84話「いつかは必ず終わる夢」-前
繋いだ左手から伝わってくるのは、ミラクという少女がこれまでの人生で磨き上げてきた、硬質で、それでいてひどく繊細な魔力の胎動だった。
私の胸元で藍色の燐光を放つ"シンデレラ"の魔力が、彼女の"白雪姫"の欠片と混ざり合い、議場の空気を物理的に震わせるほどのプレッシャーとなって膨れ上がっていく。
――もう、言葉は要らない。
細かい連携を、相談している余裕もない。ただ、お互いを信じて、力を振るうだけだ。
「……四方を鏡で囲ったのは、間違いだったわね」
最初に動き出したのは、ミラクだった。
「私の"七人の虚人"は、割れた鏡に映った自分の幻影を、七つまで作り出せる力」
鏡の欠片を翳す。それは、アルゴラに向けてではない。私たちを包み込む、鏡の迷宮に向けてだ――。
「――合わせ鏡。無限に続く、綴れのない反射の中で、"虚人"は際限なく増幅する……!」
合わせるように、私も魔力を巡らせる。大きな力を動かす時の、高揚感にも似た感覚が、僅かに足裏を浮き上がらせるような錯覚をもたらした。
「なら、私がドレスを仕立てるわ。舞踏会に着ていくものがないのは、みじめだものね?」
二つの魔法が、複雑に絡み合う。単なる継ぎ接ぎではなく、一つの物語を形成するように。
◆◇◆
白雪姫は、運命を変えるために、魔法の鏡を砕きました。
そこに映るのは、無数の自分。ここではない何処かで微笑む、あるいは悲しむ、あるいは憤る。
そして、無限に分岐する可能性の中には、一つくらい。
零時までの魔法に祝福された、そんな顔だって、並んでいるのでした。
◆◇◆
声が、自然と重なる。重なった物語が、言葉の形を取り、私たちの口から漏れ出していく――!
「「――合作、"硝子虚人の舞踏会"!!」」
瞬間、ミラクが放った七人の分身が、議場全体を包む"迷宮"と、手にした鏡の欠片の反射によって、瞬時に数十、数百、数千へと増殖した。
本来ならただの光の残像に過ぎないその軍勢に、私の硝子の魔力がまとわりつく。
銀色に輝く鏡の身体を、藍色の硝子の鎧が包み込む。
右手に硝子の長槍、左手に硝子の盾を携えた、美しくも無機質な硝子の騎士団。
数千の騎士が、整然と隊列を組み、アルゴラを見据える様は、まさに圧巻の一言だった。
「……上手く、いった、の……?」
ミラクが呆気に取られたように呟く。増幅された魔力の奔流は、もはや一人の“姫”が制御できる規模を遥かに超えていた。けれど、私たちの手が繋がっている限り、その奔流は暴走することなく、一つの"意志"となって議場を支配した。
しかし、継ぎ接ぎの怪物は怯むことなく、歓声を上げる。
「あははあああああ! すごぉおい、すごぉおい! キラキラがいっぱいだあああああ!」
アルゴラは、眼前に現れた数千の騎士団を前にしても、恐怖を感じるどころか、新しいおもちゃを見つけた子供のように無邪気に喜んでいた。
だが、その瞳の奥に宿る"物語の主"としてのプライドが、暗い色を湛えていく。
「でも、ダメだよおおおおお! キラキラなだけの騎士さんなんて、私の"想像の怪物"が噛み砕いちゃうんだからあああああ!」
アルゴラが両手を広げ、虚空を引き裂くように叫んだ。
◆◇◆
彼女は、夢から覚めることができませんでした。
恐ろしい裁判の中で、向かってくるトランプの兵士たち。その凶刃が迫ってくるのを、他人事のように眺めていたのです。
「そっか、これは全部、夢だものね」
眠り続ける彼女はもう、目覚めません。
今際の際まで、目覚めません。
◆◇◆
彼女の背後の闇が、ドロリと不定形にうごめき始める。
「おいでえええええ、私の大好きな、とっても強くて、とっても怖ぁーいお友達!!」
――グォォォォォォォォォォッ!!
空間を物理的に引き裂いて、そこから"それ"は現れた。
"不思議の国"の怪物――"ジャバウォック"。
それは、トランプの絵柄が刻まれた鱗を持つ巨大な竜でありながら、その首は幾重にも枝分かれし、チェスのポーンの形をした目玉が全身にびっしりと並んでいる。
生物としての論理を無視し、ただ"強い"というアルゴラの想像力だけを形にした、悪夢の集大成。
その力は――配下に渡していた"種"とは、比べものにならない。
「焼き尽くせええええ! 何もかも、全部、嘘っぱちにしちゃええええ!!」
怪物の複数の口から、極彩色の炎が吐き出された。
その炎は単なる熱量ではない。触れたものの属性を書き換え、無効化する不条理の波動。
対する私たちの騎士団は、一糸乱れぬ動きで硝子の盾を掲げた。
ドォォォォォォンッ!!
激突。
硝子の鎧が炎を反射し、屈折させ、どうにかその一撃を凌ぎ切る。
だが、ジャバウォックは止まらない。巨大な爪が硝子の騎士を薙ぎ払い、そのたびに硝子の破片が議場に飛び散る。
「……ッ、出力が……強すぎるわ! いくら増やしても、向こうの一撃が重すぎる!」
ミラクが歯噛みする。
数千の騎士が、ジャバウォックの圧倒的な破壊力の前に、少しずつ、だが確実に磨り減らされていく。
トランプの軍勢が背後から回り込み、チェスのナイトが死角から突撃してくる。
アルゴラは勝利を確信したように、ジャバウォックの頭の上で高笑いを上げた。
「あははああああ! つーぶーれーろー! 私の夢に勝てるわけないんだからあああああ!!」
炎と破片が舞う混沌の中で、私は冷静にその時を待っていた。
数千の騎士団は、確かに強力な戦力だ。けれど、この騎士団の目的はアルゴラを"倒す"ことにはない。
彼女の注意をこの"軍勢"という物理的な脅威に固定し、彼女の想像力をこの"戦場"へと縛り付けること。
すべては、本命の一撃を叩き込むための――"舞台装置"に過ぎない。




