第百四話 真っ赤な王女
「えと……何ですって?」
「だから私の執事となってくれ!」
沈黙。
いきなりの嘆願に言葉を失ってしまったソージだが、とにかくどういう了見なのか問い質す必要がある。
「あ、あのコーラン様?」
「何だ我が執事よ?」
「え? あ、いやあなたの執事になった覚えはないのですが……ああいや、そんなことより、どうして私を執事に?」
「うむ、それはだな、執事というものはずっと傍に控えているからだ!」
うん、端折り過ぎて何だか分からない。大事なものがスパーンと抜けている感じがする。
「姫様、それでは分かりかねますよ?」
「む? そうかオルル、では何と言えばいい?」
「私がご説明致します」
「うむ、任せた」
再びコーランはどっしりとソファに腰を落ち着かせて紅茶をすする。
「ソージ様、ソージ様は今のお仕事にご不満はありますか?」
「いいえ、まったくもってありませんよ?」
「そうですか。すみません姫様、多分勧誘は無理ですね」
「ぶほっ!? げほげほげほっ!」
紅茶を吹き出してしまったコーランが、気管にでも入ったのか苦しそうに咳をする。
「な、何をオルル! あ、諦めが早いだろう!」
「そんなことを申されましても、ソージ様はここから離れ、姫様に仕えるつもりはなさそうですよ?」
「む……むぅ……そ、そうなのかソージよ?」
「え? あ、はい。私がお仕えするのはヨヨお嬢様だけですから」
「も、もしかして給金が良いのか? ならば私だってそれなりな待遇は保証できるぞ!」
前のめりに提案していくるが、ソージは苦笑を浮かべて頭を横に振る。
「いいえ、お金の問題ではありません」
「で、では何だというのだ?」
「私は心からヨヨお嬢様にお仕えしたいと思っているのです。彼女を支え、家族を支え、この屋敷を守っていきたいのです」
ソージの言葉に明らかな落胆の色をその瞳に宿すコーラン。
「姫様、どうやらソージ様は二心を抱くような殿方ではありません」
「だ、だが私は……」
顔を俯かせて拳を握っている彼女を見て、ソージは悪いと思いながらもこの決断だけは捨てないと心に決めているのだ。
一度捨てることになった家族を、もう二度と手放さないために全力を尽くす。それがソージの第二の人生においてのスローガンでもあった。
オルルはやれやれと溜め息を吐くと、そっとコーランの耳元に顔を持っていき、
「姫様、ソージ様は素晴らしいお方です。強くて賢くて、何より一途です。ピッタリではありませんか…………将来の旦那様に」
ボシュゥゥゥッと瞬間湯沸かし器から溢れ出た湯気のようにコーランの真っ赤に染まった顔から噴出するものを見て、ソージは目をパチクリとしてしまう。
「にゃ、にゃにゃにゃにゃんにゃしゃまぁぁぁぁぁぁっ!?」
にゃ、にゃんにゃしゃま? にゃんにゃしゃまとは一体何のことだろうか?
ソージはコーランが叫んだ言葉の意味が分からずつい首を傾げてしまう。
「オ、オオオオオルル! にゃ、にゃにを言っておるにょだっ!」
「え~ですが私は姫様の将来のことを考えてピッタリだと思っただけですよ? ソージ様ならきっと姫様を一途に想って下さいます。たとえそう……バツイチでも」
「しょ、将来……私の将来……お、お嫁さん……っ!?」
「執事としては無理でも旦那様ならあるいは……」
「――――――――っっっ!?」
またも顔を面白いように紅潮させて、そのままソージと目を合わせると、何故か泣きそうな表情を浮かべて、
「け、けけけけ剣を振ってくるぅぅぅぅぅっ!」
いたたまれなかったのか、脇目も振らずに部屋から出て行ってしまった。それを楽しそうに見つめるオルル。やはりこの子は黒い……凄まじく黒い。
だが彼女の発言に関して少々気になることもあった。
「あ、あのオルルさん? 一体どういうことでしょうか? 将来とか一途とか……それに旦那って……」
「ふふ、それはまだ時期尚早のようですから、あまりお気になさらないで下さい」
「え? あ、はぁ……そう仰るのであれば……」
何か釈然としないものを感じながらも、無理に聞き出すことは紳士に反すると思い、ならばと次に気になっていたことを聞く。
「で、では最後にバツイチとはどういうことなのでしょうか?」
「え? ソージ様は以前ご結婚されていたわけではないのでしょうか?」
「……そ、そんなに老けて見えます?」
だったらとてつもないショックである。確かに精神年齢的には完全にオッサンなのだが、それでもまだ見た目は若いつもりなのだ。
