第百十二話 花と蝶
その日の夜、真雪はなかなか眠れず一緒の部屋で寝ているセイラを起こさずに部屋から出ていった。
昼間は仕事が忙しく喧騒が広がっていたが、今は静寂が支配している。耳を澄ますとどこからか虫の鳴く声が聞こえてくる。ふと外の空気を吸いたくなった真雪はそのまま玄関へと行き、静かに外へと出た。
今日は曇っていなかったので星の海が上空に広がっていた。大小様々な粒から、自らを主張するために光っている。ふと大きな月の周りに視線が向き溜め息が零れる。
本来月の周りにも無数の星々が輝いているはずだ。しかし月の明るさのせいでその月たちは光ごと呑み込まれて消えてしまっている。
「やっぱり大きな月には小さな星は勝てないのかな……」
思わず口から出た言葉。大きな光を持つ存在には、小さな光しか放てない存在は消されてしまうのだと思ってしまった。
当然のことなのかもしれないが、それでも悲しくなってくる。真雪はその小さな星に自らを投影してしまっていたからだ。
「星にもいろいろありますよ?」
「え?」
真雪は背後から聞こえた声についパッと振り向いた。そこには月の光を受けて、頭にある《燈衣》をキラキラと輝かせているシーがいた。
(……綺麗……)
まるでおとぎ話に出てくるような天女のような存在だと真雪は思った。神秘的なシーの美しさに目を奪われたまま固まってしまっていた。
「隣、いいですか?」
「あ、はい!」
「ふふ、マユキさんは…………ソージくんのことが好きでしょ?」
「なぶっ!?」
突然の質問、いや、質問というよりは明らかに確信を含めたような言い方に真雪は息を吹いて吃驚した。
「わ、わたわた私はその……あ、べ、別に嫌いじゃなくて、もちろん好きなんですけど! あのその……でも私なんてその……」
真雪の慌て様にシーはクスリと笑みを溢し、
「私も好きですよ、ソージくんのこと」
「え……ええっ!?」
真雪は夜だというのにかなり大きな声を発してしまった。
(う、嘘!? で、でもシーさんってユーちゃんのお母さんで、人妻……だよね? あれ? でもお父さんのお話は聞いたことないからもしかして未亡人……とか? だったら別に恋は自由? でもでもぉ! まさか想くんってば大人の女性も守備範囲なのぉ~!)
頭を抱えて思わず蹲ってしまう。
「ふふ、安心して下さい。私の好きは家族としての好きです。あなたとは違うわ」
「え……あ、そ、そうなんですか?」
「はい。少なくとも今はまだ」
「……よ、良かったぁ…………ん? まだ?」
少し気になる言葉があったが、シーがソージのことを男性として見ていないということに安心を覚えた。
「良かったということは、やはりマユキさんはソージくんのことが好きなのね」
「あ……その……うぅ……」
図星をつかれて顔に熱がこもってくるのを真雪は感じる。そう、真雪はソージ、いや想二のことを幼い時から異性として好きだった。いつも当たり前のように傍にいた彼のことを、これからもずっと自分の傍に居続けるだろうと思っていたのだ。
だから本当に彼が死んだ時は絶望を覚えた。それでもセイラと出会って、彼女のお蔭で少しは人生に無くなりかけていた色が見え始めた。
そしてこの世界に来て、ソージと会うことができて、増々真雪の人生に元の色が戻ってきていたのだ。しかしヨヨとソージの繋がりを意識してからというもの、その色がぼやけて見え始めているのだ。
「先程マユキさんは自分とあの星を比べていましたよね?」
「そ、それは……」
「昼間にソージくんとバルムンクさんとの戦いが終わった時、あなたの様子は一目見て普通ではありませんでした」
「…………」
「無理矢理に感情を抑え込み、自分に言い訳をして逃げているような……」
真雪はシーの言葉が胸に突き刺さっていくのを感じる。ズキズキとする痛みが広がるが、シーの言葉はまだ終わらない。
「ヨヨ様とソージくんの絆は強いですものね。そしてそんなヨヨ様にあなたは嫉妬してる。違うかしら?」
何も言えない。正しくその通りなのだから。
「あの二人を見ているのが辛くて仕事を言い訳にあの場から逃げた……でしょ?」
「だ、だって! だってだって……ずっと思ってたんだもん……想くんは私の傍にいるんだって……」
「いるじゃないですか。今もあなたの傍に」
「それは……だけど……」
「彼がヨヨ様を特別視していることが不安?」
不安……そう、不安なのだ。もし彼の気持ちが全てヨヨに向かってしまったら、自分の存在はただの邪魔でしかないのではないかと思ってしまうのだ。
するとフワッと白魚のように細くて白い手が真雪の頭に置かれる。
「ふふ、あなたは可愛いわね」
「え?」
「確かに、ソージくんにとってヨヨ様は特別ですよ。だけど、それはあなたにも言えることじゃないかしら?」
「……私が?」
