第百十四話 笑顔の別れ
「……凄い顔してるわよソージ」
翌日、ソージはいつものようにヨヨの私室へと赴き挨拶をしたのだが、ヨヨはソージの顔を見て眉をひそめている。
それもそのはずで、今のソージの目の下は隈ができて、明らかに睡眠不足が表情に現れていた。
「はは、少し眠れなかったもので」
「ふふ、そうなの。それは災難ね」
ヨヨは楽しそうに笑みを浮かべると「行きましょうか」と言って、ソージとともに食堂へと向かった。
そこで屋敷の者と一緒に朝食を摂るのである。食堂に入ると皆がヨヨとソージに頭を下げて挨拶をする。ヨヨとソージはそれに応えて席へと向かう。
今日はいつもと違い、昨日訪ねてきた【ラスティア王国】の四人がいるはずで、ソージは彼らがちゃんとここにいるか確かめると、どうやら一人足りないようだ。
「あの……もう一人の方はどうされたのですか?」
その一人とは昨日ソージがぶちのめした二ノ宮和斗のこと。問われたランファが無機質な表情で口を開く。
「あの変態ならまだ寝ている。出発までそのままにしておくつもりだ。その方が静かでいい」
「ああ、なるほど」
ソージにとってもそれが一番だと思った。どうせ起きてきたら因縁をつけてくるような気がしていたので、一応ここへは覚悟してやって来たのだが、和斗がいないのであれば平和な時間を過ごせる。
するとふと真雪と視線が合う。瞬間ソージと真雪の顔がサッと紅潮し、二人同時に顔を背けた。真雪の顔を見てセイラが首を傾げながら「どうかしたんですか?」と問うと、真雪が勢いよくブンブンブンブンと頭を振って、
「な、ななな何でもないよ! うん、何でも!」
明らかに何かありそうな雰囲気を醸し出している。そしてソージにもまたカイナから「顔赤いけどどうしたの? そういや目にも隈できてるし」と言われてギクッとするが、すぐに爽やかなスマイルを作って「何でもないですから」と答えた。
昨日真雪に告白されて寝れませんでしたなど言えるわけでもなく、どうにか心を落ち着かせるために目を閉じて静かに座していた。
(これは……思った以上に恥ずかしいな顔を合わせるの)
昨日は突然のことであまり意識しないで真雪と話せていたが、冷静になって告白の重みを感じると、堂々と会話ができそうにないと感じてしまっている。
無論このままでは駄目だと思いつつも、初めての経験に戸惑いを隠せずにいる。
(ま、真雪に返事をしなきゃなんないんだろうけど……今日真雪は一度国に戻るんだよなぁ)
そう、この朝食を食べた後、真雪とセイラはランファたちをともに【ラスティア王国】へと帰国する。そこで真雪たちは改めて王と話し合って、再びここへ戻ってくることに決めた。
だが真雪が昨日の告白に対してどう思っているのかサッパリ分からない。もちろん有耶無耶にすることはできない。何かしらの答えを出さなければならないのだが、この朝食の間に答えが纏まるとは思えない。
正直に言って真雪は可愛いし、好きか嫌いかで問われれば好きだ。それは異性として見た時も同様だと思う。しかし付き合うということになると考えるとソージは頭を抱えてしまう。
自分は執事としてまだ完成され切っていない。完成というゴールがあるのかも分からないが、それでもまだ未熟者だということは昨日のバルムンクとの手合せでも十分に分かった。
そんな自分が恋にうつつをぬかしていては、いざヨヨが賊に狙われた時に、また失敗してしまう恐れがある。
朝起きて食事を作っている時に、バルムンクから、しばらく鍛え上げると言われた手前、ソージも身を引き締め直す必要がある。
自分はヨヨを、家族を守るために強くなりたいと思っている。だからこそ、昨日の手合せで、まだまだ自分が強くなれると感じれた時は素直に嬉しかった。
あのネオスだってまたやって来るかもしれない。賊だってヨヨたちを狙って来るかもしれない。だとしたら、皆を守るための強さを得たいと心底昨日感じたのだ。
だが真雪の告白に肯定してしまったらどうだろう……もしかしたら心が緩んでしまう恐れはないだろうか……そうでなくとも最近、緩んでしまっていたせいで家族を危険に晒してしまったのだ。
それがソージには怖い。日本にいた時に守れなかった家族。だからこそ、この世界では全身全霊で守ろうと誓った。もし自分の不甲斐無さで誰かが死んでしまったとすると、きっと自分は耐えられないと思ってしまっている。
しかし真雪を悲しませたくないという思いももちろんあるのだ。
(そ、それにこ、恋人になれば恋人らしいことをするわけで……)
チラリと素早く視線を動かして真雪の横顔を見て、そのままその豊満な胸へと自然と意識が集中する。そして無意識に喉が鳴る。
(うおぉぉぉぉっ! オレって奴は朝から何考えてんだぁぁぁっ!)
