第百六十五話 希姫とジャスティン
「なるほど、実際にその眼でお前が見たことだ。信じるしかないな」
秦斎が難しい顔を浮かべてソージの話を聞き入っていた。また彼だけでなく、その周りにいた風音や崩悟なども眉間にしわを寄せている。
「その《鬼》と戦える力を得るためにここへ来た……そう捉えてよいのだな?」
「はい」
「なるほど……では希姫にか?」
「いいえ、多音様にご師事しようかと」
「お、おばあ様に!?」
驚き声を張り上げたのは風音だった。彼女の言動から分かるように、これからソージが師事しようとしているのは風音の実の祖母なのである。
「しかしソージよ、何故多音なのだ? 単純な力なら希姫やそれこそバルムンクの方が上ではないのか?」
「かもしれません。ですが多音様は元々武術の師範でもありますし、今の私がさらに強くなるためには適任なのではないかと愚考した次第です」
「ふむ、確かに多音ならばお前を成長させてくれるかもしれんな。よし分かった。風音よ」
「はっ!」
「ソージを多音のところへ連れていってやりなさい」
「はっ!」
「ソージよ、修業に入ればなかなかこちらにも来ることはないだろう。その前に城の者たちに挨拶ぐらいはしておけよ。特に希姫はお前にも会いたがっていた」
「畏まりました。では」
その場から立ち上がり、ソージはシャイニーを連れて、風音とともに希姫がいる部屋へと向かった。希姫の部屋は城の中にあり、今は夫のジャスティンとともに暮らしているのだ。
彼女が何故ヨヨと一緒に暮らさないか、その理由は彼女が城の姫であり、秦斎の相談役の任に就いているため、この場所から離れられないからである。そのことはヨヨも認知しており、立派な仕事だと尊敬もしている。
また彼女が【英霊器】であることも含めて、秦斎が彼女を守っているという立場もある。まあ、守られるほど弱い存在ではないが。
洋風の城ではなく、和風なのでソージは何となく心地好い想いを感じる。やはり心はまだ日本人なのかもしれない。
閉じられた襖の前に立ち、風音がソージの前に立って「風音です」と一言添えると、中から「入ってもいいわよ」と気さくな返事が届く。
「失礼します」
襖を風音が開けると、着物を着込んだ女性が一人の男性とテーブルを囲んで談笑していた。
「あら? ソージ? 久しぶりね!」
「はい、こちらこそご無沙汰しておりました希姫様」
艶のある真っ黒のストレートヘア。日本人形のような外見を持ち、さすがヨヨの母親である美貌を備えている。肌も透き通るように白く、軽く浮かべている微笑は、世の男を虜にしてしまうほどの魅力を持つ。ただ残念なのは、やはり遺伝なのかヨヨと同じく薄っぺらい胸である。
「ん~? ねえソージ? 何かイケナイこと考えてない?」
「い、いえっ! 相変わらずの美しさで目も開けてられません!」
「フフ、ありがと。そういうことにしといてあげるわ。あ、でも急にどうしたの? ジャスティン、聞いてた?」
隣にいる夫のジャスティンに尋ねる希姫。
「いいや、ヨヨやバルからも何も聞いてはいないよ。でもソージ、よく来てくれた。さあ、座りなさい。風音も」
「ありがとうございます」
ソージは礼を述べるとシャイニーを膝の上に乗せ、風音と一緒にテーブルを囲む。希姫がお茶を入れてくれる。最近珍しい茶葉が手に入ったということで是非飲んでほしいとのことだ。
ソージはズズズと音を立てて希姫が入れてくれたお茶を飲んでみる。
「はぁ~とてもホッとする味ですね。ほどよい苦さがあり、それでいて口当たりがサッパリしています」
「あはは、さすがソージね! このお茶の味が分かるんだから! ジャスティンなんか、お茶なんか呑めればな~んでもいいとか言うからつまんないのよ」
「い、いや……ははは」
ジャスティンの引き攣った空笑いで、彼が確実にそう言ったことを知る。
「風音はどう?」
「あ、はい。何だか凄く落ち着く気分です」
「ふふ~ん、でしょ? やっぱり日本人はお茶よね~。ねえソージ?」
「そうですね。その通りです」
彼女にはソージが転生者であることを教えてある。そして元日本人であるということも。だからこうして会う度に、いつも日本食を振る舞ってくれたり、日本についての話題を盛り上げたりするのだ。
ソージもまたそんな話や日本食が嬉しくてついつい甘えてしまう。
「ところでソージはどうしてここに? ヨヨはいないようだけれど? それにその可愛い女の子は?」
「実は……」
そこでソージの現況と今後のことを教える。
「ふ~ん、そっかぁ、その《鬼》ってのを私が倒してもいいんだけど……まあ、近いうちにそうなるかも」
「もしかして皇帝による【英霊器】集結に応じるおつもりで?」
「うん、だってその《鬼》っての、ものすっごく強いんでしょ? だったら一度やってみたいからね」
この言葉で分かるだろうが、彼女はかなりの戦闘狂でもあるのだ。召喚された頃はそれほどでもなかったらしいが、メキメキ実力をつけていくに当たって、戦闘に楽しみを覚えたのだという。バルムンクと三日三晩戦い続けたという逸話もあるのだからまさに規格外である。
「はぁ……私はそんな危険な輩と戦ってほしくはないんだがな」
「ノンノンよジャスティン。こんな私だから好きになってくれたんでしょ?」
「う……ま、まあそうだけどな」
「きゃ~嬉しいわジャスティン!」
「こ、こら! 子供たちが見てるじゃないか!」
急に希姫がジャスティンに抱きついたので、彼は顔を真っ赤にしているが、明らかに嬉しそうなのは突っ込まないでおく。この二人はいつまで経ってもラブラブなので、ソージも慣れているのだ。風音は耳を赤く染めてまるで勉強するかのように観察して「なるほど……たまには強引にいくのがよいか」などと訳の分からないことを呟いている。
「もう照れちゃって! ジャスティンってば可愛いんだから! だったらいいも~ん! ソージにえい!」
今度はソージに向かって抱きついてきた。女性特有の甘い香りがフワッと鼻腔をくすぐる。
「う~ん、ソージもあったかいわよね~」
「そ、そうですか? 希姫様も温かいですよ?」
「フフ、じゃあ生きてる証拠ってやつよね! 次は風音!」
見て分かる通りに彼女は気に入った者に抱きつく習性も持つ。それは風音も知っているので、慌ててはいない。
「よ~し、可愛いシャイニーちゃんにも……」
しかしシャイニーは怯えてしまってソージの懐でブルブルと震えている。それでも希姫が抱きつこうとすると、さすがにジャスティンが止める。
「う~愛でたい触りたい抱きしめたい! いいもんもう一回風音~!」
シャイニーのことを諦めて風音に抱きつき満足した彼女は、お茶を一杯呑むと温かい吐息をゆっくりと吐く。
「それじゃソージはこれから多音様のところに行くわけね?」
「はい。もっと強くならなければなりませんから」
「フフ、早くしないと私がぜ~んぶ《鬼》を狩っちゃうぞ?」
「あはは、それならそれで楽ができるのでいいんですけどね」
「あ、それもそっか!」
それからしばらく談笑して、ヨヨの話を中心に話して笑い合った。そして二人に別れを告げて多音がいる場所へと向かった。