「ソージくんは想いを寄せてくれる人を無下にするほど器の小さな男じゃないですよ」
「シーさん……」
「誇りを持って下さい。あなたが選んだ男は、とても良い男ですよ。かくいう私も彼に救われた口なんです」
「あ、ユーちゃんに聞きました! ユーちゃんもソージくんのこと大好きなんで」
「ふふ、あの子のはまだ自分の感情の名前を知らないようですけどね」
ピンときた。つまりユーちゃんも今、真雪が持っている感情をソージに向けているということ。
「でも幼くとも、女は恋をするんです。そしてその恋は女を成長させてくれます。可愛く、美しく育ててくれるんです。ふふ、まだまだユーやニンテちゃんは、遊びみたいな感覚ですけど」
「うわ~……やっぱニンテちゃんもかぁ……想くんの優しさ半端無いよぉ……」
「ですが、それがソージくんですよね。だからこそ、あなたも彼のことを慕っているのでしょ?」
「う…………はい」
もう認めている。反論する必要もなかった。むしろこうして気持ちを誰かに伝えることで胸がスッと軽くなるのを感じた。
「それにヨヨ様はあなたの敵ではありませんよ?」
「え?」
「むしろソージくんを恋に目覚めさせるためのいわゆる同志です」
「……へ?」
彼女の言っている意味が分からず真雪は戸惑っている。すると彼女の瞳がキラリと光を帯びた。
「マユキさん……あなたの世界ではどうだったか分かりませんが、この世界では一夫多妻制なのですよ?」
「……ふぇ?」
「つ・ま・り……ソージくんにハーレムを作ってもらえれば問題ありません」
「え……ええぇぇぇうぶっ!?」
叫び声を上げた瞬間に口をシーに手で防がれる。
「静かにですよマユキさん?」
口を塞がれながらコクコクと了承する。ゆっくりと口元の手が離され真雪が大きく息を吐く。
「ふぅ……ハ、ハーレム……ですか?」
真雪もその言葉の意味を知らないわけではない。むしろライトノベルをよく読んでいた真雪にとってはソージよりも詳しい知識があるはずだ。
「そうよ、そうすればうちのユーも娶ってもらえるもの」
シーは楽しそうに、冗談を言うかのような感じだが、目を見て彼女が本気なのだということがヒシヒシと伝わってくる。
「それにね、良い男に良い女が群がるのは当然ですもの」
「わ、私も良い女?」
「当然ですよ! マユキさんのような美少女、滅多にいないですよ?」
「え、あ、その……あ、ありがとうございます……」
真顔で言われて顔が紅潮する真雪。
「う~ん、でもちょっと心配ごともあるのよねぇ~」
「え? 何ですか?」
「うん、だってソージくん……相当鈍いでしょ?」
「…………極めてますね」
「ふふ、あれだけ多くの好意を向けられて気づかないなんて、きっとまだたくさん罪を作ってきてますよ」
「つ、罪?」
「だってあのコーラン様もソージくんのこと好きですよ?」
「あ……や、やっぱりですか?」
「それにセイラさんだって最近ソージくんを見つめる瞳が乙女ですもの」
「セ、セイラも……そ、そうなんだぁ……」
さすがにセイラのことには気づいていなかった。というよりも最近は自分のことで手一杯だったので、他に目を向ける余裕がなかった。
「ソージくんの魅力は蜜みたいなものですよ。美味しい蜜を蓄える花に、蝶たちが群がるのは当然でしょ?」
「……た、確かに」
「その花を独り占めなんてできるわけがないもの。だから蝶たちは互いに譲り合って仲良く末永く付き合っていくんです」
そんなことできるものなのだろうか。いくら一夫多妻制といっても、相手はソージなのだ。あの鈍感男にそれほどの甲斐性があると真雪にはとても思えないのだ。
「大丈夫ですよ。甲斐性を育てるのも女の役目なんだから」
「な、なるほど……べ、勉強になります!」
「だからマユキさんも恐れず、引かず、自分の想いを真っ直ぐ貫けばいいんです。そうすればソージくんならちゃんと応えてくれるはずですから。ソージくんはどんな星でも、光を見つけて掴んでくれますよ」
「…………はい」
「まあ、あとはヨヨ様のお気持ちですけど、ヨヨ様もソージくんの魅力には当然気づいているはず。だからマユキさん」
シーが真っ直ぐに真雪の目を見つめてくる。
「ヨヨ様に気持ちを譲る必要はないんですよ。堂々と宣言すればいいんです! 女は恋を捨てたら終わっちゃいますから」
「あ、ありがとうございますシーさん! な、何だかぼんやりしていたものが見えてきたような気がします!」
「ふふ、頑張ってソージくんから愛をもらいましょ。……お互いにね」
「はいっ! じゃあ今からちょっと宣戦布告してきます!」
「え? あ、マユキさん?」
シーの言葉を無視して真雪はその場から風のように去っていき屋敷の中へと戻っていった。
「あらあら、ちょっと焚き付け過ぎたかもしれないわね~」
言葉とは裏腹に少しも困っていない声音を発していた。