ゴンゴンゴンとテーブルに額を打ちつけ始めたソージを皆が奇異な視線で見つめてくるが、ソージは自分の考えに集中し過ぎていて気づいていない。
「ソ、ソージ?」
「え? あ、はい。な、何でしょうかお嬢様?」
「い、いえ、その……いきなりどうしたの?」
「何がですか? 至って普通ですが?」
「そ、それは額から血を流している人間が言うセリフではないわね」
「パパ、ハンカチ」
隣に座っているシャイニーがテーブルに備え付けてある布巾を手渡してくれる。
「あ、ああ、ありがとうございますシャイニー。ですがそれはハンカチではなく布巾ですよ。さすがに布巾で血は拭けません」
そう言ってソージは懐からハンカチを取り出して額の血を拭う。そして気を遣ってくれたシャイニーの頭を撫でて彼女の機嫌をとる。
「と、とりあえず食事を頂きましょう」
ヨヨの言葉を聞いて、誰しもソージの奇怪な行動に疑問を感じながらも食事を始めた。
(オレのバカ! なんつう恥ずかしいこと!)
表情は変えずに心の中で自分を叱咤する。そして卑猥な妄想をしかけたことを同じく心の中で真雪にごめんなさいと謝罪をしておいた。
朝食が終わると屋敷から出ていく者たちが準備にとりかかるため自室へと向かって行った。
バルムンクもコーランとオルルを国へと送っていくので馬車の手配をしにいった。ヨヨは大きめの馬車を借りて、真雪たちも港まで乗せていきなさいとバルムンクに命令していた。
そして屋敷の前で真雪たちが出てくるのを、ソージたちは屋敷の者全員で待ち構える。バルムンクが手配した馬車も到着して、その後すぐに準備を終えた真雪たちが外へと出てきた。
一つ気になるのはランファたちの傍にいる先程起きたという話だった和斗である。てっきりいちゃもんをつけてくるかと思ったが腕を組んで首を傾げて何やら難しい顔をして唸っている。
「あのラキさんでしたよね。彼はどうされたのですか?」
ソージが同じくランファの仲間であるラキという青年に尋ねると、苦笑を浮かべたラキが説明してくれる。
「えっと……実はですね、昨日の記憶がスッポリ抜けてしまっているようで……」
どうやら少し刺激を与え過ぎたようで、和斗のこの屋敷へやって来た以降の記憶がないとのこと。これは嬉しい誤算だと思いソージはほくそ笑んだ。
ランファもうるさくなくて最高だと喜んでいるようだった。ソージはそんなランファと対面して別れの挨拶をする。
「また良かったら来て下さい。その時は、あの人無しで」
「ああ、考えておこう」
「ナナハスさんも、あまりお話できませんでしたが、今度来た時はいろいろ案内させて頂きます」
「あ、は、はいです! そ、その時はよろしくお願いしますぅ!」
慌てて何度も頭を下げるナナハスを見ていると心が和む。何か守ってあげたくなるような少女だった。
真雪は今、ヨヨたちと話しているようだ。ソージはセイラに近づき、
「セイラさん」
「ソージさん!」
「いろいろ暴走すると思いますが、真雪のこと、お願いします」
「はい! 任せて下さい!」
「それと、セイラさんも無茶はしないように。いつでも帰って来て下さいね」
「あ……えぅ…………はい!」
照れたように顔を上気させるが、しっかり笑顔を作り答えてくれた。
その足で今度はコーランとオルルのもとへ向かう。しかし先に話しかけてきたのはコーランだった。
「いいかソージ! 次はお前が来るのだぞ!」
