第百十一話 今後の憂い
真雪はふと胸にチクリと針が刺したような痛みを感じた。それは倒れたソージをヨヨが優しく抱えている姿を見たからだ。
(何だろう……これ)
とは思うものの、本当は真雪にも分かっていた。その痛みの原因が何であるかを。自分と違い、最初からソージが諦めずに立ち上がりバルムンクに一撃を与えると疑っていなかったヨヨ。
バルムンクの強さを見て、とてもではないがソージは勝ち目などなく、一撃すらも与えられないと思ってしまっていた。そして彼が一度倒れた時、これでもうソージが傷つかなくて済むと思い心の中で安堵していた。
だけどこの場にいるヨヨだけは、真っ直ぐに一片の揺らぎもない瞳でソージを見つめていた。そしてそれに見事応えたソージ。
真雪はヨヨとソージの繋がりの強さに――――――――嫉妬を覚えていたのだ。
日本にいた時から真雪は想二といつも一緒にいた。彼の考えていることは何となく分かったし、好みも嫌いなものも把握していた。
そして彼のことを一番知っているのは自分だけだという自負もあった。だけど彼が死に、この【オーブ】という異世界で転生しソージとなってからは、真雪は彼の知らない部分を多く目の当たりにしてきた。
ハッキリ言って、自分が知らない部分が山ほどあることに悲しさや寂しさを覚えた。しかしこうして奇跡的に会えたのだから、これから知っていけばいいと思っていた。
だがよく考えれば、その知らない部分を知っている……今のソージ・アルカーサという人物を知っている人物は確実にいるのだ。
それがヨヨだった。そして今、彼を慈愛に溢れた様子で抱き上げているヨヨを見ると、真雪の胸は切なく締めつけられていく。
何故そこにそうしているのが自分ではないのだろうと。日本にいた時なら、間違いなくそこにいるのは真雪だった。
元々感じていた引っ掛かりのようなものが、今ようやく明確になった。真雪はいまだに日本にいた時の想二を求めていたということを……。
想二なら、今のような無茶な戦いなど決してしないし、いつも面倒そうな感じで真雪の世話を焼いていたりした。しかしそれはソージにしてみれば過去でしかないのだ。
想二だった記憶を持つソージだが、ソージにはここで十七年間過ごしてきた生活があり、それを支えてきたのは他でもないヨヨや、カイナというこの世界の住人なのだ。
真雪は偶然にもこの世界にやって来たが、ソージとはまだ会って間もない。この世界での彼をほとんど知らないのだ。
(想くん……私は……)
ヨヨとソージが作り出す空間に、言いようのない不安と疎外感を感じて近づくことができない。踏み込めば知ることができるのだろうが、その先で待っている結果を恐れてしまっている。
一度言葉にすればその答えは得られるだろう。しかしその答えの先に待っている道が、自分の望むものでなかった場合、真雪は耐えられるだろうか。
その道を歩き続けることができるだろうか。一度聞けば引き返すことができない道に進むことに、真雪は恐れを抱いていた。
今のソージを知れば知るほど、その思いがドンドン浮き彫りになってくる。醜い感情が胸に込み上げ、真雪は彼らに向かって手を伸ばせなくなっていた。
明らかに気落ちしている真雪の様子に気づいた者が複数いた。真雪の親友であるセイラと、カイナ、そしてシーである。
だが真雪はそれに気づかずに空笑いを浮かべて、
「も、もう想くんってば頑張り過ぎなんだから! ヨヨさん、想くんが起きたらバ~カって言っといて下さい!」
「マユキ……あなた」
ヨヨも真雪の不自然さを感じたようで眉をひそめていた。
「さあ、しっごとしっごと~! これ以上サボってたらデミックさんにどやされちゃう!」
わざとらしく声を張り上げると真雪はそのまま庭の方へと戻っていった。セイラが戸惑った様子で彼女を見つめていると、彼女の背中をポンと叩く存在があった。カイナである。
「カイナさん……」
「セイラ、これはあの子が自分で決断しなきゃならないことなのよ」
「で、でも……」
「だいじょ~ぶ! あの子なら答えを見つけられるはずよ」
「……そうですよね」
「うん! それにしてもホント~にうちのソージはニブチンなんだからぁ~。こ~んな可愛い子たちに思われてさ~」
「え、えっとその……セ、セイラは別にその……えぅ」
セイラはニヤニヤするカイナに顔を紅潮させてしまう。カイナはふふふと笑みを溢すと、「さあ仕事に戻りましょ」と言ってセイラの手を引いて屋敷の中へと戻っていった。
