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地下の祭壇

地下室へと続く、分厚い鉄扉の前。



淀んだ空気は肺にまとわりつき、吐き気を催すほどの死の臭いを孕んでいた。




「……もう、無理。帰ろう。ねえ、お願いだから……」




優香の震えは止まらない。


恐怖で焦点の定まらない瞳が、縋るように私を見つめている。

彼女の指先は、私のジャケットの袖を白くなるほど強く握りしめていた。



ヒカルもまた、言葉を失っていた。


青ざめた顔で地下の闇を睨みつけ、拳を硬く握り締めている。


誰の目にも、ここから先は引き返すことのできない「禁忌」だと分かっていた。



だが、私の指先はカメラを握りしめたまま、微動だにしなかった。



スマートフォンに表示された同時接続者数は、七万を超え、なおも加速度的に跳ね上がっている。


コメント欄は恐怖と興奮、そして期待の罵声で洪水のように流れている。



「葵、無理だ。これ以上は……誰か死ぬかもしれない」



ヒカルの低い声に、私は画面から視線を外さずに告げた。



「死なないわ。記録するのよ。この数字を無駄にするつもり? 今まで積み上げてきたものが、今、ここにあるのよ」



私の声は異常なほど冷たかった。


恐怖はもちろんあった。手も震えている。


だが、それ以上にこの「数字」が、私の脳内で麻薬のような高揚感を爆発させていた。


ここで配信を止めれば、一生後悔する。


この瞬間の支配者であり続けたいという傲慢な欲望が、私を突き動かしていた。



ヒカルは私と優香を交互に見やり、そして覚悟を決めたように大きく息を吐いた。



「……優香ちゃん、行こう。俺が外まで送る」


「ヒカルくん……ッ!」



ヒカルは優香の肩を抱き寄せた。


彼はただ一人の男として、彼女をこの地獄から連れ出す決断を下したのだ。



二人の足音が、冷たい廊下の奥へ消えていく。




私はそれをカメラで追うこともしなかった。ただ、独り、鉄扉の取っ手に手をかけた。





ギィィ……と、金属が悲鳴を上げるような音と共に、鉄扉が鈍く開いた。



一歩内部へ足を踏み入れると、先ほどまでの「病院」の空気が一変した。



そこは、廊下というよりも、地下に埋め込まれた『鋼鉄の棺桶』だった。



等間隔に並ぶ、二十程の扉。




扉一枚一枚が異様に分厚く、内側からは絶対に開けられない堅牢なラッチが備え付けられている。


扉の高さの三分の一ほどの位置には、監視用の小さな覗き窓。



ここは、かつて治療不能なほどに暴れる重症患者を、周囲から、そして社会から隔離するために作られた場所だ。




扉の表面には、無数のひっかき傷が刻まれていた。


爪で鋼鉄を削ろうとしたのか、あるいは何度も何度も頭を打ち付けたのか。


その凹みの一つ一つが、かつてここに押し込められた誰かの、出口のない絶望の形に思えた。



「……見てください。扉のこの傷。ここは病院じゃない。人を人として扱わず、ただ『制御』することだけを目的に設計された、檻なんです」




私の声が、地下室の壁に反響する。



私はその重苦しい空気を切り裂くように、一室ずつ、震える手でカメラを回していった。




【コメント】



独房ってマジかよ…設計が異常だ


傷が深すぎる。これ爪か?


オカケン、これ病院じゃないだろ…完全に牢獄だ


怖すぎる…やらせじゃないならガチで吐きそう


傷の形が人間に思えないんだけど…


ここ他の配信者も撮影してたな。


ガチで雰囲気だけで充分。


よく独りで行けるなあ。




コメント欄は、先ほどの恐怖の余韻と、目の前の異常な光景への困惑で、目まぐるしい速度で流れていく。



私はその反応を冷ややかに観察しながら、二十室目へと足を向けた。



扉を開けた瞬間、空気が凍りついた。



そこだけが、他の独房とは明らかに異質だった。



部屋の中央には、粗末な木材を組み上げた、歪な「祭壇」が据えられている。



その上には、動物の骨と煤けた布。


そして中央の皿の上には、腐敗しきった、黒い何かが供えられていた。




【コメント】


は? 祭壇?


出たよ、やらせ。


運営、セット作る暇あったんだなwww


オカケンが仕込んだんだ


ついにオカケンもやらせに走ったか。


失望したわ。登録解除する。


他の配信者の動画にはこんなん無かったよww


いや、確か奥まで撮影できずに帰ってた気がする。


多分この部屋は配信では初公開。


だとしても、ヤラセだろ


やらせ乙。もう見ない。



荒れるコメント




「……やらせじゃない。これは、本物よ」




私はその内部に土足で踏み込み、祭壇の細部をカメラで執拗に舐めるように映し出す。



視聴者が何を言おうと、私のカメラが捉えているものが「真実」であるという狂信的な使命感。



それが、私の唯一の支えだった。








その頃、病院の長い廊下をヒカルと優香は歩いていた。


出口の光が、すぐそこに見えている。



「大丈夫だ、優香ちゃん。あと少しで外だ」



ヒカルは震える優香を支え、必死に言葉をかけ続けていた。出口の扉が見えた。



安堵が二人の全身を包む。ヒカルは出口の重い扉に手をかけた。



その瞬間。優香は、ふと違和感を覚えた。




(……あれ?)





ヒカルと繋いでいるはずの手の感触がおかしい。



ヒカルの掌はもっと肉厚で、汗ばんでいたはずだ。


恐る恐る、横を向く。






そこにいたはずのヒカルは、いなかった。




優香が握りしめていたのは、病室で見た、左目が抜け落ちたクマのぬいぐるみだった。






「ひ、ひ、ヒィィィィィィィィィィーーッ!!」






病院内に、狂気じみた絶叫がこだました。



その悲鳴は、地下深くの葵の耳にも届いた。




葵はハッとしてカメラを握り直す。




「優香……!?」




撮影を中断し、戻ろうとした。



その時、ふらついたカメラのライトが、祭壇の足元にある、闇に沈んでいた隅を照らし出した。





「――ッ」





私の喉から、声にならない悲鳴が漏れた。



そこに落ちていたのは、供物ではない。



切断された「人の手」だった。





誰かの体の一部だったものが、乾燥し、黒ずんだ状態で無造作に放置されていたのだ。





【コメント】



え、今、何映った?


手だ……マジで人間の手だ……


優香の叫び声、ガチじゃねーか!!


やらせ乙とか言ってる場合じゃない、ガチの殺人現場だこれ!


葵ちゃん、逃げて、逃げて!!警察呼べ!!


誰か通報しろ!!


大丈夫だ。それもセットwww


やらせ乙。


見損ったオカケン。


優香ちゃんも演技やろ。


いや、流石にガチなんじゃ。。




私は硬直した。



カメラのフレームの中で、その切断された指先が、死後硬直の残滓のように、わずかにピクリと動いた。




配信は、止まらない。


七万人の視聴者が、その戦慄をリアルタイムで見守っている。





私は震えるカメラを向けたまま、地獄の真ん中に立ち尽くしていた。




カメラの向こう側で何万人が見守っていようと、この瞬間、この部屋には、死の匂いと私しかいなかった。




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