第百話 真相
【アカトール】の街でトランテは奇妙な赤茶色いローブで耳を包んだ銀髪の青年ネオスと出会った。出会った場所は夜中。ハブリの屋敷をウロウロしていたトランテに、ネオスが話しかけてきたのだ。
「大した憎しみを持っているな」
「え?」
最初突然現れたネオスにトランテは不審者にしか見えない自分を捕らえにきた役人かもと思ったがどうやらそうではないらしかった。
「俺の名はネオス。どうだ? お前は憎しみを力にしたくはないか?」
ネオスの言葉は甘美なる囁きに聞こえた。
「お前の祖父を殺したのは間違いなくハブリだ。俺は《金滅賊》と取引している現場を見た。そこで奴がお前の祖父の名を口にしているの耳にしている。奴はこう言った……商売敵がこの世から消える幸せは蜜の味だとな」
瞬間、トランテの不確かな感情だったものが一気に膨れ上がりそれは憤怒という形になり、明らかな殺意を生む。
「だが屋敷にもボディーガードは大勢いる。お前一人では到底奴に辿り着けはしない。捕まって殺されるのがオチだ」
「ぼ、僕は……」
それでもこの憎しみを晴らすことができればとギリギリと歯を噛み締める。
「力をやろう」
「え?」
ネオスが懐から花の蕾のような物体を取り出す。そしてそこから花びらを一枚ペラッと剥がす。赤黒く光るそれは毒々しく奇異な存在に思われた。
「私腹を肥やし、平気でお前の祖父を殺したハブリ。奴は人を陥れ、裏切り、陰で何人もの人物を殺してきた悪党だ。この《負業の蕾》さえあれば、お前は奴を殺す力を得ることができる」
「こ、これが僕に……」
正直トランテは店にあったマジックアイテムを売って換金し、その金で情報屋からハブリの情報などを得ていた。まだ金には余裕があったが、いくら金があろうと武力を持たないトランテにはハブリに近づくことさえできなかった。
訪ねたとしてもナリオス卿の孫だと知っているハブリからは門前払いを受けることは必至。だから何とか近づき、事の真相を確かめたいと思っていたところなのだ。
「ほ、本当にハブリがじいちゃんを……?」
「俺の情報を甘く見るなよ。奴は真っ黒の人間だ。その証拠に……」
すると突然空間に亀裂が走り、そこから一人の人物が現れた。額には×と描かれた黒い鉢巻きがされてある。それは《金滅賊》のトレードマークの一つだった。
「き、《金滅賊》……?」
「そうだ。そしてあの日、ナリオス卿を襲った奴の一味でもある」
「っ!?」
刹那、トランテの中に莫大に膨れ上がる殺意。思わず腰に携帯しているナイフを取り、気絶している《金滅賊》の男を襲おうとしたところネオスに止められる。
「まあ待て。アレを見ろ」
ネオスが指を差したのは一つの店。
「アレはハブリが経営している店の一つだ。……おい」
ネオスが倒れている男に声を発すると、ゆったりとした動きで立ち上がる。そこで初めて気づいたが男の胸からは赤黒い靄のようなものが漏れ出している。
「見ていろ、これが力だ」
その言葉で男は何を思ったのか、懐から瓶を取り出し頭から被る。
「っ! ……これは酒?」
アルコールのニオイがして酒が苦手なトランテは顔をしかめる。男は次にネオスからある物を手渡される。それは火を発することができるマジックアイテムだった。見た目はロウソクのような形になっているが、魔力を流せば先端に火が点るのだ。
そして点した火を自身の身体に点ける。無論彼の身体は酒に反応してしまい勢いよく燃える。
「な、何をっ!?」
トランテの愕然とした様子を気にせず、男は真っ直ぐ店へと突撃していく。
「さあ、お前らもだ」
いつの間にかネオスの周囲には同じような《金滅賊》の男がいて、身体に火を点けて店へと向かっていく。その光景はまさに異質。悲鳴一つ上げずに炎に包まれて走っていく様は、トランテを幻想の中にいるかのような錯覚を覚えさせる。
「これでハブリの店は、お前の祖父を殺した連中とともにこの世から消える。どうだ? 気分が良いだろう?」
「あ……う……」
分からなかった。確かに彼らには殺意を覚えている。だがそれでもこんな異常な状況を見せられ、気持ちのベクトルが行く先を見失っているかのように彷徨っている。
「今度はあの屋敷だ。お前の手で燃やしてくればいい」
「え……で、でも関係無い人だっているんじゃ……」
中にはハブリに雇われているだけの使用人や、彼の家族だっているはずだ。トランテが憎しみを感じているのはあくまでもハブリただ一人だ。
「分かっていないな。連帯責任というやつだ。それに家族とやらがハブリのやっていることに気づかないとでも思っているのか?」
「…………」
「そんなわけがないだろう。気づいていて知らぬフリをしているに決まっている。お蔭で自分たちは裕福な暮らしができているのだからな。自分たちの暮らしの下に、多くの犠牲者がいると知りながら……だ。そんな奴らに同情の余地はあると思うか?」
「そ、それは……」
だがそれでも直接手を汚しているのはハブリ一人だ。それなのに屋敷に住んでいる全員を殺すのは間違っている……はずだ。
「覚悟を決めろ、トランテ・ナリオス」
ネオスから放たれた一枚の花弁。それがトランテの胸の中にズズッと吸い込まれてしまった。
「あぐっ!?」
胸から全身に走る電撃のような衝撃。意識が飛びそうになるが、激痛のせいで気絶を許さない。トランテの目が赤く充血していき、口から大量の涎が流れ落ちる。
「さあ、憎しみを糧に、悲しみを力に、痛みを歪みに……」
ネオスの言葉を聞いてさらに加速度的に憎しみと殺意が広がっていく。
殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!
