユーラ、レイス、ガジの順に感想を述べる。ガジなんかは目から滝のように涙を流している。他の者たちも目頭を擦っている。
「もう~それほど刺激的に美味しいってことじゃない! ほらほら、いいから食べてみてよ!」
真雪は無邪気に箸を勧める。皆はゴクリと喉を鳴らすと、恐る恐るスプーンを手に取り、静かにだが確実にマグマにスプーンを沈ませていく。
ただ一人だけ、セイラだけはこの後どうなるのかすでに予測しているのか合掌しているのだが、それには誰も気づいていなかった。
まず最初の犠牲者はユーラだった。
「ぼがふぅっ!?」
彼女の頭に生えている獣耳と尻に生えている尻尾が、どんなものでも貫けるのではないかと思えるほどピンと空へ向く。そしてセイラには見える。彼女の口から炎が吐かれているのを。
「あばばばばっ!?」
「ひ、ひはいっ!? くひがひはいィィィッ!?」
「み、みじゅぅぅぅぅぅっ!」
まさに地獄絵図だろう。たった一口で全員の唇は二倍に腫れ、中には水を求め床を這いずりまわる者、白目を剥いて口から泡を吹いて気絶する者、顔を真っ赤にして痙攣している者。
奇しくもマグマの赤が血のように見えて、何も知らない者が見れば惨劇の場だと勘違いしても仕方の無い光景が広がっていた。
「みゃ、真雪ィィィィィッ! にゃ、にゃんだこにょ辛過ぎりゅ物体はぁっ!?」
ユーラは全身を真っ赤に染め上げながら真雪に詰め寄るが、
「え~? そんなに辛かった?」
真雪はスプーンを手に取り一口カレー(仮)を口へと運ぶ。セイラはそれで自分の料理の破壊力に気づいて自重してくれればと思っていると、
「もぐもぐ……うん、もう少し辛くても良かったかな?」
耳を疑ったのはセイラだけではないはずだ。どうやら真雪の味覚はぶっ壊れているようだった。そして、その言葉を聞いた者全員の気持ちが一つになる。
「「「「アホかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」」」」
それから真雪にはキッチン立ち入り禁止が言い渡されたのは言うまでもない。
ある日、書斎で仕事をしていたヨヨ・八継・クロウテイルは、机に積み重なっている書類に目を通していた。そしてドアをノックする音がして、ソージだと思い入室を許可した。基本的に自分が仕事をしている時、部屋に訪ねてくるのはソージだからだ。
しかしそこでソージなら、いつも必ず一声かけることを思い出し、彼ではないことを悟り顔を上げる。
そこには見たこともない人物が立っていた。人形のような無機質な表情をした女性。水色の短髪で、切れ長の瞳は冷酷な印象を受ける。ただ気になるのはメイド服を着込んでいることだ。
「あなたは誰?」
ヨヨは努めて冷静に尋ねる。無論彼女が招いた客でもなければ、屋敷の者でもない。それに友好的な雰囲気も彼女からは感じない。
一体何故誰にも感づかれずにここまでという疑問がヨヨの脳裏を廻る。庭にはメイドが仕事しているし、屋敷内にはソージもいる。いくら隠密に優れている者でも、夜でもない今の時間帯に誰にも見られずにここまでやって来れるとはどういうわけか……。
それでもヨヨは動揺を一切見せずに椅子に座り続けている。だが頭の中では必死に思考を回転させている。するとその彼女の背後から、
「フフフ、さすがねヨヨ・八継・クロウテイル」
白髪に近い銀髪を持った少女が現れた。歳はヨヨよりかなり下に見える。ハッキリ言って幼い。ニンテよりは上のようだが、あまり変わらないようにも見える。だが勝気そうに吊り上った瞳は自信の表れにも感じられる。
水色髪の女性の身長が高く、隣にいる少女の身長が小さいのでとてもアンバランスだった。しかしその二人ともが、美女と美少女であることは間違いなかった。
美少女の方が主導権を握っている雰囲気を感じたので、恐らく彼女のメイドが美女なのだろうと勝手に判断した。
「突然現れた得体の知れない者相手に、怖気づくどころか表情一つ変えないとはね」
「答えなさい。あなたたちは何者?」
「フフフ、安心しなさい。名乗りはちゃんとしてあげるわよ…………捕らえた後でね」
そう言った少女の目が細められた瞬間、隣にいた女性が凄まじい速さでヨヨに向かってきた。
ヨヨも反撃しようと立ち上がろうとしたが、瞬時に背後に回られて腕を絡め取られてしまった。その際にカチャリと手首に冷たいものが嵌められる。
「くっ……《魔封錠》……っ!?」
それは文字通り魔法を封じる効果のある手錠だった。それよりもメイドらしき彼女の動きが、とても一介のメイドだとは思えないほど洗練されたものだった。高度な戦闘訓練を受けているような動き。
(……いえ、コレは……!?)
ヨヨは捕まった状態で、何かに気づいた。
「フフフ、ようやくその表情を歪められたわね」
嬉しそうに笑みを浮かべる少女。こうなったら叫ぼうとした時、先を読まれていたように口を手で塞がれる。
「とりあえず捕獲完了ね。では約束通り教えてあげる。アタシの名前は、フェム・D・ドレスオージェよ!」
手を口元に当ててクスクスと笑う彼女を見て、
(ドレスオージェ? 確か南大陸の《オズワイン地方》に縁がある名前……)
ヨヨの脳内に保存されている膨大な知識から相手の素性を割り出す。
(《オズワイン地方》には【ラヴァッハ聖国】があるはず。そこの王侯貴族の名に、ドレスオージェがあったわね……)
カツカツと近づいていくるフェムを見上げながら、情報を整理していく。そんなヨヨに対して、楽しそうに見下ろしているフェム。
「聡明なアナタのことだから、アタシのこと、もう気づいてるでしょ?」
「…………」
「まあ、アタシの素性なんてどうでもいいのよ。さあ、行くわよテスタ」
テスタと呼ばれた女性が、フェムが伸ばした手に触れると、フェムの身体が徐々に透けていく。
(……魔法っ!? しかも透明化の? そうか、これで屋敷の中に……)
彼女たちがどうやって屋敷内に入って来たか理由が分かったが、魔法を封じられて身体も拘束されている今の状態では何もできなかった。そしてヨヨの身体もまた透けていく。
(…………ソージ……)
三人の姿はその場から忽然と消えた。