曼珠思想
一夫多妻制の世界観です
お義母さまがいけなかったんだと思う。
「結婚は女の墓場、したが最後、あとは忍耐あるのみよ」
なんて私に吹き込んだのは、お義母さまだもの。
曼珠思想というものがある。
この世界の根本となる思想だ。
世界の中心となる「珠」には、たくさんの花びらがつく。放射線状にそれは広がる。曼珠沙華の花のように。
この思想を最初に言い出した「公孫勒」という人の名前をとって「公孫思想」って呼ぶときのほうが多いけど、私は「曼珠思想」っていう名前のほうが好き。
ところで結婚において、この「珠」っていうのは、男の人のことを指す。
つまり、家庭の中心である男の人には、たくさんの花びら「妻」がつく。
珠の質が良ければ良いほど、花びらは多くなる。「珠の質」は、個人の能力とかも指すけれど、一般的には身分のことを言う。
男の身分と妻の数は正比例、というわけだ。
私の父は、そういうところ淡白な人だった。
だから田舎の豪族とは言え、あそこの山からこっちの山までうちの財産なんていうレベルの他豪族に比べれば、妻の数は少なかった。
私の母と、母が亡くなった後に娶ったお義母さまと、二人だけ。
親戚の中にはそれをみっともないと渋い顔をする人もいた。
だって「妻」の数が「男」の質を表すバロメーターでもあったからだ。
それでも父は面倒がって、妻を増やさなかった。そういうことを面倒がるところ、私は父に似たんだろう。
それにお義母さまの影響も大きかった。
義理とは言え、私はお義母さまが大好きだった。
「曼珠思想」が当たり前の世の中で、お義母さまの考え方はすごく斬新だった。
「女は男の質を表すためだけの飾りじゃないわ。結婚は女の墓場よ」
堂々とそう言いきり、気だるそうにため息をつく姿は、かっこいいとしか表現できなかった。
私はお義母さまが大好きで、幼い頃からお義母さまのお部屋に通い、お義母さまの女の哀愁漂う話を聴いていた。
今から考えると、子供が聞く話ではない。
お義母さまはいろいろ斬新な方なので、そんなところで子供と大人の区別をつけたりはしなかった。女がどんなに不幸な生き物であるかを、気だるいため息を交えてとつとつと教えてくれた。
とは言え私は子供だったから、お義母さまの話を半分も理解できていなかった。
それでも、翡翠や真珠の髪飾りを揺らし、たった一人の夫を独占しているのに、それらすべてを不要と言い切るお義母さまはかっこよかった。
私はお義母さまにあこがれていた。