「……姫様、私たちも戻りますよ」
「え? だ、だがソージが心配で」
「いいですから! 空気を読んで下さい!」
「ちょ、オルルゥゥゥ~!」
オルルに引き摺られコーランは屋敷の中へと連行されてしまった。
「う~ソージ様ぁ~」
「おにいちゃん……痛そうなの……」
ニンテとユーも、傷ついたソージの身体を見て泣きそうな表情を浮かべるが、近くにいたシーが二人を説得して仕事へと戻っていった。
その場に残ったのはソージ、ヨヨ、バルムンク、シャイニーの四人だけだ。だがシャイニーはバルムンクとソージの間に入り、バルムンクを憎々しく睨んでいた。
さすがのバルムンクも、困った様子でそれ以上近づいていなかった。
「よしなさいシャイニー」
「で、でもぉ!」
ヨヨの注意にシャイニーは反論しようとするが、
「これはソージが望んだ結果よ。それに、そのお蔭でまた一つ、あなたのパパは強くなったわ」
「え……パパつおくなった?」
「ええ、それもそこにいるバルのお蔭。同じ家族なのだから、怒るのは間違っているわ」
「…………うん」
まだ釈然としないのか少しブスッとした膨れっ面をしているが、もうバルムンクに敵意を向けることはなかった。
「ふぅ~、ヨヨ様、ご説得感謝致します」
「ふふ、《伐鬼》のバルも、子供には敵わないわね」
「ほほ、子は宝ですからな」
ヨヨは静かに寝息を立てているソージの頬を、その白く細い指で撫でる。そしてそのままバルムンクへと尋ねる。
「ソージはどうだったかしら?」
「……それはヨヨ様が一番ご理解なさっておられるのでは?」
「あなたの口から聞きたいのよ」
「では僭越ながら。……ソージ殿はやはりスロースターターなタイプ。それは昔からも変わりはありませんな」
つまり中盤以降に実力が出せるタイプということ。
「何とか初速から最高速へと伸びるように鍛錬を施してきましたが、これはもう生まれ持った資質とでもいいましょうか。なかなか難しいようでございます」
「そのようね」
「それに相手を倒す明確な理由がなければ実力を発揮できないということも問題ですな」
元々ソージは戦い自体は好きではない。必要に迫られて得た結果ともいえる。自分がやりたいことを成すためには力がいる。だからこそソージはその力を得たのだ。
しかし彼の性格上、バルムンクの言った通り、全力……本気になるにはそれ相応の理由が必要不可欠だということ。
何の理由も無しに全力を出すことはソージには難しいようだ。
「でもソージは今までちゃんと家族を守ってきてくれたわ」
「はい。それは屋敷の者たちの笑顔を見れば一目瞭然でございます」
「それなのに何故急にソージと手合せをしたいなんて言ったのかしら?」
そう、実はソージに緩みを感じたから鍛え直すというのは後付けなのだ。バルムンクが朝にヨヨの自室へと赴き、ソージと拳を交えたいと言ってきたのだ。
何の理由もないと不自然だったので、急遽過去の戦闘を穿り返して緩みがあるため鍛え直すという名目にしたというだけだった。
「試合が終わったら教えてくれるって言ってたわよね?」
ヨヨは顔をバルムンクに向けると、バルムンクもまた笑みを消して真面目な表情を浮かべて口を開く。
「実はご主人様が入手されたある情報なのですが……」
懐から一枚の紙を取り出しヨヨに手渡す。しばらく目を通していたヨヨの眉がひそめられる。
「……事実なの?」
「ほぼ間違いないかと」
「そう……」
ヨヨは険しい表情のまま目を伏せる。
「だからソージを鍛え直すと言ったわけね」
「はい。これはご主人様の命令でもございましたから」
「…………」
シャイニーは二人の会話の意味は分からない。というよりも興味がないのか、ソージの顔をジッと見つめているだけだ。
「ということはつまりあなたはしばらく滞在するということ?」
「はい。明日コーラン様たちをお国へお届けしてから再び戻って参ります」
「そしてしばらくソージを鍛えるってわけかしら?」
「確かに今の魔法の使い方には驚きましたが、ああいう力をいつでも自由に出せるようにしなければ力とは言えませんから」
「一理……ね」
「それにソージ殿も今後のことを知れば強さを求めるでしょう。何といっても……当事者なのですから」
「……そうね」
ヨヨは再びソージの顔を一瞥してから澄み渡っている空を眺めた。
「これから忙しくなりそうね」
憂いを込めたヨヨの小さな呟きが風に乗って消えていった。