第百三話 意外性の姫
客室では広過ぎだと思われたので、ソージは自室へとコーランとオルルを招き入れることにした。そこにはテーブルとソファもあるので、そこで話そうという決断をしたのだ。それにシャイニーが目を覚ましても、傍にソージがいるので不安にもならないだろうという選択だ。
その旨を彼女たちに伝えて、先に部屋へと向かってもらった。ソージは厨房で茶菓子を用意してトレイに乗せてから部屋へと戻ると、二人はマジマジとシャイニーの寝顔を見て顔を蕩けさせていた。
「はうわ~可愛いですね姫様~」
「う、うむ……このような生き物がこの世にいるとはなオルル」
どうやらオルルもコーランも、無邪気なシャイニーの寝顔に心を撃ち抜かれた様子だ。
「お二人とも、さあこちらへ」
ソージはソファに彼女たちを促して座らせた。テーブルには紅茶とケーキを乗せた。
「あ、ソージ様この紅茶は!」
紅茶を一口飲んだオルルが、何かに気づいたようでソージの顔を見てくる。ソージはやんわりとした表情で答える。
「そうですよ。《ネイアンティー》です。【シューニッヒ王国】の唯一種でもある香草である《ネイアン草》を使ったハーブティーです」
彼女たちの母国である【シューニッヒ王国】は《花の王国》と呼ばれるほど多くの草花が栽培されている。その中に固有種というのも存在し、その一つが《ネイアン草》なのである。
豊かで自然な香りで、心を落ち着かせる効能を持ち国でも大人気のハーブティーでもあるのだ。今回せっかくだからと彼女たちに振る舞おうと思いここへ持参したということだ。
「うむ! このケーキも美味いぞ! 城のコックにも見習わせたいくらいよくできている!」
コーランが食べているのはソージが作った《レモネードシフォンケーキ》であり、レモンの酸味だけでなく、他のフルーツも練り合わせて作った生地を使用して外回りのクリームにも手を加えた甘さも兼ね備えているバランスのとれた一品である。
「お気に召して頂いて光栄ですね。ですがようやく落ち着けた時間がとれてホッとしました」
ソージも一口紅茶で喉を潤してから言葉を発した。
「いいえ、押しかけたのはこちらなのでお気になさらないで下さい。こうしてお話できる時間をとって頂いただけでこちらとしては嬉しい限りですから。そうですよね姫様?」
「うむ、オルルの言う通りだ」
「そうですか。ではまあ、改めて自己紹介させて頂きますね。あの時はろくに名乗らずに消えてしまいましたので」
ごほんと一つ咳払いをしてから、
「私は当屋敷の主人ヨヨ・八継・クロウテイルに仕えています。立場は執事長、ソージ・アルカーサです」
「うむ、なら次は私だ。【シューニッヒ王国】の第三王女コーラン・ハイオット・シューニッヒという」
「私はコーラン様にお仕えしている侍女のオルル・チェインと申します」
「ご丁寧にありがとうございます。オルルさんは小さい頃からコーラン様にお仕えなさっておられるのですか?」
「はい。姫様が九歳の頃……つまり私が五歳の時にお傍に置かれました」
「ということはあの時のことは御存知だと?」
「あの時と申しますと……もしかして姫様の城抜け出し事件ですか?」
「こらオルル! 別に事件などではないぞ!」
オルルのからかうような言葉にコーランがムッとなり否定する。
「そんなことを申されましても、姫様が城を抜け出して城の衛兵たちがどれだけ慌てたか御存知だったのですか? しかも一度だけではなく何度も何度も。王様が謹慎を告げられるのは仕方の無いことです」
「う……だ、だがあの時は致し方なく……その……」
「そうですよね。あの時はコーラン様の優しさのお蔭であの子……ニャンゴロは無事だったのですから」
「おお! やはりソージは分かってくれている! ほら見ろオルル! ソージはやはり思った通りの男だぞ!」
「し~っ! 姫様! 傍でシャイニーちゃんが眠っているんですよ!」
「おっと、そうだったな」
少し声を張り過ぎていたコーランを注意したオルルに対し、コーランも慌てて口元に手を当てて、起きていないかゆっくりとシャイニーの様子を遠目に見て、いまだ静かに眠っていることを確認してホッと胸を撫で下ろしている。
