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83話「目覚めなかったアリス・リデル」

 降り注ぐ巨大なトランプの剣を、私は極限まで硬度を高めた硝子の盾で受け止めた。


 衝撃が両腕を伝い、骨が軋む音が聞こえる。すぐ隣では、ミラクが"虚人"を盾にしてナイトの駒による突撃を凌いでいたが、その表情には焦燥が色濃く滲んでいた。


「……ッ、しつこいわね! トランプの次はチェス、その次はまた、ポットや熱湯が振り注ぐ……! これじゃあ、向こうの魔力が尽きる前に、こっちの精神が持たないわ!」


 ミラクの言う通りだった。


 アルゴラの攻撃には"整合性"というものがない。


 トランプの兵士が消えたかと思えば、床がチェス盤へと変貌し、逃げ場を失った私たちを巨大なチェスの駒が踏み潰そうとしてくる。


 混沌と秩序。二つの正反対な不条理が、継ぎ接ぎの布のように、強引に一枚の"魔法"として縫い合わせられている。


「あははあああああ! 右へ行ってもお茶会いいいい、左へ行っても裁判だあああああ! どこへ行っても、私の夢から出られないんだからあああああ!」


 笑うアルゴラの姿を、私は硝子のシールド越しに凝視した。


 ふと、昨日サダルスウドが口にした言葉が、脳裏を掠める。


『……僕たちはね、“種”を分けてもらったんだ。……未完成な物語を補完するための、欠片なんだよ』


 サダルスウドの力は"ハンプティ・ダンプティ"。それだけでは物語として成立しない、あくまで一つの断片だった。


 ならば、その原典(オリジン)である彼女はどうだ?


 トランプ、女王、ウサギ、芋虫。これは――『不思議の国のアリス』。


 そして、チェス、鏡、騎士、白と赤の女王。こっちは――『鏡の国のアリス』。


 一人の少女が辿った、二つの旅路。


 本来ならば、前作が終わってから始まるはずの"続編"が、ここでは同時に存在している。


「……そうか。そうだったんだわ」


 私は、自分の中にある知識――前世から持ち越した"物語"の断片を、目の前の絶望と繋ぎ合わせた。


「ミラク! あの子の正体がわかったわ!」


「なんですって!? 今それどころじゃないわよ、あの猫が……!」


 笑う猫の爪を硝子の壁で防ぎながら、私は叫んだ。


「あの子の(オリジナル)は、()()()()()()! 実在した少女をモデルにした、二つの物語の主人公! 本来なら夢から覚めて終わるはずの彼女が、"夢から目覚めること"を拒絶し続けている存在なんだわ!」


 アリス・リデル。


 不思議の国を冒険し、鏡の国で女王になった。とある物語のモチーフになった少女。


 通常、彼女の物語は"夢から覚め、日常へ戻る"ことで完結する。


 だが、目の前のアルゴラは違う。


 彼女は夢の中に留まり続け、二つの物語を強引に自分の中に留め置いた。だからこそ、一系統一魔法という世界の原則を無視し、二系統の魔法を同時に行使できる。


 不条理を上書きする"不思議の国"。

 鏡の理を支配する"鏡の国"。


 彼女は、終わらない夢を見続けている、哀れな"目覚めなかったアリス・リデル"なのだ。


「夢から、目覚めない……? それが、あいつの強さの理由だっていうの!?」


「ええ。前作と後作を無理やり繋ぎ合わせているから、あんなに不気味な魔力が溢れ出しているのよ。……でも、継ぎ接ぎ(パッチワーク)には、必ず"継ぎ目"があるはずだわ」


 アルゴラは今、二つの物語を同時に演じている。


 それは、一人で二つの劇の舞台に、同時に上がっているようなものだ。


 今は彼女の圧倒的な魔力で成立しているが、その実体は極めて不安定な均衡の上に成り立っている。


「ミラク。……今のまま、それぞれの力で挑んでも、あの子の物量には勝てないわ。……今、私たちに必要なのは、物語の書き換えじゃない」


 私は、隣に並ぶミラクの瞳を見つめた。

 


合作(クロスフェード)よ。 私たちの、全く違う二つの魔法を、一つの物語として重ね合わせるの」



「合作……? 私の鏡と、あんたの硝子を?」


「ええ。……ミラク、あなたの"割れた鏡"による反射。私の魔法は、光を透過させる"硝子"。……一見、正反対だけれど、光という共通の理がある」


 私は、周囲に無数の硝子の破片を浮遊させた。


「私たちで、目覚めさせるのよ。あの子に、終わらない夢なんてないって、教えてあげるの」


 ミラクは一瞬、呆気に取られたように私を見たが、すぐにその口元に不敵な笑みを浮かべた。


「……へえ、面白いじゃない。私も丁度ひとつ、思いついたところよ」


 彼女は不敵な笑みを浮かべる。その目には、勝利への道筋が見え始めているようだった。


「なあああにおしゃべりしてるのぉおおおお!? どんな作戦も、私の怪物たちが噛み砕いちゃうんだからあああああ!!」


 異変を察知したのか、アルゴラが激昂する。


 巨大なチェスのクイーンが現れ、王者の威厳をもって私たちを押し潰そうと剣を振り下ろした。


 同時に、トランプの兵士たちが津波のように押し寄せる。


「いいえ。……物語は、もう最終章よ」


 私はミラクの手を、その確かな熱を、自分の左手で握りしめた。


 藍色に輝く硝子のブローチと、白銀に煌めく鏡の欠片。


 相反する二つの光が、議場の中心で混ざり合い、かつてないほどに美しい、残酷なまでの"輝き"を放ち始めた。


「やるわよ、ミラク! ……鏡の国に、本物の光を!」


「ええ、チェックメイトよ、アルゴラ!!」


 継ぎ接ぎの悪夢を砕くため、二人の"姫"の魔力が、一つの物語へと収束していく――。


 

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