何度も何度も頭の中で復唱される本能。だがふとトランテの脳裏には優しいナリオス卿の顔が思い浮かぶ。
「じ……いちゃん……」
この気持ちに呑まれてはいけない。そう思いつつも、ただ本能に身を委ねてしまいたいという意識がドンドン大きくなっていく。
「……ふむ、ずいぶん抵抗するな。仕方無い。ならば力というものを実際に見せてやろう」
今度は大きな亀裂が空間に生み出され、そこから次々と巨大な生物が出現する。中には火を吐く生物もおり、その生物がハブリの敷地内にある建物に業火を放っていく。
しかし何故か悲鳴らしきものが起きない。それは何故かと、痛みに意識を奪われそうになりながらも思案する。するとネオスが地面にコトリとある物を落とす。
それは線香の束のように見えた。
「か……《快眠香》……」
そのマジックアイテムにはトランテも知っていた。《快眠香》は見た目は線香と変わらないが、火を点けてその煙を嗅ぐだけで、気持ちがリラックスして快眠できる効果を促す効果を持つ。
「少し違うな。それは俺が作った《熟睡香》だ。ただあまりにも効き目が強過ぎるからなかなか使い勝手は悪いが」
彼曰く、一度その煙を吸い込むと何をしても三時間ほどは熟睡するのだという。
「予めこれを屋敷内に設置して時限式に着火するように施しておいた。たとえ大地震が起きたところで、奴らは数時間は目覚めることはない」
何て恐ろしいマジックアイテムを作る奴なんだとトランテは恐怖した。そんなものがあるのならいくらでも不法侵入や暗殺なども可能になる。
「ただ魔力の強い者には効かないというデメリットもある。だからあまり使えないのだ」
それでも出るとこに出れば大金を手にできる発明である。本人は納得がいっていないみたいだが、ハブリなら間違いなく食いついてくるだろう。
そうこうしているうちにも屋敷は炎で包まれていく。
「さあ見ろ、お前が憎んだ奴が何も知らずに全てを失っていく。悲しむことも苦しむことも、何をされたかも分からずただ消える。一番の復讐じゃないか?」
トランテは燃え盛る屋敷を見ながら頬を緩めているネオスの虚空のような瞳を見てゾッとする。
(くそ……ここから逃げ……でも意識が……)
徐々にトランテという自覚が失われていく。心の中が憎しみで満たされていき、それに安心感を感じてしまっている。
必死に抵抗しようにも、トランテは本能に逆らえず闇の中に沈んでいった。
トランテから聞いた話は予想外なことばかりだった。ソージとヨヨは、ハブリの屋敷を焼失させたのは口には出さないがトランテ本人だと思っていた。
だが実際に手を下したのはネオスのようだった。トランテはその時の感情を上手くネオスに利用されただけということ。
「……良かった」
「え?」
ソージの呟きにトランテは目を見開き顔を上げてきた。
「だって、トランテさんはナリオス卿の意志を守ったのですから」
「……いや、僕がハブリを殺そうとしたのも事実だし、それにヨヨさんたちに迷惑をかけてしまった」
「ですが、誰一人失ってはいませんよ」
「……!?」
「ずっと抵抗し続けていたのでしょう。だからこそ、今まであなたは手を汚さずにいられた。それは何よりもあなた自身の強さです」
「そうね。ナリオス卿はいつも仰ってたわ。天に恥じない生き方をしろと。小さい頃からナリオス卿は私の父のような存在でもあった。その言葉は私もずっと心に置いているもの」
「ソージくん……ヨヨさん…………本当にすみませんでした」
トランテの両眼からは大量の涙が溢れ出る。そこにはいろいろな想いが込められているだろう。祖父を失った悲痛、誰も殺さなかった喜び、許された安堵など、想いが溢れて彼を元の優しい青年へと押し戻していく。
ソージもヨヨも互いに顔を見合わせ、彼が立ち直ってくれそうなことにホッとして微笑み合った。