「あはは、大丈夫ですよ。シャイニーは一度寝たら、多少のことではなかなか起きませんから」
「う、うむ、それならば良かった」
「ところでニャンゴロはあれからどうしたのですか?」
「それも是非お前に話してやりたいことだったのだ!」
「へぇ」
コーランは嬉しそうに語ってくれた。まるで話すネタが尽きないかのように、王女という立場も忘れて、いろいろなことを率先して喋ってくれた。
会えなかった七年ほどの空白を一気に埋めようとするかのように、それまでに起きたことをコーランはオルルと一緒になって教えてくれた。
嬉しかったことや悲しかったこと、楽しかったことや辛かったことなど話のネタが尽きることはなかった。
「なるほど、ではニャンゴロは今は城のマスコットキャラになっているのですね」
「うむ! 今では父上が愚痴をいう相手でもあるな!」
「あはは、王様というお立場になられるとご苦労もあるでしょうからね。ですが良かったです。あれからニャンゴロがどうなったのか気にはなっていましたので」
どうやら城の人たちに受け入れられて城で過ごしているとのこと。コーランが思い切って国王に嘆願した結果、粘り勝ちという勝利を得ることができたのだ。
それからずっと一緒に暮らしているという話。今では城の者の癒しとして可愛がられているということなので、ソージもその話を聞いて安堵する思いだった。
「ですが意外だったのはよく王様がコーラン様を旅に出す決意をされたということです」
いくら直接の跡継ぎではない第三王女だとしても、可愛い娘には違いないのだ。王女であるが故の危険も多々あるだろう。それなのに護衛もままならない旅を許可するとは、どういって納得させたのか不思議だった。
「ああ、そのことでしたら無理矢理許可を得ました」
「……はい?」
オルルがにこやかにそう言うものだからソージは呆気にとられる。
「え……えっと……無理矢理とは? えと……どなたが?」
「はい、不肖このオルルがです」
「うむ、オルルは頼りになるのだ!」
「…………で、ですが相手は王様ですよね? 失礼ですがオルルさんは侍女です……よね?」
「はい、紛うことなき侍女ですよ」
「……それなのに王様を説得されたのですか?」
「そうですねぇ……最初は王様も渋っておられましたが、少し二人っきりでお話したら快く了承して下さいましたよ」
「その通りだ! あの後何故かお父上がオルルを見て震えていたのは気になったが、きっとオルルの私を想う言葉に打ち震えていたのだろう」
いや……それは多分恐怖で震えていたんじゃ……。
ソージは今も一分の隙もない見事な笑顔を浮かべているオルルを見て、ゾクリと背中に走るものがある。そして彼女を見てソージは決断することになる。
(うん……彼女を敵に回すのは止めよう)
ヨヨの冷笑と同等以上の恐ろしさが込められているオルルの笑顔に逆らうことは死を意味することを本能的に悟った。
「ああっ!」
突然思い出したように立ち上がったコーランに思わずビクッと反応してしまうソージ。
「ど、どうされたのです?」
するとコーランはそのまま頭を下げる。
「あの時は本当に助かった。ニャンゴロのことも全部全部礼を言う! ありがとう!」
「え……え?」
戸惑うソージをよそにオルルは苦笑を浮かべて、
「すみませんソージ様、いつも姫様は唐突なので」
唐突にもほどがあると思うのだが、恐らく話している間にまだちゃんと感謝の気持ちを示していなかったことに気づいたのか、突如として奇行にも思われる行動をしたのだ。
「あ、ああそのことですか。いえ、私も名を言わずに去ってしまい申し訳ありませんでした」
ソージも立ち上がり頭を突き合わせることになった。ほぼ同時に両者は頭を上げると、
「ソージ!」
コーランがビシッと指を突きつけてくる。
「は、はい?」
「私の執事となってくれ!」
「…………へ?」
立て続けにこう何度も虚を突かれることは久しくなかったが、どうやらコーランの奇行はまだ続くようだ。オルルでさえも「は~」と呆れて溜め息を吐いている。