「あ、いいえいいえ! そういうわけではなく、ほら、シャイニーちゃんはソージ様の子供なのですよね?」
「え? ……ああ、そういうことですか」
ソージは彼女が勘違いしている理由が分かりホッと胸を撫で下ろす。そしてシャイニーがフェニーチェだということを教えた。
教えた理由は彼女ならば言いふらすようなことはしないだろうと判断したからだ。あのバルムンクが連れてきた者たちだという信頼度が厚い。
「ほえ~そうだったのですか……まさかフェニーチェが人化までできるなんて……でも、ふふ、ソージ様とシャイニーちゃん、本当の親子みたいですよ?」
「そ、そうですか? 父親なんてよく分かりませんけど、あの子が喜んでくれているならそれが一番ですから」
照れ笑いを浮かべながら、優しげな瞳をベッドの方向へ向ける。そこから微かな寝息が耳をついてくる。
「…………やはりソージ様は優良物件のようです」
「え? 何か仰いましたか?」
「いえいえ、せっかくの貴重な時間を割いて頂きありがとうございましたソージ様」
「いいえ、こちらも有意義で楽しい時間を過ごせました。こちらこそありがとうございました」
「ふふ、紅茶もお菓子もとても美味しかったです。今度はお礼に私が腕を揮いますね」
「それは楽しみです」
オルルが部屋から出ようと立ち上がった時に、ソージはもう一つ聞いてみた。
「そう言えばオルルさんたちはこれからどうなさるのですか?」
「そうですね。ソージ様とも会えましたし、一度国へ帰ろうかと思います。そろそろ王様から頂いた期限も尽きますから」
どうやら期限付きで旅を許可されていたようだ。
「そうですか。ですが【シューニッヒ王国】は同じ【ドルキア大陸】上にあります。いつでも遊びに来て下さい」
「お心遣い痛み入りますソージ様」
丁寧に頭を下げるとオルルは部屋から出ていった。ソージは両腕を頭上に上げて大きく伸びをする。
「さてと、仕事を再開するかな」
【ドルキア大陸】の最北端に存在する丘に、小さな洞穴が幾つも点在している。その中の一つからグチャグチャと肉を何かで潰しているような気味の悪い音が聞こえてくる。
中にいるのは赤黒いローブを身に纏った銀髪の人物―――ネオスだ。目の前には大きな熊のような生物が横たわっており、手に持ったナイフやハサミで、まるで手術でもしているかのように解剖していた。
するとひっきりなしに動いていたその手がふと止まる。
「……何か用か?」
ネオスがそのままの状態で背後へと声を飛ばす。するとその声に反応して、一人の人物が姿を見せた。
「やあネオス、君が負けたって聞いたけど?」
見た目は十五、六歳の少年。額には角が生えており、ジッパーが幾つもついているオーバーオールのような服を着込んでいる。臀部に生えている爬虫類のような尻尾がクネクネと動いている。
人懐っこそうな子供のような表情が印象的で、ピンク色の髪色がその子供っぽさをさらに助長させているように思える。
「お前には関係ない」
「つれないなぁ、ずっと前に一緒に仕事した仲だってのに」
「邪魔だから帰れ」
「こう見えてもさ、結構君のファンだったりするんだよ?」
ネオスの言葉にまるで耳を貸さない様子の相手にネオスは射殺すような視線をぶつける。
「おお怖、でも許してよ。ただの興味本意だからさ」
「悪びれもなくそう言えるお前の性格が鬱陶しい」
「ハハハ~よく言われるよ! あ、でもファンなのは本当だよ?」
「どうでもいい。それより暇なのかお前は?」
「ん~ぼちぼちかな」
「よく言う。こんなところで貴重な時間を潰していて構わないのか……皇宮お抱え料理人のノッカ・グルービーともあろう奴が」
「ハハハ、皇帝様が、この近くに生息するキラーラビットの肉を御所望でさ」
「ならさっさと狩りに行け。作業の邪魔だ」
「本当につれないなぁ……まあいいや、でも本当に興味があるなぁ、君が負けたっていう赤髪執事」
楽しそうに口角を上げるノッカに対し、ネオスはギロリと目を剥いて殺気を飛ばすと、ノッカは「うわ~殺されるぅ~」と冗談交じりに叫びながら洞穴から去っていった。
一人になったネオスは一旦作業の手を止めて地面に腰を下ろし、下に置いてあった水筒を傾けて喉を潤す。
「ふぅ……赤髪……ソージ・アルカーサ……奴を人形にできたら俺はまた一歩近づく。神の領域にな……ククククク」
ネオスの不気味に響く声が洞穴内に響いていた。