「あはは、分かりました。近いうちに」
「お前には見せたいものがたくさんあるんだ! そ、それにだな……わ、私と一緒にまたあの森へ行ってだな……その……」
「はいはい姫様、長くなりますからそのへんで」
「な、何をするオルル! まだ話の途中だぞ!」
コーランの前に躍り出たオルルが話を中断させる。
「ソージ様、姫様の仰る通り、今度は私がおもてなしをさせて頂きます。是非城へお越し下さいね」
「はい。楽しみにしていますよ」
するとオルルはコーランを引き連れて馬車へと向かって行った。引き摺られながらコーランは「まだ話がぁぁぁ」と言っていたが、ソージは苦笑いを浮かべて見守ることしかできなかった。
そして最後は真雪だ。ソージは大きく深呼吸をして真雪を探す。
「…………あれ?」
しかしどこにもいない。まさかもう馬車へ!? と慌てて身体ごと馬車へと向けると、
「想くん!」
「のわぁっ!?」
突然目の前に現れた真雪に思わず叫び声を上げてしまった。
「ま、真雪……? あのな、心臓に悪いだろバカ」
「あはは、ごめんごめん!」
そこでジッと見つめてくる真雪に、つい恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。
「もう想くん! ちゃんと目、見てよ!」
「あ、ああ悪い悪い」
そんなこと言っても恥ずかしいものは仕方ない。だが言われた通り覚悟を決めて彼女と目を合わせる。
「あ、あのさ真雪……昨日のことだけど……」
「ううん、返事はまだいいの」
「そう、返事は……って、はへ?」
彼女の言葉にポカーンとしてしまった。
「いつか、想くんが答えたいって思った時に聞かせてくれればいいから」
「真雪……」
「それにすぐに帰ってくるから、いくら寂しいからっていっても、デミックさんに乗っかって巨乳美人さんとウハウハなんてダメだからね!」
「は、はあ!? オ、オレがいつそんなことをしたってんだよ!」
確かにそうなればいいかなとは思ったことは無きにしもあらずというか多々あるけど、実際に行動に起こしたことはない。
「あはは、分かってるよ! それにヨヨだって監視してくれてるし!」
「か、監視? つ、つうかヨヨって呼び捨て?」
「うん、ヨヨは友達だもん!」
「え、あ、そうなの?」
ヨヨが許しているのだとしたらソージから言うことは何もない。ただ一つ聞きたいことだけあった。
「あ、あのさ真雪…………その、いつからだったんだ? その……オレのこと」
「えへへ~知りたい?」
「あ、ああ」
「う~ん、どうしよっかなぁ~」
からかう感じに上目遣いで見上げてくる真雪に少し苛立った。「教えろよ」と掴もうとするが、ヒュルリとかわして馬車へと向かう真雪。そして皆を乗せた馬車が動き出す。
しまったと思い、ソージは肩を落としていると、突然馬車から身を乗り出すようにして真雪が叫ぶ。
「初めて会った時からだよぉ~っ!」
満面の笑みで手を振りながらそう答える真雪に、ソージはただただ目を見開くことしかできなかった。
(初めてって…………五歳の時じゃん!?)
そんな前からかよと唖然としつつも、手を目一杯振る真雪を見て、ソージは一歩身体を前に出して同じように叫ぶ。
「無茶するんじゃないぞぉぉぉ!」
そして遠ざかる馬車からは「は~い!」と元気の良い返事が返ってきた。ソージは手を振りながら笑顔で見送った。